令和3年3月
第665話 令和3年3月1日(月)「合格発表」川端さくら
「見た?」
教室に戻るなり怜南にそう声を掛けられた。
しかし、わたしが答えるより早く「その顔で分かった。もういい」と言われてしまった。
平静を装ってはいたが、マスクの下の口角が上がっているのは自分でも気づいていた。
彼女のことだ。
きっと雰囲気だけで察したのだろう。
今日は県立高校の合格発表日だ。
新型コロナウイルス対策でwebでの発表となった。
インターネット環境がない生徒のためにPC室が開放されているし、合否の結果を先生に伝える必要があるので、多くの生徒が登校して発表の時間を待っていた。
午前9時を回るとフラッと教室を抜ける生徒が出て来た。
わたしもトイレと行って立ち上がり、個室でこっそり見てきたのだ。
「
怜南が心花に声を掛けた。
心花はいつにも増して不安そうな表情を浮かべている。
自信の塊のように見られていた心花は高校受験で己の弱さを露呈した。
進学先を決め切れず、受験勉強に手をつけず、ずっと現実から逃避していた。
ようやくわたしと同じ高校に行くと決断し、そこから巻き返したものの自信を持つまでには至っていないようだ。
……わたしだって合格の文字を見るまでは不安でしょうがなかったんだから当然だよね。
怜南にしつこくせがまれ、心花はわたしにスマホを渡して「さくら、見て」と泣きそうな声を出した。
遅かれ早かれ確認しないといけない。
わたしはチラッと怜南に目をやる。
それから先ほど自分のスマホで行った手順を繰り返す。
IDとパスワードを入れ、恐る恐る画面を見ると……。
「やった! 合格だよ!」
自分の時は喜びよりもホッとする気持ちが強かった。
それに比べて心花の合格は素直に嬉しさがこみ上げてくる。
つい周りのことも忘れて、弾んだ声を出してしまった。
「ふ、ふん。当然よね」
心花は腕を組んでふんぞり返った。
態度がガラリと変わったが、心花らしくてわたしの顔はほころんだ。
「良かったぁ。ほんとに良かったぁ……」
わたしも心花も滑り止めは受かっていたが、それでもこの合格は心の底から嬉しかった。
心花は我がままだし偉そうだし天然なところもある。
かなりくせの強い人間だ。
しかし、受験を通して彼女との絆は深まったと思う。
……たぶん。
「パパに電話するね」とわたしの手から自分のスマホをひったくった心花を呆れた顔で見たあと不機嫌そうな表情の怜南に視線を移す。
怜南は他人の不幸を喜ぶ性格の持ち主なので、本気でわたしや心花の不合格を願っていたのかもしれない。
わたしは珍しく優位な立場に立てたので「怜南は見ないの?」と声を掛けた。
怜南はギロリとわたしを睨み、「見ない」とボソリと言った。
マスク越しなのでほとんど聞き取れない声の大きさだ。
心花に対してあれほどけしかけておいて自分はその態度なのと憤る気持ちが湧く。
だが、真剣に受験に取り組んできた姿も見てきただけに調子に乗ってからかうことはしない。
黙って怜南を見つめていると、彼女は無言でスッと席を立った。
わたしを無視したまま教室を出て行く。
その姿が見えなくなるのを待って、電話を終えた心花に「先生に報告に行こう」と促した。
教室に戻ってくると怜南が自分の席に座っていた。
不合格だったならわたしたちを待っていないだろう。
わたしは怜南の存在に気づかない振りをして帰り支度を始めた。
すると、突然立ち上がった怜南に左の耳を引っ張られた。
「痛い、痛いって!」
「さっちゃんが無視するからよ」
怜南は性格が悪く言葉に棘があるが、暴力は振るわないと思っていたのに。
そんな彼女の一面を知ったところで全然嬉しくない。
「合格だったんでしょ?」と確認すると、怜南はわたしを睨んだまま頷いた。
「おめでとう」と感情を込めずに言うと、彼女ははっきりと分かるほど眉間に皺を寄せた。
……普段からあんな態度なのにこんな時だけ一緒に喜んでと言われてもね。
そんな気持ちが顔に出たのか、怜南はますます怖い目をして「さくらのくせに生意気」とドスの利いた声を発した。
「今日は最高の日だね。みんな合格したし、怜南に『さくら』って呼んでもらえたし」
