25.告白

「昂宗君へ

 

 持ってくるの遅すぎるよ!

 わたしを説得するための手紙なのに、オーディション当日に渡すなんて!

 ……違うか。困らせてしまったのは、わたしの方だったよね。ごめんなさい。

 間に合うかなぁ? いま書く必要なんて本当はないのかもしれないけれど、いま書かないといけない気がするんだ。

 一生懸命書くから、間に合わないかも? いや、絶対に間に合わせるから。昂宗君はわたしを信じて待っていて欲しい——なんて、ここに書いても意味ないよね。

 昂宗君が一生懸命書いてくれた「ことば」を読んで、やっとわたしもこれを伝える勇気が出ました。

 オーディションが終わってから渡すから。ゆっくり聞いてください。

 

 わたしは幼いころから歌が好きでした。大好きでした。

 歌うと気持ちがいいから好きでした。心の奥底から色々なものが、たくさん溢れるのです。嬉しい時も、悲しい時も、怒っている時も、楽しい時も、歌えば全部解決したのです。

 歌うと家族がじっとわたしに注目してくれるから好きでした。普段忙しそうに家事をしている母も、疲れて仕事から帰って来た父も、いつも優しい祖父母も。みんなわたしが歌うときちんと最後まで聞いてくれたのです。そして褒めてくれたのです。

 歌うとみんなが幸せそうに笑ってくれるから好きでした。わたしの歌を聞くと、みんな笑顔になりました。それを見るとわたしも笑顔になりました

 だから歌うことが好きでした。大好きでした。

 毎日たくさん歌いました。

 本当に毎日毎日、たくさんたくさん歌いました。

 そうすると少しずつ、声が枯れてきました。のどが痛くなりました。

 けれど、その声も楽しくて、のどの痛みがなんだか面白くて、それでも毎日たくさん歌っていました。

 いっぱい歌いました。

 すると、いつしか声が出なくなって、のどが潰れました。


 小学生の頃です。

 さっきも言いましたが、わたしは歌うことが大好きでした。だから、いつでもどこでも歌いながら歩いていました。今思うと、少し——いいえ、かなり変な女の子でした。

 からかう人もたくさんいたけれど、そんなことは気になりませんでした。だって、歌には自信があったし、楽しかったし、なによりたくさんの人が嬉しそうに聞いてくれていたからです。

 だけれど、当時の未成熟な身体で、わたしは歌いすぎたみたいです。知らず知らずのうちに、その負担が蓄積していきました。そして、小学5年生の頃、その負担が一気に押し寄せたのです。

 のどが痛いなと思う様になりました。数週間ほどは、その程度でした。徐々に声も掠れてきました。あまりうまく歌えないほどにです。

 しかし、当時のわたしはそれを面白がって、その声で歌いました。歌い続けました。痛みも掠れも、ぜんぶ楽しさで誤魔化したのです。

 そして小学5年生の冬だったと思います。その頃にはとうとう、声を出すことすらできなくなってしまったのでした。 

 母は、遅れながらも病院に連れて行ってくれました。病院の先生には当分声を出そうとすることを禁止されました。当然歌うことなんて許されませんでした。

 数日喉を休めれば、声は出るようになりました。病院に行って先生に、もう歌ってもいいかと聞くと怒られました。歌ってはいけない。約束を破れば、二度と歌えなくなるかもしれない。そう言われました。

 

 しかし、愚かな私は歌い続けてしまったのです。

 そして6年生になった時には、完全に喉が潰れてしまいました。

 手術をしないと治らないほど、ひどいことになってしまっていました。一応、手術は無事に成功しました。そこから半年ほど、全く声が出せない生活が続きましたが、わたしは早く歌いたい一心で、リハビリを頑張りました。11月にあった学習発表会の合唱には間に合わなかったけれど、卒業式には何とか歌えるまで回復しました。

