第634話 令和3年1月29日(金)「一歩踏み出す勇気」黒松藤花
「黒松さん。……好きです」
放課後、2年の教室と3年の教室を繋ぐ階段の踊り場でわたしは告白をされた。
教室や廊下と比べると薄暗く、帰宅する生徒で賑わう2年のエリアとはわずかしか離れていないのに別世界のようにさえ感じてしまう。
わたしは中学に入ってから何度か告白をされたことがあった。
今日のように緊張した面持ちで呼び出され好きだと告げられたこともあれば、軽いノリで「つき合わない?」と言われたこともある。
ただ今回がこれまでと異なったのは、相手がクラスメイトの女子という点だった。
「引いちゃうかもしれないけど、気持ち悪いと思うかもしれないけど、どうしても伝えたくて……。ごめんなさい」
そう言って彼女は頭を下げた。
もう2年生も終わり間近となっているのに、彼女と会話をした記憶はほとんどなかった。
「謝らないで。驚いただけで、別にそういうのがダメだとは思っていないから」
朱雀ちゃんと千種ちゃんは親友以上の関係だし、
もともと男子が苦手だったわたしはそれらをすんなりと受け入れた。
小柄で非力なわたしはお父さん以外の男性に恐怖感を抱いている。
身体の小さな相手――例えば小学2年生の妹の同級生――なら平気なのだけど、大きな相手には身がすくんでしまうこともあった。
わたしの言葉に目の前の少女は顔を上げた。
その瞳は期待に満ちあふれている。
男子が相手の時はとにかく断ることしか頭になかった。
ほとんどパニックになりかけながら謝り、逃げ出すようにその場を去ることが多かった。
しかし、相手が女子ということでわたしは迷った。
同性への告白は相当勇気が必要だったはずだ。
周囲に知られたら学校に来づらくなるかもしれない。
それに男子の時のようにいますぐ逃げ出したいとは思わなかった。
彼女は女子の平均かそれよりやや小柄な体型だ。
わたしよりは大きいので全力で来られたら太刀打ちできないだろうが、不思議と恐怖感は湧いてこない。
とはいえまったく想定していない事態なので、何を話していいか分からない。
わたしは彼女のことをよく知らない。
顔は覚えているが、これまで関心がなかった。
だから即座につき合うという選択肢はない。
何か言わなければと思うものの言葉が浮かばず、気持ちばかりが焦る。
……お友だちから?
でも、いまいる朱雀ちゃんのグループは居心地が良くて抜けたくない。
彼女も別のグループに属していたはずだ。
「えーっと、少し考える時間が欲しいの。返事は週明けでもいい?」
決断ができなかったわたしは返答を先延ばしにした。
複雑な表情を浮かべた少女はうんと頷くと、飛ぶように階段を下りていく。
彼女の人となりを知るために少しは会話をした方が良かったと気づいたのは彼女の姿が見えなくなったあとでのことだった。
彼女の姿が見えなくなってもわたしは動けなかった。
それは彼女に告白された衝撃のせいではなく、その告白によって気づいたことが原因だ。
友人であれ恋人であれ新しい関係を彼女と築けば、これまでの日常に大きな変化が訪れるだろう。
この1年間――休校期間があったので実質は半年余りだが――は、わたしにとってもっとも充実した学生生活を送ることができた期間だった。
お母さんがいないことの影響とは思いたくないが、これまでわたしはクラスの女子と打ち解けることがあまりできなかった。
小学生時代は孤立したり無視されたりしたこともある。
そういうものだと諦め、中学では自分から孤立する道を選んだ。
2年になって朱雀ちゃんたちに誘われてグループの一員となり、本当に穏やかな時間を過ごすことができた。
グループのみんなにはとても感謝している。
そして、告白してくれた彼女と縁を切ったとしても、いまのクラスはあと2ヶ月足らずで終わりを迎える。
