最終話 カタストロフ
舞台は整った。
急ごしらえの感は否めない。でも、私にはこれ以上、この物語を広げることが出来ないのである。
今の私に出来るのは、これを終わらすことだけである。賽はすでに投げられているのだから。
これから僕と彼らのライブが始まる。
彼らの、Dead Heats高校最後のライブである。
本日も六月の空は、すでに見飽きた鉛色の雲に覆われていて、雨がいつ降り出してもおかしくない模様であった。
この閉塞的な空の下でも、僕たちの生の営みは変わらず、僕たちは息を吸っては吐きだしていて、そうなってくるとまわりの空気中は、じめじめと、生温かく湿った成分が飽和状態をむかえて、それ以上の成分は汗となって僕の身体にまとわりつく。特に、防音材で密封してあるこの場所は、それが著しくて、こんな不快な場所は他にないように思われた。
このライブハウスで、僕達は今からライブをする。
前方のバンドが演奏を終え、拍手の中、僕たちのいるステージ裏へとその彼らが引っ込んでくる。演奏を残すバンドは、後は僕たちだけとなった。ステージへ一番近いところにいた先頭の音町さんが、僕たちへ振り向きざまに言い放つ。
「よっしゃ、いくぞ!!」
僕たちは、ステージ上へと足を踏み出した。
ステージに姿を現した僕たちに、ライブが始まってから一番の、拍手と歓声が上がる。
僕はものすごく贅沢な体験をしている。
初ライブでこんなに観客に歓迎されることなど、まずないだろう。それが僕の力ではなく、彼ら三人の築き上げたDead Heatsの虎の威であろうと、僕は正々堂々とする。
Dead Heatsに加入し、音町さんの隣にいるのは、まぎれもなく、僕の力なのだから。僕を認めない奴もいるが、僕がここにいられるということは、最低限、音町さんにだけは認められているということだ。
ギターを構えた音町さんがマイクの前に立つ。
「みんな、盛り上がってるか!!」
ウォォォォォォォォォォォォォォ!!
「おいおい、スゲー熱気だな。ここのみんなとなら嵐にだって負けやしねえだろよ。だって、私たちは今から大嵐になって暴れまくるんだからな!!」
ウォォォォォォォォォォォォォォ!!
「今日であたしら一応最後なんだわ。なのに新メンバー紹介するぜ。リードギターの巴美だあ!!」
僕は即興でギターソロを弾く。
カワィィィィィィィィィィィィィ!!
「あたしらの高校最後のライブだ。悔いは残さねえ。いくぞ!!新曲、モーニングサン!!」
1、2、3、4。
海原さんがドラムスティックで拍子をとる。そして、4のカウントの一拍後。
僕たちの演奏が始まった。
その場にいた全員、細胞が震えるのを、感じたはずだ。
僕たちはあまりのボルテージに頭が真っ白になりかける。
けれど、音楽の回路は鮮明だ。今の僕たちは、この回路だけで、飛び跳ね、頭を振って、無我夢中で立っている。こんな心地になるのなんて、ロック以外にはありえない。新曲モーニングサンは確かにロックで、Dead Heatsの集大成とも言える出来栄えであった。
2曲目のemergencyとラスト3曲目の青春ダイナマイトも盛り上がり、ライブの熱気は加速度的に上がっていった。
Emergencyでは旋律的なギターソロに観客は刮目し、Dead Heatsの代表曲である青春ダイナマイトが始まったときは、それがもう聞けなくなるかもしれないということで、彼らは感情を爆発させた。
「みんな、ありがと!!」
音町さんのこのセリフを最後に、Dead Heatsのライブは終わった。
外に出ると小雨が降っていた。
その日出演したバンドの人たちとのライブの打ち上げ後、僕たちはそれぞれの帰路につく。
僕と海原さんと音町さん、猪原さんの家は別方向であった。音町さんと猪原さんの家は割と近く、近所だそうなので一緒に帰るのだろう。音町さんは酔っていた。がぶがぶ酒を飲んでいたので、街灯に照らされた彼女の顔は、ほんのりと赤い。心配した猪原さんが、音町さんに肩を貸してやろうとしたが、彼女はそれを拒否する。
「あらしは、酔ってねード!!」
そして、彼女はおもむろに一人で走りだしたのだが、途中で止まって振り向く。
「真、巴美、今日はありがろな!!」
