第658話 令和3年2月22日(月)「胸に渦巻くものの行方」田中七海
最初に聞いた時は予算面の調整だけだったはずだ。
発端は手芸部の原田さんが卒業式で記念品としてマスクケースを贈りたいと言い出したことだ。
彼女は生徒会室にやって来て熱弁を振るった。
制約だらけの1年間だったし、3年生は修学旅行も本来の形では行われなかった。
このコロナ禍の中での卒業ということで、せめてもの思い出作りとしてマスクケースを渡したいと。
手芸部が作成し、部費だけで賄えない部分を生徒会の予算から出して欲しい。
その額は許容範囲内だったので先生方とも相談して彼女の提案を承認した。
次にどうやって渡すかという相談をされたが、式当日は生徒会も仕事があるので協力できない旨を伝えた。
すると、なぜか製作の手伝いを頼まれた。
最初に手芸部が請け負うことになっていたのに、より良いものを作るため手を貸して欲しいと原田さんに押し切られてしまった。
真央は部活があるからと言って逃げ出した。
久藤さんも水島さんに手伝わせると言って本人はほかの仕事に携わっている。
結局、2年生では生徒会長のわたしだけがマスクケース作りにつき合わされることになった。
「みなさん、お上手ですね!」
放課後、生徒会役員や各委員会で手が空いている1年生が家庭科室に集められた。
原田さんの指示に従い、マスクケース作りをやらされている。
彼女は作業の様子を見て回り、時折こうして声を掛けている。
その堂々とした態度にみんな黙々と従っていた。
……わたしだってやるべきことはたくさんある。
……わたしにしかできないことはほとんどないけれど。
ちまちました作業を苦痛に感じることはないが、うまくできるかどうかは別の話だ。
苦手と言いつつ真央はこういうことも器用にこなす。
一方、わたしが作ったものは「よく頑張りましたね」という評価しかもらえない。
「早いですね。これもお願いします!」
手の早い子は最初に与えられた仕事を終わらせ追加分の仕事を回されている。
わたしは手も遅いし、出来も良くない。
さすがにみんなの前で溜息を吐く訳にはいかないが、居たたまれない気持ちになってくる。
「会長、これを生徒会室まで運んでもらえますか?」
そんな空気を察したのか原田さんにそう声を掛けられた。
普段と異なる丁寧な言葉遣いだが、それすらも「邪魔だから、引っ込んでいて」と聞こえてしまう。
「これ、完成品?」と積み上げられたマスクケースを指差すと、「このあと学校の名前や紋章を入れるの。ほかにも工夫できないか考えてる」といつもの口調で原田さんは耳打ちした。
大きなポリ袋に入れたマスクケースを抱えて、わたしは生徒会室に運ぶ。
それほど重くはなく、かさばるだけだ。
しかし、いかにも雑用といった感じの仕事だった。
先代や先々代の生徒会長は知的で人望もあってこんな役割を押しつけられることはなかっただろう。
ひとり廊下に出たわたしはようやく深々と溜息を吐くことができた。
生徒会室には久藤さんと小西さんがいた。
中に入るとふたりはこちらを一瞥しただけで何も言わない。
わたしは自分の机の上にドスンとポリ袋を置く。
……さて、どうしよう。
久藤さんたちがいると生徒会室に自分の居場所がないような気まずさを覚える。
かと言って家庭科室に急いで戻っても……と思ってしまう。
ぐずぐずと立ち尽くしていると、久藤さんから睨まれた。
確かにこんなところに立っていては自分の仕事の邪魔だろう。
「自分の席に着いて休憩したら?」
気遣ってくれているのかもしれないが、その声の冷たさに非難の色を感じてしまう。
わたしは「みんな頑張ってくれているのに、わたしだけ休む訳には……」と小声で返答した。
久藤さんはこれ見よがしに溜息を吐き、「鈴木さんのところに行って慰めてもらったら?」とわたしに言った。
小西さんはニヤニヤ笑いながら「真央を呼んでこようか」と立ち上がろうとする。
わたしは慌てて「いえ、大丈夫ですから!」と声を上げた。
ふたりが黙り込み、嫌な空気が流れる。
わたしがあからさまに構って欲しい態度を取り、気を使って声を掛けてくれたのに拒絶してしまった。
本当に子どもみたいだ。
不意に涙がこみ上げてくる。
だが、ここで泣いたらふたりが悪いような感じになってしまう。
わたしはマスクの下で唇を噛み締めて泣くのを堪えた。
「そういえば……」と久藤さんが口を開いた。
彼女の方を見ると、その切れ長の目をこちらに向けずに「ソウジを原田さんに押しつけるのはどうかしら?」と言葉を続けた。
一瞬、”掃除?”と思ったがすぐに”送辞”のことだと気づく。
生徒会長として卒業式で送辞を読むことが決まっていた。
「余計な仕事を押しつけられたのだから、ひとつくらいお返しをしたっていいでしょう? それに答辞は前会長ではないのだし」
