第9話 勉強会(その1)
鳴瀬巴美は順調に、バンドDeadHeatsに溶け込んでいった。
あの音合わせの時、海原と紫弦が新曲「モーニングサン」に関して言い争っていた件も、巴美がバンドに加入したことにより丸く収まった。海原の提案により、ライブでは、巴美が曲中のメロディーや難しいフレーズ、ギターソロなどを担当するリードギターに、紫弦がコードを弾いて伴奏するサイドギターという配置に決まったので、紫弦は伴奏と歌に集中するだけで良くなり、彼女の負担が減ったため、曲のギターのクオリティを落とす必要がなくなったのだ。紫弦は「あたしの活躍の場が減るじゃん」と不満そうに独りごちたが、この決定に異論は挟まなかった。巴美は新曲もすぐものにし、4人組となった俺達だが、数回音合わせを重ねただけで、人前で演奏しても恥ずかしくないぐらいの形にはなってきた。しかし、こんなところで満足するDeadHeatsではない。なのだが、惜しくも練習を中断せざる得ない状況となった。
中間テストである。
学生の本分は勉学で、パンクを謳う俺達でもバンドは自粛してテストに備えなければならない。巴美はどうだか知らないけれど、俺、海原、紫弦は大学に進学する気でいるので、蔑ろには出来ないのだ。
金曜日の放課後、テスト前の最後の音合わせを終えた後、中間テストが近づいているからバンド活動は二週間停止することを、紫弦が巴美に伝えた時、彼は目を丸くして驚いた。
「え、勉強するんですか?」
「巴美、あたしらのこと、勉強をしない奴らだと勘違いしてもらったら困るぜ」
「いえ、その、進学も就職もせずにバンドでプロを目指すのかと思いまして・・・」
「バンドで食っていこうなんて考えちゃいねえよ。あたしにとって音楽は精神の自由なんだよ。金儲けの手段じゃない。あたしが勉強するのはな、この世の中を生きていくためさ。身体を自由にするためには、頭がいるからね。真は音楽で食っていこうと考えているらしいが、奴は奴で、家族に音楽を続けたいのなら大学には進学しろって言われているんだよ。な、真」
「その通りだ。俺は音楽のためなら、やりたくもない勉強だって全うしてみせる」
こいつら二人はこんなことを言っているが、実際は全くテストに向けて準備していなかった。昨日、学校で二人は俺に泣きついてきたのだ。
『悟志、今回のテスト範囲、どの科目もよく分からねえから、勉強教えろ』
『猪原、俺も教えてくれ』
毎回のことである。テスト前に三人で集まり、俺が二人に勉強を教えるのは恒例行事みたいなものだ。場所は海原、紫弦のどちらかの家か、もしくはファミレスだったりする。今回の勉強会の場所も、この三つの選択肢の中から選ばれるだろう。二人ともバカな訳ではない、ただ普段の授業を聞いていないだけだから、こいつらに勉強を教えるのは苦ではない。俺に関して言えば、焦らなくても定期試験など楽々パス出来るので問題はない。勉強会は今週の土曜日にすることになった。明日である。
「二人とも、テストやばいくせに、何恰好つけてんだよ」
「あ、悟志てめえ、後輩の前でそんなこと言うなよ!」
「えっと、やばいんですか?」
「・・・・」
「紫弦、沈黙はイエスだぜ」
「やばいけど、何か文句あるか!?」
「逆切れすんなよ。一番かっこ悪いぜ」
紫弦は頭に血を昇らせて、顔を真っ赤に染めている。しかしこれ以上言っても不利になるだけと分かっているので、必死に堪える。怒りと羞恥心に染められた顔も可愛いので、俺はついつい、わざと言い過ぎることがある。このへんにしといてやろうか。
「で、明日はどこで勉強するんだよ?」
俺の質問に、紫弦はすぐに立ち直り、表情をニヤニヤと変えた。この顔をするとき、大抵こいつは人が嫌がるであろうことを承知で、相手が本当に嫌な事を実行してくるのだ。巴美の前でいじったことが禍根を生んでしまった。紫弦は今、俺に対して嗜虐性を発揮出来る場面に巡り合えたのだ。
「明日はな・・・。悟志の家でしよう!」
ほら、きた。俺の部屋にこいつを招くなど一番したくないことだ。親だって入れないのだ。こいつは、俺が自分の部屋に招きたがらないのを見て、薄々それに気付いていたのだ。
「あたしさ、中学あがってから、全然悟志の家行ってないからさ。それに悟志の家、すごく大きいから、みんなで集まるのにピッタリだろう。巴美も来るんだからさ。四人じゃ、あたしや真の部屋じゃ狭いし、巴美は繊細そうだからうるさいファミレスなんか行っても勉強に集中出来ないだろう?消去法でいけば、悟志、お前の家しかないんだぜ」
「消去法を使う前に前提が成り立っていないだろう。何を勝手に鳴瀬を巻き込んでいるんだ。こいつは勉強会なんてものしなくても、お前と違って余裕なはずだ」
巴美に関して俺は調べていた。今のところ二年生の後輩らに巴美の評判を聞いただけだが、こいつは同学年にしゃべる奴や友達がいないのか、個人的な情報は聞き出せなかったけれど、以下のことが判明した。
勉強は出来るほうで、毎回テスト返しの時には教師に褒められている。
部活動はやっていない。
男なのにものすごく可愛いくて女の子みたいだから、敬遠する人もいるが、巴美のことが気になる奴もいる。けれど、無愛想で近寄りがたい雰囲気を出しているので、友好的に話しかける者はいない。
体育の授業前の着替えの時は、いつも姿を消す。
分かったことはせいぜいこのぐらいだ。勉強は出来るほうではないのか、という意見が多かったので実際、巴美は勉強する手段を確立しているのだろう。学年が違う俺らの集まる勉強会なんて、参加する必要はないはずだ。しかし、紫弦は今回の勉強会には、隠された真実があるのだ、という風に口を開く。
「いやいや、悟志。これは新生Dead Heatsの輪を強固にするためでもあるんだ。巴美は確かにすごいギタリストだ。技術に関しちゃ何も問題はない。けれど、足りないものもある。それは、あたしらとの密な時間だ。バンドは運命共同体。絆が深まれば、それだけ演奏も素晴らしくなるんだよ。だから、巴美はこの勉強会に絶対参加だ。でもって、場所は悟志の部屋。これもう決定な!」
紫弦の強引な物言いに巴美は流されるままに「分かりました。参加させてください」と了承した。ペースは完全に紫弦だ。一度下した決定は、駄々をこねてでも死守しようとする、子供じみたところがある彼女を引き下がらせるのは、骨が折れるしめんどくさい。俺の部屋に紫弦が入った時に生じる危険性と、こいつを諦めさせるのにかかる労力を天秤にかける。
「・・・いいぜ。明日、この四人で俺の部屋にて勉強会だ。けど、家に一歩入ったら家主の一人である俺の言うことは聞いてもらう。その条件は呑んでくれよ」
「分かった!!」
紫弦は、意図どおりに事が進んだことに満足しているのか、満面の笑みで答えた。
その日の深夜。皆が寝静まったこの家で、煌々と照らされた部屋の中を動き回る。俺は中学生の頃から集めだした、かつては紫弦の私物だったものを目の前に置く。そして、飲んだ後のペットボトル、使ったタオル、下着、靴、ティッシュ、歯ブラシ、シャープペンシル、ゴムバンド、ピック、教科書、ノート、ぬいぐるみ、エトセトラ等、俺が今まで収集したものを箱に詰める。さて、隠し場所はどうするか?
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