音町さんは、ふらふらとその場を後にする。また、会って話そうぜという感じの、軽いさよならだった。ただ、一言をいうのが精いっぱいだっただけかもしれないが。その後を、猪原さんが慌てて追いかけていく。僕と海原さんもその場で別れる。
「またな、鳴瀬君」
「はい、海原さん」
またなど、あるのだろうか。僕は寂しさと孤独でそう思う。
僕は歩きながら、ライブの熱の余韻に浸り、音町さんと出会ってからの事を回想する。そして最後に猪原さんの言葉を思い出す。彼があんなことを言わなくても、Dead Heatsが活動休止となった今、僕が音町さんに近付ける理由はもうなくなったのだ。このままいけば、僕という存在は彼女の中で気薄となっていき、僕は僕でそれに対して何も出来なくて、いつか僕と彼女のつながりは消えてしまうだろう。
きっと彼らは同じ大学に進学して、変わらず仲の良いまま大人になっていくのだろう。僕はそれに取り残されるという訳だ。
来年、大学生になるはずである彼らと受験生となる僕とでは、生活様式は全く変わってしまう。気軽に会えなくなるだろうし、彼らが、進学してからもバンド活動を続けるのかは分からない。海原さんが音楽のプロになって、猪原さんと音町さんが付き合うなんてこともあるのだ。それで僕が、彼らに入る余地などあるものか。
僕は音町さんと離れ離れになるのが恐い。音町さんと出会う前の生活に戻るなんて嫌だ。新しい感情や経験を覚えた僕に、あの頃の空っぽな日常が耐えられるはずがない。彼女が、想像の中にいてくれるだけでいいなんて、もう嘘なのだ。
ここで初めて、僕は彼女を手に入れたいのだと悟った。僕を認めてくれ、生きる希望を与えてくれる彼女の隣にずっといたいのだ。
ライブ後の高揚感があったのかもしれない。後もう少しで自宅に着くという前になって、僕はきびすを返した。音町さんのところへと走り出す。今日までしかチャンスがないと思ったからである。
鳴瀬巴美が来た道を戻ろうとした時、彼の後ろにいた人物は驚き、とっさに近くの電柱の陰に身を隠した。その人物は、こそこそ彼の後をつけていたつもりなどなく、なぜ隠れたのかといえば、その人物が前方に彼を見つけた時、声をかけようと口を開きかけていたのに、彼が予想に反して、急にこっちに走ってくるものだから、すごく緊張していたその人物は驚いてしまい、反射的のことだったのだ。
その人物が、彼にいったいどんな用があってそんなことになったのか。
それは、とても面と向かっては言いづらいことなのだが、その人物にとってはかなり重要であることは、様子を見たら分かるのである。
だからなのか、その人物は,目の前を走り去っていく彼に付いていく。
今日しかチャンスがないと思いながら。
音町さんが、どこら辺に住んでいるのか聞いたことはあったので、僕は取りあえずその方向へと足を向けたのだが、あやふやな情報だけでは、やはりすぐには彼女の家を特定出来なかった。僕は彼女に電話で連絡を取る。僕から彼女に電話をしたのは、これが初めてだった。
「もしもし、あれ、もしかして、巴美?」
「はい、夜遅くすいません」
「いやいや、さっきまで一緒にいたんだからさ、全然平気だぜ。で、どうしたの?」
「あの、お話したい事があって」
「うん。じゃあ、言ってみ」
「電話ではちょっと。直接会って言いたくて。今、音町さんの家の近くにいるんですけど、家まで行ってもいいですか?」
「え、それってもしや告白?」
衝動に任せてここまできた僕は、具体的に何をするのか考えていなかったのだが、図星をつかれたように感じて固まってしまう。
「はは、冗談だって。いいぜ、何でも相談に乗ってやる。あたしの家、来たことないから分からないだろう。今どこら辺だ?」
僕は音町さんのナビゲートを頼りに、彼女の家へと辿り着く。
「おいおい、濡れてるじゃねえか」
出てきた音町さんは、まず僕の風貌を心配する。確かに僕は、頭も服も濡れていた。いくら小雨だろうと、店を出てここまで来るまでにかかった時間を考えれば、心配されても仕方がない濡れ具合だ。音町さんのほうは、まだ酔いが醒めきっていないのだろう、言葉遣いや挙動は普段通りに見えるのだが、顔は赤かった。
「とりあえず、家に入れよ。今、家の中はあたし一人だけだからさ。タオル貸してやるよ」
