ROUTE7:無意味な筈の勝負と結末。

 (元)我儘令嬢ロゼッタ[十歳] 場所フューリタン公爵家屋敷 自室


 勝負に意味を見出せないまま、私は決められた期日に向けて小説を書いていく。


 ヴァングレイ様の真意は分からない。いえ、真意などないのかもしれない。

 ただ矜持プライドが高いだけなのかもしれない。


 私は小説を書いた経験がない。ノエリア様に教えてもらったようなロマンス小説のような作品を書くのは無理だ。

 そんな私が選んだのは幻想それとは対極にある物語――歴史をありのままに写実する歴史小説。


 大学では源平合戦の時代の前後について研究していた。

 主人公は源頼朝。久安三年に生まれてから伊豆に流刑、治承・寿永の乱、関東平定、一ノ谷の戦いから始まる平氏追討、義経追放、征夷大将軍と史実の要所を押さえながら、当時の心境を想像して描写していく……が心情の方はなかなか上手く描けない。


「……ロゼッタお嬢様、あまり根を詰めてはお身体に障りますよ」


 そう言いながらラナメイド長は紅茶を淹れてくれた。芳醇な茶葉の香りが部屋いっぱいに広がる。


「しかし、小説勝負とは驚きでした。……ヴァングレイ様も驚いていましたが。……その、僭越ながら……お嬢様に小説を書くことはできるのでしょうか?」


「書いたことがないから分からないわ。あの娘ならその手の集まりでいくつか作品を書いていたかもしれないけど、私はそこまで入れ込んでいた訳ではないから。どちらかといえば、単にあの娘と話すのが好きだったのかもしれないわね」


「……それは、チカ様という方のことでしょうか?」


 まあ、イセルガに聞かなくても何となく察せると思うけどね。

 私が転生者リンカーネーターであるということは。


「ずっと昔……いえ、前世っていうべきかしら? 私は大学という場所で湊屋千佳という娘に出会って話しているうちに友達になったわ。彼女はライトノベルとかアニメとかが大好きでそこから文学を学ぼうと文学学科に入ったタイプで歴史好きで暇さえあれば遺跡に出かけたり古文書を見に行ったりしていた私とは何の接点も無かったのだけど、何故か自然と馬が合ったわ。死んであの娘とお別れしたことを一年前に思い出してから、一度としてあの子のことを忘れたことはないわ」


 ……千佳さん、元気にしているかな? 今頃はもう大学を卒業しているよね。

 私も一緒に卒業したかったな。……まあ、薗部美華は死んでしまったのだから、もう無理なんだけど。


「……ロゼッタお嬢様。お嬢様の性格が一年前に急に変わられたのは」


「前世の記憶を思い出したからよ。……って、迷惑を掛けたり心配させるといけないから今まで黙っていたんだけどね。時が経ったらお父様とお母様にこのことを伝えるけど、大切な娘の中に得体の知れないものが紛れ込んだと知ったら悲しむと思うから言い出せないんだけどね」


 私はロゼッタという令嬢に転生した。だけど、記憶を取り戻すまでのロゼッタと私は別の人格だ。

 記憶を取り戻すまでの記憶は持ち合わせているけど、私は薗部美華の自我に従って選択している。


「勿論、お父様とお母様のことは本当の親だと思っているし、これまで育ててくれたことには感謝しているわ。薗部美華の記憶が戻っても私は私――ロゼッタ=フューリタンであることは変わらないわ」


 というのは私の願望なんだけどね。今の私をどう捉えるから個人の判断に委ねられるものだから。


「ロゼッタお嬢様。ノエリア様とお友達になられたのは、千佳様と重ねられたからでは……」


「それは多分違いますわ。私はノエリア様にそのような趣味があるとは思っておりませんでしたから……ただ、知らず知らずのうちに似たような雰囲気を感じて引き寄せられたのかもしれませんね」


 そういえば、ノエリア様と千佳さんってなんとなく雰囲気が似ているのよね。

 ラナメイド長に指摘されるまで気づかなかったわ。


「ロゼッタお嬢様。大切なお話をお聞かせ下さり、ありがとうございます。このことはお嬢様が旦那様と奥方様にお話になられるまで心の奥に留めておきます。――それでは、失礼致します。何かありましたら遠慮なくお呼び下さい」