 やっとまた歌える。わたしはそう思いました。けれど、そうはならなかったのです。現実を、その卒業式で見せつけられたのです。

 卒業式で歌う歌の練習をしていた時のことです。手術後、初めてみんなで歌える場でした。わたしはとっても嬉しくて、楽しく元気いっぱいに歌っていました。そんな中で、ある男の子が言ったのです。


『せんせー。こいつの声ガラガラで下手だから歌ってほしくない』


 わたしは少し驚きましたが、わたしを下手だと言って馬鹿にする人は今までにもいましたから、気にならないはずでした。しかし、先生は言ったのです。


『そうかもしれないけれど、我慢しなさい』


 わたしはその時の衝撃を忘れません。

 わたしの歌を馬鹿にした人に対して、今までは『そんなことないでしょう』と言ってくれていました。それなのに、先生は彼のことを肯定したのです。

 ただ、まだわたしはそこまで深刻にことを捉えていませんでした。むしろ意地になって、もっともっと歌ってやりました。そのあとも何度かとやかく言われましたが無視して歌いました。

 そして、卒業式本番を迎えます。わたしはもちろん全力で歌いました。みんなを笑顔にできるはずのわたしの歌を、聴いてほしくて。

 思った通り、みんな笑顔になりました。しかし、それは嘲笑でした。


『変な声の子がいるのね』


 それが自分のことを言っているのだと理解して、とても恥ずかしくなりました。家に帰って、母が撮ってくれていた卒業式のビデオには、そのがひと際目立って響いていました。それを聴いてわたしは初めて、歌いたくないと思いました。


 中学生になると、わたしの声へのコンプレックスは加速します。

 わたしは地元の公立中学に進学しました。そこには3つの小学校から生徒が進学してきます。

 同じ小学校のみんなは、わたしの声について手術するほど大変だったことを知っていたので——少なくとも表立っては——笑ったり馬鹿にしたりは決してしませんでした。しかし、他の人たちは何も知らずにわたしの声を聞くことになったのです。

 男子には直接的に馬鹿にされ続けました。わたしが何かを話すたびに、『声汚ねぇ!』と言われながら笑われて、『ガラガラ女』というあだ名で罵られ続けました。

 女子には陰で馬鹿にされ続けました。男子がわたしを揶揄うたびに、『男子サイテー』と表面的にはかばってくれていましたが、ある日わたしがいないところで彼女たちが、わたしの声を『気持ち悪い』と笑っているところを聞いてしまいました。

 その時のわたしはもう、死にたい気持ちでした。


 中学一年の冬にとうとう決心をしたになって、屋上を訪れました。屋上には当然鍵がかかっていたのですが、鍵を壊すことにためらいはありませんでした。

 扉を開けると、ビューっと冷たい風がぶつかってきて思わず目を閉じたのを覚えています。そして目を開いたとき、屋上の中心にブルーシートを広げて、毛布に包まっている何かをみて、驚きました。近づくとムクリと起き上がって、もう一度驚きました。そして、その正体が不法滞在者ではなく、わたしと同じ中学生だったことで、三度目の驚きです。

