第664話 令和3年2月28日(日)「記念日」日々木陽稲

 朝、目覚めてからわたしは精進潔斎という心持ちで過ごしている。

 午前中にお姉ちゃんに連れられて馴染みの美容院に行き、長い時間をかけて髪をセットしてもらった。

 腰まで届く赤毛が丁寧に結われていく。


 今日の日に相応しい晴れ渡る青空の下をわたしは清々しい気持ちで歩いた。

 向かう先は自宅。

 わたしは一目散に自分の部屋に向かった。

 そこにはこの日のために用意した純白のドレスがあった。


 昨年も可恋の誕生日にわたしはウエディングドレスに身を包んだ。

 これはそれとは別物だ。

 女の子である以上、1年に1回は新しいウエディングドレスに袖を通したい。

 お姉ちゃんに手伝ってもらいながらわたしはその真新しい衣装を纏った。


「離れて暮らしている間に随分大人っぽくなったね」とお姉ちゃんが褒めてくれる。


「そうでしょ。ふふん」と喜ぶと、「身長は変わっていないから、そうやって笑うとまだ子どもっぽいけど」と笑われてしまった。


「伸びたよ! 2センチくらい……」


 さばを読んだ数字にお姉ちゃんは「本当かなあ」と疑いの目を向けた。

 わたしは「伸びたのは事実だし、これからよ、伸びるのは!」と力強く宣言した。

 そう信じていないとやっていけない。

 わたしの周囲には可恋、純ちゃん、キャシーと背の高い子が多い。

 可恋に「わたしの背が伸びないのは周りに吸収されているからじゃないかな」と言ったら残念そうな目で見られたこともある。

 わたしの望みをなんでも叶えてくれそうな可恋といえど、こればかりはどうしようもない。

 だから、自分でも気にしないようにはしているのだけど……。


 着替えが終わり、すべての準備を調えたところで可恋に連絡をして迎えに来てもらう。

 これが今日のサプライズだ。

 可恋は恥ずかしがるかもしれないが、わたしを彼女のマンションまでエスコートする名誉をプレゼントするのだ。


 可恋を待つ間、お姉ちゃんに写真を撮ってもらう。

 これは入院中のお母さんに送る分。

 あとで家族のみんなや可恋と並んだ写真も撮らないと。


 可恋が到着したのでお姉ちゃんが出迎えに行った。

 わたしは背筋をピンと伸ばし、可恋がわたしの部屋まで来るのを息を呑んで待つ。

 可恋はどんな顔をするだろう。

 驚いてくれるだろうか。

 きっと最後は優しい笑みを浮かべてくれるはずだ。


 自室のドアがノックされ、「入るね」という可恋の声が聞こえた。

 わたしはベールを掛けて両手をお腹に当て、「どうぞ」と淑女っぽい声で応える。

 ドアに向かって伏し目がちに立っていたわたしが最初に見たのは彼女の足下だ。

 いつものトレーニングウェアを着てくると思っていたのに別の物が見えた。

 驚いて、おしとやかとは言い難い動きで顔を上げる。

 そこには黒のタキシードを着こなした可恋が目元に笑みを湛えて立っていた。


「ど、どうして!」


 声を振り絞ってわたしは可恋に尋ねる。

 準備はすべて秘密裏に行ってきた。

 一緒に暮らす可恋のマンション内だと察知されるかもしれないので、朝のジョギング中など絶対に可恋の目が届かない場所で計画を練っていたのだ。

 キャシーじゃないが可恋忍者説はあながち間違いではないのかもと思ってしまう。


「こんな記念日に陽稲が何も言い出さないなんてあり得ないじゃない」


 わたしは胸が詰まる。

 可恋が今日がどんな日なのか覚えていてくれたことに。

 わたしひとりが盛り上がっていたのじゃないことに。


「……覚えていてくれたんだ。ふたりが一緒に暮らし始めた日のことを」


 わたしが目に涙を浮かべて言うと、可恋はゆっくりと近づき「当たり前じゃない」とその涙をハンカチで拭ってくれた。

 正装していなかったら、彼女の胸に飛び込んでいただろう。


「陽稲のご家族に感謝の気持ちを伝えたいと思って話し合っていたんだ」


「え?」


「最初はどこかレストランでも借り切って食事に招待しようと思ったんだけど、陽稲のお母さんが入院中ということでご辞退されて、逆になぜか私がこうして食事に招待していただいたんだよ」


「え、ちょっと待って」


 わたしは左手を前に伸ばし、右手を自分のこめかみに当てた。

 話について行けない。


「お父さんやお姉ちゃんは全部知っていたの?」


「今日もひぃなの目を盗んでご馳走を作ってくれているみたいだよ」


 や・ら・れ・た!