「ありがとう。いつもありがとう、ラナ」


 できる限りの笑顔を浮かべたのだけどどうだったのかしら。悪役顔だからね、ロゼッタの顔は。



 それから五日後、ヴァングレイ様とノエリア様が屋敷にやってきた。


「ロゼッタ、書けたか?」


「一応なんとか完成に漕ぎ着けました。……ヴァングレイ様は?」


「こっちも一応って感じだ。書いたことがないからお題になった時は焦った」


「それはお互い様ですわ」


 審査をするのはノエリアを含む三人。前回のお菓子勝負の時と同じくリノとモニカに審査員をお願いした。


「それでは、まずはロゼッタ様の方から」


 しばらく本に視線を落とすノエリア様。その両脇からリノとモニカも視線を落とす。

 一時間後、読み終えたのか三人は視線をあげた。


「……ロゼッタ様、これは?」


「ロマンス小説は書けないので軍記物というジャンルの作品を選びましたわ。……といっても架空・・の軍記物ですが」


 あえて前世の過去に実際にあったものを小説仕立てにしたことは語らなかった。……そんなこと、普通は信じられないよね。


「では、次にヴァングレイ様のを……」


 今度もざっくり一時間。読み終えたのか視線をあげた。……さて、勝負の行方は。


「これ、なんと表現すればいいっすか? どっちもいいみたいな感じな」


「……甲乙つけがたい。ちなみに私も同感。ジャンルが全然違うのにどちらかを選べっていうのも変」


 リノとモニカは揃って困った表情を浮かべた。

 まあ、ジャンルは違うからね。でも、技巧的なところで読み取れないかしら? 私は心情描写が下手だったし。その辺り、ヴァングレイ様の方はどうだったのかしら?


「ヴァングレイ様の小説は技巧を凝らした表現、深い心情描写、比喩……素晴らしい小説だったと思います」


 そういえば、乙女ゲーム『The LOVE STORY of Primula』のままならヴァングレイ様は趣味は絵画、音楽、小説書きとワイルドな見た目からは想像がつかない芸術系でその腕はどれも超一流だったわね。

 ……最初から勝てっこない戦いだったのか。


「ロゼッタ様の小説は技巧を凝らした表現も、深い心情描写、比喩もありません。しかし、文の中から並々ならぬ熱意が伝わってきます。ありのままを表現するという一点に集中し、一点の矛盾も狂いもなく描写することを目指したのが窺える年表や付録。ヴァングレイ様の小説が虚構の世界を創り出すものであるとすれば、ロゼッタ様の小説はまるで現実で実際に起きた事象を本の中で閉じ込めたようなものと表現するのが妥当でしょうか?  お二人が言った通り二つの作品は対極にありどちらが秀でているとは言えません」


 ……えっ、まさかの引き分け?


「あの? よろしければ私にも読ませて頂けないでしょうか?」


 試しにヴァングレイ様の小説を読んでみる。……確かに凄いわね。最早芸術の一つだと言えるかもしれないわ。

 こんな作品と私の書いたものが引き分けになる筈がない。


「……参りましたわ。私の完敗です」


「どういうことだ?」


「どう考えても私の作品の方が劣っていますから」


 そういえば、ヴァングレイ様ってゲームだと完璧過ぎる兄と比べられて劣等感を抱いていたんだっけ?

 やることなすこと全てがジルフォンド様に敵わないと思うようになり、自己嫌悪に陥っていたところで主人公と出会い、「比較する必要はありません、ヴァングレイ様はヴァングレイ様なのですから」と言われてから次第に自信を取り戻し、主人公に惹かれていく。


 この世界でもヴァングレイ様はジルフォンド様に劣等感を抱いているのかしら?

 まあ、その辺りは主人公に任せましょう。……でも、それだとノエリア様と戦うことになってしまうのか。それはそれで嫌だな。

 主人公と敵対するのはロゼッタ=フューリタンだけで充分だ。


「……なあ、ノエリア。引き分けの場合はどうなるんだ?」


「そうですね。折衷案ですと、ロゼッタ様との友人関係は続行、ヴァングレイ様とのお誘いには積極的に参加という感じですね」


「……ノエリア様、いいのですか? こんな私とこれからも友達でいてくれるのですか?」


「はい。ロゼッタ様は私のことがお嫌いですか? ……ロゼッタ様が私を心配して下さるのは理解しています。その上での縁を切ろうという言葉だったのは理解しています。――例えそれを理解していても悲しかったのです。大切な友達と友達でいられなくなるのは……ですから、これからも友達でいて下さいね」