 何を隠そう、それが知大との出会いでした。今でもそれなりにはっきりと覚えています。

 知大は眠たそうに目をこすっていました。

『あなた、何してるの?』

 たしか、わたしはそう声をかけたと思います。知大はわたしを一瞥してからあくびをして、

『寝てた』

 と答えました。

『見ればわかるけど』

『あっそ。だったら聞くなよ』

 その時の知大は空腹感からすごく機嫌が悪かったのだそうです。そう吐き捨ててから舌打ちをしました。

 正直、わたしだってイラっとしました。だから知大を無視して柵の方に歩き出しました。わたしが柵に触れた時、

『お前は何しに来たんだよ』

 知大は聞きました。だから、

『死にに来ました』

 わたしがそう答えると、知大は呆れたように大きくため息をついてから、

『どうして?』

 そういって立ち上がり、わたしの方へ歩いてきました。それからガシャンとわたし越しに柵へ手をつきました。

 わたしは少しビビりながらも、強気に言い返しました。

『つらくて、苦しいから』

『なにが?』

『生きているのが』

『生きるなんてそんなもんだと思うけど』

『いじめられているんです』

『え、それだけ?』

『それだけって、あなたね!』

『だって、それだけだろ? じゃあいじめられないように、私が全員ぶっ飛ばしてきてやろうか? それで全部解決するのか?』

『……っ!』

 知大に言われて、わたしは一瞬言葉が出ませんでした。それを見て知大はつまらなそうに毛布に戻ろうとしました。勝手にしろよ、と馬鹿にされたように思いました。それが悔しくて、わたしは言いました。

『それだけじゃない。というか、そうじゃない。わたしは、大好きなものを失ったの。みんなに否定されたの。もう歌えないの』

 当時のわたしがつらかったのは、みんなから声を馬鹿にされることではなかったんだと思います。歌えないことが、本当につらかったのです。苦しかったのです。歌っても、もう誰も聞いてくれないことが。そのとき言葉にして初めて、自分の気持ちに気が付きました。

 わたしは知らないうちに泣いていて、嗚咽が止まりませんでした。立っていられなくなって、膝から崩れ落ちそうになった時、知大が抱き留めてくれました。それから、

『そうか。つらかったな』

 そう耳元で囁きました。先ほどまでのきつい感じは一切消えていて、その途端にもう全部どうでもよくなって、大声を上げて泣いてしまいました。

 知大は胸の中でわたしが泣き止むのを待って、それから毛布の中に招き入れてくれました。毛布の中には湯たんぽが入っていて、思っているより何倍も温かかった。そんな中で、知大のあたたかさにも触れることで、わたしの心は溶かされていきました。


 それがわたしと知大の出会いでした。

 出会った日から毎日、わたしは知大と過ごしました。


 今もそうですが、その時から知大は背が高くて、しかし今とは違い髪が短くて言葉遣いが荒っぽくて、そして制服は寒いからという理由でスカートではなくズボンを履いていたので、初めは男の子だと思ってしまいました。どうして授業に出ないで屋上で過ごしているのかを聞くと、面倒だからと言っていました。わたしの声を変だと思わないのかと聞くと、『別に』と言いました。

 知大は1つ年上だったわけですが、わたしの周りのどんな大人よりも大人っぽくて、どの先生よりも賢く見えました。それは半分正解で、でも半分間違っていました。話せば話すほど、彼女が子供っぽいことがわかったからです。 

 わたしも授業に出ないで、登校するとすぐに屋上に行って知大と話して、寝て、また話して過ごしました。時々勉強もしました。知大に教えてもらうと、それだけで不思議と勉強が楽しくなったのです。中学時代の勉強のほとんど全てを、わたしは知大から教わりました。

 あっという間に1年が過ぎて、

『ここで会うのは今日で最後』

 知大はそういいました。もちろん、知大が卒業するからでした。

 3月でしたが、まだまだ寒く2人で毛布に包まりながら、震えていました。湯たんぽのお湯を保健室へどっちが取りに行くかをもめて、結局お互いに温め合うという選択をした後のことでした。

