第563話 令和2年11月19日(木)「もしも……」日々木陽稲

 春から一緒に暮らすようになったのに、一緒に登校したのは数えるほどしかない。

 中学校の制服姿の可恋に違和感を覚えるほど、彼女がそれに手を通すことは少なかった。

 その機会は運動会や文化祭といった学校行事と、あとは試験の時だけ。


 だから多くの学生にとって気が重い定期テストがわたしにとっては特別な時間となる。

 このマンションは学校の正門前に建つので、通学時間はわたしの足でも1分に満たない。

 それでも可恋との登校には心沸き立つものがあった。


「良い天気だね」とわたしが話し掛けると、「そうだね」と可恋が相づちを打つ。


 それだけのことなのに思わず鼻歌が飛び出してしまいそうなほどウキウキしてしまう。

 可恋は「暖かくて良かったよ」とホッとしたように話す。

 ここ数日晩秋というのが嘘のような暖かさが続いている。

 寒さが苦手な彼女にとってこれほど嬉しいことはないようだった。

 昨日から事あるごとにそう言っている。


「本当に良かったね」とわたしはいつもよりゆっくりと歩きながらその言葉に応じる。


 正門から教室までだって通学のうちと言っていいのかもしれないが、それを含めてもあっという間の距離だ。

 少しでもこの感覚を味わっていたい。

 そんなわたしの思いを察して、可恋もゆっくり歩いてくれる。


「これが通学する最後の機会かもしれないからね」


 可恋が漏らした言葉にわたしは足を止めた。

 通常卒業式は3月上旬にあるので、わたしたち3年生の中学生活はあと4ヶ月足らず残っている。

 だが、可恋はいつも冬に体調を崩して休みがちになる。

 ましてや今年は新型コロナウイルスが猛威を振るっている。

 若者にとっては風邪とたいして変わらないとも言われるが、免疫系の障害を持つ可恋にとっては命に関わる脅威となる可能性がある。

 これまで同様、登校は控えることになるだろう。

 あとの行事は来年2月の学年末テストと3月の卒業式だ。

 気候や体調、周囲の感染状況などで判断すると思うが、出席する可能性は低いと可恋は予想しているのだろう。


「高校も一緒なんだし、そんなに悲しい顔をしなくても……」と可恋に言われてわたしは頷いた。


「うん。でも、もっといっぱい一緒に学校へ行きたかった……」


 わたしが涙をこらえていると、可恋はわたしの頭を軽くポンポンと叩く。

 本当ならもっと違った形で中学3年生としての1年間があったはずだ。

 可恋と毎日学校で過ごす、そんな日常は失われた。


「新型コロナウイルスのことがなければ一緒に暮らしてはいなかった訳だし、いまとはまったく異なる日々だったかもしれないね」


 可恋の言葉にハッとする。

 確かに学校で過ごす時間はほとんどなくなってしまったが、わたしはそれ以外の時間を可恋とずっと一緒に過ごすことができた。

 どちらが良いかは分からないが、不幸だと嘆くのは何か違う気がした。


 わたしは頑張って笑顔を作ると、「もし……、もし新型コロナウイルスがなかったらどんな生活をしていただろうね」と可恋に問い掛けた。

 正門前で立ち止まるわたしたちの横をマスク姿の生徒たちが追い抜いていく。

 たまに挨拶の言葉を掛けてくれる人もいて、わたしがそれに応えていると可恋が口を開いた。


「1学期は新任の校長と全面戦争をしていたかもね」


 その物騒な響きとは裏腹に可恋の眼は笑っている。

 わたしもニコリと微笑んで、「可恋は相当準備をしていたものね。それが必要なくなって残念だった?」と聞いてみた。


 生徒の自主性を重んじた前の校長先生が3月に退任し、「生徒のため」を掲げる新しい校長先生が赴任した。

 そのスローガンは素晴らしいが、実際は生徒を縛るような方向性の人のようだ。

 規律遵守を第一とし、枠からはみ出させないことが「生徒のため」になると言われたら抵抗を感じてしまう。

