第633話 令和3年1月28日(木)「みぞれの降る午後」晴海若葉

 お昼から降り出した雨はやがてみぞれとなった。

 終わりのホームルーム。

 まだ夕方と呼ぶ時間ではないのに外は真っ暗だ。

 温かいインナー程度の寒さ対策をあざ笑うように窓から吹き込む空気が冷たい。


 先生が風邪を引かないように注意してくださいと言うが、だったら早く帰らせて欲しい。

 あたしはそんなことを考えながらガタガタ震えていた。

 ホームルームが終わってもすぐには帰れない。

 こういう日に限って掃除当番だ。

 お喋りばかりで手を動かさない男子を横目に見ながらあたしはテキパキと急ぐ。

 めんどくさいとは思うが、じっと座っているよりはマシだ。

 その甲斐あっていつもより少し早く掃除が終わった。


 帰り支度を調え奏颯そよぎの教室に向かう。

 教室前の廊下にコンちゃんと美衣が立っていた。


「お待たせ。奏颯は?」


「帰った」とコンちゃんが素っ気なく答えた。


 あたしは声には出さないものの思わず顔を歪めた。

 彼女にはそういうところがある。

 これまでも何度か理由をつけて先に帰ってしまったことがあった。


「寒いからね」とコンちゃんは諦め顔だ。


「みっちゃんは先輩に呼ばれたって」とおとなしい美衣が会話に加わる。


「待つ?」と聞くと「先に帰ってって」と美衣がみっちゃんの伝言を口にした。


 その言葉通りに帰るかどうか迷うところだ。

 あたしはコンちゃんを見る。

 彼女は顎に手を当て考え込んでいた。


「先輩に呼ばれたのは例の件だろうね。どうする?」とコンちゃんがあたしに訊いた。


「こっちに戻って来るかな?」と言うと美衣が「鞄は置いていったみたい」と教えてくれた。


「じゃあ待とう。こんな日にひとりで帰るのは寂しいでしょ」とあたしは廊下の窓から外を見上げた。


 廊下を通る先生から「早く帰れよ」と注意されたが、コンちゃんが「すぐに帰ります」と言ってやり過ごした。

 彼女は優等生なので先生たちからの信頼が厚い。

 あたしと美衣だけだったらすぐに校内から追い出されてしまっただろう。


「朝、奏颯と見てきたよ」


 廊下にひと気がなくなってからあたしは口を開いた。

 それだけで何をかはふたりにちゃんと通じたようだ。


「女かと思った」と感想を述べる。


 昨日の練習のあとダンス部に男子が入部することが発表された。

 何とも言えないようなザワザワした空気が部員の間から生まれた。

 男子というだけでは反応が難しい。

 イケメンなら黄色い歓声になっただろうし、冴えない人ならブーイングが起きたかもしれない。

 まだ見ぬ新入部員に期待と不安が混じっていた感じだった。


 それが今朝登校中に奏颯と顔を合わすと、彼女はその男子が誰かもう情報を得ていた。

 先輩からではなく、1年女子の間の情報網でつかんだそうだ。

 彼女はダンス部だけでなくそれ以外の女子にも人気があった。

 あたしは奏颯に誘われて入部希望者の顔を見に行った。


「一部の女子の間では有名な子よ。ファンクラブとまでは言わないけど、それに近いものができているみたい」


 コンちゃんがやけに詳しい説明をしてくれる。

 あたしは「もしかしてコンちゃんも入っているの?」とからかった。

 一瞬言葉に詰まった彼女は「そんなことないわよ」と否定するが、顔が赤くなっているように見える。

 あたしは顔色の変化を見ようとジロジロ覗き込むが、彼女は顔を背けて美衣に話し掛けた。


「美衣は同じクラスだよね」


 美衣は話題の人物の名前を確認してからうんと頷いた。

 あたしはコンちゃんの追及よりも彼のことが先決だと思い、「どんな子?」と勢い込んで尋ねた。

 美衣はあたしから1歩後ろに下がってから答えた。


「……普通? おとなしい感じだけど、普通の男子」


「仲が良い男子はいる?」とコンちゃんが前のめりになって質問した。


 コンちゃんからも一歩下がった美衣はあたしの知らない名前を出した。

 目を輝かせたコンちゃんは「それって友情? 愛情?」とさらに身を乗り出す。

