第546話 令和2年11月2日(月)「コミュニケーションをめぐる冒険」日々木陽稲
「可恋」とわたしが小首を傾げながら呼び掛けると、彼女は穏やかな笑みをこちらに向けた。
昨日から彼女は悩み事を抱えているようだった。
可恋はやろうと思えば一緒に暮らすわたしにもそれを気づかせないようにすることができる。
わたしが気づくということは相談に乗って欲しいのだろうと判断した。
昨日はお姉ちゃんが夕食作りに来てくれたのでゆっくり話す時間がなかった。
そこで今日学校から帰っても悩んでいるようなら話を聞こうと思ったのだ。
広々としたリビングにいつものように向かい合って座る。
彼女はいつもの部屋着だが、わたしはOL風のスーツをイメージした服装だ。
どこから話すか迷っている可恋に「久藤さんのこと?」と水を向ける。
昨日彼女と会ってからこんな状態なので間違いはないはずだ。
可恋は「よく分かるね」と認め、「そう。人と人とが分かり合うというのは難しいと改めて気づいたよ」と肩を落とした。
生徒会長の小鳩ちゃんを通して、次期生徒会長を目指す久藤さんが可恋と話をしたいと要望していた。
わたしはファッションショーの準備のための会合で彼女とは何度か顔を合わせている。
可恋に負けない長身で、スタイルが良くかなりの美人だ。
1歳下とは思えないほど大人びていて、よく手入れした長髪が似合っていた。
わたしに対する敵意は感じなかったが、こちらに近づいてこようともしなかった。
一定の距離を置き、相互不干渉という態度だったので詳しい人となりまでは分からない。
1年の頃はいじめの首謀者という悪い噂もあった。
それを警戒してか、可恋は昨日ひとりで会いに行った。
「互いに分かり合おうという意思があり、なおかつ時間が十分にあれば分かり合えるのかもしれない。今回はどちらもなかったって感じかな」
「それは仕方ないね」と相づちを打つ。
コミュニケーション能力に自信を持つわたしでも、そのふたつが揃わなければ仲良くなれるとは思わない。
特に最初から頑なにコミュニケーションを拒絶するような相手とはどうしようもない。
「最初は彼女にもコミュニケーションを取ろうという意思を感じたのよ。ただ途中から私を利用したいという気持ちが強くなって、こちらから突き放すことになったの」
次期生徒会長を目指すような人だ。
可恋のような高い能力を持つ人物を利用したいという気持ちはあってもおかしくはない。
可恋だって同じようなことをしているのだし、非難はできない。
「つまり、途中のやり取りがうまくできなくて、そのことを可恋は後悔しているの?」
「後悔……。そうだね、もう少しうまく話せたかもしれないね。相手へのリサーチはしていたけど、どういう落としどころにしたいのかを十分に考えていなかったのが原因かな」
わたしならコミュニケーションが取れる相手ならとりあえず仲良くなろうと考えるが、可恋はなんでも合理的に考えようとしすぎる。
わたしはしかめっ面になって、「仲良くなるじゃ駄目だったの?」と聞いてみた。
「そういう選択肢もありだったかもしれないね」と可恋は渋々認めた。
「”かもしれない”はいらないんじゃない」とわたしが指摘すると、可恋は自分の右手を後頭部に当て「ひぃなの言う通りだね」と参ったという顔をした。
「それで、具体的な問題点は分かっているの?」と尋ねる。
わたしに相談するということは自分のコミュニケーション能力を高めたいという気持ちがあってのことだろう。
勉強もそうだが実際の失敗を直視し、そこから学ぶのが最も有効な学習方法だ。
「コミュニケーションの問題というよりディベートの問題だとは思うけど……」と前置きしてから、「価値観の根本が異なると、議論も相手を打ち負かすようなものになりやすくてね」と可恋は苦い顔をする。
「彼女の生い立ちから言って力を求めようと思うのは仕方がない。そのリスクを伝えようとしても相手に聞き入れようという気持ちがないと難しいね」
その可恋の表情から、手を差し伸べたのに払いのけられたと思っていることが読み取れた。
わたしは両手を自分の頬に当て、一度深呼吸をする。
それから可恋に向けて顔を上げ、笑顔を作る。
「難しいことだよね。たぶん神様じゃないとできないんじゃないかな」
わたしにそう言われて可恋はほんの少しホッとした顔をした。
わたしは笑みを深め言葉を続ける。
「可恋は相手のことを調べて、相手のことを理解した上で、それでも自分の言葉が通じないと嘆いているのよね。それって問題は相手にある訳?」
