13.痛み

 それから昂宗たちは、時間を忘れて遊んだ。

 海で泳ぐのは当然、四人で並んで大きな浮き輪にお尻をはめるように乗りながら、プカプカとただ波に揺られてみたり——知大が沖まで流されかけたのは本気で危なかった——、水の掛け合いをしたり——水に濡れると色が変わる帽子をなぜかふじ乃が持ってきており、もはや遊びではなくスポーツチャンバラのようなガチ競技になってしまった。開始早々、意外にも知大は波に足を取られすっころび自滅、昂宗もふじ乃に瞬殺され、いな穂とふじ乃のタイマン勝負になった。ひたすらに大きな波を作って豪快に攻めるふじ乃とちょこまかと器用にすべて避けきるいな穂の闘いは手に汗握るものがあった。その結果はというと、いつの間にか二人とも帽子を濡らしており、ドローとなった——、ふじ乃といな穂を砂に埋めたり——途中、気持ちよくなったのかいな穂がウツラウツラし始めたのを見て、ふじ乃は砂の中から飛び起き知大と顔を合わせニヤリとすると、絶対に脱出できないほど大量の砂をいな穂に掛けた。砂の重みに苦しくなったのか目を覚ましたいな穂が、半泣きになりながら焦るのを見て、恍惚の表情を浮かべてうっとりする二人を、昂宗は一生忘れないだろう——、知明を落とし穴に嵌めたり——いつの間にか穴はもう一つ作られており、穴に落ちた知明を笑って完全に油断していた昂宗はまた嵌められた——、ビーチバレーをしたり——とにかく足を引っ張らないか、昂宗は不安だったが、知大を見てホッと息を吐いた——、綺麗な貝殻を探したり——唯一平和なひと時であった。まるで日常系の漫画の世界にいるようなのんびりとしただった——、とにかく子どものようはしゃいで遊びまくった。

 お昼は知明が海の家から借りてきた炭火コンロと持ってきた食材でバーベキューをした。どうして外で食べるご飯はこんなにおいしいのだろうか。

 いな穂とふじ乃はまだまだ遊び足りないのだろう。飯より遊びと言わんばかりであり、さっさと食べ終わって、また海の方へ行ってしまった。魚を手づかみで取ってくるから楽しみにしていてね、といっていた。いな穂ならともかく、ふじ乃ならやりかねないと三人は口を揃えて言い、笑った。

 バーべキューは焼きそばでしめられた。お腹がパンパンに膨れているのが恥ずかしくて、昂宗はシャツを着た。隣を見ると、同じぐらい食べたはずの知大のお腹は全く変化がなかった。

【知大:昂宗、そんなに人のお腹を見るんじゃない。いくらやましい気持ちがないとわかっていても、さすがに恥ずかしい】

 気づかれていたらしい。そう言いながら知大も近くにあったふじ乃のパーカーを取って羽織った。昂宗は自分の顔が熱くなるのを感じた。

【知大:それにしても二人遅いな】

 二人は海の方を見た。さっきまですぐそばの波打ち際ではしゃいでいた二人はいなくなっている。

 昂宗はスマホを取り出して、

『そうですね。けれど、いな穂ちゃんですから、夢中になって遠くまで行ってしまったのでしょう』

【知大:まあ、そうか】

『言っているうちに戻ってきますよ。知明さんもコンロ返しに行ってくれているからいませんし、ここを無人にするわけにはいかないでしょう? ふじ乃ちゃんだってついているんですから、大丈夫ですよ。のんびり待ちましょう』

【知大:そうだな。よし、お城でも作って待っていよう】

「いいですね!」

 そう言って、昂宗と知大はパラソルの前で、黙々とそれぞれ砂の城を作り始めた。

 昂宗は日本のお城をイメージして作ろうと思った。まず大きく砂山を作ってから、削っていく。スマートフォンで調べたお城の画像と見比べながら作業を進めていくが、しかしどれだけ丁寧にしても、何度やり直しても、「砂山」はただ「いびつな形をした砂山」にしかならなかった。

 一方で、隣では完全な「お城」が、凄まじいクオリティで建っていた。知大がお城と聞いてイメージしたのは西洋の方だったらしい。気づけば、パラソルの周りはギャラリーで溢れており、注目の的だった。芸術家のゲリラ的な創作活動とでも思われているみたいで、皆写真を撮っては嬉しそうに知大のことを見ている。昂宗は恥ずかしくなって、何度目かの「いびつな砂山」をぶち壊し、知大の作業を見守ることに専念することにした。それから数十分後、

