其ノ弐――夢使い大桑弼、新宿区思い出横丁で大いに語る

 世界一の乗降者数を誇る新宿駅、その西口を出てすぐの商店街を思い出横丁と言う。その始まりは戦後の闇市にまで遡る。かつてしょんべん横丁と呼ばれた街に、いまでは海外からの観光客の姿を見る。

 狭い路地にひしめき合うように店が並ぶ。夜は混雑すると大桑が言うが、朝方の今は近道をするサラリーマンが端末を片手に細い道を足早に通り過ぎていくくらいだ。

 前を見ている様子もなくて、思わずよけたヴィルジリオの頭の上には黒々とした電線が複雑怪奇な迷路のように走っている。

 すぐ裏手を電車の行き過ぎる音がする。 

 大桑は慣れた足取りで路地を行く。

 黙ってついていくとほとんどの店がシャッターのおりたなか、開いている店が見えた。大桑はするすると暖簾をくぐる。思わず立ち止まるヴィルジリオを振り返って手招いた。

 なに突っ立ってるんですか、取って喰いはしませんて、ほら、はいってはいって、大丈夫ですから。

 言われるままに店に入ると客はスーツ姿の男がひとり、観光客風のアジア人女性が三人いるだけだ。

「ゲンちゃん、二階借りるよ。苦手なものないって聞いてるから、いつものお願いね」

 大桑がそう言った。ヴィルジリオと目が合ったのは、ピンクのエプロンをした禿頭の大男だ。

 お邪魔しますと頭をさげると無言の会釈が返る。いかにも腕っ節は強そうだがヴィルジリオの見るところ、いたって普通の人間だ。 

 二階は座敷になっている。靴を脱ぐと、おや、いい靴を履いてますねと乗馬のマークを見てとった大桑が破顔する。ヴィルジリオは擦れた畳に大桑の真っ白な足袋が汚れやしまいかとひやひやした。

 テーブルのうえに無造作に乗ったままのポットのほうじ茶を同じく盆に伏せておかれた茶碗に注ぐ。猫舌のヴィルジリオにはちょうどいい。半分飲み干すと無言で大桑がお茶をつぐ。初対面だというのに、ひとの呼吸をはかるのが上手い男だと感心する。

 人心地ついたところで両手に盆をもった店主がやってきた。

「こちらこの店、居酒屋ゲンの大将金田源次さん、同級生なんですよ、まあその縁でこうやって朝飯食わせてもらってましてね。

 で、こちらが遠くイタリアはナポリから観光にいらしたヴィルジリオさん」

 初めましてと頭を下げると、金田は低い声で、いらっしゃい、弼と紡が世話になってるそうでよろしく頼みますと笑った。

 金田はふたりのいただきますを聞く前におりていった。

 ヴィルジリオは器用に箸をもって小鉢のなかのヒジキにまじった大豆を抓んだ。

 大桑は、日本語お上手ですね、なんておべっかを言いはしない。どこで覚えたのかなどと根掘り葉掘り聞いたりもしない。

 ふたりの膳が綺麗になり、湯呑におかわりをついで目が合った。

 しゅ、と衣擦れの音がして紋付羽織袴の相手が居住まいを正した。 

 あらためまして、さきほどはうちの紡がご無礼いたしました。これ、この通り、許してやってください。

 なにしろこの一か月、あなた以外にも海外から押しかけて来られるひとが後を絶たなくてね、いちいち言い含めてお帰りいただいてるんですよ、まあみなさん聞きわけがよろしくて、だいたいはご理解の上で無事に帰られましたが、たまにねえ、どうしたものか勘違いされるやんちゃな御方がいらっしゃる、そうなると私なんぞの出番はなくて、別のものがおでましになる。

 え? ああ、紡ですか、あれは全然そんなたいそうな御役目じゃあありません、ちょっとばかしこっちの世界のいざこざを覗き見しちまったせいで逆上せあがってるだけで、危なっかしくてねえ、ほんとお相手があなたみたいに温厚な方でよかった、半可通は引っこんでろって言いつけてあるんですが若いからでしょうかねえ、血の気が多くていけません。

 ええ、そうです、姉の産んだ子でしてね、父親がクレオール系だとか言ってたかなあ、ニューオーリンズ出身だそうです。もうずいぶんと前に別れてるんですが、姉も海外から戻ってこないしで引き取ったんですよ。あの子はあの容姿で英語がからっきしで学校で苛められたりしましてねえ、私は所帯持ちじゃありませんし子供の世話なんてしたことないしであの子には申し訳ないとは思ってますが、どこをほっつき歩いてるんだか、ろくに家に居つきませんしね。ともかくひとさまに迷惑だけはかけるんじゃないって説教すると、ひとのことなんてどうでもいいだろう、そういうのはもうたくさんだって生意気を言うんですよ、まあそういう時代ですしね、わからなくもないんですが、認めちまったらお仕舞いなところもあるじゃないですか。