『最後にお願い聞いてくれる?』

 知大はわたしの肩に寄りかかって、優しく聞きました。最後という言葉にわたしが悲しくなったのに気が付いたのか、

『卒業祝い、ってことだよ』

 わたしの震える手を握って、

『いな穂の歌を聴かせて』

 その時、知大は初めてわたしの歌を聴きたいといったのでした。

『笑わない?』

 わたしが訊くと、

『自信ないんだ?』

 挑戦的な笑みで返してきました。

 わたしは度肝を抜かしてやると思って、知大の手を振りほどき立ち上がりました。

 歌ったのはあの卒業式の日以来、2年ぶりでした。

 大きく息を吸い込んで、吐いて、吸い込んで、吐いて。大きく吸って、吐いて。どれだけ声を出そうとしても、出てくるのは白い息だけ。

 自信がありませんでした。怖かったのです。足はすくんで、息が乱れました。寒いのに、額には嫌な汗がダラダラと流れて、視界がチカチカと弾けていました。

 すると知大は立ち上がってわたしのほっぺをムニュっとして、

『ちょっとくらい下手でも許してあげるから』

 さっきと同じいたずらな、けれどすこし儚さを孕んだ笑顔でそういって、わたしから離れました。

 その日、わたしは初めて知大に歌を聴いてもらったのでした。


 知大が卒業してからの1年間、わたしは勉強だけを一生懸命頑張りました。知大が進学した高校は市内では名門として有名な女子高で、自分で言うのもなんですがすごく頭のいい高校でした。わたしも同じ高校に進学したかったのです。

 当時の自分には到底叶わない進路選択でしたが、それでも知大とまた同じ学校に通いたい、その一心でひたすらに勉強をしました。

 努力の甲斐あって、わたしもその高校に合格しました。

 中学時代と同じように、とはいきませんでした——そりゃ高校は授業に出ないと単位が出ないので——が、また知大と楽しく学校生活を過ごしていました。知大は高1の頃から、今の大学の医学部を目指していたようで、たくさん勉強をしていました。また同じ大学に進むためにはわたしも勉強をしなければなりませんでした。

 だから知大と会うとき以外は、いつも勉強をして過ごしていました。知大にはたくさん友達を作るように言われましたが、知大もわたし以外の友達がいないようでしたし、何より、わたしは知大さえいれば十分だったのです。


 また知大はわたしをおいて先に卒業していきました。1年後、わたしもそれに続き、学部は違うけれど同じ大学に進むことができました。

 大学でも中高と同じように、知大と楽しく過ごせると思っていました。

 けれど、知大にはたくさんの友達ができていました。わたしの大学生活は思うような充実をしませんでした。

 知大はかまってくれるけれど、それはあくまでも暇なときだけで、いつも忙しそうに研究に熱中して、いろいろな人と話して、わたしはそれを遠くから思っているだけでした。

 しょうがないから友達を作ろうしてみました。けれどよって来るのはわたしに下心を隠そうともしない軽薄な男性ばかりでした。女性に頑張って話しかけるものの、声を聞かれて気味悪がられる被害妄想に囚われて、うまく話せなくなり友達にはなれませんでした。

 そんな風に1カ月過ごしたくらいだったでしょうか。昂宗君の存在に気が付いたのは。

 

 初めて見かけたときは、なんとなく元気がない人だなと思っていました。わたしと同じでいつもひとりぼっちで俯いて、大学なんてまるで楽しそうじゃない。

 そんな昂宗君になんだか親近感を感じました。でも男の子だったから声もかけられなかったんです。だから遠くから観察することにしたのです。

 昂宗君はどの講義でもいつも最前列に座っていて、大して面白くもなさそうに授業を受けていましたよね。ずっと見ているうちに、この人はどうしてこんなにつまらなそうに生きているのだろう、と考えるようになりました。この大学に合格したというのならそれなりに努力したはずなのに、どうしてそんなに無気力なんだろうと不思議でした。


 なんと言いますか、他人の振り見て我が振り直せとでも言えばいいのでしょうか。

 不意に思ったのです。

 自分は見ず知らずの男の子のことを遠くから観察したくなるくらい退屈で、持て余している。どうしてなんでしょう。

 知大がいないから? だったらわたしは知大に出会う前からずっと退屈だったのでしょうか?