【知大:完成!】

 嬉しそうに昂宗の方を見た。その瞬間、ギャラリーから拍手がおきる。知大は集中して周りが見えていなかったらしい。びっくりしたように辺りを見回してから、すぐに手を挙げてしばらく声援にこたえた。

 満足してもらえたのか、ギャラリーが減ってきた頃に、

【知大:遅いな】

 思い出したように、知大が呟いた。そもそも、このお城はいな穂とふじ乃に見せるために作り始めたものだ。完成までに1時間程経っているが、二人の姿はまるで見えない。溺れても、ふじ乃がいるから大丈夫だとは思うが、危険なのはそれだけではない。真夏の浜辺だ。日中ともなると人で溢れる。それはつまり、厄介な人たちも増えているということだ。昂宗もさすがに心配になってきた。

【知大:探しに行くか】

 昂宗は大きく頷いて返す。知大がパラソルの日陰でだらけている知明に一言断ると、だらっと親指を立てて返事があった。そうして二人は歩き出した。

 

 それほど慌てる必要もなく、二人はすぐに見つかった。当初の位置から50メートルほど離れた浅瀬で宣言通り魚を追いかけていた。魚を追いかけるうちに、少しずつ遠くに行ってしまっていたようだ。

 案の定、ふじ乃は簡単に魚を救い上げてはリリースしていた。いな穂はそれを見てパチパチと拍手を送りながら、自分も魚を掴もうとパチャリと何度も懸命に水面を叩く。それに対して楽しそうにふじ乃がアドバイスを送る。かなり夢中になっているらしい。すぐそこまで近づいた昂宗と知大にも気づかなかった。

 その姿を見て安心した昂宗と知大は、一度荷物置き場に戻って財布を持ってから、すぐそこにある海の家で飲み物を買って二人に届けることにした。きっといな穂もふじ乃も、水分を取ることを忘れてしまっているはずだ。

 ストローの刺さった大きな紙コップをそれぞれ両手に持って、二人をどうやって驚かせてやろうかとなんてことをのんびり考えながらさっきの場所に戻ると、空気は急変していた。

 ふじ乃といな穂が若い男性三人に絡まれていた。三人とも髪は黒くなく、耳にピアスがいくつもついており、肌は日に焼けている、いかにもな——人は見た目で判断するべきではないことは十分わかっているが——様相だった。

 女の子二人であんな風にはしゃいでいれば、こういうことになるのも予想できたことだ。むしろ今までそうなっていなかったという方が、奇跡だといっていい。

【ふじ乃:いや、本当に大丈夫ですから。あのー、そろそろ戻らないと心配されるので……】

 ふじ乃はどうにか穏便に彼らから逃れようと、柔らかい口調で離脱を試みていた。その後ろでいな穂は、完全に怯えてしまって、ふじ乃の後ろに隠れるようにしている。いな穂は普段からこういう人たちをうまく躱しているはずなのに、どういうことだ? 昂宗はそんなことを呑気に考えながら、馬鹿みたいに楽観していた。

 どうせうまく断ることができるだろうと事態を舐めていた。

 しかしながら、ふじ乃が逆上されないようにどうにか優しく断ろうとしている態度は、三人には逆効果だったようだ。むしろ焦らしだと勘違いしていて、まったく引く様子はない。たちの悪い連中だった。

 とうとうふじ乃は諦めて無視を決め込み、その場から離れることにしたようだ。心底見下した目で彼らを見てから大きなため息をこれ見よがしについてから、いな穂の手を取って歩き出した。

 その様子を見て、男のひとりが乱暴にふじ乃の肩を掴んだ。

【知大:やめろっ!】

 我慢できなくなったのか、知大が走り出した。当然、昂宗も手に持った飲み物なんて投げ捨てて走り出した。その瞬間、

【いな穂:やめて!】

 その男の手をパチンとはたき落とし、叫んだ。思わず昂宗も知大も立ち止まってしまった。

【いな穂:わたしの大切な友達に、触らないで!】

 男たちは一瞬面喰ってから顔を見合わせた。怒り出すと思った。まずいと思いまた足に力を入れると、予想は外れ、ゲラゲラと下品に笑い出した。

 それから、男たちはいな穂に向かってなにか言っていた。しかし何を言っているのか、昂宗にはわからなかった。メガネが会話を拾うには、相手の声帯登録が必要なのであり、もちろん男三人の声は登録されていない。

