第10話 勉強会(その2)

 

 ピンポーン。

 

 静寂だった我が家が、息を吹き返したかのように、チャイムがシンと張り詰めた空気を震わし響き渡る。土曜日の午前十時。いつもなら沈黙を守っているこの家に、秩序を破る奴がインターホンの画面に写っている。カメラ越しに見られていると悟ったのか、顔をズイッとカメラに近付け、満面の笑みで「来たぞ!!」と、その存在を大きく主張する。俺は無駄だろうと思いながらも、玄関の最後の砦の前で、歓迎すべきでない、この来訪者に向かって注意を呼び掛ける。それは追い込まれた者の、せめてもの願いのような痛切さを持っており、その思いが、機械越しに彼女の耳に届くことを信じて。

「いいか、家にあがっても勝手な事はするなよ。行動を起こすときは必ず、俺に許可を取ってほしい。それが守れるか?」

 彼女はカメラ越しに、蠅を見るような目線を俺に投げかけ、ここまで来て引く理由など何もないといった傲慢さで「分かってるって。いいから開けてよ!!」と答える。俺は好奇心に突き動かされた、手に負えない野獣のような彼女、音町紫弦を迎えるため、重い足を玄関へと向けた。

「ヤッホー悟志。あいかわらず家でかいな。庭もいろんな物が植えてあるし。なんか美味しそうな実が付いていたから食べてみたけど、いけるな、あれ。そんじゃ、お邪魔します!!」

 扉を開けると、いつも通りのハイテンションの紫弦が、我物顔で入ってくる。俺は扉を支える形で脇に避けた。紫弦の後に、海原も遠慮することなく続く。一人、外玄関に取り残された巴美は、緊張してもじもじと、こちらを、うるうると濡らした瞳の上目遣いで見てくる。今日もバッチリ女の子コーデだ。こいつは私服となると、いつもスカートを穿いてくる。私服は、いつも短パンやズボン、ロック調のTシャツが多いボーイッシュな紫弦よりも、女の子らしい。女装癖のある男が、他人の家に上がるのに、こんなに緊張するのもなんだかおかしな話である。

「鳴瀬も入れよ」

「お・・・お邪魔します」

 扉を閉めて振り返ってみると、紫弦と海原は俺の危惧に反して、おとなしく靴を揃えて待っていた。紫弦のことだから、家にあがった瞬間、そこら辺を走り回って、最悪冷蔵庫の中身も勝手に覗くのではと思っていたが、考え過ぎていたようだ。紫弦も今年で十八歳、大人ではないといえ、身勝手な子供でもない。最低限の社会の常識は弁えていた。

「よし、じゃあ俺の部屋に行くか。ついてきてくれ」

 玄関を入ってすぐにある階段を、先陣を切って上る。その後を、三人が紫弦、海原、巴美の順についてくる。

「悟志の部屋なんて本当に久しぶりだな。場所は変わってねえのか?」

「まあな」

 階段を上り切ると廊下がある。突き当たりまで行き、左手にある部屋の扉を開けて三人を招き入れる。俺の部屋だ。昨夜片付けたこともあるが、中は綺麗に片付いており、本棚、勉強机、ベッド、衣装ダンス、楽器に囲まれた部屋の真ん中には四人で使うにも差し支えがない程の大きな机が置いてある。それをいれても、部屋には四人がくつろげる十分なスペースがあった。

「あいかわらず広いし、しっかり片付いてんな」

 紫弦はキョロキョロと落ち着きなく部屋の中を見渡す。他の二人は荷物を置いて、机の前に座り、一息つく。

「飲み物とってくるから、その間に勉強する準備しておけよ。くれぐれも散らかすなよ」

 そう言い残し、俺は部屋を出る。閉まる扉の隙間から「あたしはティーバックで入れた紅茶な。後、お菓子も持ってきて」と紫弦の声が聞こえてくる。

 今回、紫弦の目を引くような物は、全て目につかないところにしまってある。紫弦もすぐに俺の部屋への興味を失くすだろう。勉強に集中できる環境を作ったのだ。今日は、ただ目的通りに、勉強だけをして終わりたい。俺は一階のダイニングキッチンに下りて、コップとペットボテルのお茶、マグカップ(それにはあらかじめ紅茶のティーバックを入れておいたのでお湯を注ぎ)、紫弦が好物の茶菓子らをお盆に載せ、部屋へと戻る。「紫弦、ちゃんと紅茶と菓子も持って来たぞ」と、扉を開けてみればなんてこった。

 紫弦と海原は予想外の行動を起こしていた。

 紫弦が海原に肩車をしてもらい、天井にある点検用の扉を開けようとしていた。さすがに、そこには手をつけないだろうと考えていた俺は、天井裏に見つかりたくない物をいれていた。これは、阻止せねばならない。

「あ、やべ、戻ってきた」

 紫弦はこちらに気づき、動作を停止させる。俺は警告する。怒気を含ませた声色を使って。

「いいか、紫弦。そのまま海原から降りるんだ。その扉は絶対開けるな。何年も開けてないんだ。溜まったホコリが落ちてきたら、たまったもんじゃない。何もせずに降りて、座るんだ」

「いや、悟志、絶対ここに何か隠しているだろう?エロDVDとかそれ以上のものさ。悟志は本当に慎重だからな。他人に見つかって不利になるものは、目の届くところで、絶対見つかりそうにない所に隠すだろ。鍵を掛けた引き出しとか、押入れの奥とかさ。引き出しは鍵がかかってなかったし、押入れには何もない。だったら怪しいのはここじゃないかとふんだんだ。そしたらどうよ。悟志、さっき『その扉は絶対開けるな』って言ったろ。だったら『絶対』なにかあるだろう?」

「いいか、それは考え過ぎた。やめるんだ。今なら許してやる」

「はん、この上にあるものが白日の下に晒されても、まだそんなに気丈に振る舞えるかな、悟志!!」

 そう言って、紫弦は天井の上へと繋がる扉を開いてしまった。俺が主張したような、積年のホコリは降り注がなかった。その代わり、紫弦はあるものを天井裏に発見したようだ。扉の先へと身を乗り出した紫弦は歓声を上げ、それを俺達の目に入る空間へと引きづり出す。紫弦の手に握られていたもの、それは・・・。

「えっと・・・何々。『男の娘○○○。僕、○○○○付いてますけど大丈夫ですか?~彼は清楚系の小悪魔ビッチ!!~初回限定版 気になるあの男の娘に穿かせてみたい、プリティーな○○○付き!!』・・・」

 俺の部屋はかつてないほど凍りつく。海原だけは落ち着いており、いつも通りで冷静に見えるが、俺を見る目に敵意があるのは気のせいだろうか。

 巴美はというと、彼は一番の被害者かもしれない。身体を震わし、怯えた目で俺を見ている。

 この状況を作り出した張本人である紫弦は、さっきまであった好奇心と嗜虐性はどこかにいったらしく、気まずい顔をして、そっと手に持ったDVDを元あった場所に戻し、扉を閉めた。そして、俺へとやさしい視線を投げかける。

「悟志、お前の性癖は認めてやる。そんなもんは千差万別。人それぞれだ」

 そして、視線には厳しさが込められる。

「だけどな、言っておく!!」

 紫弦の目がクワッと開く。

「バンド内の恋愛は禁止だからな!!」

 初めてのルールを聞いた俺達は、その後、黙々と勉強に励んだ。



 どうやら、紫弦は俺の部屋にある、隠された秘密を暴いたと思い、満足したようだ。こちらの意図どおりに紫弦を誘導できたので、まずは安心する。その代わり、不名誉な傷を負ってしまったがな。

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