第536話 令和2年10月23日(金)「花道」山田小鳩

「みんな可愛すぎて、全員をお持ち帰りしたいわ~」


 隣接する女性が双眸を煌々とさせながらそう独白した。

 普段は清楚な印象の微笑を湛えるかんばせが、いまは喜色満面になっている。


「本性が露出しています」


 私が注意すると瞬時に弛緩した表情を改める。

 その切り換えの早さに舌を巻く。

 現在通学している高校でも生徒会役員として活躍しているそうだが、その外面を維持する能力には感嘆する。


「大丈夫よ。本当にお持ち帰りするのは小鳩姫だけだから」と彼女は耳打ちした。


「何が大丈夫なのですか」と私も小声で反論する。


「これだけ選り取り見取りでも、わたしのいちばんは”あ・な・た”だけだからね」


 世界がピンク色に染められたかのような彼女の物言いに私は自分のこめかみを押さえることしかできなかった。

 斯様な私の素振りをまったく意に介さず、肌が接触するほど近接する女性――前生徒会長の工藤悠里嬢――は艶麗な視線を此方に向けていた。


 生憎の雨の中で文化祭が開幕した。

 今年は新型コロナウイルスの影響で1日限りとされ、保護者等の来校も許可されなかった。

 代替案として先生方や文化祭実行委員が撮影した動画を保護者にご覧いただくことになっている。


 私にとっては生徒会長としての最後の学校行事に相当する。

 1年生で生徒会役員になってから2年余り。

 改革を邁進し、その緒についたところで長期に亘る休校があって、すべては道半ばでの引退だ。

 ほぼ確実に次世代の生徒会では旧来の方式に回帰するだろう。

 この文化祭も尤もな理由をつけられて1年生は合唱となってしまった。

 来年以降、元来の形式が復活するのは目に見えている。

 ファッションショーがこの中学の新たな伝統となることなく今回で閉幕することは確実だった。


「開演まであと10分です!」


 マントを羽織った総責任者の原田さんが控室にいる全員に通知した。

 その声は恬淡としていて気負いがない。

 昨日までは焦慮する姿も見られたが、腹を括ったようだ。

 落ち着き払った態度はその服装とそぐうものだった。

 詳細は存じないが、洋風の騎士を想定したものだそうだ。

 凜々しく勇壮で、その横の幻想的な衣装を纏う鳥居さんとよく合っている。


 控室は2ヶ所あり、もう一方ではダンス部が準備している。

 此方は”チーム日々木”及び生徒会役員が待機していた。

 エスコート役もいるので大人数だ。


 その中で最も目立つのが田辺さんと須賀さんの二人だと言っても論を俟たないであろう。

 田辺さんは始終俯いており表情は見えない。

 彼女に寄り添う須賀さんは顔を紅潮させつつも堂々としていた。

 純白のウェディングドレス風の衣装を日々木が所有していることに驚きはないが、それを田辺さんに着用させたことは意外だった。

 日野を相手に自身が着飾る方が自然だろう。


 タキシード姿の須賀さんと談笑している日野は学校の制服姿だ。

 彼女がモデルとして舞台に立たないことも多くの関係者に驚嘆を齎した。

 日々木がエスコートという手法を提案した時点で誰もが彼女の相手を日野が務めると確信していたからだ。

 その日々木は黒のゴシックロリータに身を包んだ黒松さんの手を取って鼓舞しているようだった。

 彼女自身はフリルの多い白一色のショート丈のドレスで天使と見紛うばかりだ。


「ダンス部を見てきます」と席を立ったのは久藤さんだ。


 外見が年若な面々が多数を占めるこの部屋で彼女の美貌は際立っている。

 化粧により酷薄な印象が緩和され、腰近くまであるみどりの黒髪が女性らしさを引き立てていた。

 学校行事なので妖艶さはないが華美な真緋のドレスは絢爛だ。


「気が小さいのかしら」と工藤さんが久藤さんを評した。


「そうですか?」と真意を問うと、「次期生徒会長なのでしょう? もっと堂々としていないと」と前生徒会長が指摘する。


「私も緊張しています。工藤先輩のような人は少数派です」


 私の抗議に、緊張感の欠片も感じさせない工藤さんは頬を緩ませ「緊張している小鳩姫も素敵よ」と私の頬を指でつついた。

 今日の私は明るい栗色のウィッグをつけており、髪の長さもセミロングとなっている。

 水色のワンピースは日々木に依ると不思議の国のアリスをイメージしたものだそうだ。