可恋はわたしの問い掛けに対して顎に手を置き考える。
そして、「そう指摘されると、私の力不足ってことになるね」と答えた。
「だけど、やっぱり難しいよ。時間を掛ければ可能だったかもしれないけど……」と可恋は言葉を返す。
「だから、神様じゃないと無理だって言ったじゃない」とわたしは可恋の言い分を受け入れた。
その上で、「可恋ならコミュニケーションに頼らずに目的を達成してしまうじゃない。それは可恋の強みだけど、コミュニケーション能力を伸ばすという意味ではマイナスよね」とわたしは微笑みかけた。
脅したりすることは広い意味ではコミュニケーションに含まれるかもしれないが、相手との意思疎通を図るという本来の意味からは外れるだろう。
必要に応じてそういう手段を取るのは仕方がないことだ。
だが、そういう手段ばかりに頼ってしまうのはどうかと感じてしまう。
「神様でも無理なことを努力で克服しろと言うの?」と睨む可恋に、わたしは「まさか」と大げさに驚いてみせた。
「可恋は、普段は中学生とは思えない広い視野を持っているのにコミュニケーションに限って言うと前しか見ていないように見えるのよ」
可恋はまだ怒ったような顔をしているが、それは私の言ったことが図星だったからだろう。
コミュニケーションは感情が占める部分が大きい。
なのに可恋は合理性を求めて答えまで一直線的な会話をすることが多い。
わたしは可恋がよくやるように指を立ててニコリとする。
奏でるように「人には人の武器があるのよ」と口ずさんだ。
可恋は面食らった顔で「何?」と訊く。
「言ったじゃない。仲良くなることよ」
研究発表のようなプロ同士の場ならいざしらず、普通の人が日常の中で行う議論は論理的に正しいかどうかより言った人への信頼度の方が遥かに大きな影響を与える。
可恋はその事実を知識としては持っていても実践には結びついていない。
「神様――可恋の知る陽子先生のような研究者――同士の議論なら可恋のやり方こそが正解なのだろうけど、人間同士だと正論でも心に響かなければ聞いてもらえないのよ」
「それは分かっているつもり……」と可恋は答えるが、できていないのなら分かっていないことと一緒だ。
「でもね、仲良くなることはすぐにできることじゃないから、可恋が言うように限られた時間の中では難しかったと思うのよ」
だから今回は仕方なかったと結論づける。
可恋を責めることが目的ではなくあくまで反省会なのだから。
「そうだね」と可恋は表情を和らげた。
その知的な瞳を見ればわたしの気持ちはしっかり伝わっている。
彼女は嫌われ役を買って出ることも多いが、みんなに好かれて欲しいとわたしは願っている。
「高校では友だちいっぱい作ろうね」とわたしが笑顔で同意を求めると、可恋は一転して目を細めた。
「友人というのも一種の”力”だからね。力にはリスクがつきものよ」と声を潜めた。
「リスク……」というわたしの呟きに、「しがらみとかね」と可恋は口にする。
可恋が言いたいことは理解できる。
だが、感情的に納得できるかどうかは別の話だ。
「でも」と言い掛けたわたしに、「ひぃなは他人の悪意に敏感だからそれを隠して近づいてくる人は分かると思っているよね。でも、絶対に気づくとは限らないじゃない」と可恋は淡々と語った。
確かに、これまでできたからといってこれからもできるという保証はない。
過信が命取りになることを可恋は恐れているのだろう。
「臨玲が魑魅魍魎の潜む魔窟だとは思わないけど、慎重さは決してなくさないで」
おかしい。
今日はわたしの方がお姉さんのように上に立てたと思っていたのに。
いつの間にかいつものように可恋がわたしに諭す口調になっている。
「可恋ってわたしにだけコミュニケーション能力が高くない?」と唇を尖らせて聞くと、彼女はニッコリ笑って「愛の力よ」と答えた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・中学3年生。天使や妖精と称される容姿だけでなく高いコミュニケーション能力も誇る。
日野可恋・・・中学3年生。頭脳明晰、運動能力抜群、行動力があり、準備を怠らないチート級才女。
久藤亜砂美・・・中学2年生。生徒会役員。両親の離婚により極貧生活を強いられていた。
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