 違います。


 そこにはずっと『歌』がありました。

 心の底から愛した『歌』がありました。

 それから、わたしはまた少しずつ歌い始めました。

 

 はじめは自分の部屋でベッドの布団の中で、本当に囁く程度から。次は布団から出て音楽を流しながら。少し感覚を取り戻せたと思ったから、大胆にカラオケに行ってみました。そうするうちに何を思ったのか広い場所で歌いたいと暴走してしまいました。その条件にピッタリの場所として、無人の講義室を思いついてしまったのです。講義室なら軽い防音設備が整っているし、何より求めている解放感を味わうことができます。

 不必要に行動力があったわたしは思い立ったが吉日と、すぐに実行に移しました。

 

 次の日、朝の6時から大学に向かいました。いつも多くの人で溢れかえっているキャンパス内でひとりきり。なんだか来たことのない場所みたいに感じました。少しの安心感と緊張を持って、講義室に向かいました。そして入った瞬間から変なスイッチが入ってしまって、とにかく歌いました。

 これだけ大きな部屋いっぱいに自分の声だけを響かせるのはたぶん、初めてのことでした。それで興奮しちゃって、あまりにも解放的になりすぎてしまいました。人の気配に気が付かなかったのです。

 不意にカタンと扉の方で音がしました。授業が始まるまであと1時間半以上もあるというのに講義室にやってきて、そしていつからか扉の前でわたしの歌を聴いていたようでした。

 思わず『誰!』と叫びました。それからほとんどノータイムで片付けをして、着ていたパーカーのフードを深くかぶって反対側の扉から飛び出しました。一度も振り返ることなくキャンパスを出て、その日は家に帰りました。

 すぐにベッドにもぐりこんで恥ずかしさに悶えました。

 ですが悶えているうちにだんだん冷静になってきて、思ったのです。

 その人はわたしの歌を聴いていてくれたのです。それは恥じることではなく、むしろ喜ばしいことだったのではないかと。わたしは逃げ出したことを後悔しました。

 あの時、その人から逃げなければ、わたしは変わっていたのかもしれません。そうすれば、こんな風に昂宗君をことも、なかった。

 それ以来、また歌うことに億劫になってしまったのでした。 

 

 たしかそれくらいの時期でしたよね。昂宗君が大学にギターを背負ってくるようになったのは。講義室での記憶がいいメルクマールとなったので覚えています。どこかのサークルに所属したのかなと思いましたが、キャンパス内では相変わらずひとりで俯いて過ごしていましたし、その様子に大きな変化はないように見えました。

 しかし小さな変化は感じました。

 講義が終わると少し楽しそうに講義室を後にするのです。それを何度か見ているうちに、何となく、本当に何となく気になってしまって、後をつけたのでした。わたしはずっと暇すぎて、たぶんおかしくなっていたのでしょう——講義室での暴走もしかり。

 昂宗君は迷いのない足取りで河原へ向かい、そこでギターを取り出して弾き始めました。それはとても気持ちのいい演奏でした。音たちがスッとわたしの心に溶け込んで、嫌な気持ちとか悲しい気持ちとかを溶かしていった。何よりも、わたしはこのギターと一緒に歌いたいと思ったのです。今すぐにでも昂宗君の隣に行って歌いだしそうになりました。

 ですがそれはできませんでした。

 なぜって。

 いうまでもないことですが、——けれど昂宗君にのですから、ちゃんと書きます——わたしののどが潰れていて、声が死んでいるからです。

 

 ただ、それからは毎回、わたしは昂宗君の演奏を聴きに行っていました。聴くくらいなら許されると思ったからです。もちろん気づかれるわけにはいきませんでしたから、こっそりと。

