第14話、触れられぬ枠の向こうにいるから、偶像と呼ばれるのか
自室を出ると、そこには横長の廊下がある。
ふかふかの赤じゅうたんは足音すら生まず、常夜灯のお洒落なカンテラだけが、一定の間隔で足下をオレンジ色に照らしていた。
どこの高級ホテルかというロケーション。
今のところ人の気配はない。
代わりにあるのは、薄闇に溶けた『異世』だ。
みんなの『異世』が少しずつ溶けて作られた世界。
有事の際、魔物とすぐに戦えるように、この寮を含めた本校のすべてが、それに覆われている。
私たちにとってみれば少し空気に存在感があるといった程度の、無害なものだけど。曲法の力を持たない人にとっては、それこそ深海の底のような世界といってもいいのかもしれない。そのおかげで泥棒やら何やらの類は一度たりともやってきたことはないらしい。
私はそんな事を考えつつも。
人っ子一人いない廊下を抜け階段を降り玄関ホールを素通りし、外靴を履いて外に出る。
「……いい天気」
そろそろ、町では桜の開花がピークになる頃だろう。
僅かに靄のかかった日差しに、心地よい空気のぬくもり。
それに混じって桜の花の香りすら届いてきそうで。
私は深呼吸し、歩き出す。
すると、すぐ目前を覆うのは本校の校舎。
実のところ、校舎と寮は直接繋がっているので、この玄関から外に出ることってほとんどなかったりする。
寮に住むほとんどの子たちが校舎と寮を行き来するだけの半引きこもりだから、仕方ないと言えば仕方ないんだけど。
「お花見とか、みんなで行ければいいのにね、カチュ」
「……」
寝るのがアイデンティティだとばかりに、私の胸ポケットでこんこんと眠り続けるカチュ。
さらさらの髪を軽く指で撫でた後、私はぬくい陽光の下へ飛び出した。
そして、校舎に沿って左手に折れる。
右手をうず高い校舎の壁につけながら歩く。
目指すは校門前だ。
「付属の入学式、一日遅くてラッキー……」
新しき高校一年の春。
私たち本校の生徒は一日早く入学式を終えていた。
とは言っても本校は、中学からのエスカレーターなので、私にとっては入学と言うより進学の意味合いが強かったけど。
部屋も相方も中学の時から変わってないし。
通う教室も一つ上に上がっただけ。
『委員会』の仕事は学年に関係なく去年からやらされてるしね。
なんてことを一人ごちつつ歩みを進めていると。
右手にあった校舎がなくなり、一気に道が広がって。
外へと続く、カラフルなインターロッキングの道が現れた。
ここに来ると、毎度テンションが下がるんだよね。
何がそうさせるかって言えば、校舎の代わりに本校と付属を隔てる鋼鉄の壁だ。
その高さ、五メートルはあるだろうか。
表面はつるつるで、足をかけることもできない。
それは、間違って本校の生徒が付属の敷地に入ってこないようにする配慮だった。
付属は、バランスをとるためなのか所属するその殆んどが男の子だ。
そんなものがなくても、本校の子だってみだりに足を踏み入れてはならない場所だってことくらい百も承知なわけだけど。
たぶん、視覚的な意味合いもあるんだろう。
テレビの向こうで見るのはよくても、中には私たちを直接目にすることに嫌悪する人だっているからだ。
逆に本校の子たちにとってみれば檻の中にいる自分を自覚させる。
基本的に本校の生徒は本校内において自由だからこそ余計に。
そんな、鋼鉄の壁は。
しかし校門に近づくにつれてだんだんとその背丈を低くしてゆく。
鉄壁はコンクリートになり植樹帯になり、最終的には付属の校舎へと続く道が見えるようになる。
理由は単純。
こんなところまで歩いてくる本校の生徒などまずいないからだ。
通るとすれば、本校へと連れてこられたその時か、仕事……出動命令が出たときくらいだろう。
私の視線は、自然と付属のほうへと向けられた。
出動命令が出ない限り基本的にはのんびりとしている本校とは違って、もう既にちらほらと登校してくる緑の服を着た付属の生徒たちの姿が見える。
吟也と同じ新入生か、はたまた在校生か。
人の気配に気付いたんだろう。
そのうちの二人組の視線が、私を射抜こうとする。
「……っ」
反射的に、私はしゃがみこんだ。
その視線が私を捕える前に。
植樹帯で、私の姿を覆い隠すように。
「なあ、今本校の生徒そこにいなかったか?」
「バカ。こええこというなよっ」
「だってほら、その。垣根のとこ、やな気配が……」
間近に聞こえる会話。
とっさに異世を抑えたけど、私は不器用だから完全にそれを消すことはできなかった。
このままじゃ彼らにとっての毒は、確実に彼らを蝕むのだろう。