 私とノエリア様は涙を流しながら抱き合った。その姿を見ていたヴァングレイ様は複雑な表情を浮かべていた。



「ロゼッタお嬢様、ジルフォンド様がお見えになられました」


 ……はい? まあ、あの人は宛ら嵐の如く唐突にやってきて、唐突に帰っていくけど。


「ロゼッタ、三日ぶりですね」


「……ジルフォンド、アポイントメントという言葉を知っているか? 事前に約束することだ」


「不思議なことを言いますね。ロゼッタは僕の婚約者フィアンセなのですから、いつどのタイミングで来てもいい筈です」


 ……正直に言います。できればアポイントメントを取ってから来て欲しいです。……もう諦めていますけど。


 というか、二人の空気がめっちゃピリピリしてるんですけど! ノエリア様、物凄く怯えているんですけど。


「……お義姉様。また、逃げられた」


 そして、またもやってくるイセルガ。一番空気を読んでほしいのは貴方よ!


「イセルガ……またしてもノエリア様を狙いに来たのね。本当に学習能力の欠片もない執事だわ」


「可愛い女の子のいるところに執事あり。お嬢様、今日という今日は突破させて頂きます」


 本当に面倒な奴ね。ノエリア様が怖がっているわよ。


「…………分かったわ。もう二度と悪さができないように、その心に刻んであげるわ。本当の恐怖を――〝汝の精神に、今こそ刻みつけよ、拭い去れぬ恐怖を〟――〝恐怖幻影テラービジョン〟」


 思い描くのはチェーンソーを持った令嬢が獰猛な笑みを浮かべたまま迫ってくる光景。

 そのイメージを魔法に乗せ、イセルガに向かって放つ。はい、命中。はい、撃沈。急激に顔色が悪くなっていく。


「流石はロゼっち。悪の大魔王、いや女王様?」


「……リノ、温厚なロゼッタお嬢様もそろそろ限界だと思う。多分いつか殺られる」


 ……モニカ、私って意外とリノのノリ、好きだったりするのよ。あっ、ダジャレじゃないわ。一帯を氷河期にするつもりは更々無いわよ。


 ちなみにイセルガの乱入で消えた筈のピリピリした空気もイセルガの卒倒で復活した。……もしかして、イセルガを倒した私の責任?


 ……ん? ジルフォンド様がヴァングレイ様の書いた小説を拾った。

 頼む、火に油を注がないでくれ。嫌な予感しかしないから!


「なるほど、外で聞いていたんだけどみんなの言う通り素晴らしい作品だね」


「心にも無いことを。天才のお前ならこんなものすぐに書ける筈だ。所詮俺は出来損ないの無能だ。――そんな俺を見て可哀想だとでも思ったか? それともそんな俺を嘲笑いたくなったか!」


 険悪な空気が爆発して険悪どころではなくなった。ヨーロッパの火薬庫にサライェヴォ事件という着火をして第一次世界大戦という名の大爆発を引き起こした、みたいな? 規模は違うけど雰囲気は似て、いない?


「ちょっと行ってきますわ」


 走っていくヴァングレイ様に私如きに何ができるか分からないけど、それでも寄り添えば化学反応的な何かが起こるかもしれないからとりあえず追う。

 しかし、早いわね。……走っても走っても全然追いつけないわ。


「……お義姉様。捕まえた」


「シャート!」


 ラビラビに掴まれた。……なんでこのタイミングで邪魔をするの? 義弟よ。


「よく分からないけど、ヴァングレイ様のところまで送り届ければいいんだよね? ラビラビ、だっしゅー!」


 ラビラビが全速力で廊下を走る……凄い速度。後でお父様とお母様に叱られないかな?


「なっ、なんだ!」


 ラビラビがヴァングレイ様の前に飛び出で通せんぼ。

 ラビラビから降りた私はヴァングレイ様の後ろで通せんぼ。もう逃げられないよー!