わたしが笑顔でそう言うと、怜南は深く息を吐いた。
もっと怒るかと思ったが、彼女はそれだけで気持ちを切り換えたようだ。
「まあいいわ。ひとつ忠告をしてあげる」
即座に「いらない」と返したのに、怜南は構わず言葉を続けた。
その目は逃さないと言っている。
「私やさっちゃんのような人間が幸せになろうと思ったら良い大学に入らないと難しいの」
そこまで早口で言って彼女は口を閉ざす。
わたしの反応を待っているようだ。
聞かなかったことにしたかったが、決めつけられたことに反発して「そんなこと……」と言葉が漏れてしまう。
「もちろん例外はある。ただ、心花だったらランクの低い大学に行っても親のコネで就職したり結婚相手を見つけたりできそうじゃない。それに比べ私たちはすべて自分の力でやらなくちゃいけない」
心花の家はかなり裕福だ。
私立中学に行かなかったことが不思議なくらいに。
親のコネなんて言われてもよく分からないが、なんとなくそういうのはあるだろうと感じている。
うちは……。
大学の学費すら厳しそうだ。
確かにコネでどうこうはできないだろう。
「でも……」
「でも、何? 平等なんて幻想よ。そんなお花畑のようなことを言っていられるのは学校にいる間だけ。持たざる者が中学高校を目的意識もなくぼんやり過ごしていたら負け組確定よ」
わたしが何も言えないでいると怜南は「宝くじが当たるのをジッと待っている人生を迎えるだけよ」と辛辣な口調で言い放った。
バラ色の高校生活を始めようと思った矢先に水をぶっ掛けるようなものだ。
彼女らしい精神攻撃だと思うことにしようとわたしは考えた。
「分からないようね」とこれ見よがしに溜息を吐くと、「貴女はこの3年間で何をしたの? 心花に金魚のフンのごとく付きまとっていただけじゃない。高校でもそれを繰り返すの?」と蔑む視線をわたしに向ける。
わたしは「怜南はどうなのよ」と言い返すのが精一杯だった。
志望校には合格したがそこまでランクの高い高校ではない。
部活もしなかった。
胸を張ってこれをしたと言えるようなことは何もない。
心花のグループを蔭で支えてきたと自負しているが、それは自分が過ごしやすい環境を守るためだ。
「私は2年まで彼と充実した時間を過ごしたし、目標だった高校にも合格したわ。さっちゃんに心配してもらう必要はこれっぽっちもないよ」
マウントの取り合いになっては勝ち目がない。
すごすごと引き下がるしかないと頭では分かっていた。
だが、「毎日を楽しく過ごすことだって大切なんじゃないの? 他人の不幸を見て喜ぶだけなら簡単だけど、自分たちの幸せな時間を作り出すことって大変なんだよ」と思わず抗議の声を上げてしまった。
「そんなちっぽけな幸せが将来どんな役に立つって言うのよ」
「それは……」と口に出したあと言葉が続かなかった。
きっと怜南の方が正しいのだろう。
将来のことを考えずに、いまを楽しむだけではダメなのだ。
でも……。
「おめでたい日に喧嘩をするなんてみっともないと思わないの?」
心花が口を挟んだ。
空気が読めない心花に空気を読めと言われたのはショックだ。
「そんなことより、みんなでTDLに行きましょう! 思い出を作りに」
「あー、心花。まだ緊急事態宣言が出ているから入場制限をしているみたいだし、解除されないと親が許可してくれないと思う……」
「なんなのよ、もう! どうにかしてよ、さくら」
相変わらずの心花の無茶振りにわたしは頭を抱える。
怜南が「卒業式から春休みまでの間なら平日はそれほど混雑しないんじゃない。その頃には宣言も解除されているでしょ」と助け船を寄越した。
そして、「謝る気はないけど、そんなに言うなら残り短い時間でたくさん幸せな思い出作りを企画してね、私のために」と怜南はわたしに囁いた。
目が覚めるようなウィンクとともに。
††††† 登場人物紹介 †††††
川端さくら・・・中学3年生。貧乏ではないが3人姉妹の長女なので学費は心配。
津野
高月
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