second episode(6):地を越えて物思う日/インター・エルメンリット

「サキュバスって妖精ですっけ」

 エルメンリットに踏みいって最初に放つ必要に迫られた言葉だ。

 どうしてそんな発言をしたかといえば目の前にサキュバスがいたからで、そのサキュバスは言った。

「アルプです」

 まあ、つまりお姉様だ。

 ぴょこぴょこと動く黒い羽とハート型の先端を持つ尻尾の他はそのままで、なんというかコスプレ味がある。

「私もうっかり感度10倍にされたのでおあいこですね」

 湖の乙女とハーフになることと感度10倍になる因果関係はわからないが、とにかくなったのだからこの際因果と結果は分けて考えるべきだ。

「だからアルプです!」

 お姉様が強く言い返した。

「でも、アルプって夢魔じゃないですか。実質サキュバスですよ」

 夢魔の全てがそうだとは言わないが、だいたいの夢魔は要するに夢の中限定の淫魔であり、アルプはそのだいたいに該当する妖精だ。

 つまり淫魔であり、実質サキュバス。間違ってない。

「なら特に夢魔でもないのにちょっと目を離した隙に感度10倍になってるフィアは魂レベルでサキュバスじゃありませんか」

 うう。そこまで言われる謂れはない。

「うっかり致死の呪文をかけたら、めちゃくちゃ恨まれて呪われたんですよ。ついでに言えば、取り憑かれました」

 そう、だから私がそうだということではない。

 むしろ……

(なんで感度10倍なんかに……?)

 そこまで言って、互いに念話の要領で話しかけられることを思っ思い出して乙女に聞いてみる。

 すると、返ってきたのは、

(ちょっとせっかく受肉するし楽しんでやろうと思って)

 という答えだった。

 ああ、サキュバスこいつだ! やめて、私の身体でえっちなことするつもりでしょう! エロ同人みたいに!エロ同人みたいに!

「まあ、殺せば恨まれるでしょう、普通。……ところで今のフィアって感度10倍なんですよね。感度10倍になってる人って始めてです。ちょっと確かめさせて貰っても……」

 ……訂正。こっちもやっぱりサキュバスだった。

 うーん、ここが淫魔領か……。

「しませんよ。何サキュバスの本性に飲まれてるんですか。やぶさかではないですが、日の高いうちにそんなことして時間を浪費できる状況ではないです」

 王国には悪魔の大総裁マルバス、暗黒次元には魔竜シェラザード。そもそも五大獣神のアニュメヌス、理性ある幻獣の王なる彼女がエルメンリットを離れ、地上なんかにいたのが異常だ。であるからして、ここでも何か起こっている可能性が高い。

 都市の門で何時間も盛るわけにはいかないのだ。

 宿もとらないとだし。

「どうでもいいけれど、そろそろ出発しないかい。エルメンリットに入ったとは言っても、まだまだ中心ではないんだ」

 そう言えば同行者だったアニュメヌスが言った。


 森の道中よろしくアニュメヌスの背にのりながら、私は物思いに耽っていた。

 はっきりいってしまうなら、今は不安がある。

 一つはシェラザード。あれは魔竜などと言うものの実際は暗黒次元の神のようなもので、あのマルバスすら歯牙にかけないほどに強いと断言していい。強さ的には十分にラスボス級で、この世界の存在としては最上位レベルだ。

 数字で考えるなら、私……はややこしいから放っておいて、お姉様がレベル15、マルバスが40前後。シェラザードはラスボス補正の乗った90と言ったところだ。

 数字で考えるとなんとかなりそうな気がしないでもないが、そこは種族差がある。人間は決して強い種ではない……この世界では。

 のんびり暮らす分には問題ないレベルで強いが、伝説や神話になるような戦いに加わる前提を考えると脆弱で、私たちの戦いはまさしくそれなのだ。

 次に、取り憑いた湖の乙女。

 あの様子からすると明らかに人間より優れた種族であり、ハーフになったこと自体は問題ない。

 問題は、それによって何が変わるのかということだ。

 たとえば、魂のアイデンティファイが融合により変質させられているなら、A.N.I.M.A.が誤動作し私の特権が使えなくなったり、もっと酷ければ、普遍的無意識補完の破壊により私たちが今いる認知的現実そのものの崩壊を招いたりする。そうなれば私たちは人工衛星の中のただの信号に過ぎなくなり、意識情報の無意味化による消滅の元に完全な死を迎える。

 まあ、私たちが別の意識を持っていることから二つのアイデンティファイを維持している可能性が高いし、そこはまあまあ大丈夫なはずだ。

 だが、それでも危険なことは変わりない。

 バグの起こりそうなことは極力避けなければなるまい……私たちと世界は観測上同じに見える(見えるようにした、というのが正しい)が別なのだから。

 ニーナローカでの昏倒時に見た幻覚。

 中々スピリチュアルだったが、ただの夢とは断じがたい。

 というより、この世界自体、私とお姉様の精神スピリチュアルを元にA.N.I.M.A.が演算する認知だ。

 そもそも眠ることによってA.N.I.M.A.と切り離されるわけでもなければ、夢も現実も今は同質だ。認知が区別しているだけで、それこそ夢の中でなんやら何てことは可能なのである。

 そこから考えるなら、やはりあれはA.N.I.M.A.本体への接触であり、現実ではなくとも起こったことだ。

 あるいは瞬間的にクラッシュした現実なのかも。

 ……お母様はA.N.I.M.A.ちゃんをそんなサイコな子にしたつもりはありません。めっ。

 他にも色々、懸念すべきことは山とある。

 この世界のこと。妹のこと。ニーナローカ。故国。未来。

 これまでのこと、これからのこと。

 まだまだ厄種はいくつでもあるし、仮にこの世のものに頼らなくても、A.N.I.M.A.が連れてこれる。

 私たちはあまりに弱い。

 だが最後にひとつ、これが最たることだが、それを言うなら、私自身だ。

 お姉様には、姫としての戦術の経験がある。だからマルバスに臆することもなかった。

 お姉様はお姉様の知りうる限りのことしか知らない。

 お姉様はすでに、『この世界の人』として成熟している。

 お姉様は英雄の器たる姫君として確固として立っている――

 私は?

 知りうるべきでないことを知り、この世界の真実を知り、今でもまだ、自分にかつて在りしこことは異なる国の天才科学者の影を見ている私は。

 私は、どうなのだろうか。


 ぐるぐると回る、思考の螺旋の底から私を連れ出したのは神の声だった。

「着きました。ここがエルメンリットの中心、天陽宮です。中へ」

 へえ、天陽宮。

 ……ん? どうして私たちはこんなところにつれてこられたのだろう。

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