27.歌いたい!
大学祭2日目となる次の日、昂宗はいな穂が知大の部屋に泊っていると聞いたので迎えに行った。
ドアをノックをするとエプロン姿の知大が出てきた。
『おはよ』
玄関が開いた瞬間、美味しそうな味噌の香りが漂ってきた。朝食を食べてきたはずなのに、食欲が刺激される。雑に食パンで済ましたせいで、和食が恋しいようだった。グーッとなりそうなおなかに力を入れながら、会釈した。
『おなか空いてるの?』
一瞬でバレてしまった。少し逡巡してから、昂宗は正直に頷いた。
『いいよ。食べていきな』
「ありがとうございます」
昂宗はお邪魔しますと部屋に入っていった。昨日の今日で、早速知大の作るご飯を食べられることになって、内心楽しみになっていた。
『おはよー!』
部屋に入ると同じくエプロン姿のいな穂が卓袱台に朝食を並べていた。
『おお! 知明君のメガネかけてるね!』
『うん。昨日知明さんから受け取ったんだ。前回から色々改良されているみたい。大学祭みたいな人がたくさん集まる状態っていうのは、調整にちょうどいいんだろうね』
『おお、なんだか機械音声も前より流暢になってる……というか昂宗君の声じゃないこれ?!』
『え? そうなんだ。知明さんはなにもいってなかったけど、へぇ』
『お兄ちゃんはその辺意地が悪いから。昂宗の声をベースにしたボイスロイドって感じだな。たぶんこっそりサンプルを取って作ったんだろう。あといな穂、昂宗にもご飯用意してやってくれ』
はーい、といっていな穂は食器棚から新しい皿を出してよそってくれる。昂宗も手伝おうとそちらに向かおうとすると、『お客は座って待て』と知大に言われてしまったので、おとなしく正座する。
しばらくして料理が全て並び、いな穂と知大も座った。昂宗は「ありがとうございます」といった。2人とも嬉しそうに笑ってくれた。
それからいな穂が手を合わせたので、それに合わせて昂宗と知大も手を合わせる。
『いただきます!』
『「いただきます!」』
大学祭2日目は昂宗のために、午前に大学祭を回って、午後から練習することになった。
知大は『今日は2人で回ってくればいい』と部屋からいな穂と昂宗を見送ろうとしたが、いな穂は知大の手をグイグイと引っ張るし、昂宗も知大がいてくれる方が楽しいと説得すると、とうとう折れてついてきてくれることになった。
昨日の間にいな穂と知大は大学祭を遊びつくしたんだろう、と昂宗は思っていた。しかし、基本的に知大は出店でトウモロコシを焼いて、いな穂もその周辺をウロウロしていただけだったらしく、2人ともほとんど何も見ていないらしい。昂宗は内心ホッとしていた。初めから彼女たちと一緒に大学祭を楽しめることができそうだ。
まず3人でミュージックステージを見にいった。客席には馬鹿みたいに人が詰めかけていて、相当面食らってしまった。昂宗は知らなかったが、これからダンスを見せるグループはネットでもそこそこ有名な人たちだと、知大が教えてくれた。
彼らがステージに姿を現した途端、目に見えて会場のボルテージが上がった。昂宗たちの場所はステージまでかなり距離があったが、それでも彼らのダンスのすごさがわかった。彼らは音楽に合わせて自由に、それでいて完璧に調和したキレキレのダンスを見せていた。もちろん昂宗には音楽は聞こえていないが、それでも自分の心も彼らと共に躍る。昂宗は彼らにすっかり魅入られていた。
それからいくつかのグループも見た。昂宗の個人的な感想としては、初めのダンスグループ以外は演奏だったり歌だったりがメインだったのでよくわからなかった。ただ1つ言えるのは、昂宗が思っていたほど、自分たちのオーディション結果は当然のものではなかったのかもしれないということだった。全体的にレベルが高いのは間違いない。
途中で知大が『出よう』というジェスチャーを見せたので、それに従うのであった。ミュージックステージから離れると、昂宗は少し汗をかいていることに気が付いた。すでに12月だというのに、無性に熱くなっていた。それは2人も同じだったようだ。出店にトルコアイスがあったので3人で買って食べた。昂宗だけがトルコアイス恒例のパフォーマンスの餌食になって、かなり恥ずかしかったが、それさえも楽しかった。ただ、身体なんてすぐに冷えて、最後の方はもはや極寒地獄だった。
