第640話 令和3年2月4日(木)「いろいろな”好き”」辻あかり

「で、どうすんのよ?」


 そう言って副部長のほのかがあたしの顔を見た。

 今日は部活は休みだが、部長副部長の3人が放課後部室に顔を揃えている。


「……どうするって言ってもなあ」


 あたしは溜息交じりにそう呟いて頭を抱えた。

 部長といえど、ただの中学生である。

 先代の部長のように凄い人ならともかく、ほかに適任がいないから選ばれたようなあたしでは荷が重い。

 学校の成績だって副部長ふたりの方が良いのだから、頭を使うことをあたしに頼られても困る。


 事の発端は昨日の部活でのことだ。

 新入部員となった男子はダンス初心者で体力もなかった。

 やる気はあるようだが、Cチームの1年生と比べても見劣りするほどだった。

 BチームやCチームの1年生も半年間それなりに練習してきたのでその差は顕著だ。

 当分の間、顧問の岡部先生にマンツーマンで指導してもらい、3学期は体力作りに充てることになった。

 昨日の練習後に部室で彼にそういう方針を示したが、その際に懸案事項の確認も行った。


「ダンス部初めての男子の入部なので、部内での異性恋愛禁止ってことになったんだけど、それでいいかな?」


「……あ、はい」


 あたしたち先輩3人に囲まれた少年は緊張した面持ちでそう答えた。

 制服に着替えているので男子だと区別できるが、体操服だと本当にどっちだか分からない。

 むしろ、ほかの部員よりも女子っぽく見える。

 見た目だけでなく態度や仕草もどこか女性のようだった。


 それでもほのかは気に食わないようで、キツい口調で「絶対に間違いは起こさないようにね」と言い放った。

 見る限り、彼が間違いを犯す可能性より女子部員に無理やり間違いを起こされる可能性の方が高そうだ。

 そんな心配をよそに彼はこう言った。


「大丈夫です。僕が好きなのは男の人ですから」


 その衝撃発言にフリーズしたあたしやほのかと違い、それまで黙って聞いていた琥珀が「それってほかの人にも言ってええのん?」と質問した。

 彼は少し恥じらいながら「何人かの友だちには伝えているので、構いません」と答えた。

 あたしは混乱し、ほのかは毒気を抜かれ、話し合いはそこで終了した。

 それから丸1日経つが、彼の取り扱いについて話は進展していない。


「あかりはほのかとつきうてるんやから、そんな驚くことあらへんやん」


 琥珀はそう言うが、昨日から心の中にあるもやもやしたものが消えない。

 その正体がつかめないことがいっそうあたしを困惑させた。


「本人が良いって言ってるんだから部員全員に公表すればいいじゃない」というのがほのかの意見だ。


 一方、琥珀は「アウティングは慎重にした方がええんやない?」と言っている。

 あたしとほのかがつき合っていることはダンス部の中ではバレバレだが、別に公言していることではない。

 ダンス部の外では仲が良い友だちと見ている人の方が多いだろう。

 これまでそういうことを深く考えたことはなかった。

 あたしの中で親友と恋人の境界線がよく分かっていなかったのかもしれない。


「親友と恋人の違いって何だろう?」


 あたしの口から漏れた言葉に「好きかどうかじゃないの?」とほのかが怒った顔で答えた。

 あたしは「でも、ほのかのことは好きだけど、笠井先輩のことだって大好きだし、琥珀のことも好きだよ」と反論する。

 もちろん、好きの度合いは異なる。

 でも、その量はその時の気分で変化するものだし、どこからが恋人みたいな基準は自分では全然分からなかった。


「うちにも分からんわ」といちばん答えを出してくれそうな琥珀が早々に匙を投げた。


 ほのかはムッとした表情であたしを見つめている。

 マスクの下はへの字口だろう。

 彼女は友だちがほとんどいない。

 この世で好きと呼べる人はあたしくらいなのかもしれない。

 琥珀のことを「嫌いじゃない」と言っていたが、その枠に入る人もごく少数だ。

 そんなほのかにはあたしや琥珀の悩みは理解できないのだろう。


 3人では解決しそうになかったので顧問の岡部先生に相談することにした。