「二人で俺を笑いにきたのか?」


「違う。……僕はお義姉様をここまで届けただけ。ラビラビ、行くよ」


 後は私に任せたみたいだ。……ふわふわな物体に抱えられて走っていくシュールな光景を二人で見送る。


「それで? お前は俺を笑いに来たのか? ジルフォンドの出涸らしに過ぎない俺を」


「違いますわ。……本当は私が言うべきことではないのかもしれませんけど、仕方ありませんよね?」


 ヴァングレイ様は疑問符を浮かべた。まあ、気にしないで下さい。こっちの話ですから。


「どの世界にも一人として同じ人はいません。確かに自分の上位互換のような人はいるかもしれませんが、そんなものを列挙しても枚挙に遑がありません。――世界は不公平です。与えられる才能にも偏りがあり、完璧な人もいれば不器用な人もいる。ですが、私は誰にでもその人にしかないものがあると思うのです。――ヴァングレイ様には少なくとも小説を書ける才能がある。それで十分じゃないですか。例えジルフォンド様がヴァングレイ様と同じくらい小説を書けるとしても、ヴァングレイ様に才能がないということとイコールにはならないと思います」


 私は持ってきたヴァングレイ様の書いた小説を手渡した。


「似たようなものはいくらでもあります。ですが、この本を書けるのは世界でヴァングレイ様――貴方だけなのです。……それと同じです。ヴァングレイ=エリファス、貴方はジルフォンド様のコピーではありませんし、そんなものを目指す必要はありません。比較するだけ無駄です。ジルフォンド様にはジルフォンド様の良さがあり、ヴァングレイ様にはヴァングレイ様の良さがある。良し悪しなど考えたって無駄ですわ。それなら、私なんかただ公爵家に生まれただけのなんの才能もない小娘ですから」


 良かった。ジルフォンド様の表情が少し和らいだ。なんとか通じたみたいだ。

 そして、ごめんよ、主人公プリムラ。貴女の台詞、取ってしまったわ。……ちょっと、というか相当アレンジを加えてしまったけど。


「フフフ、アハハハハ!」


「……すみません、分かったような口を聞いて」


「いや、いいさ。お陰で気分がすっきりした。……だが、一つだけお前の言葉には間違いがある」


 ん? 何か間違ったことを言ったかしら?


「お前は『公爵家に生まれただけのなんの才能もない小娘』などではない。お前にこそ、今のお前の言葉が必要だと思う」



【ヴァングレイ視点】


 俺は生まれてからずっとなんでもそつなくこなす完璧な兄と比較されてきた。

 何もかも掠め取っていく天才。そして、そんな俺を見て陰口を叩く者達。

 そして、今度は兄の婚約者フィアンセであるロゼッタが俺の婚約者フィアンセを奪おうとしている。


 もう限界だった。何もかもが塗り潰され、俺という存在がジルフォンドに消し去られてしまいそうで恐ろしかった。


 フューリタンの傲慢令嬢と呼ばれていた彼女からは、全く傲慢さが感じられなかった。

 寧ろ対極――誰かのためを考えて行動し、自分の利益は度外視する。


 イセルガという執事にノエリアが襲われた時も心の底からノエリアを心配し、ノエリアとの縁を切ってまで彼女を守ろうとした。

 勿論、それはノエリアの気持ちも考えない身勝手な判断だった。……多分、あの大人びた令嬢は、そういうところで不器用なのだろう。

 ノエリアもその言葉の奥底にある優しさに気づいていたから、彼女を責めなかったのだろう。


 俺はこのまま二人の友情が終わるのが許せなかった。

 二人の友情はそこまで深いものだ。それが、たった一度執事に襲撃されただけで途切れてしまうのを見逃すことができなかった。


 ノエリアとロゼッタの関係を断ち切るために来たのに、いつの間にか俺は断ち切らせないために勝負を仕掛けた……きっとロゼッタには俺が勝負に拘る面倒な男という風に映っただろう。だが、それでいい。


