第639話 令和3年2月3日(水)「鬼を払う」日野可恋

『今年もマメマキをするんだろ』と嬉しそうな声でキャシーが電話を掛けてきた。


 そういえば昨年の節分にキャシーが来たので手巻き寿司パーティーをやったなと思い出す。

 その時に豆撒きの風習を教え、鬼役を頑張ってもらった。


『残念ね。節分はとっくに終わったわ』


『な、なんだって!』


 思わずボリュームを下げたくなるほどの大声だ。

 私が顔をしかめて『昨日太巻きを3本も平らげたって師範代から聞いたのだけど。キャシーも十分に節分を堪能したじゃない』と言うと、彼女は『でも、マメマキはやっていないぞ!』と吠えた。


『緊急事態宣言が出ているからね』と説明すると『Oh, my GOD!』と悲嘆に暮れている。


 昨年の節分でキャシーは驚異の運動神経を以て豆を避けまくった。

 ひぃなや華菜さんでは1粒も当てられず、私が本気を出してなんとか鬼を追い払うことができた。

 そのせいかどうかは分からないが、直後に私はインフルエンザで入院する羽目になった。

 もう豆撒きはこりごりというのが正直なところだ。


 適当にキャシーをあしらって電話を切る。

 今日はこれから北条さんに電話をしないといけないからだ。


 北条さんは臨玲高校の主幹を務めている。

 学校職員のトップに立つ人で、理事長の懐刀である。

 教師に比べると職員の人事は行いやすく、彼女が就任してから元学園長派の職員は全員入れ換えたと聞いている。

 しかし、それでも信頼できる職員は少数で、情報の漏洩が疑われているそうだ。

 私が北条さんと頻繁に連絡を取り合っていることも極秘とされ、直接電話をするのも彼女から日時の指定があった時に限られていた。


『やはり合格者の情報が漏れていますね』


 挨拶もそこそこに私は大事な報告を済ませる。

 電話の向こうで微かに溜息が漏れるのが聞こえた。


『私のところとひぃなのところに新入生の懇親会を開催するという連絡が来ました』


『まだやっていたのですね』と語る北条さんの声は不快感を隠していない。


 彼女によると、新入生の懇親会は学園長主催で以前から開催されていたものだそうだ。

 声を掛けられるのは推薦組のうち経済力に秀でた家の学生に限られると教えてくれた。

 純ちゃんに連絡が来なかったのは家庭環境を調べた結果かもしれない。


 私は開催される横浜の一流ホテルの名前と日時を伝えた。

 一通り話を聞いたあと、感染症対策について尋ねたら「あんなものはただの風邪で、怖がっているのはマスコミに踊らされた人たちだけですよ」と言われたので参加を見送った。

 もちろん、ひぃなもそんなところへ行かせることはできない。

 あとは北条さんに探ってもらうことにする。


『首謀者が分かれば良いですが、せめて参加した学生のリストは欲しいですね。私が生徒会長になった暁には、参加者には1ヶ月間トイレ掃除をさせたいと思いますから』


 北条さんは私の発言への言及は避け、『せめて流出した名簿は確認したいですね』と言った。

 今回、合格者の名簿には仕掛けが施されている。

 各職員のアクセスキー別に名簿に差を作ったのだ。

 すぐにバレるようなものだと相手に警戒されてしまうので、たまたま合格者にいた「齋藤」という名字を「齊藤」や「齋籐」など職員ごとに微妙に変えている。

 ITに強い理事長が自らの手で仕掛けた罠である。


『懇親会は生徒会が主催かもしれません。緊急事態宣言下でも生徒同士でパーティーを繰り広げていると聞いていますから』


『次期生徒会のメンバーを物色する目的でしょうか』と私が口にすると、『これまでのやり方が通用すると考えているのでしょう』と北条さんは辛辣な意見を述べた。


 臨玲の生徒会は学園長から巨大な特権を与えられた。

 そこに入ることができるのは学校に多額の寄付をした家庭の子女だけであり、資産家や権力者の娘たちが生徒の頂点に君臨している。

 現在の生徒会長は現役の内閣総理大臣の娘だ。


 だが、臨玲の問題は生徒会にとどまらない。

 学園長派だった教師は依然として存在するし、理事長のやり方に反発する教師も少なくないと聞く。

 ほかにも色々と悪い噂が飛び交っていて、どこまでが真実かも定かではない。

 学園長という明確な敵は倒せたが、問題解決にはほど遠い状況だった。


 その後も情報共有を行い、電話を切る。

 北条さんともいまは手を取り合っているが、生徒会という共通の敵を倒したあとは対立する可能性もなくはない。

 たかが学校の権力争いで……と思うが、多額の寄付金を集めているのに古びた校舎のままということを考えればどこにそのお金が消えたのかという話になる。

 理事長だって臨玲のブランドで金儲けを企んでいるようだが、事業として行うのであれば問題はない。

 他人のことは言えないが、甘い汁を求めて裏でコソコソ動いている人間が多数存在するというのがいまの臨玲だ。


 夕食の仕込みをしていると「ただいま」とひぃなが帰ってきた。

 私も一休みしようとお茶の支度をする。


「今日は大橋さんが突然泣き出して大変だったの……」


 疲れた顔でそう言ったひぃなはホットココアを一口すすった。

 私はいつもの紅茶の香りを嗅いで心を落ち着ける。

 臨玲のことを考えると頭が痛くなるので気持ちの切り換えは大切だ。


「授業中にわんわん泣き出して、わたしと中崎さんと川端さんと三人掛かりで宥めていたの」


「それは大変だったね」


「中崎さんと同じ高校を目指しているけど、落ちたらどうしようって急に不安になったんだって」


 ひぃなはクラスの雰囲気作りを頑張っているが、高校受験を前にして平常心でいられる生徒ばかりではないだろう。

 私は「励ましてくれる友だちがいることをありがたく思っているんじゃないかな」とひぃなを勇気づけた。


「昨日藤原先生から、同じ志望校を受験して自分は合格で親友が不合格だった時に何て声を掛けるか聞かれたの。可恋だったらどうする?」


「そうね。とりあえず裏口入学できないか調べてみるって言うかな」


「……」


「冗談よ。私なら高校が決まるまで勉強を教えつつメンタルを鍛えるでしょうね」


「あー、可恋らしいね」


 ひぃなはそう言ってニッコリ微笑んだ。

 中学でも彼女の笑顔を守るために環境を整えた。

 臨玲でも同じ事をするだけだ。

 一筋縄ではいかないだろうが、私ならできると信じている。




††††† 登場人物紹介 †††††


日野可恋・・・中学3年生。免疫系の障害を持つため登校していないが、高い学力と空手で鍛えた身体能力を誇る。母親は著名な大学教授。


キャシー・フランクリン・・・G8。15歳。インターナショナルスクールの生徒だが現在は空手道場にホームステイしながらオンライン授業を受けている。


北条・・・臨玲高校主幹。理事長の椚に請われて転職した。劣勢だった椚が勝利したのは彼女の力によると言われている。


日々木陽稲・・・中学3年生。祖父の願いにより臨玲高校への進学を決めた。可恋と同居中。

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