2.Mune

Muneむね」とは昂宗が心の底から愛するシンガーソングライターだ。

 

 昂宗は小学2年生の時、Muneと出会った。

 深夜、昂宗がトイレに行きたくなって目を覚ますと、父の書斎から微かに、『何か』が聞こえてきた。眠くて瞼はすでにくっ付いてしまいそうで、意識だって覚醒しちゃいない。一刻も早くぬくい布団に潜り込んで、暗くて怖い夜なんてサヨナラしてしまいたかったはずなのに、なのにどうして。昂宗の歩みは、いざなわれるように、迷い込むように、惑わされるように、魅せられるように。ふらふらと『音』の鳴る方へ向かい、そのドアを開いた。

 父はソファに深く腰を沈めて目を瞑り、リラックスしていたようだった。聞こえてくる『何か』に身を任せて、その『何か』に浸りながら。昂宗がドアを開けて入ってきても気づいていないようだった。

 ちょうど小さく流れていた『何か』が止まったとき、父はやっと目をあけた。そして、ぽかんと立ち尽くしている昂宗に気づくと、驚いたように目を丸くした。

「どうした? なんで泣いている? 怖い夢でも見たか?」

 昂宗が頬に触れると手が濡れた。自分が泣いていたことにまるで気づいていなかった。気づいたところで、どうでもよかった。また、次の『あれ』が流れ始めたからだ。

 変わらず呆けたままの昂宗を見て父はなにかを察したようだ。ただ笑って、何も言わずに自分の膝の上を軽く叩いた。駆け寄って、そこに飛び乗ると、父は誤魔化すように昂宗を抱きしめた。一瞬見えた父の目じりには、間違いなく涙が浮かんでいた。

 依然と流れ続けるこの『何か』と、父の腕に包まれながら、昂宗は、泣きながら聴いた。聴きながら、『これ』は何だ、どういうことだ、と拙くも必死に何度も何度も尋ねたのだった。父は赤ちゃんをあやすように、昂宗の頭をポンポンと叩きながら、

「これは、『魂』だ。Muneの『魂』、そして昂宗の『魂』でもある。Muneは『本物』なんだ。彼は歌を自分の『魂』から吐き出せる。自分の『魂』を歌うことで、俺たちにそれを届けてくれるんだ。『魂』は不思議なものでね。共鳴するんだ。『魂』からの歌声は届いた、いや、人の『魂』を、思い切り震わせてくる。共鳴してしまった『魂』はもう、どうしようもないんだよね。これを知ってしまうと、どうしようもないんだ。——ああ、迷惑なものだよ、おかげで俺も、そしてたぶんすでに昂宗も————つまりはそう言うことなんだ」

 わかりにくかったかな、そうだよな、自分でもわかんないや、ごめんな、でもわかってくれるよな、どうしようもないよな。

 父は最後にそういって一段と強く昂宗を抱きしめた。

 昂宗はそれ以来、Muneの虜だ。『魂』を震わせられてしまったあの日から。

 それからというもの、昂宗はMuneをひたすら聴いた。毎晩、父にせがんで聴かせてもらった。

 10歳の誕生日に、父はMuneのCDとCDプレイヤーをプレゼントしてくれたので、昂宗は小学生のうちに、そのCDが再生不可能になるぐらい聴き尽くした。

 

 Muneはアコースティックギター1本と自分の声だけで音楽を創る。CDでもライブでも絶対にそれ以外の音は創らない。シンプルで究極の音楽だと昂宗は思っている。

 昂宗の思うMuneの音楽の一番の魅力は、――もちろん彼の魅力に順位などつけることが無意味であることは十分に理解した上で言うならばであるが―― 歌声だ。それはMuneが吐き出す魂そのものだから、だからこそ、Muneは自分の歌声を最大に引き立てることのできるアコースティックギターだけを使うのかもしれない。

 初めのうちは、Muneを聴いていると不安になった。父の言うようにどうしようもないと感じた。行き場のない不明な感情がただ溢れて、涙となってこぼれる。わけがわからなくなる。それなのに、聴くのをやめられなかった。

 Muneの音楽は——『魂』からの歌は、一つひとつが底のない深い穴のようだった。覗き込んでも、底が見えない。落ちても、底がない。恐ろしい、でも、どうしようもない。ただただ、落ち続ける。魅せられ続ける。

 Muneは言っていた。

「俺の音楽は耳で聞くものではない。俺は魂で叫んでいるんだから、みんなも魂で聴いてくれ」

 その通りだった。

 この不安が、どうしようもない感情が、魂が共鳴している——震える感覚だったのだ。

 自分の『魂』が共鳴して、震え続ける。彼の『魂』を求め続ける。


 昂宗にとってMuneは憧れであったが、いつしか目標に変わっていた。自分もMuneのような音楽を創りたいと思うようになっていった。

 『魂』で叫びたかった。誰かの魂を震わせたかったんだ。

 昂宗は少しずつ貯めたお小遣いとお年玉を使って、中学1年生になった時に、中古のアコースティックギターを買った。

 その日から、昂宗の音楽は始まった。毎日一生懸命練習した。

 おかげで一年後には、相当の腕前を持つギター少年になっていた。自分で何曲か作って、そして文化祭でゲリラ的にライブを勝手にやって歌を歌ったり、駅前で演奏したりした。文化祭ではみんな楽しそうに聴いてくれて、嬉しくて、楽しかった。路上ライブでは、たくさんの人が足を止めて聴いてくれた。頑張れといって、お金を置いて行ってくれた人もいた。

