第564話 令和2年11月20日(金)「窮地」辻あかり

 やっと試験が終わった。

 あたしか解放感から大きく伸びをした。

 普段一体感に欠ける教室の中も今日だけはみんな同じ気持ちだろう。

 いつもより弾んだ声の会話があたしの耳に届いた。

 その多くが明日からの三連休をどう過ごすかという内容だったが、ひとつだけ気になるものがあった。


「俺、生徒会長に立候補するから応援よろしくな」


 声の主はこれまでほとんど話したことがない男子だ。

 結構イケメンではあるがすでにお相手がいる。

 いまは一緒にいないが、付き合っていることは公言していて教室内でイチャつくところを目にすることもあった。

 その彼女がどこにいるのかと室内を見渡していると「あかり!」と名前を呼ばれた。


 教室に入らず、廊下から呼び掛けたのはほのかではなく琥珀だった。

 あたしは意外に思いつつも鞄を持って廊下に出る。

 最近はホームルームが終わるとほのかが飛んで来る。

 本人に言うと怒られそうだがまるで忠犬のようだ。

 そこまで慕われると悪い気はしない。

 だから、あたしは琥珀に「ほのかは?」と最初に尋ねた。


「ちょっと先輩のところへお使いを頼んだんよ。……先にあかりに話しといた方がええかな思て」と話す琥珀の顔は険しい。


「何かあったの?」と聞くと、琥珀は大きな溜息を吐いた。


 残念なものを見る目をあたしに向けると、「知らんからしゃーないけど、もうちょいなあ……」とぶつぶつ言っている。

 あたしはムッとしたが、少し声を固くして「それで?」と話を促すだけにとどめた。


「1年があかりの部長交代を求める言うて話し合ってたんよ」


「えっ!」とあたしは驚きの声を上げた。


 寝耳に水ということわざはこういう時に使うのだろう。

 1週間ほど前に1年生たちに注意したことはあった。

 テスト前で部活が休止中に1年生だけで集まって話し合いをしていたからだ。

 納得いかない顔をしていた後輩もいたが、ルールだからと強制的に解散させようとした。

 実際はなかなか従わず、時間を掛けて説明することになった。

 それで終わった話だと思っていたが、そうではなかったようだ。


「須賀先輩に相談したら話し合いが足りてない言われたんよ。1年ともそうやし、2年ともやね……」


 その指摘にあたしは言葉に詰まる。

 あたしが部長になってからは副部長の琥珀とほのかに相談し、3人でダンス部のことを決めてきた。

 2年のほかの部員からは特に何も言われなかったし、1年のことは後輩だからと軽く見ていたのかもしれない。


「どうしよ……」と思わず弱音が出てしまう。


 あたしは額の汗をハンカチで拭う。

 今日は蒸し暑い。

 さっきまでは暖かくて過ごしやすいと感じていたのに、いまはまとわりつくような生暖かさが不快にすら思ってしまう。


「コミュニケーション不足は副部長の責任でもあるから、部長のあかりはみんなの前ではドンと構えといてや」


 琥珀はそう言うが、この状況で動揺しないなんてできそうにない。

 今日の午後には1週間振りのダンス部の練習がある。

 練習の冒頭にみんなの前に立って話をする予定だったが、果たして何と言えばいいのか。


「今日の練習は緊急ミーティングにした方がええ思うんよ。ある程度方向性を示さんと1年は納得せんかもしれへんし」


「もう少し早く言っておいて欲しかった……」と零すと、「言ったら試験どころやなかったやろ」と言われてしまった。


 それはそうだが、あと少ししか時間がない。

 それまでに気持ちを整理しなければならない。

 いまのままだと逃げ出したくなってしまう。


「あかり、お待たせ」とそこにほのかが現れた。


 かなり急いでいたのだろう、額に汗をかいている。

 あたしは握り締めていたハンカチを差し出そうとして躊躇った。

 クシャクシャだったから。

 だが、ほのかは拭いて欲しいという風にわずかに顔を突き出した。


 あたしはほのかの艶のある肌にハンカチを当てる。

 こんな使い古したものではなく、もっと綺麗なハンカチがあればいいのにと思うがどうしようもない。


 その様子を醒めた目で見ていた琥珀が「いまあかりと話してたんやけどな……」とほのかに状況を説明した。

 ほのかは「1年はダンス部を乗っ取るつもり?」と不快に顔を歪めた。


「うちらの時は笠井部長や須賀先輩らが絶対的な存在だったから楯突こうなんてまったく思わんかったやんか。でも、いまの1年からすればうちらはそういう存在やないねん」


 その寂しげな物言いにあたしの胸が痛んだ。

 前部長らに及ばないことを自覚して引き受けたものの、こうしてそれを突きつけられると心がキリキリと締め付けられるようだった。


「そんなの仕方ないじゃない!」とほのかは声を荒らげる。


 幸いほかの生徒はほぼ帰宅し、廊下にはほとんどひと気がなくなっていた。

 あたしは「琥珀に怒っても意味がないから」とほのかを宥め、「琥珀は何か考えがあるの?」と質問した。


 琥珀は眉尻を下げ、ひとつ息を吐くと「あんまりないんやけど……」と前置きしてから「部の運営の話し合いに1年生を参加させることくらいかなあ」と答えた。

 あたしは「それは必要だろうね」と頷いた。

 ほのかは不満そうだが反論はしなかった。


 正直なところ、あたしは1年生たちが繰り広げる議論に苦手意識を感じている。

 よくもまああれだけ自分の意見をポンポンと口に出せるものだ。

 あれが今後ダンス部の会議で飛び交うことを想像すると気が重い。

 とはいえ部員の数では1年生が圧倒的に多く、彼女たちの主張を無視できないのが現実だ。


 3人で顔を合わせていても妙案が浮かぶ訳もなく、昼食を摂るためにあたしたちは帰宅することにした。

 言葉少なく昇降口に向かっていると、ほのかが琥珀に「先輩、ミーティングに顔を出すって」と伝えた。

 そういえばお使いを頼んだと言っていたっけ。

 ただ「先輩」と言うだけでは誰か分からない。

 あたしは「どの先輩?」と聞いた。


「笠井先輩」というほのかの回答にあたしは胸を押さえる。


 前部長の目前でみっともない姿をさらしたくないと思うのに、それを回避する手立てが見つけられる気配はどこにもなかった。




††††† 登場人物紹介 †††††


辻あかり・・・2年5組。ダンス部部長。ソフトテニス部時代に先輩の笠井優奈に憧れ、彼女が創部したダンス部に移籍した。


島田琥珀・・・2年1組。ダンス部副部長。部の運営面であかりのサポート役を担っているが、忙しいため十分に果たせていないと自覚している。


秋田ほのか・・・2年1組。ダンス部副部長。技術面を担当。ただ自身のコミュニケーション能力不足が部内に悪影響をもたらしているという自覚もある。

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