第618話 令和3年1月13日(水)「進路」川端さくら
本命の公立高校の入試まであと1ヶ月だ。
3学期に入り、周りの空気も一段とピリピリしたものになってきている。
「うちの塾では生活のリズムが乱れるから休まず登校した方が良いって言うのよ。それで新型コロナウイルスに感染したら責任取ってくれるのかって」
休み時間、わたしの隣りで怜南が不満を口にする。
彼女は大手の進学塾に通っている。
3学期は学校を休んで受験勉強に集中したいと親に訴えたそうだが、塾の講師のアドバイスに従い登校することになった。
「でも、夜型の生活になったらヤバいんじゃ?」
わたしはこの三連休思い切り夜型になってしまった。
家には妹がふたりいて気遣ってはくれるものの昼間はどうしても勉強に集中しにくい。
夜の方が勉強は捗るが、試験は朝からなのでこれからは気をつける必要があるだろう。
「それくらい分かっているわよ!」と怜南がわたしの言葉に目くじらを立てる。
このところ彼女の顔から余裕が消えている。
身だしなみにもの凄く気をつけている彼女がいまは目元に隈ができている。
髪の手入れも万全とは言い難い。
わたしより勉強はできるが、志望校のレベルが高いので合格できるかどうかはかなり際どいそうだ。
女子は全体的に無理をしない傾向にあるが、彼女は数少ないチャレンジャーだった。
「
不機嫌な怜南の相手を務めるのは避け、わたしは心花に話を振った。
昨日はテストがあってそれを参考に最終的な進路が決定される。
過去に受けた全県模試のようなものに近かった。
わたしはまずまずの手応えを感じたが、これまで模試を受けていない心花はどうだったのだろう。
いつもなら試験の出来について自分から包み隠さず話す心花が昨日のテストについてはだんまりを決め込んでいる。
気にはなっていたが、聞くのが躊躇われた。
ここで目も当てられない結果だと目前に迫った高校受験が大変なことになる。
「どうでもいいでしょ」と心花はむくれた顔つきで答えた。
それを聞いてわたしはダメだったのかと推察する。
彼女はほとんど勉強をしないのに定期テストでは平均以上の結果を出していた。
もちろん家での勉強の様子をのぞき見した訳ではないので隠れてやっていたのかもしれない。
だが、彼女はテスト期間中もテレビの話をバンバンしていた。
それに心花はこっそり勉強するような性格ではない。
そんな心花に成績で負けたくはないという思いがわたしの勉強に対する原動力となった。
何かひとつくらいは勝っていると思えるところがあるのはつき合う上で大事だろう。
問題は高校受験で心花のその勉強法――と言っていいのか分からないが――が通用するかどうかだった。
友人として何度も受験に向き合うように忠告したが、彼女は受験のことなど自分には関係ないかのように振る舞っていた。
模試も受けず、遊び呆けているようにわたしの目には映っていた。
何と声を掛けようか迷うわたしに心花は思いがけない言葉を発した。
憤懣やるかたない表情で「臨玲を受験することになったの」と言ったのだ。
心花はこれまで高校の名前を口にしたことがない。
わたしと怜南が受験の話をしていても無関心を貫いていた。
何度も志望校を尋ねたが一度たりとまともな返答はなかった。
「……臨玲? もしかして日々木さんの影響?」と驚いたわたしは心花に尋ねる。
11月頃から日々木さんが心花に受験への心構えなどのアドバイスをしてくれている。
その効果のほどは分からなかったが、日々木さんの慈愛に満ちた献身性が心花の心に届いたのかと思った。
だが、心花はにべもなく「パパにお願いされたの」と説明する。
わたしは心花と3年間ずっと同じクラスだ。
彼女は常にグループの中心にいて、自分のことを誇らしげに喋っていた。
そんな彼女の話から感じたのは、彼女の親は娘に好き放題させているということだった。
自分がいちばんでないと気が済まなかったり、我がままだったりする部分はそんな家庭の影響が強いのだろう。
「それで怒っているの?」と聞くと、「だって自由に選んでいいって言われていたのよ」と心花は整った眉を吊り上げる。
「志望校は決めていたの?」と疑問を投げ掛けると、「それはこれから……」と彼女は口籠もった。
いつまでも中学校生活が続くと考えているような心花を見かねて親は口を挟んだのではないか。
そんな想像が浮かんだが言葉には出さず、怜南に「どう思う?」と聞いた。
「いいんじゃない」と怜南は他人事のように言う。
「わたしに臨玲に行けとけしかけた人とは思えない口振りなんだけど」
修学旅行のキャンプの時に、澤田さんの臨玲での面白エピソードを怜南に伝えるため進学するよう勧められたのだ。
もちろん即刻断った。
「心花が他人の話をする訳がないって言ったのは貴女じゃない」と怜南が指摘する。
そういえばそんなことを言ったっけ。
わたしは頭を振って「それで、合格すると思う?」と小声で尋ねた。
「本番で普段の実力が出せれば合格するでしょうね」
臨玲は単願なら偏差値は高くない。
心花は定期テストの成績が悪くないので内申点だけでほぼ合格ラインに達するんじゃないかということだった。
「でも、昨日のテストは良くなかったみたいだし……」
わたしの呟きを聞いた怜南が改めて「昨日のテストの出来は悪かったの?」と心花に尋ねた。
心花は今度は「普通」とちゃんと答えた。
先ほどは親に進学先を決められたことにふて腐れていただけだったようだ。
わたしたちに話したことで少しすっきりした顔をしている。
「心花が臨玲か……」
学力や経済的な面では決して不釣り合いではないだろう。
ただ彼女が臨玲でやっていけるのかは心配だ。
お嬢様学校として名を馳せる臨玲ではクラスの頂点に立つことは難しいと思う。
「そんなに心配ならさっちゃんも臨玲に行けばいいじゃない」と怜南が面白がってからかった。
行けるものなら行っただろう。
なんだかんだ言っても名門だ。
庶民が入学しても肩身が狭いと言われるが心花と一緒なら……。
だが、実現は不可能だ。
わたしひとりなら私学に行けたかもしれないが下にふたりいるので公立にして欲しいと親から言われている。
ましてや臨玲は学費以外の費用がもの凄く掛かると聞く。
とてもではないがわたしが通える学校ではない。
中学受験をして公立中学に進学しない友だちが何人かいて、寂しい思いをした。
その時はそういうものだと思っていた。
いまもそういうものだと思う。
当時との違いは経済格差というものを肌で感じるようになったことだ。
たぶん大学進学をするかどうかはその問題がさらに深く影響するのだろう。
怜南は公立の中学高校を選択するのは教育費を大学進学につぎ込みたいからだと言っていた。
小中学生の頃からそんなことを考えているのかと驚いたが、きっといまの時代そういう将来設計が大切なのだろう。
お金持ちではない庶民にとっては――。
††††† 登場人物紹介 †††††
川端さくら・・・中学3年生。過去3年間心花を陰から支えてきた。それは自分の居場所を作るという利己的な動機からだったが、いまは彼女のことを大切な友だちだと思っている。
高月
津野
澤田愛梨・・・中学3年生。自称天才。それに恥じない程度の実力は有している。陽稲に惹かれて臨玲進学を決めた。
日々木陽稲・・・中学3年生。これまではクラス内のことに積極的に関与することはなかったが、3年生になって学級委員となり周囲との関わり方にも変化が起きた。
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