 ああ、あなたはそうでしょうねえ。ナポリのヴィルジリオさん、なにしろ誰よりも早くこの東京の異変に気がついた方だ。しかも、その名はヨーロッパ中世の伝説に名高い魔術師ヴェルギリウスと同じだってんですから、この世界じゃ通りがいい。だって、ナポリの守りとしてお城に卵を奉納した御方でしょう。私だってヴェルギリウスの名前くらいは知ってますよ、英雄譚『アエネイス』とか『農耕詩』とか、これでも一応大学を出ていましてね。

 え、詩は書いたことがないですって。まあまあ、そりゃあ私もありませんよ。正直、夢使いの仕事には学士様なんてのは邪魔になるだけです、養蚕教師となると違いますがね。だって、夢使いの仕事なんざ、ひとさまのあられもない欲望あってのことですからね、好き勝手やれるだけの運も実力も努力できるだけの根性もあれば、儘ならぬ欲望なんてもつ暇はありゃしませんよ。紡にもよく言ってきかせるんですがね、私らはそうじゃない、ぜんぜん立派じゃないおひとのために夢という香音(かね)を爪弾くんですよ、そういうひとの一夜の慰めに話しを聴いて夜伽するのが私らの仕事です、そこを間違っちゃあいけない。

 え、ああ、種のはなし、でしたな。

 私ら夢使いは視界樹と言いますが一般的には扶桑樹のほうが耳馴染みがいいでしょうね。東海の果てにある、太陽の昇る場所に立つ巨木をそう言いました。木のてっぺんには鶏がいて朝を知らせたり、十個も太陽を従えていたりする中国の神話のひとつです。扶桑樹をたんに桑の巨木としてますがね、養蚕とのかかわりもあって明治のときにお上に言われてそう定めちまったんです。いわゆる公式ってやつですよ。

 おっしゃるとおりお上の言いつけなんざ不便なもんですが、それだけじゃあありません。実はね、私ら養蚕教師は恩給がもらえる。あとね、もともと養蚕と関連のある九州大学や信州大学、群馬大学、または農業大学といったところの研究室から協力要請がある。そんなんで公的なお金が入るんですよ、ありがたいことにね。お蚕さんはバイオテクノロジーや分子生物学なんかで目覚ましい成果をあげてるってわけですよ、我々はそのお手伝いをする。製薬会社なんかもお取引がありますね。

 そちらが言ってみれば夢使いの表向きのかおです。もう一方が夢を贖い、色を売り、呪術を扱う方面になる。 

 ほら、この論文―――と大桑は端末を披いてみせた―――熊本大学の先生が紀要に書いてくださったんですが、どうやら我々みたいなのは世界各地にいたのが独自性をもって残ってるのはこの国だけなんだそうです。他はドルイドやら魔女やら呪術師になっちまった。なかには夢魔の類もそうらしい。樹木信仰は世界中にありますからねえ。メイポールやらクリスマスツリーやら、伝説のたぐいだと女人の形の実が成るワークワーク樹なんてのもありますな。身近なところだと子育て銀杏なんてのもそうです、お乳が足らなくてお参りする銀杏の木ですよ、あんなのみんな我らが夢使いの話術と幻術のなれの果てですよ――というのが言い訳でして、たまに根付くんですよ、我らの祖先たる種子が、人間に。

 ヴィルジリオは大桑を見据えた。

 大桑は顔色一つ変えず、喉を湿らすために茶を啜った。

 ねえヴィルジリオさん、こっからが本題です。よおく聞いておくんなさい。

 あなたの御心配通り、あれが成長したらこの街はおしまいです。この横の高層ビルよりも高い樹がにょきにょき何本も生えてきたらそりゃあ困りますよ。あっという間に地面なんて掘り返される。インフラというインフラが役に立たなくなるでしょうし、もしかすると太陽光ですら遮られるかもしれない。まあパニックになるのは免れませんでしょうな。

 けどね、いくら破滅の種子といったって、そもそも一昔前の外来植物駆除みたいにそれ悪者だやっつけろなんて乱暴にされちゃあ困るんですよ、だってあなた、生き物のことですからね、良いだ悪いだなんて簡単に決めつけられませんでしょう、まして種子は人間に埋まってるんですから。

 大桑弼は涼しい顔でそう言ってのけ、す、と足を崩した。ヴィルジリオは慣れない正座に痺れた足の裏の向こうで電車の走り去る音を聞いた。




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