 次第に昂宗は、町ではちょっとした有名人になっていて、多くの人がファンとして応援してくれた。みんな、自分の創る音楽を大好きだと言ってくれた。心底昂宗の音楽に惚れてくれた同級生とバンドを組んだりもした。卒業式では、ライブをして欲しいと、先生たちからオファーを受けるほどだった。

 心の底から、音を楽しんだ。

 しかし、物足りなかった。昂宗は満足できていなかった。なぜならば、昂宗の音楽は、誰の魂に触れることもできていないからだ。

 昂宗は『魂』から叫ぶことが、できていなかった。

 中学卒業と同時にバンドは解散することにした。みんな昂宗を泣いてまで引き留めてくれたけれど、それは昂宗の欲しいものではなかった。

 高校生になってからは、またひとりで音楽を創り始めた。Muneのような、魂を震わせる音楽を目指して、ゼロから、歩き始めた。


 そんな矢先、Muneが死んだ。

 Muneは魂から叫び続けるためいつも全力で、ライブの最後にはすべて使い果たして、必ずぶっ倒れる。スタッフに担がれながら、ステージを後にするのだ。

 昂宗が高校一年の春。入学祝いと言って父が連れて行ってくれた、Muneの全国ライブツアーの最終日。その日も、最後の歌を歌い終わって、Muneはステージ上で崩れ落ちた。

 昂宗も父と客席からMuneのライブを見ていた。いつものようにスタッフが駆け寄り、ステージ裏に運ばれていくのだが、どこか様子がおかしかった。スタッフの人たちがどんどんと集まってきて、目に見えて彼らの動揺が見えた。

 それから運ばれていったMuneの姿に、誰もがなぜか嫌な予感がした。そして誰かが「死なないで!」と叫んだ。瞬間、会場はパニックに包まれた。

 次の日、テレビでMuneの死を知った。

 全国に大きな衝撃を与え、絶望してふさぎ込み、何日も寝込んだ人が大勢いたらしい。昂宗もその一人だった。あとを追って自殺した人もいたらしかった。

 学校にも行かずに部屋に引きこもり、無気力な日々を過ごす中、これじゃダメだと思った昂宗は、希望を——Muneを求めて、ぶりにMuneの音楽を聴いた。

 変わらず彼の魂の叫びは、昂宗の魂を震わせた。涙を流しながら聴いた。昂宗も彼の後を追おうかと思ったときに、ランダム再生で流れてきた一曲。

 『Endless End』

 Muneはライブの終わりに必ずこの曲を選ぶ。

 彼が最期に歌ったものこの曲だった。



 ‘‘ この世のすべてに 

  必ず『終わり』はやってくる

  すべては終わり始めてる


  だけど それでも

  僕は終わらせたくないんだ

  終わらせない 終わり続ける


  Endless End

  Endless End

  終わりなんてないさ ’’



 CDでは前奏が途中から始まり、ブツリと曲が終わる。一曲リピートにすると無限に流れ続ける。終わっても終わらない。終わり続ける。そういうトリックが仕組まれた曲だった。

 この一分ほどの短い曲が、ライブではMuneの気が済むまで繰り返される。終わり続ける。

 Muneはライブの最後に必ず同じことを言う。


『終わり始めたねぇ。でもまだ終わってない。いつまでだって、終わり続けるよ』


 そして崩れ落ちる。

 あの日もそうだった。

 そうしてこの世を去ったのだった。確かにMuneは死んだ。けれどまだ終わっていない。Muneの音楽は終わり続けている。まだ終わっていない。

 Muneがそう言うんだから、まだ終わっていない。

 昂宗は拳で自分の胸を強く叩く。自分だって終わり始めてるんだ。終わり続けてやる。そう自分を奮い立たせて、ギターを乱暴につかみ取り、かき鳴らす。

 Muneみたいに、自分だって。

 『魂』で叫びたい。

 大きく息を吸い込んで、歌いだす。

 だが、歌えなかった。

 違う。

 声は出る。メロディーに乗せて、言葉をいえる。

 けれど、それはそれだけであって、魂から、叫べていない。自分では、Muneのように歌えない。叫べない。自分の魂にすら、届かない、震えない。どうして。なぜ?

 あの日、昂宗が初めてMuneを聴いたときの父の言葉が、いままで気にしたことなかったあの言葉が、フッと浮かんだ。


 Muneは『』なんだ。


 昂宗は笑った。泣きながら笑った。笑いが、涙が、止まらなかった。

 「僕の音楽は終わるどころか、終わり続けるどころか、終わり始めることもできていなかった! 僕は、『本物』じゃなかったから!」

 その瞬間——皮肉にも、魂から叫んでいた——、昂宗は全てを悟った。

 自分の音楽に、絶望してしまった。

 手に持った静かにギターをケースしまい、押し入れにしまった。

 音楽はやめた。


 終わり始めたい。そう思った昂宗はとりあえず勉強を始めた。

「選択肢は広い方がいい」

 絶望した昂宗を慰めるように言った父の言葉を信じて。

 次の目標を探して、Muneのように、終わり始めるために。

 だからこそ、大学に夢を見ていた。何か始まるんじゃないかと期待して。

 

 そしていまに至る。

 大学生になっても結局、昂宗は何も見つけることはできなかった。布団を被り、静かに涙を流しながら、昂宗は今日もMuneを聴く。そして弱弱しく、Muneに語りかける。

「どうすればいいの? わからないよ」

 昂宗は、また、終わり始めることはできなかったみたいだ。

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