 わたしは可恋を驚かすことに夢中でほかのことにまで目が向いていなかった。

 そういえば今日はお姉ちゃんとずっと一緒にいたのに料理の話題が全然出なかった。

 しかし、わたしはそんなことを気にも留めなかった。


 頭の中を整理していたらお姉ちゃんがやって来た。

 してやったりの表情で。


「そろそろ良いかな?」と呼びに来たお姉ちゃんに「わたしの計画を可恋にバラしたのね?」と問い質すと、「可恋ちゃんも正装した方が釣り合いが取れて良かったじゃない」と返された。


 可恋の服装をどうするかは最後まで悩んだ。

 勝手に持ち出したら可恋なら気づくだろうし、こういう服はオーダーメイドで作りたいのでこっそり買う訳にもいかない。

 今回はサプライズを優先させたが、まさかわたしが驚かされる側になるとは。


 お姉ちゃんは可恋に「プレゼント、ありがとう。今度あれでご馳走するね」と嬉しそうに感謝の言葉を伝えた。

 わたしが「プレゼント?」と可恋の顔を見上げると、「お世話になっているからね。日々木家のひとりひとりにせめてプレゼントだけでもと思って持って来たんだ」と教えてくれた。

 お姉ちゃんにはパスタマシン、お父さんには燻製鍋、お母さんにはルームウェアを贈ったそうだ。


 わたしには、と言い掛けて口を閉ざす。

 良く考えたら、本当はわたしは可恋と一緒に贈る側になるべきだ。

 ついついひとりで舞い上がっていたが、もうわたしは半分以上日野家の人間みたいなものだし、可恋と共に実家に感謝の気持ちを伝えるのが筋だった。

 お姉ちゃんから大人っぽくなったと言われたが、残念ながら考え方は大人とは言い切れないようだ。


 お姉ちゃんにはすぐに行くと言って可恋を呼び止める。

 その耳元で、「来年からはわたしも一緒に贈り物とか考えるから」と思いを伝える。

 可恋は優しい眼差しをわたしに向け、「最初から相談すれば良かったね」と反省を口にした。

 わたしは首を振り、「こうして気づくことができたからいいの」と微笑んでみせた。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。誕生日は3月28日。ロシア系の血を引き日本人離れした外見を持つ。服に関しては一代で財をなした父方の祖父から費用を全面的に出してもらっている。


日野可恋・・・中学3年生。誕生日は4月5日。母ひとり子ひとりの家庭だが、母親は著名な大学教授。父親からの養育費を元手に可恋自身が資産運用をしているため使えるお金はかなりある。

昨年春の非常事態宣言時に母と別居することになった。母は女性支援のため精力的に働き、可恋は生まれつき免疫系の障害を持つため感染リスクを避ける行動を取るためだった。そこで陽稲が家族の許可の下可恋のマンションで共同生活を始めることに。


日々木華菜・・・高校2年生。陽稲の姉。趣味は料理で、将来の進路もそちら方面を考えている。


 * * *


「ひぃなはプレゼントいらないの?」


「わたしは……。お返しを用意していないし」


 可恋にプレゼントを贈ることは考えた。

 だが、およそ1ヶ月後の4月上旬に可恋の誕生日がある。

 3月下旬にはわたしの誕生日があって、そこで必ず可恋はプレゼントをくれるだろう。

 彼女は中学生にはあるまじき財力の持ち主なので、ただでさえ可恋へのプレゼントには頭を悩ませる。

 今回は形のあるプレゼントはなしにして、誕生日に全力を尽くそうと考えたのだ。


「せっかく用意したんだからもらって」と可恋はポケットから小さな包みを取り出した。


「ペアリング!」と可恋が開けてくれた小箱を見てわたしは叫ぶ。


 小さな赤い石がはめ込まれたリングがふたつ。

 とても精緻な細工が施されている。

 わたしは顔をぐっと近づけて穴が開くほど見つめたあと、視線を上げて「いいの?」と尋ねた。


「記念だから」と可恋は笑う。


「ありがとう! 大好き!」


 わたしがそう叫ぶと可恋は澄ました顔になったが、その黒い瞳は嬉しそうに輝いていた。

 可恋はスマートな態度でその指輪をわたしの左手の薬指につけてくれた。

 わたしも可恋の左手の薬指にリングをはめた。

 そのまま彼女の手の横に自分の左手を並べる。

 目に見える幸せがそこにあった。

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