末路

Black river

末路


ーとあるホテルの一室で男が殺された。それは密室殺人だった。


「これより捜査を始めます」

『探偵』はそう宣言した。

「このホテル内にいる人間を全て一階のホールに集めてください。誰も外には出さないように。部屋を一通り調べ終わったら尋問を行います」

彼はホテルのオーナーにこう告げた。


「まずい、まずいって」

『犯人』は自分の部屋でそう呟いた。

「まさかこんな寂れたホテルにあの『探偵』がいるとはなあ。いくら憎かったとはいえ馬鹿な時に殺してしまった。証拠は残さなかったつもりだが、あいつのことだ。どんな方法で真相にたどり着くかわからない。どうしたものか」

『犯人』は男に恨みがあった。些細な恨みだ。今から思い返せば殺すほどのことはなかったかもしれない。だがもう遅い。

「あーやっちまった。どうしたものかなー」

外からはオーナーが客室を回って客をロビーに集める声が聞こえてきた。

逃げられなくなるのは時間の問題だ。

「仕方がない」

『犯人』は覚悟を決めて部屋のドアに手をかけた。

「いや、待てよ」

そこで『犯人』は動きを止めた。ある考えが思い浮かんだのだ。

『探偵』は現在捜査を行うため、1人で行動しているはずである。

「だとすると、こっそりあいつを殺してしまえば誰も真相にはたどり着けないんじゃないか…」

危険な賭けではあったが、背に腹は変えられない。部屋のなかを見回し、凶器になりそうなものを探した。


そっとドアを開け、外に滑り出した。誰もいない廊下はがらんとしている。オーナーは客を案内するため下に降りていったようだ。殺人現場は5階の一番東の部屋だ。自分がやったのだから当然わかっている。

『犯人』の手には重たい金属製のブックエンドが握られていた。犯行時に使った手袋を捨てないでいて本当によかった、と思った。どのみちこの後は逃げ出さなくてはならないのだから、指紋など残さないに越したことはない。ゆっくりゆっくりと階段を上がる。上から微かに物音が聞こえてきた。覗かれているような気がして何度も頭上を見上げたが、目指す頂上には誰の姿も見えなかった。

カーペット敷きの絨毯だったことも幸いし、足音をほとんどたてずに5階までたどり着くことができた。ゆっくりと左右を見回し、目的の部屋のドアが開いているのを見つけた。『犯人』はそこに近づき、中を伺った。

背広を着た背中が部屋の隅いるのが見えた。屈みこんで何かを調べているらしい。千載一遇のチャンスだ。

ブックエンドを握り直し、『犯人』は近づいた。『探偵』はしゃがんだまま気づく気配がない。『犯人』は息を殺して金属の塊を大きく振りかぶると、相手の頭にそれを打ち下ろした。

その途端、目の前の景色がぐにゃりと歪み、強烈な目眩が『犯人』を襲った。

「なんなんだ…これは!」

地面がぐらりと傾いだかと思うと『犯人』の意識は急速に失われていた。


気がつくと『犯人』は先ほどと同じ部屋に立っていた。

「何があったんだ、一体?」

周囲を見回すと、目の前の床に見覚えのある男ー殺人事件の被害者ーが血塗れになって倒れていた。そして『犯人』の右手にはまごうことなき凶器のナイフがしっかりと握られていた。

