second episode(7):天陽宮の底で、今一度向き合う日/コーリング・ディープ
メリアボラスの王城が人智の可能性からくる感動なら、天陽宮はまさしく叙事詩の一節に加わる神話的エクスペリエンスだ。
継ぎ目のひとつもない美しいフォルムが、超常の知恵の産物であることを教えてくれる。
考え事なんかをしてこの景観を味わうことをなおざりにすることは、もはや生命という旅の損失だ。
ああ、この洗練された色遣いを見て頂きたい! 名付けるなら
正しく神がかったという言葉が相応しい、天上の宮殿――
さて、いつまでも事実から目をそらすわけにもいかないから言わせてもらう。
天陽宮は決して、ただの人間や妖精が来れる場所ではない。
確かに、神であるアニュメヌスと一緒には来た。
ただ、それだけだ。別にアニュメヌスを助けたわけではない。
こっそりお姉様に耳打ちして確かめたいところだが、アニュメヌスの聴力なら聞こえてしまうだろう。
聞かれても問題ないかもしれないが、通常人を招くところではないし、その理由を失念するというのは失礼に当たる。
なにせ天陽宮は聖域なのだ。祭神のために作られた特別な領域……有事を除いては、エルメンリットの王さえ立ち入ることができない。まあ勿論、祭神その人たるアニュメヌスは別だが。
そして、私たちはそんな天陽宮の随分奥まった所まで通されていた。重々しい、複雑なレリーフの描かれた黄金の扉。
「ここが目的地、アルカノプラムです。さあ、二人とも中へ」
アニュメヌスが言った。へー、アルカノプラム。
「……アルカノプラム!?」
思わず声に出してしまった。
「はい、アルカノプラムです」
アニュメヌスはあっけからんと言う。
それに対してお姉様は少々私の当惑ように驚いたらしく、
「フィア、そんなに驚くような場所なのですか?」
と聞いてきた。これに関しては残念ながら頷かねばならない。
「はい。アルカノプラムは妖精郷や魔界のような隣接する世界とは全く趣を異にする場所です。下手をすると倫理的な距離はエ・テメン・アン・キより遠いかもしれません。分かりやすくいうのなら、管理者たる神直々の赦しがなければ決して到達できない場所です」
そしてその管理者がアルカノプラムの場合はアニュメヌスだ。
さて、これからアルカノプラムそのものの説明に入ろうというところでアニュメヌスが口を挟んだ。
「……今、君を警戒する気持ちが強くなったよ。アルカノプラムが何かもエ・テメン・アン・キの存在も、人間には知り得ないことのはずだけれど……君は違うようだね」
あ、しまった。人前だった。いや、神前か。どちらにしろ不味い。確かにアニュメヌスの言うとおり、私の知ってるべきことじゃない。にわかに周囲の温度が下がった気がする。
「あーっと、そのう。聞かなかったことにして頂きたく……」
と厚かましいお願いをしてみるも、
「ダメだよ。どちらか片方ならまだしも両方となると神として看過できない」
とむべなく一蹴される。
しばらくの沈黙のあと、アニュメヌスが言った。
「勘違いしないで欲しい。警戒すると言っただけで責めている訳ではないんだ。さあ、続きを説明してくれるかい?」
うう、声は軽やかだけど眼が怖い。
「あ、はい。アルカノプラムはいわゆる冥界のひとつです。
善なるものの国エンセトラム、英雄の国セルキウム、知識求める者の国マーナカトゥーラをまとめて白の国と呼び、また、死後も戦いを望むもの全ての国ゼレンギオスを無色の国と呼ぶ。
対して黒の国とは、御察しの通りだ。
「……何でも知ってるんだね。さあ、続けて」
気が進まない。でもここからだと魔法ですら逃げられまい。
「心に罪のある者がそれを洗われるフェルクトラーナ、魂に罪のある者が石の柱へと変えられて風化し全てが灰になるまで晒されるプラトルキナに対して、アルカノプラムは肉体に罪のある者の行き着く場所です。この地に行き着いた死者は魂のみの存在となって、自らの肉体が争い滅びるのを見届けます」
肉体の罪、例えば生まれながらに食人の喉を持ったものがその衝動に振り回されたり、淫らな身体のものが姦淫を重ねたり、数えきれぬ後ろめたい魔術により、生まれながらに邪神のようになってしまったり。
そうした罪深い肉体を心から切り離して葬るのがアルカノプラムの役割だ。
神が言う。
「……その通りだよ。恐ろしいな、七冥界の名前だけでなく役割も知っているなんて」
参ったな、完全に警戒リスト入りだ。
この世界において、人は死者の国の知識を持たない。
ただ冥界という場所があり、そこで一時的に留まり、輪廻の輪に戻るのだとだけ知っている……人が死者の国を求めないように。
神が続けた。
「ただ、君たちに来て貰ったのは罪の清算をさせるためじゃない。君たちの形に違和感を覚えたためなんだ……つまり、儀式で一時的に半妖精になる前の君たちに」
なるほど。取り敢えず今私がタップダンスした以外には虎の尾は踏んでなかったようだ。良かった良かった。
「違和感?」
お姉様が問い返した。
「そう、違和感だよ。君は、君たちはここに強くなるために来たと言っていたね。私はそれに全面的に協力するつもりだけれど、だとすれば、君たちは一度自分の形を見つめ返す必要がある」
ふむ。
まあ理由の察しはつく。
私たちは転生前の記憶を保持している。生来、自身の身体と認識してきたものを覚えている。
問題はそれを踏まえてどういうことか、だ。
もしも。
「……それは、肉体を心の形に合わせるべきだということ?」
だとしたら、あまり好ましくはない。
私は百合趣味だし、それを抜いても前の身体に戻るなどゾッとする。お姉様だって、戻りたくないはずだ。
「いいや。ただ、知るべきだということだよ。出来れば、お互いにね。それからどうするかは、君たち自身が決めるべきだ」
アニュメヌスの発言は神格然としていて、謎めいていた。
「……そう」
ことのほか殺気だった「そう」が自分の口から漏れたことにいささか動揺して、そのあとすぐにお姉様を見る。
「……私は構いません。フィアがいいなら」
そっか。なら、私はお姉様に従う。
「開けて」
アニュメヌスが無言で扉を開けた。
次の瞬間、隣をみればお姉様がいた。
ただ、これはいつものお姉様だ。つまり、総合VMOコミュニティのアバターでのお姉様の姿。
……必ずしも、現実の肉体がその人自身ではないということ? 確かに、リリーシアでいた時以外は死んでいたようなものだとお姉様は言っていた。精神的な肉体像は状況により変化するのか。
「……お姉様」
声を出して、すぐに気づく。この声は嫌な声だ。あの身体の声だ。咄嗟に、ほとんどは激情任せに口元を手で押さえる。
スケルトンのような骨ばった指。下を向いたがゆえに垂れる幽霊然とした色気のない黒髪。明らかにフィアより実像が遠い。
膝をつくまでのストロークが遠く、そして目に映るこの世には存在しない合成物質仕立ての服が事実を示していた。
「フィア?」
ああ、ダメ。
呼び返すお姉様の声に、咄嗟にこう答えてしまう。
「違う、今の私をあの子の名前で呼ばないで」
インカーネイト・リーンカーネイション 実現した私たちの『異世界転生』 ペトラ・パニエット @astrumiris
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