いったん戻ったほうがいいのかもしれない。
やっぱり防護服を着てくればよかったって、後悔して。
「まじかよ。ちょっと確認してみようぜ」
「これでほんとに隠れてたらウケルんですけど」
植樹帯の反対側、そんなやり取りが聞こえる。
確認するって? まさか本校の敷地に入ってくるつもりなのかな。
なんて思っているうちに、がさがさと植樹帯を掻き分ける気配。
それで分かってしまった。
彼らは新入生だ。
ここのルールをまだ知らないんだろう。
教えてあげなくちゃいけないと思った。
本校の敷地に入るのが、どういうことなのかを。
「……」
私は無言で立ち上がる。
もちろん、『異世』は抑えたままだったけど。
「ひぃっ!?」
「うわぁっ、で、でたぁーっ!!」
効果はばつぐんだった。
今度は私が視線を向けるより早く、一目散にその場から逃げ出す付属の生徒たち。
「……危険を察知する能力があるだけまし、だよね」
分かってはいた事だけど、やっぱりまだ慣れない。
自分が問答無用で拒絶されることが。
でも、私が魔物と同じくらい危険なのだと気付くことができただけ、彼らは優秀なんだろう。
中には、死地に入ったことに気付かないまま意識を失ったり、命の危機に晒される人もいる。
だけど、それならまだいいくらいだ。
一番厄介なのは、やせ我慢をされることだ。
うちのお父さんみたいに。
お父さんは私が寮に入るその直前まで、そのことを渋っていた。
自分は平気だからって。別々に暮らす必要はないって。
蝕まれた身体に涙しながら、お父さんはついには倒れてしまった。
私の力を浴び続けたことによる、呼吸困難で。
初めて見たお父さんの悔し涙。今でも忘れられない。
その原因を作った自分が許せなかった。
それでも受け入れようと努力してくれる姿に涙が出た。
それが幸せなことだと気付いた今は。
お父さんのために、みんなのためにこの力を使おうって、そう思えるようになっていて。
「こそこそするの、やめよ」
私は開き直って、大きなストライドで歩き出した。
それは下手に隠れるとさっきみたいに驚かせてしまうかもしれないというのもあったけど、何よりガラじゃないって思ったからだ。
怖がり、拒絶するならすればいい。
私は気にしないことにする。
わがままに、私らしく生きる。
紅葉台のガキ大将。
女だてらに、そんな風に呼ばれて恐れられていた頃のように。
そんな私にくっついて張り合って怖がらなかったのは、吟也だけだった。
よわっちぃくせに、そんな強気が大好きだった。
だからこその予感だ。
吟也は私を拒絶しない。
それは一番の望み、と言い換えてもいいのかもしれないけれど……。
堂々と本校に向かって歩き出したのが功を奏したのか。
付属の生徒たちの反応が、少し変わった。
「おい、あの人。風紀委員長の……」
「俺、テレビで見たことある!」
逃げるように離れるのは相変わらずだったけれど。
その畏怖には、別のものも含まれている。
自分で言うのもなんだけど、私は生徒としてそこそこ顔を知られていた。
最近は減ってきたけど、有事の際……魔物が出現したときにはなるべく率先して出動するようにしていたからだ。
そして、魔物が出れば、それは余程のことでない限りニュースになる。
私が、テレビ画面の向こうに映し出されるのは少なくなかった。
『最も遠くにいるアイドル』として、番組にも呼ばれたことがある。
その性質はどうあれ、世界を守るものであることには代わりはないから、らしいけれど。
「すげえ、生でアイドル見られるなんて!」
「ここに来た甲斐があったぜ……」
「……っ」
かといって、そう呼ばれるのは恐れ多いというか恥ずかしすぎた。
正義のヒロインとかアイドルとか、それこそガラじゃない。
思わずにらみつけると、付属の生徒たちは蜘蛛の子散らすみたいに逃げ出してゆく。
まぁ、ただ拒絶されるよりは幾分マシなんだろう。
転がるように逃げていく付属の男の子たちは、どこか滑稽で笑える。
たまにはこうやって冷やかしにくるのもストレス発散になってありかも、なんて思うくらいには。
「吟也もテレビ、見てくれてたのかな……」
吟也が付属に入ることを決めてくれたその理由。約束。
その後押しになったのなら、いやいやだったけどテレビに出た甲斐もあったかもって、前向きに考えていた私だったけれど。
そんなことを考えているうちに。
私はいよいよもって、校門……町と学園を隔てる守衛室が見える場所へと辿り着いて……。
(第15話につづく)
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