 男同士なら友情に決まっているのに、なんで興奮しながら尋ねるのか謎だ。

 いや確かに女子の制服を着ていたら間違ってもおかしくはなかったけど。


「美衣が困ってるって」とあたしは助け船を出す。


 ようやく我に返ったコンちゃんが「ごめん」と謝った。

 ここまで食いつくなんてやっぱり気があるんじゃないか。

 もしそうなら応援したい。


 そんなことを思っているとみっちゃんが戻って来た。

 あたしたちの姿を見て目元が緩んでいる。


「待っていなくてよかったのに。でも、ありがとう」


 彼女の弾んだ声を聞けただけで寒い中を待った甲斐があった。

 あたしたちも「気にしないで」と笑みを返す。


「新入部員のことだったの?」とコンちゃんが鞄を取ってきたみっちゃんに質問した。


 みっちゃんはマネージャーのリーダーだ。

 彼女は「それもだね」と曖昧に応じた。


「先輩たちは区別と差別の線引きが難しいって話していたけど、マネージャーとしては相手が誰であれやることは変わらないから」


 そう堂々と語るみっちゃんに「彼を見た?」とあたしは聞いた。

 すると顔をしかめ、「実は……」と口を開く。


「同じ小学校で、小さい頃からの顔見知りなのよ」と告白する。


「え? つき合っているの?」


 あたしの言葉にみっちゃんは「ないないない」と激しく否定し、「ただの顔見知りだって。入部のことも相談されなかったし」と説明した。

 だが、その顔は火照り、どう見てもただの顔見知りには見えない。


「何かあったんだよね?」と問い詰める。


 あたしだけでなくコンちゃんや美衣も興味津々といった顔をしている。

 止める人間がいないことに覚悟を決めたのか、みっちゃんは渋々といった態度で過去の出来事を語った。


「10歳頃だったかな。あの子から好きだって言われたの」


 聞いていた3人の口から悲鳴のようなものが上がった。

 みっちゃんは面倒見は良いが見た目はごく普通の女の子だ。

 対する彼は女の子と見間違うほどの美少年である。

 驚かないと言えば嘘になるだろう。


「色々と構ってあげてたからそれでだと思うのよ。でも、そのくらいの歳だと格好いい子に憧れるじゃない。あの子はそれとは対極だから……」


「いまは? いまはどう思っているの?」


 あたしの問い掛けにみっちゃんは遠い目をして「過去のことよ」と息を吐いた。

 いままで見せたことがない彼女の表情に思わずドキリとする。

 さっきはコンちゃんを応援したいと思ったのに今度はみっちゃんを応援したくなった。


「ほら、帰ろう」とみっちゃんがあたしたちに声を掛けた。


 先に歩き出す彼女は強がっているように見える。

 あとを追おうとしたあたしの腕が後ろからつかまれた。

 振り向くとコンちゃんがあたしと美衣にだけ聞こえる声で囁いた。


「いまはそっとしておこう。あと、このことは誰にも言わないように」


 あたしは言い返すことができず、もやもやした気持ちを胸に残したまま首を縦に振った。




††††† 登場人物紹介 †††††


晴海若葉・・・中学1年生。ダンス部。奏颯やコンちゃんと仲が良い。恋愛はまだ自分には遠い存在だと思っている。


紺野若葉・・・中学1年生。ダンス部。コンちゃんと呼ばれている。精神年齢が高めで、恋愛に関しても耳年増なところがある。


恵藤奏颯そよぎ・・・中学1年生。ダンス部。友だちは大切だが待つのは苦手。別にいつも一緒じゃなきゃいけないって訳じゃないよね、と考えている。


山瀬美衣・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。おとなしい性格。同じダンス部のさつきと一緒に帰ることもある。あまり家には居たくないので待つのは平気。


小倉美稀・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。現在4人いるマネージャーのリーダー。真面目でしっかり者。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る