第537話 令和2年10月24日(土)「打ち上げ」笠井優奈

「一生忘れられないような文化祭だったなあ」


 彩花のしみじみと感情の籠もった言葉に美咲が「そうね」と応じる。

 彼女の声にも中学生生活最後の文化祭を懐かしむような響きがあった。

 綾乃はうんうんと頷き、アタシも「だよなー」と同意する。

 ただひとり、ひかりだけはキョトンとした顔でお菓子をパクついていた。


「3年生の展示が思っていた以上に力が入っていたわね」


「うちのクラスくらいだよな。ショボかったのは」


 美咲は「そんなことはないわ」と否定したが、事実は事実だ。

 やはり積極的に音頭を取るようなヤツがいるかどうかで出来は違ってくる。

 美咲の3組は新型コロナウイルスを正面から取り上げ、昨年の暮れからの国内や海外の動きを時系列でまとめていた。

 自分たちが過ごした日々がまるで重要な歴史上の一大事のように扱われていて不思議な気持ちになった。


「1組は凄かったよね。日野さんからショーのあとで見るように言われていたけど、その理由がよく分かったよ」


 そう彩花が語ると、ひかりを除く全員が1組の展示を思い浮かべた。

 この3年間にアタシたちを教えた教師の写真が並んでいた。

 そこには先生の人となりや生徒に贈る言葉が記されていた。

 卒業式まではまだ半年あるが、教室に足を踏み入れた途端そんな寂しい気持ちが押し寄せてきた。


「あれはズルいよな」とアタシが言うと、「泣いちゃうよね」と彩花はうっすらと涙を浮かべている。


 気持ちは分かる。

 泣かないと絶対出られない部屋を狙って作ったのかと思ったほどだ。

 4月に教師を辞めた小野田先生の写真や生徒へのメッセージなんて反則級だった。


「今日は打ち上げなんだから、ワンワン泣くなよ」とアタシはしんみりとした空気を打ち消すように笑いながら注意すると、彩花は「分かっているよ」とニッコリ微笑んだ。


 今日は美咲の家に集まって5人で昨日行われた文化祭の打ち上げをしている。

 休校だのなんだのがあって長らくこの5人で集まる機会はなかった。

 クラスが別れてもまたこの5人で集まりたいという美咲の希望があったので、文化祭が終わったこのタイミングで集まることにしたのだ。

 3年生の多くは高校受験に向けて遊ぶ余裕がなくなりつつある。

 おそらく次に集まるとしたら全員の進路が決まったあとになるだろう。


「優奈から何か言うことはないの? 驚かせて悪かったとか」


 彩花が反撃に転じた。

 1年、いや1年半前だったらアタシに注意されて終わりだったろうが、いまはすぐに切り返してくる。

 彼女の目にはオドオドした感情は宿っていなかった。


「いやー、計画通りに事が運んで、アタシ凄いって感じ?」


 アタシがドヤ顔になると、美咲が「わたしにも知らせてくれなかったものね」と睨んできた。

 アタシが笑って「敵を欺くにはまず味方からって言うだろ」と説明すると、彩花は「えー、じゃあわたしたちは敵なんだ」と綾乃と手を取り合っている。


「ホント、驚いたんだよ。いきなりファッションショーの司会に優奈が出て来て」


「彩花たちが協力しているのに、前部長のアタシが何もしない訳にはいかないだろ?」


 アタシが彩花に応戦していると、綾乃が「優奈は受験勉強が捗っていないからショーに声が掛からなかったのに」と厳しいところを突いてきた。

 アタシが「いいんだよ! こっちの方が面白そうだったんだから」と強弁すると、ひかりを除く3人から蔑むような視線を送られてしまった。


「だいたい、日野の依頼なんだから断れる訳がないだろ」とアタシは錦の御旗を出して自分の正当性を主張した。


 当初の予定ではプロデューサー役の原田という2年生が司会を務めることになっていたそうだ。

 だが、彼女がエスコート役に駆り出されたので両方は大変だろうとアタシに白羽の矢が立った。

 昨年のファッションショーの経験もあるし、こういう大舞台でも怖じ気づくことはない。