 昂宗君のギターはいつでもわたしの心を動かしました。それは正の方向にばかりではありませんでした。聴けば聞くほど、胸が苦しくなった。 


 一緒に歌いたい。


 徐々にその気持ちが強くなっていき、そのジレンマに苛まれていたのです。 

 その頃のわたしは毎日考えていました。どうすれば昂宗君のギターと歌えるのか。本当にそればかり考えていました。


 うん。やっぱりそのときのわたしは狂っていたんだと思います。

 いつかの夜、ベッドに入って願ってしまいました。


 昂宗君には、わたしの声が聞こえなければいいのに。 


 その夜、少しおかしな夢を見ました。

 どんな夢だったのかは覚えていません。

 とにかく奇妙な夢を見ました。

 わたしは嬉しかったような気もしますし、悲しかった気もします。


 次の日、大学に行く準備を進めて家を出ます。その日の一限目は昂宗君もいる講義でした。講義室に入るといつも通り、昂宗君は最前列の席で突っ伏していました。

 教授が入ってきて講義が始まりましたが、珍しく昂宗君はなかなか起き上がりませんでした。そういう日もあるのだろうと思いましたが、妙な胸騒ぎがありました。

 講義も後半に差し掛かった頃、わたしが教授の話を聞きながらノートを取っていると、昂宗君は起き上がって周りをキョロキョロしたと思うと、突然講義室から飛び出していきました。教授は露骨に嫌そうな顔をしながらも講義を継続します。わたしはそれ以降の講義の内容を覚えていません。

 

 しばらく昂宗君は講義に来ませんでした。次に昂宗君を見たときは少しげっそりしていて、ギターも持っていませんでした。そして真剣に講義に向かっていました。

 その変化にわたしは薄々勘づいて、昂宗君と教授とのやり取りで確信しました。昂宗君が聴覚を失ったことを。


 ごめんなさい。それを知って、わたしは喜んでしまいました。

 

 それからは昂宗君の知っている通りです。どうすれば昂宗君に近づけるだろうってきっかけを探していて、昂宗君が筆箱を落とした偶然を利用しました。あのとき昂宗君が『ごめん行くから』って言ったのも本当はわかっていました。けれど嘘をつきました。

 友達になってからは、露骨に音楽に興味がある素振りをしました。いつかそのことに突っ込んでくれると思ってです。そうすれば、自然に自分のことを語れる。歌が好きだって言える。適当な雰囲気にもっていけば歌ってくれって、昂宗君なら言ってくれるんじゃないか。そんな風に昂宗君を誘導したのです。

 けれど、昂宗君がわたしの歌に感動して涙を流してくれるとは思っていなかったので、それは本当に、心の底から嬉しかったです。同時に後ろめたさも増大しました。

 昂宗君が簡単にはギターを弾いてくれないんだと知ってからは、知大も利用しました。昂宗君の話をすれば、知大は昂宗君に働きかけてくれるって、そういう確信があったからです。知大は今まで何度もわたしが自由に歌えるようにいろいろしてくれていました。どれもうまくいかなかったわけですから、知大は昂宗君を相当のインセンティブと考えるだろうと思ったのです。思った以上に思い通りに行き過ぎた、という感じですね。

 わたしはただ、昂宗君のギターで歌えれば、それだけでよかったのです。

 だから、あのみんなで歌ったやつは、本当に嫌でした。

 大学祭だって、本当に嫌だ。

 わたしは昂宗君と歌えるだけで、それだけが良かったんだ。

 結局、自業自得なんだけれど。


 ありがとう。出会ったとき、昂宗君は。

 嬉しかった。明るくていい人だって言ってくれたね。

 でも違うの。友達がたくさんいそうだ、とも。

 ごめんね。そんなこと、なかったんだ。

 嘘つきで。根暗で、嫌な奴なんだ。


 わたしはいい人なんかじゃない。

 狡猾で、なんて醜い。

 わたしは、わたしが嫌いだ。

 嘘つきでごめんね。


 霧切いな穂』



 昂宗は何度もなんども読み返した。その間、いな穂は何も言わずに待っていてくれた。

 顔を上げていな穂を見る。彼女の瞳からはいくつもの雫がこぼれていたが、それでもしっかりと昂宗のことを見据えていて、誤魔化しのない誠実さが宿っている。

 昂宗はほんの少しだけ卑怯だと思った。今のいな穂を見て責められる人間なんていうのは、たぶん人間じゃない。

 昂宗は雰囲気たっぷりに大きく息を吸って、それから盛大にむせた。というより失笑したのだった。我慢できず、昂宗はひとりで笑い始める。今の昂宗の感情に不快感は微塵もない。ただただ愉快だった。