 校長先生による校則の運用強化を予測した可恋は生徒会やダンス部とともに対抗する計画を練っていた。

 だが、現実は新型コロナウイルスの対応に追われて、新しい校長先生は生徒指導の方針転換を徹底できなかった。


「備えは憂いを払うためにあるのだから、必要なくなってホッとしたよ」


 そう語る可恋は澄ました顔だ。

 わたしは疑わしげに「本当に?」と尋ねた。


「ダンス部や手芸部が潰れずに済んで良かったじゃない」


 マスクをしていて分からないが、可恋はきっと口角を上げているはずだ。

 わたしが「巻き込む気満々だったのね」と言うと、「使える武器は何だって使うよ」としれっと話す。


 わたしはいちばん聞きたい質問を試みた。

 可恋の顔を正面から見上げ、「勝てた?」と問う。


「私を誰だと思っているの」


 一瞬真顔でそう答えた可恋が破顔する。

 わたしもつられるように笑みを浮かべた。


「完全勝利は無理だっただろうね。でも、全面敗北もなかったはず。どこかで落としどころを見つけて妥協していたと思うよ」


 可恋のことだから最初から完全勝利は目指していなかったかもしれない。

 相手を叩きのめすことが目的ではなく、自分が望む条件が得られたらそれで十分だと手を引き、相手にも花を持たす。

 中学生だけどそれくらい普通にやってのけるのが可恋だ。


「実際に校長先生には感謝しているよ。修学旅行、運動会、文化祭、どれも規模は縮小されたものの無事に開催できた。今年のこの状況では本当に難しかったと思う」


 こうした学校行事が中止とされたところも多いと聞いている。

 中学1年生までわたしはあまり学校行事に熱心に取り組んでこなかった。

 運動は苦手だったし、学芸会などで失敗が許されない大役を任されることも嫌だった。

 その当時だったら無くなっても何とも思わなかったかもしれない。

 しかし、昨年可恋とともに運動会や文化祭を体験した。

 その結果、先生にやらされるものから自分たちでやり遂げるものへとわたしの中で捉え方が変化した。


 学生にとって学校行事は非日常のハレの日だ。

 過去を振り返ってもやっぱりそういった行事は記憶に残っているものだ。

 この1年を将来振り返った時、たとえ本来の形ではできなかったとしてもこれらの学校行事の思い出は残ると思う。

 おそらくそれを知っているから可恋もこうした行事にだけは参加したのだろう。


「そうだね。大切な思い出ができたものね」


 わたしがしみじみと語っていると、挨拶もなしに「おっ、チューするのか?」と都古ちゃんが声を掛けてきた。

 まるで小学生のような囃し立てに、わたしは真っ赤になって彼女の方へ振り向く。


「言っておくけど、可恋を敵に回すと怖いよ。あとで泣きついてきても知らないからね!」


「小学生のケンカじゃない」と可恋は吹き出すが、わたしは胸を張って可恋がやりそうなことを並べ立てる。


 最初に挙げた高校の推薦取り消しで都古ちゃんは涙目になり、陸上競技の世界から締め出されると言ったら両手を合わせて「許して!」と謝りだした。

 わたしは「冗談だよ。さすがの可恋だって……」と言い掛けると、可恋が「えっ?」と声を上げる。


 ……えっ?




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。今年は学級委員として各学校行事に積極的に関与した。その分、いろいろな思い出ができた気がする。


日野可恋・・・中学3年生。対校長戦略は正面から戦うケースと相手の懐に飛び込むケースの両方を用意していた。後者は反抗する生徒会やダンス部を可恋が魔王のごとく叩き潰し校長の信頼を得るというもの。


宇野都古・・・中学3年生。陸上部のエースとして活躍し推薦で高校進学が決まった。勉強が苦手な都古にとってこの推薦はやっとつかんだもの。

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