他にもいろいろなところを回った。映画研究会の自主製作映画を見たり、大道芸サークル主催の「大道芸継承イベント」に参加したり、演劇サークルのゲリラライブに遭遇したり、両生類研究サークルでカエルを手に乗せたり、爬虫類研究サークルでヘビを首に巻いたり。時間を忘れて大学祭を楽しんだ。
ひと段落したくなって、どこか座れるところを見つけると、
『適当にお昼買ってくるから、2人ともちょっと待ってて』
と知大がひとりで行こうとした。それは申し訳ないと思って昂宗も立ち上がる。いな穂もついて来ようとしたが、昂宗は荷物の方を指さしてから、『お願い』と手を合わせた。渋々といった感じでいな穂は荷物番を引き受けてくれた。
『昂宗と2人っきりっていうのは、実は案外なかったりするな』
思えば、菱川家の縁側で線香花火をしていた時以来かもしれない。
『昂宗は何が食べたいんだ?』
『そうですね。あったかいものが食べたいです』
『なら向こうにおしるこがあったからあとで買いに行こうか。私は焼きそばかな。昂宗もさすがにおしるこだけってわけじゃないだろ? 適当につまめそうなものも買おうか。粉ものは基本的にハズレないだろうしその辺で』
そこで沈黙が訪れた。基本的に他愛もない話というのは昂宗との間ではしにくい。しかし、今の昂宗には知大と2人でしたい話があった。から揚げを買い終わって次の店に行く途中で、
『知大さんって料理お好きなんですか?』
『なんで?』
『知明さんが言っていたので』
『まあ、人並みに。というよりも昔からしてるってだけだ。両親もお兄ちゃんも全然できなかったし、外食は好きじゃない。そうすると美味しいものを食べるには自分で作るしかなかった』
焼きそば、たこ焼きと買ってから、
『そうですか。ところで以前、いな穂から知大さんは食事になんて全然興味ないみたいなことを伺っていたのですが、それはどういうことなんでしょう』
知大は少し決まりが悪そうな顔になった。
『昂宗』
立ち止まって昂宗のことを見る。それから中途半端な笑みを浮かべて、
『それは半分正解で、半分嘘だ。1回生の頃は忙しすぎてご飯なんてまともに食べる暇はなかった。その意味でそれは正しい。ただ、——たしかに今も忙しさはさして変わらないが、心の余裕が違うから——当時ほど食事をとる時間がないというほどではない。そして食事に興味がないというのは完全に嘘だ。なんでそんな嘘をつくかっていうのは、——君の察するところだろう。みなまで言わせないでくれ』
そして知大はカラカラと笑った。今度は少しだけ恥ずかしそうに。
『わかりました。それではこれは「ここだけの話」ということで』
『そうしてくれると助かる』
知大が『ほら』と指さした先には、おしるこの看板があった。
いな穂の下に戻ると、なぜだか途端におなかが空いて来た。いな穂も空腹のようで『遅い! おなかすいた!』とご立腹だ。そういうわけで、知大、いな穂、昂宗と並んで早速食べ始める。
やはり昂宗は知大といな穂の会話に混ざりにくいが、聞いているだけでも十分楽しい。そうこうしているうちに、さっさと知大は食べ終わって、
『私はそろそろ他の用事があるんだ』
そういって立ち上がった。
『そうなんだ』
『2人もそろそろ練習に行った方がいいんじゃないか?』
『そうだね』
いな穂がこちらを見たので、昂宗もコクリと頷く。
『ところでなんの用事?』
『内緒』
昂宗はそのやり取りを微笑ましく見守りながら、おしるこを啜る。
『あ、まさか彼氏?』
いな穂は冗談めかして言った。その質問に意味はないらしく、大きな綿菓子を食べながら仲睦まじいカップルをニコニコと見ていた。しかし昂宗は反射的に知大の方を注視してしまった。
だから、知大の——一瞬よりも少し長い——表情の変化に気づいたのは昂宗だけだった。パチリと目が合う。
知大は微笑んでみせた。
その笑みにどういう意味があったのか、昂宗にはわからなかった。わからなかったけれど、いたたまれない切なさがそこにはあった。頭の中がグチャグチャになる。
突然うろたえ始めた昂宗に、いな穂が気が付いたようだ。
『どうしたの?』
心配するように覗き込んでくる。
君が心配するべきはぼくじゃないだろ!