 その反応は予想していなかったのか、いな穂は目をまん丸にして驚いていた。その目は変わらず真っ赤に充血していたが、そこから溢れていたものはすっかり止まっていた。

 昂宗はどこか既視感を感じながら、紙に書き始めた。

『実はね、知ってた』

『は?』

 いな穂はキョトンとした。それが実に間抜けで、また笑いがこみあげてきたけれど、ここでは何とか我慢した。

『いな穂の声が

 いな穂は緊張の糸が切れたのか、失神するかのように一瞬白目をむいたがすぐに戻ってきた。

『どういうこと?』 

『その、いな穂が講義室で歌っているの聞いたのって、たぶんぼくなんだよね』

 絶句するいな穂を尻目に、思い出すように窓の外をチラリとみる。暗くぼんやりとした景色に目を凝らす。

『あの日、その歌にすっかり聞き入っちゃってね。講義室から飛び出してきた人がどんな背格好だったのか、よく見えなかったんだ。でも声だけは聴いていた。忘れたくても忘れられないよ。あんな渋くしゃがれた、豪快で繊細な歌声。本物の歌を、忘れられるわけがない。

 ただ、それがいな穂だってわかっていたわけじゃない。いな穂の地声も聞いたことはないし、こんな風に傷ついていたのも知らなかった。

 けれど、いな穂の歌を河原で聴いたとき、耳が聞こえないぼくに、ぼくの魂にまで響いたんだ。そんな歌声——魂の叫びは今まで、Muneだけだった。それなのに同じ大学に2人も3人もいてたまるかって感じだよ。

 でも知っていたっていうのは正確には違うかもね。なんだろう、いな穂の話を聞いて腑に落ちたって方が正しいと思う。だからそれ程驚かなかったというか。

 それと、いな穂は当時のぼくを見て、また歌いたいって思ってくれたんだよね? あのとき、いな穂の歌に心底聴き惚れたぼくは、それがきっかけでもう一度ギターを手に取ろうと思った。過去のいろいろを吹っ切る気持ちを、いな穂から貰ったんだ。そして、今度はいな穂がぼくのギターを気に入ってくれた。

 ぼくはずっと君の歌が欲しくて、君はぼくのギターが欲しかった。そして今に至る。これっていわゆるwin-winってやつだよね。なにか悪いところある?』

 いな穂の口は、「でも」とか「だって」とパクパクさせていたが、それ以上は何も出てこないようだった。

『いな穂が自分を責める気持ちは理解できる。ぼくとしても、ここまで手のひらの上だったとは思っていなかった。でもそれに不快感は感じなかった。むしろ自分の滑稽さが面白過ぎて笑っちゃったくらいだ。

 うん。だからね、話を全部知ってもいな穂を嘘つきだとか、悪い人だとか、ましてや嫌いになるなんてことはあり得ないよ。すごく感謝している。

 

 ありがとう。ぼくのギターを好きになってくれて。

 ありがとう。ぼくのギターで歌ってくれて。

 ありがとう。ぼくと出会ってくれて。

 ありがとう。ぼくを見つけてくれて』

 

「ぜんぶせんぶ、ありがとう」


 最後に昂宗は口にした。

 いな穂はまた泣いていた。

 

 店を出て歩くふたりの距離は少しだけぎこちない。無理に歩幅を合わせようとするから、お互いに歩き方が変になっている。

 もちろん会話はない。すぐに駅がみえてくる。

 突然いな穂は駆け出した。改札前で振り返ってアッカンベーとしてから、元気いっぱいに駆け抜けていった。

 見えなくなったいな穂に、昂宗もアッカンべーと返した。

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