「え、いいんですか?」
「いいも悪いもあがってけよ。雨ふってるしさ。いい夜なのに、寂しく家で一人きりなんてやってられるか」
そう言って彼女は「ほら、入れよ」と扉を押さえたまま道を開ける。僕は玄関へと足を踏み入れた。そのまま彼女の部屋へと案内される。
彼女の部屋は音楽趣味一色で、壁にはSex Headsのポスターが貼られ、本棚には本の替わりに沢山のCDが所狭しと並べられている。床には音楽雑誌やエフェクター類があり、隅には彼女の愛用のギターがスタンドに立てかけられていた。僕は彼女に渡されたタオルで髪や顔を拭きながら、それを眺めたが、正直、意識はタオルのほうにいっていて、普段彼女から香る柔軟剤の匂いに鼻を押しつけていた。
「そんで、話ってなんだよ」
僕は気持ちを切り替えて、顔をタオルから離す。すでに、僕は自分の気持ちを洗いざらい吐く覚悟は出来ていた。
「好きなんです」
「ギターがか?」
「いえ、音町さんのことが」
音町さんは表情を変えなかった。いくらか酔いの熱も失い、冷静になったように見えた。
「それは、どういう意味でだ?」
「一人の女性として、愛しているということです」
彼女は「そうか」といって、軽く息を吐いた。
「そんな話なら、家にあげなければよかったね」
「それこそ、どういう意味ですか?」
「ごめんな、ということだよ」
拒絶されたのだと分かった。
「巴美はさ、あたしの妹みたいなものだからさ」
唯一僕を認めてくれたはずだった彼女が裏切った。
僕はかつてないほどの熱を帯びる。
初めて彼女のギターを聞いたときに点された火が、彼女と一緒に演奏した時にはメラメラと燃えていた炎が、爆発した。
僕は彼女を押し倒す。
彼女は抵抗するが、僕は男である。酔った女が僕に勝てるわけがない。
僕は柔軟剤と汗の匂いが混じった彼女のTシャツを乱暴にめくり上げる。
目の前に現れたのは、手の加えられたことのないような滑らかな肌で、想像よりも大きな胸は黒の下着に覆われていた。それを力づくでもぎ取ると、豊満な乳房が揺れる。先にあるピンク色の突起はつんと上を向き、立っていた。僕はその魅惑的な果実を力いっぱい握りしめる。
彼女の制止の声など、僕には届かない。けれど、少し耳ざわりなので剥いだ下着を彼女の口に詰める。僕を拒否しようともがく手も邪魔なので、近くにあった、ギターとアンプを繋ぐシールドケーブルで手首を縛った。
ここまでくると、いつも強気な彼女もどこかに行ってしまい、弱弱しく涙を流し、塞がれた口からは何も言葉に出来ず、ただ嗚咽をもらすのみとなった。僕は、彼女の肉感的な肢体を犯し、彼女の精神を征服した気分となって、高揚する。僕のイチモツは過去限りないほどにそそり立ち、それがあまりにも窮屈なので、それを外に出す。もう我慢できなかった。僕は苦労して、嫌がる彼女のズボンを下ろし、それごとパンティも脱がす。電灯に晒された彼女の下陰の黒い茂みは湿っており、中にあるピンクの割れ目は、テラテラと艶めかしく光を反射していた。僕はそこに、自分の物を差し込んだ。彼女の嗚咽はさらなる悲壮を帯びる。入れるときにはきつくて、入りきらないと思った僕たちの器官は今、ドロドロに溶け合い、一体化している。彼女の胸に顔をうずめて背中にしがみついた僕は、無我夢中で腰を振る。僕は彼女を愛しているし、憎んでいるし、一生離したくないと思った。
いつの間にか、僕は両手で彼女の首を絞めていて、彼女の苦しむ顔を見ながら行為にふけっていた。
彼女の美しくも少年のように凛々しかった表情は、苦痛と呼吸困難によって歪みきり、魅力的だった大きなつり目も見開き過ぎて滑稽に見えた。こんな時の人間の顔など、皆同じように見えるんだろうなと、僕は思った。
彼女の目の焦点が、合わなくなってくると、彼女の中もきつく締まりだす。僕はあまりの刺激に、己の精を放出した。
ことを終えた後に残っていたものは、愛も希望も絶望をも飲み込む虚無感だった。
彼女はとても惨めな姿で事切れていた。
僕は部屋を後にする。
外に出ると大雨であった。僕は立ち尽くしどっちに進もうか悩む。もう僕には帰る場所などなかった。
「鳴瀬」
声がしたほうを見ると、道の真ん中に、紺色の傘をさして佇む男性がいた。
海原さんだった。