「どうして?」

ふと部屋の時計を見て『犯人』は驚愕した。

「時間が…戻ってる⁉︎」

時計の針は先ほど男を殺した時間、つまり『探偵』と出会うよりも前の時間のリセットされてしまっていた。

「どういうことだ」

事態はすでに『犯人』の理解を超えていた。

しかし、うかうかしてはいられない。記憶によれば間も無くルームサービスのスタッフによって男の死体は発見される。つまり、それまでにはここを立ち去らなければならない。

「何がどうなっているんだ?」

頭の中に疑問符を飛ばしながら、先ほどと同じ後始末を行い、部屋を出た。


それからはさっきと全く同じことが起きた。死体が発見され、『探偵』が名乗りを上げ、捜査が始まった。

「まだ諦めないぞ」

『犯人』は一旦無人になった殺人現場の部屋に潜んでいた。

まだ完全に固まっていない血が放つ鉄のような臭いが鼻を突いたが、ここで諦めるわけにはいかなかった。

「あの男を、『探偵』を、殺ってやる!」

『犯人』のなかでそれは既に執着へと変わり始めていた。

その時、部屋のドアが開いた。

『探偵』は静かに部屋に入ると、周りを見渡した。その瞬間、彼の頭に、ゴツッという音とともに金属の塊が振り下ろされた。

「今度こそ」

クローゼットから飛び出した『犯人』は肩で息をしながら呟いた。ところが途端にまた強烈な目眩が襲ってきた。

「くっ、またか…」

急速に薄れる意識の中で『犯人』は呻いた。


『犯人』は何度も同じことを繰り返した。

ある時は階段を上がってくる『探偵』の頭の上のブックエンドを落とし。

ある時は凶器のナイフを持ち出して突き立て。

ある時はシンプルに殴りかかり。

しかしいつも肝心のところで意識が飛び、元の殺人直後の現場に引き戻されてしまう。

「なんなんだよ、これは…」

ついには同じ行程を何回繰り返したか分からなくなった『犯人』はぼやいた。

だが、やらねばならぬ。

疲労で目が虚ろになりながらもブックエンドを手に提げて、部屋を出た。

「君、何をしているんだね?」

突然、彼の背中に声がかけられた。振り返るとあの『探偵』がいた。

何度も何度も殺したはずの。でもその度に生き返ってきた男。

「どうするつもりだ、そんなもの」

それを聞いて『犯人』は思った。

ああ、やっと解放される。

その時『犯人』を襲ったのは恐怖でも驚きでもなく、安堵だった。


ここはどこだろう?

『犯人』は辺りを見回した。

自分は『探偵』に見つかり、自分の殺人を結局見破られて捕まったところまでは覚えている。

だが、ここは一体?

『犯人』の周りには闇に包まれた暗黒の世界が広がっていた。

「気がついたかい?『犯人』さん」

聞き違えようもない声が聞こえた。

「『探偵』」

ゆっくりと振り向くと、そこに彼が立っていた。

「まったく前代未聞だよ、あんな風に自分のさだめに抗おうとするなんて」

「なんの話だ?」

『探偵』の言葉に『犯人』は怪訝な顔をした。

「おっと、本当に気付いてなかったか君は。ここがどこかも、自分が何者かも」

「知らない、どうしてあんなことがあったのかもわからない」

『犯人』は素直に言った。

「じゃあ説明してあげよう」

『探偵』はどこか得意げな顔をして、話し始めた。

「物語というのは、登場人物によってその流れが制御されているんだよ。つまり登場人物の行動にその後の展開は依存しているわけだ」

「?」

「中でもミステリや推理小説というジャンルではそれが顕著だ。物語の進行は全て『探偵』、この場合は私だね、に深く依存している。この依存度があまりにも高いと何が起きるか知っているかい?物語の中に自動的な修正機能が生まれるんだ」

「すまん、何を言っているか分からない」

「今回の場合、君は『探偵』である僕を殺そうと、つまり物語から退場させようとした。ところがそうなると事件は解決されなくなる。これは物語の流れに多大な影響を与えるどころか、完全に堰き止めてしまうことになる。それではいけない。だから君の行動に物語そのものが意志を持ってストップをかけたんだ。結果として君は『犯人』としての役割を受け入れてまっとうするまで、永遠と同じところを回り続けることになったんだ」

「…すると、私は最初から君に捕まる運命だったのか?」

「そういうことだね。もっとも殺人を犯さなければラブコメや日常小説への転換ができたかもしれないが。君があの男を殺した時点でその後の展開は決まっていたのさ。いくらそれに抗おうと、所詮下りのエスカレーターを上り続けるような無駄な力を使うだけだよ」

「そうだったのか…」

だったら最初から諦めていれば良かった、と『犯人』は肩を落とした。

「それからついでに言っとくと、ここは物語の外の世界だよ」

「外の世界?」

「そう、物語が終わると登場人物はみんなここに来る。私は事件が起きればまた次の物語へと旅立つけど、君はどうかな?」

その時、闇の中にどこからか一筋の光が射した。

「どうやらお呼びのようだ。じゃあ、行ってくるよ」

『探偵』はそう言うと光に向かって歩き出し、やがて消えていった。後には『犯人』が一人で取り残された。

彼は長い間その場に立っていた。長い沈黙の後、彼の口から言葉が溢れた。

「…嫌だ」

このまま消えていくのは。有象無象のモブキャラとして吐き捨てられるのは嫌だ。

もう一度物語の中へ戻りたい。今度はもっと、派手な仕方で。

『犯人』は力を込め、拳を握りしめた。

すると目の前にキラキラと光る何かが現れた。

「なんだこれは?」

顔につけるハーフマスクだった。

『犯人』はそれをじっと見つめ、手に取った。

しばらく考えた末、ゆっくりとマスクを顔につけた。

「待ってろよ、『探偵』。もう一度お前のところに行ってやる」

『犯人』は闇の中を睨みつけると、ゆっくりと足を進めた。




その日から『犯人』は『宿敵』と名前を変えた。


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末路 Black river @Black_river

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