 しかし、それを聞いていな穂の顔はみるみる真っ青になってゆく。

【知大:この外道がぁぁぁあああ!!!】

 知大がぶち切れて、男たちに一直線に走って行った。ふじ乃はいな穂を守るように抱きしめて、男たちを睨んでいる。それでも彼らは不愉快な笑いをやめなかった。

【知大:この子がその言葉でどれだけ傷ついてきたか、わかっているのか! お前らは、この子の痛みを感じることができるのか! お前らは、なんなんだ! ほんと、なんなんだ!! なんの権利があって、この子——いな穂を笑う! お前らは……お前らは!】

 昂宗はそこで割って入り、詰め寄る知大を止めた。そのまま両肩を持ってクルリと方向転換させて、帰ろうと促す。数歩進んだところで、昂宗は肩を掴まれて無理やり向き直させられると、胸ぐらを掴まれた。

『なにシカトしてんだよ』

 唇は確かにそう動いた。

 昂宗はそれでも無言だった。

『お前、女の前だからって調子乗んなよ?』

『無視してんじゃねーぞ』

 昂宗が無視し続けているうちに、三人はどんどんヒートアップしてくる。そして完全に囲まれた。しかし昂宗はなにも怖くなかった。目の前の人物以外、何を言っているのかまるでわからないからということもあったが、なによりも自分が殴られるだけで三人が逃げられるのならそれでいいや、という気持ちが大きかったからだ。

 しばらく昂宗はなじられ続けた。そんな中で、昂宗は意外と手を出されないことに、むしろ余裕が生まれて来ていた。しかし、突然目の前の男が、

『なんだこいつ。耳聞こえてんのか?』

 そういったことがはっきりとわかった。昂宗は露骨に反応してしまった。

『え、あれあれ、まじで聞こえないんじゃない?』

 その男は察しがよく、気づかれてしまった。ニタニタとまた不愉快な笑みを浮かべる。

 たぶん未だに罵詈雑言は続いているのだろうが、もちろん昂宗には聞こえない。唇の動きを追うのもやめた。聞こえないのは、幸か不幸か。

【知大:お前らは私の友人をどれだけ傷つければ気が済むんだ!】

 こらえきれなかったのか、知大が戻ってきてしまった。

 男のひとりがそちらに振り返って、何か言っている。それを聞いた途端、残りの二人も口々に何か言いって笑い出した。口が早すぎて読み取れなかった。

 しかし、それを聞いた知大は急に戦意をそうしたように項垂れ、『違う違う違う違う……』と言いながら、蹲ってしまった。その後ろでは、こらえきれなくなったいな穂が嗚咽を漏らしながら、崩れ落ちた。それをふじ乃が強く歯を食いしばって必死に支えていた。

 男二人は、蹲る知大を興味なさそうに無視して、ふじ乃の方にむかっていく。昂宗がそれを止めようとすると、残りのひとりにそれを取り押さえられた。どれだけ足掻いても全くほどけなかった。ふじ乃は悲しい顔をしてから、

【ふじ乃:わかりました。ですが、僕以外には絶対に手を出さないでください】

 覚悟を決めたように言った。そしていな穂をゆっくりと下ろして、二人の方に歩き出した。そして二人の男から、肩と腰に手を回され、歩いてゆく。

「まって! ふじのちゃん!」

 思わず叫んだ。ふじ乃はそれに振り返らず、

【ふじ乃:大丈夫ですよ。ふじ乃は強い子ですから】

 そう言ったのをメガネが拾った。

 昂宗は我慢できなくて昂宗を抑えていた男を殴りつけて、止めに行こうとした。しかし、男にはほとんどダメージがなく、倍以上の力で顔を殴り返されてしまった。痛みは感じなかったが、ものすごい衝撃が頭に響き、気が飛びそうになった。自分には、何もできないのか。

「たす……けて、だれか……!」

 昂宗は助けを求めて周りを見渡す。これだけ騒げば、人に注目される。遠巻きに事態を見ている人が多く集まって来ていた。しかし、昂宗と目があえば、誰もが見て見ぬふりだった。誰だってふつうは、見ず知らずの他人を助けるためにそこまで身体を張ることはできない。昂宗だっていな穂たちのためだから勇気が出たのだ。逆の立場だったならば、行動できたとは言い切れない。だから、彼ら彼女らを責めることはできない。

