6.友達になる理由
次の日、昂宗が最前席でいつも通り寝ながら講義の開始を待っていると、肩をトントン叩かれた。昂宗が眠い目を擦りながら顔を上げると、そこにはヒラヒラと手を振るいな穂がいた。昂宗はなにが起こっているのか理解できないでいた。
『おはよう』
テンパる昂宗を揶揄うような笑顔で、いな穂は言った。昂宗はどうにか会釈を返しながら、働かない頭を一生懸命まわす。そうしているうちにいな穂は隣に座った。
いな穂は肩に掛けていたトートバッグからノートを取り出して、早速書きだした。
『変なの。もしかしてわたしのこと、忘れちゃった?』
いな穂が少し不安げに書くので、昂宗はブンブンと大きく首を横に振る。ペンをとって、書く紙を探していると、いな穂はノートを差し出して『いいよ』と言ったので、そこに
『緊張しちゃって』
『いやいや、なんでよ(笑)』
『朝から
昂宗は思わず苦笑いした。
『他人じゃないよ』
昂宗が首を傾げていると、続けて
『わたしは、昂宗君の「友達」なんだからね』
いな穂は書いた。
そうか。ぼくはこの子と——いな穂と友達なのか。
嬉しくなって、
『そうだった。ぼくと、いな穂ちゃんは友達だ!』
顔を上げた瞬間、目があった。昂宗は恥ずかしくてすぐに目を逸らした。いな穂も照れているようで頬が赤い。
そういうわけで、昂宗に友達ができたのだった。
それから毎日、昂宗といな穂は一緒に講義を受けた。
入学してから約二か月間、昂宗はひとりで過ごしていた。だから、ひとりで行動することに慣れてしまい、その気楽さを手放せなくなっていると思っていた。しかしながら、いな穂と過ごす生活は一瞬で馴染んだのであった。
昂宗は憧れていた友達と過ごすキャンパスライフを手に入れた。一緒に講義を受けて、一緒にお昼ご飯を食べて、放課後は講義ノートを見せてもらって復習する。少し真面目過ぎるきらいがあるかもしれないが、昂宗は満足していた。
講義終わり、今日も二人は講義の復習のために、喫茶店に来ていた。「喫茶ちくわ」はいな穂が高校生の頃から通っているお気に入りの店である。とても居心地がよく、学生の財布に優しいお店である。昂宗もすぐに気に入った。
店に入るなり、いな穂は慣れた様子で店長の娘さんである田中さん(店長を見たことはない)に挨拶するので、昂宗もそれに続いて会釈する。いつも、田中さんは表情筋を一ミリも動かさないで会釈を返してくれる。「喫茶ちくわ」は建物の二階にあるのだが、窓から外を眺められる横並びのテーブルの一番奥の席がいな穂の定位置らしい。そこに二人で並んで座る。すぐに田中さんが注文を取りにやってくるので、いな穂はクリームソーダを、昂宗はアップルティーを注文した。
田中さんは拘りなのか店の教育なのかわからないが、伝票を取らないようだ。そして間違えない。昂宗は一度、ほとんど満席の状態に遭遇したことがあるのだが、その時も田中さんは伝票を取っていなかったし、そして会計に間違いはなかった。しかもそれと同時に、テーブルへの案内と配膳、お冷の継ぎ足しに後片づけまで、全てのフロアの仕事を涼しい顔で完璧にこなしていたのである。その完璧さといい、無表情ぶりといい、昂宗は田中さんがロボットではないかと失礼な疑いを持っていたりする。
そんな風に昂宗が田中さんへ尊敬の意を表している間、いな穂はノートを3冊取り出して、2つを昂宗に差し出し、もう1冊を二人の間に開いておいた。前者は本日の講義ノート、後者は二人が会話するために作ったノート(昂宗は「お話ノート」と勝手に呼んでいる)だった。いな穂と相談して専用のノートを作ることにしたのだ。左ページにいな穂が、右ページに昂宗が書き込むようにしている。開始数週間にして、すでに2冊目だ。
昂宗は「ありがとう」と発音してそれを受け取った。感謝の言葉だけは必ず声にして伝えるようと心掛けている。
『いいよ~』
