第13話、僅かな希望と期待を胸に、勇気をもって一歩踏み出す
とはいえ。
そんな私も愛に飢えた、わがままな一人の女の子なわけでして。
「吟也ね、今日から付属に通うんだって」
キクちゃんの、都合の悪い言葉を半ば聞こえなかったことにして。
ウキウキでそんな事を言う私。
「本校に入るって約束したんじゃなかったんですか?」
付属は、紅葉台における普通の人が通う学校のことで。
私たちが通う本校に対してそう呼ばれている。
その校舎も隣同士で、くっつくようにして紅葉台の町の真ん中、紅葉台山の中腹に立っている。
お隣さんとはいえ、その間にある壁は厚い。
私たちから身を守るためには仕方ないんだろうけど、だったら隣になんか建てなければいいじゃない、なんて初めは思ってたっけ。
人々の暮らしを守るためには戦うものだけじゃなく、たくさんの人々の力が必要だからって、今は納得していた。
学園の言い分としては、いずれは私たちが発する拒絶に慣れ、克服するものが現れるようにと建てられたものらしいけど。
むしろ、吟也が付属に通うことを知った今は。
お隣に建ててくれてありがとうって感じだ。
「いいの。帰ってきてくれたんだから……」
確かに、そう約束した。
今度帰ってきた時は、本校に入って私を守ってくれるって。
でも、それが子供の頃の約束で、物事の道理を知らなかったからってことは、ちゃんと分かっている。
吟也が本校に通うことが、無理だってことくらいは。
過去を紐解けば、ごく稀に男の人でも生徒になった人がいるにはいるんだけど。
それを期待するのは酷というものだろう。
たとえ入れたとしたって、本校の空気は常人に耐えられるものじゃなかった。
私たちが毒なら。
その暮らす世界は、酸素ボンベなしで海の中に放り込まれるようなものなのだから。
「それで? 結局借りたものは返すんですか?」
「あ……」
忘れていたわけじゃないけど。確かにそうだった。
私は、先に述べたように、絶対に帰ってくるって約束のしるしに宝物をもらった。
吟也は人質だって言ってたけど、言い得て妙だと思う。
だってその宝物は、人の形をしていたからだ。
「カチュ。吟也帰ってくるって」
「……」
落ち着きがないまま、私はマイまくらの上にあるバスケットに手を伸ばす。
そこにはポケットに収まりそうな小さな女の子が眠っている。
纏うのは、魔女が着るようなまっくろのロングスカート。
胸元には、お決まりの白いぼんぼん。
卵くらいの、小さくすべらかな顔。
薄黄色の、立てば床にくっついちゃうんじゃないかなってくらい長い髪を、みのむしのようにぐるぐるに巻きつけて、ぐうぐうと眠りこけている。
ただの人形ではなく、確かに生きていて。
「……たとえるなら、安全ピンを抜いた手榴弾を投げ返すような仕打ちですね」
突然名を呼んで話しかける私に、背中からかかるは、生暖かいものを含んだそんなキクちゃんの言葉。
それは、彼女……カチュの姿が私にしか見えないせいもあるんだろう。
「ずっと寝てるだけだし、そんなことないと思うけど……」
一応吟也の名誉のために言っておくけど、吟也からの宝物が、最初から生ける人形、魔物の一種だろう……だったわけじゃない。
動くんじゃないかなってくらい精巧なお人形さんではあったけれど。
彼女を受け取った時、吟也らしいと思ったのは事実だった。
吟也は、手先が物凄く器用で。
かつ彼の家が、ロボットやらからくり人形やらを昔から作っている家だったからだ。
吟也は、そのうちの一体を人質として私に預けた。
それが比喩でなくなってしまってるなんて、一体誰が思うだろう?
すべては、私の身体に巣食う、【曲法】と呼ばれる力のせいだ。
私の身体からは、普通の人が拒絶する理由でもある【異世】と呼ばれる気のようなもの……いわゆるプライベートスペースが常に広がっている。
それは、【生徒】としての自分の力を最大限に引き出し、果てには自分のための世界を作りあげる。
魔物と戦う時には、それを最大限に利用して戦うことになっている。
ある程度は調節できるし、人によっては全く閉じることができる人もいるけど、私はどちらかと言えば調節が苦手なほうで。
カチュはずっと私の傍にいるうちに、その力の影響を受けてしまったのだろう。
明確な原因は分からないけれど。
事実、曲法持って生まれた子たちの中には、ぬいぐるみとかに魂を宿らせ共に戦う、なんて曲法を持つ子がいたから、それと同じなんだろうなって私は思っていた。
でも、当の本人……カチュは、初めてその名を聞いたときに、そんな私の考えを否定していたっけ。
カチュは、吟也によって生み出されたもの、【つくもん】だと言い張る。
私のせいじゃないよって、言ってくれるんだ。
それは、彼女の優しさだったんだろう。
作った本人に似てよくできた子だ。
……普段はナマケモノよろしく寝まくっていて、会話ができるのは一週間に一度あればいい方だったけど。
魔物になってしまった彼女をこのまま返すのはまずいだろう。
普通の人にとって、魔物は危険なものなのだ。
現に、魔物に殺された人たちは多い。
その認識だけでも十分に。
たとえ、カチュが何もしていなくても。
「返せない理由、考えないと」
「にゃむ……」
バスケットから手のひらへとそっと移すと、むずがるような寝言が聞こえてくる。ふわふわでちっちゃくて、ほんのりあったかくてかわいい。
どう見たって人を害するような悪い魔物には見えない。