 工藤さんはハートの女王になりきっていて、今日はずっと目からハートマークを飛ばせている。


 いよいよ開演の時間だ。

 控室の空気は私でも感じ取れるくらいにピリピリしたものになった。

 ゴクリと唾を飲む音が聞こえたが、それが自分が発したものかどうかさえ分からなかった。

 頭が回っていないと感じる。

 人前では素の自分を出さないように心掛けているが、いまは無理かもしれない。

 私はほんの少し身体を工藤先輩の方に寄せた。


 大音響とともに歓声が上がった。

 原田さんたちは舞台の様子を確認するために舞台袖に行き、残った面々は日々木、日野、工藤さんを除くと引き攣ったような表情を浮かべている。

 私もきっと同じような顔をしているだろう。


 最初はダンス部のパートで、ノリの良い曲が流れている。

 時折、観客の声が大きくなって舞台上の進行状況が確認できた。

 刻一刻と自分の出番が近づいている。

 一旦、音楽が止む。

 慌ただしく部屋に駆け込んできたのはダンス部の2年生の二人だ。

 彼女たちは周囲を気にすることなくストリート系のファッションから別の衣装へと着替えていく。

 それは私たちがこの部屋を出る合図でもあった。


 立ち上がると工藤さんが私の衣服の乱れを確認してくれた。

 私の耳元に顔を寄せ、「バッチリよ」と囁く。

 そして、すぐに手を取りエスコートした。


 なんだか生徒会に入ったばかりの頃を思い出す。

 一大決心をして生徒会に入ったのに、何をしていいか分からず右往左往していた私を会長は手取り足取り導いてくれた。

 セクハラまがいのこともされたが、概ね私のためのものだった。

 仕事の内容以上に感銘を受けたのは生徒会長としての振る舞い方だったと思う。

 いついかなる時も笑みを絶やさず優雅に誇りを持って行動する、とても真似はできなかったがそれは私のお手本だった。


 次々と”チーム日々木”が舞台に出て行く。

 エスコートの力なのか控室よりも颯爽と歩いているように私の目には映った。


「続いて、生徒会長の山田小鳩さんです! エスコートするのは前生徒会長工藤悠里さんです! 今日のためにわざわざ駆けつけてくださいました!」


 観客席を見るとかなり過密した状態だった。

 三密を回避するため希望者多数の場合は抽選として入場を制限すると聞いていたのに、明白にそれができていなかった。

 このファッションショーに対して私はモデル役としてしか関与していない。

 今後この失態の責任を追及されるかもしれないが、その時は私がすべて背負えばいい。


 私は工藤さんに手を引かれてランウェイを歩く。

 多くの生徒たちの視線を浴びながら。

 生徒会長としてそれ自体には慣れているが、視線の質が異なっていた。

 それでも小さな胸を張り、正面を見据える。

 マスクのお蔭で無理に笑う必要がなくて助かった。


 ランウェイを行って帰るほんの数分の出来事に万感の思いが押し寄せた。

 私たちと入れ違いに久藤さんが登場する。

 音響に負けないように私はお腹の底から大声を出す。


「貴女なら絶対にできるよ!」と。




††††† 登場人物紹介 †††††


山田小鳩・・・3年3組。生徒会長。成績は抜群だがコミュニケーション能力に不安あり。


工藤悠里・・・高校1年生。前生徒会長。人前では優秀だが、ロリハーレムを作るのが夢と話す変態。その野望を知っているのは小鳩や近藤未来などごく少数。


久藤亜砂美・・・2年1組。次期生徒会長候補。


原田朱雀・・・2年2組。手芸部部長。今回のファッションショーのプロデューサーを務めた。


鳥居千種・・・2年2組。手芸部副部長。朱雀の幼なじみ。


黒松藤花・・・2年2組。朱雀に頼まれて”チーム日々木”入りした。陽稲とは同じ小学校出身で憧れている。


田辺綾乃・・・3年3組。元ダンス部マネージャー。満場一致で花嫁役となった。


須賀彩花・・・3年3組。元ダンス部副部長。なぜ花婿役となったのか理解していない。


日々木陽稲・・・3年1組。今回のファッションショーにも深く関与し、特に”チーム日々木”では好き放題やっている。


日野可恋・・・3年1組。普段は登校していないが、学校行事にはしれっと現れる。

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