 小説の勝負――予想外の好評を受けた。

 初めて褒められたのは嬉しかったが、ジルフォンドに褒められた時、その嬉しさが心の裡に引っ込んで暗い感情が溢れてきた。


 なんでもできるジルフォンドにとって俺の書いた小説などいくらでも量産できる。

 そんな奴に褒めれても嫌味にしか聞こえない。


 嫌になった俺はその場を後にした。ジルフォンドのことを見ているともっと気分が悪くなりそうだったから。

 そんな俺をロゼッタは追ってきた。


 俺のことを嘲笑いに来たのかと言ってしまった。彼女がそんな人物ではないことは知っていた筈なのに、不覚にも八つ当たりをしてしまった。


「どの世界にも一人として同じ人はいません。確かに自分の上位互換のような人はいるかもしれませんが、そんなものを列挙しても枚挙に遑がありません。――世界は不公平です。与えられる才能にも偏りがあり、完璧な人もいれば不器用な人もいる。ですが、私は誰にでもその人にしかないものがあると思うのです。――ヴァングレイ様には少なくとも小説を書ける才能がある。それで十分じゃないですか。例えジルフォンド様がヴァングレイ様と同じくらい小説を書けるとしても、ヴァングレイ様に才能がないということとイコールにはならないと思います。似たようなものはいくらでもあります。ですが、この本を書けるのは世界でヴァングレイ様――貴方だけなのです。……それと同じです。ヴァングレイ=エリファス、貴方はジルフォンド様のコピーではありませんし、そんなものを目指す必要はありません。比較するだけ無駄です。ジルフォンド様にはジルフォンド様の良さがあり、ヴァングレイ様にはヴァングレイ様の良さがある。良し悪しなど考えたって無駄ですわ。それなら、私なんかただ公爵家に生まれただけのなんの才能もない小娘ですから」


 そんな俺にロゼッタがかけてくれた言葉は俺の心の闇を溶かしてくれるような優しさが込められていた。

 ……きっと俺が最初にロゼッタと出会っていたら惚れていただろうな。

 だけど、アイツはジルフォンドの許嫁フィアンセ――俺とアイツが結ばれることは絶対にない。



 あれからジルフォンドとの仲は多少なり回復した。

 俺は俺として生きようと決めたから、肩の荷が降りたというのが回復の理由だ。向こうからは特に俺を嫌っていなかったらしい。


「なあ、ヴァングレイ。お前はロゼッタをどんな風に見ている?」


「誰にでも気を遣える人物って感じだな。傲慢な令嬢と聞いていたが寧ろその逆――俺にとっては心の闇を取り除いてくれた恩人だ」


「なるほど、それもロゼッタの表面の一つということか」


 ロゼッタの書いた小説のページをめくりながら、ジルフォンドはアイツに似つかわしくない安らかな笑顔を浮かべた。


「僕は正直誰でも良かったんだ。言い寄ってくる面倒な者達も許嫁ができたら黙るかと思ってね。丁度そこに傲慢姫の父親から婚約の話が舞い込んできたからチャンスだと思った。……まあ、仮面夫婦的なものを目指していたといった感じかな」


 まあ、実にジルフォンドらしい。

 子供の頃から聡く、人の心を読むことに長けている妖怪。

 器用でなんでもそうなくこなす天才。


 そんな奴にとって世界はとてもつまらないものに映っていたのだろう。……俺にはよく分からないが。


「だから、はじめてロゼッタと出会った時に言われた言葉に衝撃を受けた。まさか僕との婚約を断る令嬢がいるとは思わなかったからね。しかも理由が『私如きではジルフォンド様とは釣り合いが取れませんので』って、公爵令嬢が言うこととは思えないだろ? その時、こんなに面白い人と結婚できたらって、そう思って強引に婚約を結んだ。……まあ、向こうからは『私より相応しい方が現れたらいつでも婚約破棄をして下さい』って言われてるけどね」


 まあ、実にロゼッタらしい。


「あれから一年経ち、ロゼッタの周りにも色々な人が集まった。ロゼッタの義弟で義姉に全幅の信頼を寄せているシャート=フューリタン。お茶会で知り合った友人のノエリア=フォートレスとその兄フィード=フォートレス。メイド長のラナ=クロエ。……その中からは僕の地位を脅かす者も現れると思う。……勿論、お前にも警戒するつもりだよ、ヴァングレイ」


 これは宣戦布告という奴なのか? というか、婚約者って奪っていいものなのか? ……まあ、その前に俺にはノエリアという婚約者がいるのだが。


「ロゼッタはそんな彼らに色々な顔を見せる。僕は次第に彼女から一番強い感情を受けたいと思うようになった。……独占欲というべきかな」


 ロゼッタの気持ちを独り占めすることはできない。ならば、一番強い感情を受けたいということか。

 まあ、これはこれで独占欲か。


「だけど、僕にも一人だけ勝てそうにない人がいる。彼に対して、ロゼッタは僕らに向けるのとは全く違う強い感情を向けているからね」


 ジルフォンドの表情が硬直していた。あのジルフォンドが恐れているのが、まさかアイツだなんて。


「僕にとっての最大のライバルは、イセルガ=ヴィルフィンド……全くもって不本意だけどね」


 ……だよな。

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