なぜ、彼がここにいるのか分からなかった。でも、こんなタイミングで出会うなんて、出来過ぎていると思った。
「大丈夫か?」
海原さんの心配する声に、申し訳ない気持ちになる。僕はもう、誰かに心配してもらえるような奴じゃないのだから。僕はありのままを話す。
「音町さんを殺してしまいました」
「そうか」
海原さんはその一言だけで黙る。もっと僕に言うべきことはあるはずなのに、沈黙が訪れる。耳朶に響くのは雨が降る音だけである。ようやく、海原さんが口を開く。しかし、それは・・・
「行くところはあるのか?」
断罪の言葉ではなく、さらに僕の身を案じるものであった。
「そんなもの、あるわけないじゃないですか。強いて言えば警察ですかね」
「なら、俺と一緒に逃げよう」
どこまで彼は、とち狂えば気が済むのだろうか。彼の提案はばかげた空想にしか聞こえなかった。
「どうして、そんなに僕に味方するんですか?僕は海原さんの仲間を殺しました。残虐に。誰も僕を許す人なんているはずがないんです」
「それは、俺が、鳴瀬を愛しているからだ」
愛。僕が彼女に贈った言葉。それは、人を狂わせる。彼は今、狂っているのだろう。
「あの、分かってるとは思いますが、僕は男ですよ」
「性別なんて関係ない。鳴瀬だから、俺は選んだんだ」
彼は続ける。固い氷を融かすには、熱い言葉が必要だというように。
「一目見た時から、俺は鳴瀬の虜だったんだ。多分、鳴瀬が音町を思う気持ちとベクトルは同じだと思う。
鳴瀬が音町を殺してしまったのは、その愛のせいなんだろう?
気持ちがわかるんだよ。なんとしてでも自分のものにしたいという、その気持ちがさ。俺だって、もし鳴瀬が俺を受け入れないとなった時は」
彼は懐から、刃渡りの長いナイフを取り出した。
「これで一緒に死のうと思っていたんだ。けど、これはもう必要ない。だって鳴瀬は。いや、巴美と呼ばしてくれ。巴美はもう、俺と以外に行くあてはないんだからな。
俺は巴美を救うことなんてできない。人は、落ちるときはとことん落ちるもんで、一線を越えてしまったならば、人は人を救えないんだ。
でも、一緒に落ちてやることは出来る。
心配は何もする必要はない。俺は巴美に苦労はかけさせないし、不幸にするつもりもない。ただ、一緒に幸せになりたいんだ。
音楽なんてどこでも出来る。けれど、もし出来なくなったとしても、巴美が俺の傍にいてくれれば、それでいいんだ。
俺と一緒に来てくれ」
彼の提案は、気持ち悪かった。けれど、この世界で真に僕を認め、受け入れてくれるのは彼しかいないと思った。彼についていく。僕はこれを自らの罰だと考えた。僕の一方的な愛で彼女を壊したのだ。そんな僕は、壊れようが、彼の愛を受け止めるべきだと思った。
僕は彼の隣へと並び、一緒に町を後にした。
紫弦が死んだ。殺されたのだ。
犯人は分かっていないが、紫弦が殺された日から行方の分からない、鳴瀬と海原が何か関係していると、警察は二人を追っているのだけれど、まだ何も成果は上がっていないらしかった。
俺は確信していた。鳴瀬が紫弦をあのように残虐に殺したのだ。俺が危惧していた最悪の事が起こったのだ。いつかかならず復讐はする。けれど、俺の身体は部屋から一歩も出られない。
なぜなら、もう部屋の外にはどこにも、紫弦がいないのだから。
今俺の周りには、かつて紫弦のものであった残骸らがある。
目の前にあるギターもそうだ。彼女の遺品であるこのギターを、俺は紫弦の両親から貰い受けていた。
俺はギターを手に持ち、アンプと繋げる。弦を鳴らせば、ずっと隣で聞いてきた音がアンプから流れ出す。俺は、感情に任せて、無茶苦茶にギターを弾く。そのサウンドが彼女の叫びに聴こえてくる。俺に残されたのは、このギターだけだと思った。彼女の汗や垢、魂が詰まっているこのギターは、彼女である。いつしか俺は、ギターを弾きながら興奮を覚えていく。あそこがそそり立つ。俺は、泣きながら、怒りながら、憎みながら、愛しながら、精を放つ。
ギターの音色は、彼女の嬌声として、俺の部屋に鳴り響く。
完
絶望ギター ツチノコ @tsuchinoko_desu
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