第67話、胸打たれ突かれても、しあわせにしたいって想いは消えない
SIDE:吟也
それは、一言でいい表すなら地獄、だった。
吐き気を催すほどに純粋な、恐怖を掻き立てる、黒い太陽。
それが、無慈悲にも大地へと落とされて。
尋常じゃない数の生けとし生けるものが、その世界から消えていく。
それは、僕自身も例外じゃなくて。
僕は塗り潰されていく。
闇よりもなお暗いその黒に……。
※
「……っ!?」
そして、はっと我に返った時。
目の前に広がるのは、その地獄と同じ色をした闇だった。
「ごしゅじん?」
クリアの心配気な声がどこからか聞こえる。
「王子? さぁ、早くこの場から脱出いたしましょう」
続いて聞こえる、ベルのそんな声。
そうだ。早く、ここから逃げなきゃいけない。
早くしないと!
僕は言われるままに、ここから逃げ出そうとした。
しかし、広がるのは闇ばかり。
どこにも、逃げ場などなかった。
どこにも……。
「逃げられるとでも、思った?」
「っ!」
そしてその刹那、闇の中に響き渡る声。
当然それは、僕の発した言葉じゃなく。
しかし、僕が口にしようとしていたことを、確かに代弁していて。
顔をあげる。
ただの黒一色の、何も見えないはずのその場所に。
全身闇色の、肌すらも黒い、おさげの女の子の姿があった。
「何奴っ!?」
鋭い、リオンの声。
ダメだ、刺激しちゃいけない!
叫びたかったけど、言葉にはならない。
「分かっているでしょう? わたしが誰か、なんて」
いや。あった、と言う表現は正しくないのかもしれない。
彼女は闇そのものだった。
この世界そのものだった。
だけど確かに、そこに息づいている。
「ベルを捕らえ、王子を誘いこんだ輩は、貴様か?」
「ええ、そうよ。もっとも、こんなあっさりと釣れるとは思わなかったけど」
「何が目的だ?」
そして、ディアがそう聞いた瞬間。
「たいちょーっ、来ます!」
ぐん、と大気を圧迫するように針刺すような、いつか感じた気配が広がる。
モトカが僕を大声で呼んでいるのに、身体が動かない。
「決まってるでしょう? 紅恩寺吟也さん? ここであなたを殺すの。あなたは危険だから。わたしと同じように、人にはない高潔な魂を持ちながら、人間を愛してしまった妖(あやかし)。このままじゃあなたは世界の脅威になる。完なる罪すら、惑わせる稀有な存在に」
何を言ってるんだ?
分からない。
その言葉が、理解できない。
ただ、怖かった。
なんでもいいから、早くこの闇から、解放して欲しかった。
「でも大丈夫。そんな事、全部忘れさせてあげる。怖い記憶、全部なかったことに、してあげる」
僅かに落胆の色が混じっていたような気もしたけれど。
唐突な、優しげな声。
気付けば僕は、ふらふらとその声のほうへと惹かれていた。
ここから……この闇から、あんな地獄から逃げられるのなら、って。
「ごしゅじん! そいつの言葉に耳を貸したらあかん! すべてを忘れるのいややって、そう言うたのごしゅじんやんか! 自分だけ逃げるのいややって、そう言うたのごしゅじんやんか! ごしゅじんがすべてを忘れたら、たくさんの女の子が不幸になるんやで! ……この子だって! きっとたくさん悪さして、不幸になる!」
「……」
と、その瞬間。
クリアの魂を揺さぶる叫びとともに。
僕の中に、伝わり流れこんできたのは。
今度はクリアに預けた、その記憶だった。
※
――目に映る全ての女の子に、幸せを。
それは僕が生まれ落ち、幼心に負った傷と後悔に対する、生涯を通じての願いだった。
それを人は愚かだと、叶うべくもない願いだと。
身勝手で幼稚な願望だと、言うかもしれない。
だけど、僕は大好きだったから。
女の子の幸せな笑顔が大好きだったから。
どんなに無謀でも、その想いを貫きたかった。
多分、それは男として誰もが持ってるはずのもの、とか思ってて。
その想いが昇華したのが、何もないと思い込んでいた中学時代だった。
しかしそれは、本当に何もなかったわけじゃなく。
強くなるために、ヒーローになるために入った学園。
それは、時の間にある幻想の世界にあった。
いつか来る世界の破滅を防ぐための救世主を育てる、そんな夢のような学園に、僕は通っていたんだ。
今初めて、あの引っ越しの時に、引っ越すことが強くなるための修行だと思い込んでた意味がよく分かる。
そして僕はその場所で、ひとりの少女と出会った。
自らの命を犠牲にして世界を救うことを宿命づけられた、そんな少女と。
たぶん、僕は彼女が当たり前に自らの宿命にそっていることが、どうしても許せなかったんだと思う。
たった一人のヒーローを決める戦いで彼女に負けても。
たった一人選ばれた彼女が未練を残さないために、彼女がこの世界にいたこと、誰も知らなくてもいいように。
あるいは世界を破滅に導く存在が、彼女だけを狙うように。
過ごした思い出全てを忘れることになっても、僕は納得がいかなかった。
我慢ならなかった。
僕はその僕の想いを、願いを、諦めたくなかった。
だから、託したのだ。
クリアたちに、その全てを。
僕と言う存在意義、その全てを。
「……」
クリアからの記憶を受け取った僕は、気付けば立ち止まっていた。
そして、闇をじっと見つめる。
今はもう、恐怖心もどこかに消えていた。
「うん、全部思い出した。そうだよ。僕は全ての女の子たちを幸せにしたい。世界を破滅に導くような悪い子だって、僕が改心させてやるって、幸せな笑顔がみたいって、決めたんだ」
「……っ」
目の前の闇色の女の子は。
滲む歓喜とともに、明らかに動揺しているようだった。
その事が、辺りの闇の気配を通して、伝わってくる。
それなのに。
「……もう、遅いわ」
それは、泣きそうな声だった。
助けを求めている、そんな声だった。
僕はそんな彼女から視線を外さなかった。
ただ、遅くなんかない! って、訴えていた。
そんな彼女が息のかかるくらい近くまでやってきて。
「さよなら……」
……僕の胸を、貫いても。
SIDEOUT
(第68話につづく)
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