手でオッケーサインを出しながらいな穂が言った。伝わったことを確認してから、昂宗は借りたノートを早速開き、軽い復習に取り組む。自分じゃ聞き取れなかった部分や聞き漏らしがなかったか、チェックするだけの作業なのでだいたい三〇分ぐらいあればスルスルと終わる。その時間をいな穂はジーっと静かに待っていてくれる。
すぐに飲み物が届いた。昂宗はオシャレな木のコースターに置かれたアップルティーを一口、ストローからゴクリと飲んでホッと息をつく。そしてノートを見比べる振りをして、いな穂を盗み見た。
大きなアイスクリームがプカプカ浮かぶ、体に悪そうなエメラルドグリーンの液体を、子どものようにストローでブクブクと小さく吹きながら、なんだか楽そうに窓の外の下校中の小学生を見つめている。女の子のひとりがいな穂に気が付いたようでパチリと目があった。いな穂は柔らかな笑顔で手をフワリと振り、彼女たちもそれに嬉しそうにブンブンと手を振り返した。
昂宗の目下の不安は彼女だ。
当初、昂宗はいな穂が女子であるということだけで緊張していた。しかし落ち着いて話せるようになった頃に、改めて冷静にいな穂のことを見てみると、彼女はかなりかわいい。客観的に見て間違いなくかなりかわいい。『美人』というのとは少し違うだろうが、それ故に近づきがたいオーラなど微塵もなく、愛嬌たっぷりだ。よく笑うし、その時に少し見える八重歯とか、左頬にだけできるえくぼも、なんだかいな穂にすごく似合う。肩程の髪は少し明るいが染めているわけでは無く地毛らしい。化粧もファッションも大人しいことに加えて、女子高出身だからか、なんだか清楚な雰囲気がある。
要するに、かなり男受けするタイプだと思う。それを裏付けるように、大学でも街中でもよく男性から声を掛けられている場面をよく見かける。その中にはたちの悪そうな人たちもいるのだが、それをいともあっさりと躱すいな穂にはただただ感心するだけだ。しかし、どう言って彼らを退けているのか、いくら聞いても誤魔化されて——低い声で「俺男だよ?」と言っていると言うが、そんなバレバレな噓に騙されて引き下がる男はナンパなんてしないだろう——、教えてもらえないのであった。実際のところは男遊びが激しいのだろうか。
だからそれに気がついた時に、実は美人局なのかと身構えたりもした。それについてはあまりにもいな穂に対し失礼だと思い、すぐに考え直した。
昂宗が物珍しくて近づいたというのはどうだろう。いや、これは美人局疑惑並みに失礼である。
では、こういうのはどうだろう。昂宗を哀れに思って同情してくれている。優しいいな穂のことだ。あり得る。初めの頃はいな穂はおしゃべりだった。たくさんのことを訊いてくれて、いな穂自身も話してくれた。それは彼女なりに昂宗を楽しませようとした気遣いだったのだろう。もとより彼女も人見知りで、話すのは得意じゃないみたいだ。しかしながら、何となく昂宗の気持ちが伝わってきたのか、最近はいな穂にそのような無理している姿は見られなくなってきている。いな穂の素の姿が見えてきて、いい傾向だと昂宗はむしろ喜んでいるのであるが、とにかくそのぐらいいな穂は優しいのだ。
他には、責任のようなものを感じているというのは? どうして? 昂宗に期待させてしまったから、一緒にいる義務のようなモノを背負ってしまった気分になってしまったとか? これもあり得る。いな穂はとてもまじめだから。大学生になれば勉強なんて疎かにして、遊びまくっている(例えば、アパートの隣人)と聞いていたのだが、少なくともいな穂はそう言ういい加減な人間ではないみたいだ。1限目でも寝坊することなく、今日もすべての講義に出席しているし、予習復習を欠かさない。
最後にありえそうなのは…………昂宗のことが好きだとか……?
馬鹿言え。寝言は寝て言え。ありえねえよ。漫画の読みすぎか? 現実みろよ。このハゲ! いやハゲてないが?!
