令和2年11月
第545話 令和2年11月1日(日)「檻」久藤亜砂美
見た目は近藤家と似たような日本家屋だ。
しかし、一歩足を踏み入れると印象が随分違うことに気づく。
照明の量は同じくらいで薄暗い室内なのに、ここは日曜夕方のアニメで描かれるような明るさを感じる。
暗くじめじめした雰囲気のある近藤家とは対照的だ。
人の出入りが多いせいだろうか。
日野さんは自分の家のような感覚で屋内を案内してくれた。
特に誰かの許可を得ることもなく。
これだけ開放的なら不審者が容易に入って来ることができそうだ。
だが、空手の有段者が大勢集うこの家のセキュリティを私が案じる必要はないだろう。
以前から生徒会長にお願いしていた日野さんとの面会がようやく実現した。
相手は多忙な上、寒かったり雨が降っていたりするとキャンセルされるので延び延びになっていた。
場所は先輩が通う空手道場に隣接する母屋を使わせてもらうことになった。
ハルカが通っている――と言っていいのか分からない。月謝を払っていないらしいし――場所なので、彼女に連れて来てもらった。
ハルカは日野さんを苦手としているようで、話し合いには同席せず道場内で同世代の子たちと一緒にいるそうだ。
学校ではハルカを前にすると怯える生徒ばかりだが、ここの連中は違うと言って喜んでいた。
和室のひとつに通された。
座卓があり、向かい合わせに座布団が敷いてある。
その下座に座るように促された。
「お茶を淹れてくる。足は崩してていいから」
日野さんはそのまま部屋を出て行く。
私は手荷物を置くとその座布団の上に正座した。
近藤家に来るまでは正座をしたことなんてなかった。
両親が離婚する前は椅子のある生活だった。
ボロアパートに引っ越してからは年中出しっぱなしのこたつに足を突っ込んでいた。
近藤家では食事中は正座を求められた。
かなり苦労したが、最近ようやく慣れた。
日野さんがお盆を手に持って戻って来た。
緑茶とお茶請けの和菓子を私の前に出してくれる。
相手が着席したのを見計らい私は居住まいを正すと、深くお辞儀をする。
「今日はお時間をいただきありがとうございます。こちらはつまらないものですが……」と持参した手土産を差し出した。
「ご丁寧にありがとうございます」と受け取った日野さんは「そんなにかしこまらなくてもいいよ」と軽い口調で言葉を添えた。
「はい」と返答したものの私は珍しく緊張していた。
先輩と面と向かって話すのはこれが二度目だ。
前回は1年以上前にいじめの問題が発覚して教室で注意を受けた時だ。
あの時は問題を沈静化するために私は唯々諾々と従うだけだった。
それに麓先輩とハルカも同席していた。
ハルカから麓先輩については色々と聞いていただけに私の意識はそちらに向かっていた。
日野さんは当時そこまで名前が知られていなかった。
少なくとも下の学年には。
「それで話って」と寛いだ雰囲気で日野さんが語り掛けた。
威圧感は漂わせていないが、隙が無い印象だ。
正座して背筋を伸ばし、どっしりして身じろぎしない。
同世代の女の子だと意外とじっとしていられないものだ。
身体を左右に動かしたり小刻みにどこかに触れたりを繰り返す。
そういった無意識の動きは心の揺れを表し、弱みにつけ込む際にはとても参考になる。
逆に目の前の人物のように余計な動きが一切ないとどう対峙していいか分からなくなってしまう。
この面談を求めたのは、半分は近藤さんへの義理立てであり、あとの半分は興味本位からだった。
近藤さんは中学を卒業したあとも日野さんに興味を持ち続けている。
中学生の枠を超えた彼女の行動は刺激になるそうだ。
私に生徒会役員となるように言ったのも彼女の情報を得るためだった。
私は生徒会長から思うように情報を得られず、近藤さんに努力した姿勢を見せるためにこの場を作ってもらったのだ。
とはいえ、個人情報を教えてくださいとお願いしても聞き入れてくれないだろう。
一応いくつか話題を用意してきたが、いざ本人の前に出ると私の思惑は見透かされているように感じてしまう。
「生徒会長の選挙に立候補しようと考えています。先輩は支持してくださいますか?」
名目上はこれが本題だ。