何だかんだいって愛着もあった。
返せない、返したくない理由は、実はそれが一番の理由な気もしなくはないけれど。
私はそんな事を考えつつ。
携帯用のカチュ専用の寝袋(巾着袋とも言う)に彼女を移動させて。
生徒御用達の真っ赤な制服の胸ポケットの中に押し込む。
これなら上から覗き込まれない限り、気付かれることもないだろう。
もっとも、私以外の人にはカチュのその姿は見えない、というか、全くもって意外な別のもの……何故かホッチキスに見えているらしいから、あまり気にすることもないんだけど。
ようは、はたから見た私はホッチキスに話しかける痛い女なわけで。
すぐ後ろにいるキクちゃんの生暖かい視線が、それ以上に痛かったりするわけでして。
「……私、ちょっと行ってくる」
カチュを返したくないってことも含めて話して。
話すことができればベストなんだけど。
とにもかくにも会いたい。
朝の点呼までにはまだ少し時間がある。
それまでに帰ってくれば問題はないだろう。
「まさか、その吟也って人に会いに?」
「だめ……かな?」
「やめておいたほうがいいと思います。好きな人なら尚更。それで傷つくのは潤自身なんですから」
「それは……分かってるわ」
「……」
重苦しい沈黙。
でも、うん。それは分かってる。
普通に考えれば、吟也はきっと私を拒絶するだろう。他の男の人たちのように。
「せめて防護服を着ていったほうが」
防護服。
自分自身ではなく、私たちに相対する人たちを守るための外出用の服だ。
とにかく目立つ、赤黒いフードつきのコート。
季節なんてお構いなしの、暑苦しいことこの上ないシロモノだ。
半ば強制的に集められたと言っても、私たちは建前上、籠の鳥じゃない。
本校の『科学班』が作成した、曲法を内へと留めることのできるそのコートさえ着ていれば、とりあえずは町に出ることを許されている。
だけどそのコートは、紅葉台の【生徒】であることの証だ。
普通の人ではないという、看板のようなもの。
仕事を除けば、当然のように好んで外出するような子はいなかった。
いるだけで他の人に迷惑をかける私たち。
本来なら、キクちゃんの言う通りなんだけど。
その一方で、私は淡い期待してもいたんだ。
人々の……特に男の人の全員が、私たちを拒絶するわけじゃない。
今は付属で教鞭をふるっている志島徹威(しじま・とおい)先生は、男だけど毎日にように本校にやってくる。
なんでも、若い頃一流の【生徒】だったから、らしいけど。
誰だったか、そんなトーイ先生に訊いたことがあったんだ。
「どうして先生は平気なの」って。
そうしたら先生は笑って。
「人を本当に愛する力が、何よりも強いからじゃ」なんて言ってたっけ。
何故、曲法の力を持つ子たちが、特に男の人に拒絶されるのか。
紅葉台学園は、魔物から人々を守ることだけでなく、そういったことを研究する場でもある。
トーイ先生のその言葉は、その研究により分かった事実に即しているらしい。
拒絶には、好意と欲望が深く関係している。
【曲法】の力を持って生まれてくる子は、見目麗しい、可愛い子たちが多い。
テレビの向こうなら異世も届かないから、アイドルとして持て囃されたりもする。
目の前にいるキクちゃんだって、かなりのものだ。
自分のモノにしたい。私にでさえ分かるそんな気持ち。
誰もが持ってるそんな欲が強ければ強いほど、邪であればあるほど、拒絶反応が強いらしい。
逆に言えば、トーイ先生の言う本当の愛だけが私たちを受け入れてくれることなんだろう。
己のための愛ではなく、無償の……真実の愛。
たとえそれが、現実にはありえないことかもしれない、世迷言かもしれなくても。なんて素敵な言葉だろうって、そう思う。
それを大好きな人に期待するのって間違ってるかな?
まぁ、それ以前にこの想いは一方的なものであって。
傍若無人なガキ大将だった私はむしろ嫌われている可能性のほうが高いから、そう言う対象にはならないんじゃないかなって思ってたわけだけど。
「大丈夫。とりあえずは遠くから見るだけだから……」
話すことは、最終段階の最高の結果だ。
実際のところは行ってみないと分かんないけど、べつに校外に出るわけじゃないし、むしろ付属の入学式ということで近付いてくるのは吟也のほうなわけだし。
さらに付け加えれば、防護服のダサいことダサいこと。
赤は好きな色なのに、濁りきった静脈の中の血みたいな色合いは、目立ちことすれマイナスにしかならないような気がした。
せっかくの再会なんだから、少しはまともな格好でいたい。
逆に、制服のスカートの赤はいい。
瑞々しいトマトのような赤だ。
キクちゃんのような女の子らしい女の子の可愛さをより引き立てている。
似合わないと言われる私が着ても、防護服よりはマシだと自信を与えてくれる気がして。
「そこまで好きなんですね。ちょっと感心します」
キクちゃんは、私のたった一言の中に詰まった、様々な訴えを読み取ったみたいにそんな事を言って。
「わかりました。周りに気をつけて」
「うん。行ってきます……」
引き止めても無駄だって分かったんだろう。
自分ではなく、周りに気をつける。
そんな外出の時のお決まりのやり取りをして、私は部屋を出たのだった……。
(第14話につづく)
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