当たり前のことなのに、目を逸らして来た事実だった。
わたしは泣きたくなる気持ちをなんとか抑えて、立ち尽くすことしかできなかった。
3年生の授業が終わり階段を下りてくる生徒を見て、わたしはようやく動き出す。
今日はみんな部活なのでひとりで帰る。
いつもは平気なのに今日はそれがとても寂しく感じた。
家に帰ると妹の
元気そうな顔を見てホッとする。
今朝は熱はさほどでもなかったが少し辛そうな顔をしていたので、休ませた方が良いとお父さんに言った。
身体が弱い希は体調を崩すとしばらく寝込むことになる。
その兆候が見えたので大事を取った方が良いと思ったのだ。
無理をしてでも学校に行った方が良いと言うお祖母ちゃんと違い、お父さんはわたしの判断を受け入れてくれた。
「ただいま。手を洗うから居間で待っていて」とわたしは妹に声を掛ける。
家の中にウイルスを持ち込まないために玄関でコートを脱ぎ、アルコール消毒を済ませてから洗面所に向かう。
手洗いや着替えをそこで済ませ居間に行くと、希が甘えるように駆け寄ってきた。
「お昼はちゃんと食べた?」
「うん。お祖母ちゃんが来てくれたよ」
それでもひとりの時間が長く寂しかったのか希はわたしの腕にしがみついた。
わたしにとってもそれは心地よい温もりだった。
「友だちに会えなくて寂しいよね?」と彼女の頭を撫でながら言うと、「大丈夫。また会えるから」と希は健気に答えた。
彼女にとっては学校を休むという非日常も日常の一部だ。
学校に行けなくて辛い思いをすることも多いはずだが、それをほとんど見せることなくいつもキラキラした瞳をわたしに向けている。
そんな妹の前でわたしも不安な顔は見せられなかった。
「お話の続きをしようか」とわたしが創作している物語の続きを話そうとしたら、希は「写真が見たい」と言い出した。
秋の文化祭以来ファッションショーの写真と体験談をよくせがまれる。
わたしが頭の中で練り上げたストーリーよりも現実の出来事の方が刺激的だとすれば残念だ。
ただ、あれはわたしにとってもファンタジーのような体験だった。
希が何度もあの時の話を聞きたがるのも無理からぬことだ。
わたしはスマホで写真を見せながら強烈だった非日常の思い出を語った。
「……こうしてみんなの力でファッションショーは大成功したの」
希の嬉しそうな顔を見ながら、わたしはあの時の一歩踏み出す勇気を思い出した。
いまのグループの心地よさは朱雀ちゃんや千種ちゃんが作り出してくれたものだ。
それだけではない。
ファッションショーでもわたしのサポートを数え切れないほどしてくれた。
跳べそうにないと思っていたハードルを跳び越えられたのはそんな協力があってこそだった。
3年生のクラス分けでいまのメンバーがバラバラになるのは避けがたい。
でも、それをいまから嘆いていても仕方がない。
みんなに心配を掛けるのではなく、ひとりでも大丈夫だと思ってもらいたい。
そのためには居心地の良い場所から一歩踏み出す勇気が必要だ。
写真の中のわたしは物語の主人公のように勇ましい。
現実のわたしがめそめそしていたら希は失望する。
一歩踏み出そう。
まずはお友だちから、だけど。
††††† 登場人物紹介 †††††
黒松藤花・・・中学2年生。母親は妹が生まれてすぐに亡くなった。妹に自作の物語を読み聞かせるのが趣味。
原田朱雀・・・中学2年生。手芸部部長。昨秋のファッションショーではプロデューサーを務めた。「わたし、告白されたことないんだけど!」
鳥居千種・・・中学2年生。手芸部副部長。朱雀の幼なじみ。男子からの告白や女子からのやっかみを避けるため中二病的言動をしているとの説がある。朱雀に悪い虫がつかないように画策しているという噂はない。
黒松
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