決まりという訳ではないが、我が校では送辞を生徒会長が、答辞を前生徒会長が行う慣例があった。
しかし、来月の卒業式では前生徒会長の山田先輩ではなく別の人が答辞を行うことになった。
山田先輩は強い意志を持って先生方と交渉し、過去のデータも使って自らの望みを叶えた。
意外と例外が多かったようだ。
答辞を行う日々木先輩は手芸部創設に関わったそうで、原田さんはその先輩をもの凄く慕っているらしい。
そう考えると彼女の方が相応しいかもしれない。
でも……。
「原田さんが生徒会長をやれば良かったのに」
原田さんではなく久藤さんでも良い。
自分の力不足を見せつけられると、どうして生徒会長を引き受けてしまったのかという後悔の念が湧いてしまう。
「本人に言えばいいじゃない」
久藤さんの指摘にわたしは何も言い返せない。
たぶん、わたしは……。
「つまらないプライドに囚われていても仕方がないって最近つくづく思うわ」
久藤さんはわたしにというより自分に言い聞かせるように語った。
彼女とは2年生で初めて同じクラスになったが、随分雰囲気が変わったように感じる。
冷たく刺々しい態度は変わらないが、以前はもっと敵意や悪意を感じることがあった。
外見だけでなく中身も大人になったということかもしれない。
それに比べて……。
小西さんが立ち上がり無言で部屋を出て行った。
わたしが自分の考えにふけっている間に何か久藤さんが合図をしたのだろう。
真央が来れば優しい言葉を投げ掛けてくれるはずだ。
しかし、その前に聞いておきたいことがあった。
「久藤さんはわたしならやればできると言ってくれたけど、いまもそう思っているの?」
久藤さんは目を細め、わたしをジッと見た。
ひとしきり値踏みしたあと、「できるかどうかだけで言えば、あなたでも鈴木さんでも原田さんでも生徒会長はできるでしょうね。さすがにハルカには荷が重いでしょうけど」と苦笑した。
「山田先輩は自分の望みを実現するために生徒会長になったと聞いているわ。私は自分の利益のために生徒会長を目指した。貴女も押しつけられたと嘆くだけではなく、その立場を利用すればいいんじゃない?」
山田先輩には高い志があったが、わたしにはない。
久藤さんのように内申を稼ぐといった目的もなかった。
ただ流れのままに生徒会長になり、自分より生徒会長に相応しい人がたくさんいると思って落ち込んでいる。
わたしは……生徒会長として認めて欲しいだけだ。
ほかの誰でもなく、わたしが生徒会長として相応しいのだと。
久藤さんや真央がわたしより優秀なことは仕方ないと受け入れていた。
原田さんに対しては、わたしの方が上という気持ちがどこかにあったのかもしれない。
ぐるぐると胸の中に渦巻くものが暴れていた。
このままでは駄目だと思うのに自分ではどうしようもない。
その時。
心配そうな顔で真央が駆けつけた。
彼女はわたしの手を引いて隣りの部屋に連れて行く。
電灯を点ける間も惜しむように真央はわたしの肩を抱いた。
それだけで心が落ち着いていくのが分かる。
「あのね……」とわたしは心のもやもやを打ち明けようとした。
「いいよ。七海のことは何があっても守るから。心配しないで」
端正な顔立ちから囁かれる言葉によって、わたしは安らぎに包まれる。
真央と一緒なら大丈夫。
きっと彼女が助けてくれる。
いまのままでもなんとかなるはずだ。
††††† 登場人物紹介 †††††
田中七海・・・2年1組。生徒会長。生徒会長選挙に立候補したふたりが両者とも辞退してしまったため前生徒会長の指名という形で就任した。1年の時から役員を務めている。
原田朱雀・・・2年2組。手芸部部長。一斉休校時には布マスクを手芸部で作り全校生徒に配るという活躍を見せた。文化祭のファッションショーでも中心となり、生徒会とのパイプも築いた。
久藤亜砂美・・・2年1組。生徒会役員。昨夏役員に就任し、秋の生徒会長選挙に立候補するも敗北した。勝利した生徒が辞退し、彼女も会長就任を拒んだため七海が会長となる。その負担軽減のため4月まで役員として生徒会を支えることになった。
小西遥・・・2年4組。亜砂美の親友。校内屈指の不良として知られている。役員ではないが、亜砂美と一緒にいることは認められている。
山田小鳩・・・中学3年生。前生徒会長。県立の最難関校を受験した。彼女なりに考えた末に陽稲に答辞をしてもらうことにした。
日々木陽稲・・・中学3年生。令和元年の文化祭でのファッションショーを成功させた中心人物のひとり。天使や妖精のようと言われる外見から校内でも有名な存在。
鈴木真央・・・2年4組。生徒会役員。七海の親友。ソフトテニス部と掛け持ちしている。オープンな性格なので周りからの人気も高い。
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