軽い話題から入ろうと思っていたが直前に気が変わった。
「私の支持なんて気にする必要はないよ」と日野さんは微笑む。
「しかし……、しかし、支持は必要なくても先輩が反対すれば私の生徒会長就任は不可能ですよね?」
先日行われた文化祭のファッションショーではほとんど関与せずに終わるのかと思っていたら、いくつかの窮地を救った上、更に盛り上がる仕掛けを用意していた。
その手回しの良さや実行力に驚嘆する。
彼女が本気を出せばたいていのことはやってのけるのではないか。
生徒会選挙で私の優位をひっくり返すくらい簡単なことだろう。
日野さんは目を細め、私をじっと見る。
それからおもむろに口を開いた。
「そうだね。別にフィクサーを気取るつもりはないけど、事実ではあるね」
彼女はそう言ってからお茶に口をつけた。
自然体だが、風格がある。
お茶を卓上に戻すと、話の続きをするよう私に視線を送った。
私は呼吸を整えてから「私を支持していただけませんか?」と改めてお願いする。
今日は日野先輩が陰の実力者であると糾弾しに来た訳ではない。
むしろその力を分けて欲しいくらいだ。
「私の支持を利用してダンス部と張り合うつもり? 目の前に力があったとしてもそれが本当に必要かどうかはよく考えた方が良いよ。何かを得たらそれ相応の何かを失うことがあるからね」
私には彼女の言葉の意味が分からなかった。
何も持っていなかった私は目の前にあった力をがむしゃらに手に入れてここまできた。
近藤さんやハルカがいなければ学校に通い続けられたかどうかも定かではない。
彼女たちは私の力だ。
確かにそれで失うものはあったかもしれないが、それでも選ばないという選択肢はなかった。
私の人生にそんな悠長なことを考える余裕などなかったのだ。
眉をひそめた日野さんは「おそらく言葉だけでは理解できないかもしれないね」と呟いた。
そして、「過分の力は身を滅ぼす。目的のために力を手に入れるんであって、力だけを欲し続けたら必ず破綻する。私は読書を通じてそういう考えを身につけた。身を以て体験したことじゃないから他人に伝えるのは難しいけど、できれば覚えておいて欲しい」と私に言い聞かせるように語った。
「支持はいただけないんですね」と私は睨む。
さほど期待していたことではなかったのに、断られると無性に惜しく感じる。
先輩ほどの力があれば私の中学生生活は安泰だ。
もう何も恐れるものはなくなるだろう。
彼女は「残念だな」と息を吐いた。
それから威圧するような眼差しを私に向けた。
それだけで息を呑んでしまう。
「久藤さんが力を手に入れるのは自由よ。だけど、その力で私の知り合いに害を及ぼすことがあれば私はあなたの敵に回るわ」
その声は淡々としていて、荒らげたり脅したりは一切していないにも関わらず背筋が凍るほどの恐怖を私に与えた。
ヤバそうな連中は何人も見てきたが、彼女のヤバさはそれとは次元が違う。
私も相当厳しい人生を送ってきたと思うが、彼女はいったいどんな修羅場をくぐり抜けてきたのか。
日野さんは私の回答を待つことなくスマホを取り出してハルカを呼び出した。
ハルカが迎えに来るまで私は閉じ込められた檻の中にいるような気分だった。
檻の中には猛獣がいて、気分ひとつで食べられてしまうのではないかという感覚だ。
猛獣は私には目もくれず手元のスマホを眺めている。
私は唾を飲み込む音を立てることすら躊躇うほど怯えていた。
††††† 登場人物紹介 †††††
久藤亜砂美・・・中学2年生。両親の離婚後に母親とボロアパート暮らしをしていたが身の危険を感じて近藤家に引き取られた。未来から勉強やクラスメイトの支配の仕方を教わり、それを実践していた。
小西遥・・・中学2年生。不良。亜砂美の親友。
近藤未来・・・高校1年生。県下一の進学校に通う。両親の離婚後祖父母宅に預けられた。そこから逃げ出すため必死に勉強をしている。
日野可恋・・・中学3年生。この中学の陰の支配者と噂される人物。空手の選手でトレーニング理論の専門家。人体の構造に非常に詳しい。
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