 職員室に行き彼のことで相談があると持ちかけると部室で話をしましょうと言われた。

 戻って来た部室であたしたちは昨日の彼とのやり取りを話す。


「ほのかは公表した方が良いと言っていますが、あたしと琥珀は迷っています。どうしたら良いでしょうか?」


 岡部先生は20代のまだ若い先生だが落ち着きがある。

 柔らかな表情であたしたちの顔を見回し、「難しい問題ですね」と口を開いた。


「LGBTと言っても、当事者ひとりひとり考え方は異なります。マニュアルのような正解はなく、その時その時で最善の答えを求めていかなければなりません」


 あたしたちは神妙な顔で頷いた。

 あたしとほのかも当事者のようなものだが、考え方が相当違うことは先ほどの件でも明らかだ。


「本人を交えながら部内で話し合ってみてはどうですか? 今年の1年生は話し合いが好きなようですし」


 そう言ってニッコリ微笑んだ岡部先生は「部内異性恋愛禁止も押しつけるのではなく話し合って決めた方が良くないですか?」と提案をつけ加えた。

 ほのかは顔をしかめたが、反論は口にしなかった。


 岡部先生は彼とじっくり話をしたいということだったので、部内で話し合うのは来週以降ということになった。

 最後に「先生に話すこともアウティングに当たりますので今後は注意してください」と優しく指摘された。

 彼は公表してもよいと言ったが、繊細な問題だけに他人に話す時は彼に確認を取った方がいいということだった。


 彼についての話が終わり、帰りかけた岡部先生にあたしは「あの……」と切り出す。

 親友と恋人との違いについて聞いてみた。

 前副部長の須賀先輩なら素敵な答えが返ってきそうだが、先輩たちは受験目前なのでとてもこんな質問をしている状況にはない。


「親友と恋人では好きという気持ちに違いがあります。しかし、それが明確に分かれている人もいれば、曖昧な人もいると思います。若いうちにいろいろな好きを知ることができれば良いのではないでしょうか」


「……いろいろな好き、ですか」


 あたしの心の中にはほのかを好きという気持ちとは別に、ドラマのように男性から愛されたいという思いもあった。

 その憧れは、笠井先輩に抱く憧れともまた別のものだ。

 たぶん女の子の幸せはそういうものだという考え方がいまもあたしの頭の中に残っているのだろう。


「ただ、親友と恋人では責任が違います。恋人、特に結婚を前提としたようなものだと法的な責任を問われることもあります。それは異性だけでなく同性でも同様です。まだ中学生のあなた方には早いかもしれませんが、そういうことも頭の中に入れておいて欲しいと思います」


 あたしはほのかを見る。

 彼女のことは大好きだ。

 人目を引く整った顔立ち、不器用な性格、あたしのことを大好きでいてくれること。

 責任なんて言われたらビビってしまうが、あたしにとってかけがえのない存在だ。

 この”好き”がどんな”好き”なのかは、いまのあたしには分からない。

 性別がどうかじゃなく、あたしはほのかが好き。

 それで良いじゃないと思いながら、あたしはほのかの手を握り締めた。




††††† 登場人物紹介 †††††


辻あかり・・・中学2年生。ダンス部部長。これまで友だちはいたが親友と呼べる存在はいなかった。


秋田ほのか・・・中学2年生。ダンス部副部長。口が悪く他人を寄せ付けない空気を出していた。かなり改善されたがいまもその傾向は残っている。


島田琥珀・・・中学2年生。ダンス部副部長。友だちの数は非常に多いが浅く広くつき合ってきた。いつもはもっと歯切れがよいが現在は別件で思い悩み中。


須賀彩花・・・中学3年生。元ダンス部副部長。後輩視点では、田辺先輩とつき合っていて恋愛相談では豊富な経験をもとに話してくれそうな頼りになる先輩。実際は……。


岡部イ沙美・・・体育教師。ダンス部顧問。学生時代はサッカー漬けで恋愛をする余裕すらなかった。青春を謳歌する生徒たちを眩しく感じている。

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