 立ち上がろうにもうまく踏ん張ることができず、昂宗は連れていかれるふじ乃の後ろ姿を見て、悔しさを砂浜にぶつけることしかできないのである。

「だめだよ、ふじのちゃん……!」

 いくら叫んでも届かなかった。昂宗を抑えていた男も最後に一発と言わんばかりに昂宗を強く踏みつけてから、二人のあとに続いて去ろうとする。

 小さくうめき声が出た。ふじ乃を救うどころか、自分すら救うことができない。昂宗は自分の無能さを、ただただ恨んだ。

 自分には何もできないんだ。そう思ってあきらめかけた時、

【知明:お前ら何してんの?】

 顔を上げると、そこには、筋肉隆々のイケメンがそこにいた。

【知明:あーあ。いなちゃん大丈夫?】

 そう言って、いな穂の身体をブランケットで包み、片手で軽々と抱き上げる。このイケメンがしゃべるたび、どういうわけか、知明の字幕が出る。

【知明:昂君も、大丈夫かい? あらあら、痛そ。立てる?】

 そう言いながら、昂宗に手を差し出した。その左腕には禍々しい黒龍が刻まれている。昂宗はそれを取って、フラフラと立ち上がった。優しい表情を浮かべるその顔には、ナイフて切り付けられた後のような、大きな傷があった。

【知明:うん、やっぱり昂君は強い子だ。いなちゃん、任せていい? 俺はいつまでたっても甘えん坊で、手のかかる——まあ、そういうとこが本当に可愛いんだけどね——愛しの妹を抱っこしなきゃいけないみたいだからさ。そうそう、ふじちゃんもさ、そんな知らない人たちなんか放って置いて、こっち戻っておいで? 今の昂君、ちょーっと頼りないし、一緒にいなちゃんに付き添ってあげてよ】

 そう言いながら、イケメンは昂宗に預けるようにいな穂を下ろしてから、ふじ乃の方へ向かった。

【知明:ほらほら、どいたどいた】

 その一言で、男二人は怯えるようにふじ乃から手を放したので、イケメンはふじ乃の手を取って昂宗のもとに戻ってきた。

【知明:はい、じゃあいこっか?】

 イケメンは蹲る知明をやっぱり軽々と抱き上げて、パラソルの方に歩き出した。あっけにとられながらも、ふじ乃と二人でいな穂の肩を持ち、そのあとを追いかけた。

 すると、突然イケメンは振り返った。男たちが呼び止めたようだった。

【知明:まだ何か用なの?】

『………』

【知明:なんで? 当たり前じゃん。お前はさ、いま殺されるかどうかのギリギリのところ歩いてるって自覚しろ。

 生きていたいなら、間違えるな?

 本当ならうちの可愛い知大を傷つけた時点で人生終了なんだぜ? お前らなんて100回ブチ殺しても許されないんだ。法律なんて存在しない世界の果てで生まれてきたことを後悔させてやろうと思ったぐらいだ。けどさ、昂君の勇気に免じて見逃してやっるてんだよ。

 もう一度言うぞ? 。今すぐ消えろよ。殺すぞ】

 イケメンのさわやかな笑顔からは想像できないような恐ろしいセリフがメガネの字幕で流れていた。見ている昂宗ですら腰を抜かしそうになるほどの迫力だった。

 さて、彼らは本当に腰を抜かしてしまったのだろうか。少なくとも、。イケメンはもう一度も振り返ることはなかった。

 パラソルの方に歩く途中、

【知明:遅くなってごめんな。昂君と知大のお城作りを見てた人が二人の顔を覚えていたみたいで、いろんな人が昂君たちがもめていることを知らせに来てくれたんだ。どうにか間に合ってよかったよ。あとで、お礼しに行かないとな】

 そのイケメンは本当に知明だったみたいだ。一度もマスクを取って、髪を上げた姿を見ていなかったから、誰なのか本当にわからなかった。でもこの気配りと優しさ、そして知大への愛は確かに知明だった。

 その背中はよく見れば、大きな傷や小さな傷でいっぱいだった。背中以外も火傷あとや、切り傷だらけで、左腕には黒龍の入れ墨、そして頬にあった大きな傷。この人は、いったい何者なのだろうか。

 ——間違いなく、途轍もなく強い人だ。選ばれた、人間だと思った。

 昂宗は知明のことを、そして知大のことも、ふじ乃のことも、——いな穂のことだって、何も知らない。そんなことを、いまさら思い出した。

 パラソルに着くと、みんなぐったりとしていた。いな穂はブランケットに包まれたまま顔を見せない。知大は泣き止むことができないでいて、ふじ乃は完全に放心状態だった。

 知明は昂宗の頬を消毒して薬を塗ってから大きなガーゼを張って治療を済ませると、

【知明:うーん、ちょっと早いけど、帰るか】

 ニヘラと笑いながらそう言った。

 楽しかったはずの海は最悪の終わり方を迎えたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る