昂宗は心の中でそう言ってから、罰として自分の頬をつねった。
『何してるの?』
それをいな穂に見られていた。照れ隠しに両手で顔を覆った昂宗を、やっぱりいな穂は笑った。昂宗は左手で目元を隠しながら、指の隙間で覗きながらノートに書きこむ。
『いな穂ちゃんはどうしてぼくの友達になってくれたの?』
『昂宗くんってもしかしてメンヘラ?』
『メンヘラじゃない! ……って思いたい……』
『そうなんだ。わたしはメンヘラだよ?』
思わずノートから顔を上げていな穂の顔を見ると、それはもう、悪戯な顔をしていた。昂宗は揶揄われたみたいだった。
『ぼくメンヘラの意味わかんないから』
『わたしも実はあんまり。ヤンデレの亜種みたいな感じ?』
『危ない系?』
『さあ?』
『どうでもいいけど、揶揄うの禁止!』
『はーい』
いな穂はアイスクリームとメロンソーダを混ぜてクリームソーダにしてから飲み始めた。昂宗もさっさと課題を終わらせようと、気合を入れなおした。それにも関わらず、
『そんなに気になるの?』
いな穂がズルズルとクリームソーダを吸いながら書いた。
『長くなるけど、いい?』
昂宗は神妙な顔つきで問うた。
『いいよ』
『じゃあ先こっち片づけてから』
それから20分ほどでノートの確認は終わった。
「ありがとう」
もう一度、昂宗はキチンと言葉にしていった。
『どういたしまして!』
二人とも飲み物が空になってしまったので、追加注文するためにいな穂は手を挙げて田中さんを呼んだ。昂宗も振り返ってカウンターの方を見たのだが、いつの間にか、店内は多くのお客さんで賑わっていた。二人はコーヒーとホットサンドをたのむと田中さんはやはり伝票を取らないで戻って行った。田中さんを完全に見送ってから、
『そんなにわたしが昂宗くんと仲良くする理由、気になるの?』
いな穂から早速切り出した。
『ああ』
『どうしてなの?』
『本当にそれを聞いて君は、決して後悔しないね?』
昂宗は厳かな雰囲気で書いた。それを読んで、いな穂は大袈裟に生唾をゴクリと飲み込んだ。
『はい、先生。お願いします』
どうやらいな穂は空気を察したようだった。
『いいだろう。
うむ、どこから話したものか。私は小説が好きなんだがね。漫画も読むんだ。例えば、日常系の……特にハーレム物のラブコメに多いだろうかね、そういうライトノベルや漫画には平凡な少年が出てくるだろう。イケメンでもなく、特殊能力もないが、なぜかモテるという主人公だ。まあなぜかを説明すると、ヒロインのために勇敢に悪者に立ち向かうだとか、昔ヒロインを救っただとか、苦しいときに手を差し伸べただとか、要するに「優しい」ということだ。
だが私はいいたい。「優しい」だけではモテんのだ!
もし主人公が本当に平凡で「優しい」以外、特に何も魅力がなかった場合、明らかにライバルキャラの癖のあるイケメンどもにヒロインをかっさらわれるだろう! この手の主人公にプラスされがちな設定として「努力」という要素があるのだ。例えば陰でめっちゃ頑張ってる的なやつだ。けれど、努力なんてみんなしとる!
さてタラタラと書いたが、私が主張したいことは、「無条件で好かれるのはイケメンだけ!」ということだ! あんな中身のないやつらモテるわけないだろ! 優しいだけで本当に好かれるなら、みんなお父さんやお母さんと結婚しよるよ! むかし救われたからその時からずっと好きとか、もはや呪いじゃないか! 人間そんなに単純じゃないよ! こういうやつが主人公の話は嫌いだ!!』
そう書いてからいな穂に手渡すと、『ながっ』と呟いて、ドン引きしていた。
『すみません、結局なにが言いたいのですか?』
せっかくの長文を一瞬も読むことなく、いな穂は書いた。冗談のはしごを外されて、昂宗はめちゃくちゃ恥ずかしくなった。いな穂に見られながら、端的に書き込む。
『あ、要するに、そんな中身のない平凡な主人公から「優しさ」を取り除いたような、退屈な人間であるぼくのどこをいな穂さんは気に入ってくださったのでしょうか、ということです。すみません、ほんと、すみません』
いな穂は迷いなく書き始めた。
『理由なんて無いよ。偶然だよ。それに昂宗くんにはたくさん魅力があるよ。卑下しないで。昂宗君が中身のない空っぽな人間なら、わたしはほんと、嘘つきで最低な人間だ。
……とにかく、こんな風に互いに自虐し合っても意味ないでしょ! この話は面白くないからおしまい! いいね?』
そう書いていな穂はノートを突き返した。その表情は少し悲しそうだった。そうだ。そんな風に昂宗に疑われると、いな穂だって不安になる。そしてその不安げな表情がなによりも、昂宗への答えだった。
昂宗は怖かったのだ。唐突にいな穂を失う日が来ることが来るのではないかと思うと、気が気でなかった。それほどに、昂宗の中にいるいな穂の存在は大きく、そして未だに大きくなり続けている。
それはきっと、いな穂も同じなのだろう。
『はい! すいやせんした! 姉貴!』
そう書いて見せて、
「ありがとう!」
昂宗は精いっぱいの感謝を言葉にして投げる。いな穂が自分のことをどう思っていたっていい。こうして笑いあえるならば、十分だ。昂宗はさっきまでこだわっていた自分がバカらしくなった。
『今日も疲れた!』
昂宗が書き込む。
『わたしも!』
いな穂も隣に書き込んだ。
ちょうどコトッとコーヒーとホットサンドがテーブルに置かれた。もちろん運んできたのは田中さんだ。二人は一つずつホットサンドを手に取って、思い切りよくかぶりついた。
無邪気に笑ういな穂の頬には、ソースが付いていた。
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