昂宗はそう叫びたい気持ちでいっぱいになったが、そんなこと言えるはずがない。何よりも本人がそんなことを望んでいなから。
昂宗は金縛りにでもあったかのように、未だ知大から視線を外せない。いな穂はそれに気が付かない。知大が今どんな気持ちなのか、きっと知大自身にもわかっていない。
いな穂が知大の方に振り返る瞬間、知大は鼻に人差し指を当てて、パチンとウィンクした。すると魔法が解けたかのように昂宗は自由に動けるようになった。
『ははは。彼氏なんているならこんなにずっといな穂といられるわけないだろ』
『まあそうだよね』
『ああ。これから会うのはお兄ちゃんだから』
『あれ? 知明君は昨日帰ったって』
『私もそう聞いたけど、まだいるんだって。さっき連絡が来ていた。まあ、お兄ちゃんは意地が悪いだけじゃなくて嘘つきでもあるから。実は明日のライブもこっそり見ていたりするかもね』
知大は大きく伸びをしてから立ち上がる。
『それじゃあ、私は行くから』
『うん。行ってらっしゃい! またあとでね!』
2人で知大を見送った。
『わたしたちも行こっか』
いな穂はバキッと割りばしをへし折って立ち上がり、昂宗に振り返ることなく歩き出す。昂宗も急いでおしるこを飲み干して、その後ろを追った。
向かった先は今日も河原だ。大学祭前最後の練習は、やはりここでなければしまらない。昨日と同様、今日も人は少なかった。
いつもと同じ場所に陣取ると、早速ギターを取り出す。そしてアップがてらに中学の頃から手癖のように弾いていたフレーズを何度か繰り返し、冷えた指を温める。
隣ではいな穂が発声練習をしていた。
いつも、いな穂は30分ほどかけて自分のウォームアップを終わらせると昂宗に知らせてくれる。しかし今日は1時間が経っても昂宗に声をかけてこなかった。それどころか、途中から声を出すことすらやめて座り込み、ボーっと対岸を眺めているようだった。
『どうしたの?』
昂宗はスマホに打ち込んで聞いた。
いな穂は答えるどころか、むしろ膝を抱えて俯いてしまった。
膝を縛るように固く結ばれた小さな手は、尋常じゃなく震えていた。それが寒さのせいではないとすぐにわかった。だから、昂宗は辛抱強く彼女を待つことにした。
彼女が歌いたくなったらすぐに弾けるように、身体が冷えないようギターを弾くことはやめなかった。それからどのくらい待ったのか、いつの間にか綺麗な夕日が2人を見ていた。
『こわい』
いな穂がつぶやいた。
『やっぱりこわいよ』
『どうして』
『わからない』
やっといな穂は顔を上げた。
『でもこわいの』
いな穂は大きく白い息を吐いた。昂宗にはなにもいうことができなかった。
『昂宗君からはいっぱい勇気をもらった。知大にもたくさん応援してもらった。他にも、みんなみんな、わたしに元気をくれた。でも、だからといってこわいものはこわい』
『そっか』
昂宗はもう、自分のことばかりいな穂に押し付けたくはなかった。あの日渡した言葉たちが、昂宗の気持ちの全てで、あの日の手紙がいな穂の気持ちの全てだ。いな穂が歌いたくないというのなら、それでもいい。今はそう思っている。
『でも、おんなじくらい、歌いたいって思う』
いな穂はとうとう立ち上がって、力強く夕日を見据えた。
『けれど、歌えないかもしれない。だってこわいから。みんな優しいけれど、みんなこわい』
「だいじょうぶ」
昂宗は一生懸命自分の言葉にする。
「だれがなんといおうとも、いなほはぼくがみとめる。さいこうのうたをうたうことができる。それいがいなにがひつよう?」
そしていな穂の前に立つ。
「ぼくがいて、ちひろさんがいて、ふじのちゃんやそうじろうくんがいて、ちあきくんも、こうじさんもさとねちゃんもいる。だからなにもこわくないんだよ」
すると、いな穂は一発、昂宗の胸を殴った。
『かっこつけちゃって——まあかっこよかったけど』
それから、『あーーーーーー!』と叫んだ。ピリピリと魂に響いてくる。いな穂はそうでなくちゃならない。
いな穂はキラキラとした笑顔になった。
『歌いたい!』
よし来たと昂宗はイントロも何もかも飛ばして一曲目のサビに入る。
大学祭のミュージックステージ本番まで、あと少し。
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