 それに……。


「ショーの後半がサプライズの連続になったのも全部日野さんの企みだったの?」


 彩花の質問に「アタシも悪ノリで一緒にいろいろアイディアを出したけどな」と正直に答えた。

 ひかりのソロダンスショーはアタシの提案だ。

 大いに盛り上がったが、ファッションショーの印象が上書きされてしまったという文句も言われた。

 特にウェディングドレスで会場から大歓声を浴びていた綾乃はショーが終わってから恨みがましい目でアタシを見ていた。


「最後、ダンスパーティーみたいになったのは、勢いでそうなっただけだから……」


 観客にも踊ることを要求して会場が一体となって踊りまくるとても楽しい時間だったものの、ショーの責任者が何人か先生から呼び出しを受けたと聞いている。

 日野からも「やりすぎ」と言われてしまった。

 ダンス部を引退して悶々とした毎日を過ごしていたからハメを外しすぎたようだ。


「楽しかったよね」とひかりはニコニコしているが、ほかの3人は呆れた顔でアタシを見ていた。


「終わったことを蒸し返しても仕方ありませんが、みんなにはちゃんと謝りなさいよ」と美咲に小言を言われ、アタシは「分かってるよ」と頭をかいた。


 綾乃が「それにしても最後魔王に扮した日野さんが日々木さんを攫っていくシーンは素敵だったね」と話題を変えてくれた。

 こういう気の使い方が彼女の良さだ。

 そして、「だよね。わたしも攫って欲しいって思ったよ!」と空気を読めずにはしゃいだ声を上げるのが彩花だったりする。


「彩花は攫う側だろ」とアタシが言っても彩花は腑に落ちない表情をしている。


「昨日のタキシードは似合っていたのですが……」と美咲も溜息交じりだ。


「アレって美咲のだったんだね。あとで聞いてびっくりしたよ。男物のタキシードなんて……」


「タキシードですが、一応女物なのよ。ちょっとしたお遊びとして仕立てられたものですが、細部まで丁寧に計算して作られていたでしょう?」


 彩花と美咲の話が服の話に行きそうだったのでアタシは慌てて「彩花」と声を掛ける。

 彼女に話しておきたいことがあったのだ。


 アタシの方を向いた彩花にしかつめらしい顔で「いまから言うことにショックを受けるかもしれないけど、心して聞けよ」と切り出した。・

 彼女は真顔となってゴクリと唾を飲み込んだ。


「いまの彩花に男とつき合うのは無理だ」


 ひと呼吸を置いて、「えー」と悲鳴が上がる。

 驚いているのは言われた当人だけだったが。


「そこでだ」とアタシはもったいぶって間を置く。


 彩花は反論したい気持ちを抑えてアタシの言葉を待った。

 アタシはニヤリと笑う。


「綾乃が合格と言うまで、シミュレーションとして綾乃とつき合え」


 彩花は目を丸くして綾乃の顔を見た。

 特に打ち合わせをしていた訳でもないのに綾乃は落ち着き払って「私はいいよ」と頷いた。


「でも……」と口籠もる彩花に、「彩花は恋愛方面が鈍感すぎるからな。綾乃と本気でつき合って鍛えてもらえ」とアタシは命じる。


「良い考えだと思うわ」と美咲が賛同してくれた。


「日野や塚本にも聞いてみろ。絶対にそうした方が良いって言うから」とダメ押しすると、彩花は納得しがたい顔ではあったが「うーん……、分かったよ……」と承諾した。


 ウェディングマーチが流れる中を綾乃とふたりで歩いたのにこの鈍感さだ。

 これくらいハッキリ言ってやらないとダメだろう。

 これで綾乃にも借りを返せた。


 一件落着と胸をなで下ろしていると、それまで関心を示さなかったひかりが「ふたり、結婚したの?」と意味不明な発言をした。

 絶句する彩花と綾乃に代わって、アタシは「そんな感じだな」と笑った。


「じゃあ、誓いの口づけは?」とひかりが興味津々といった感じで口にした。


 綾乃は俯き、彩花は顔を真っ赤にしている。

 刺激が強すぎて逆効果かなと思って口を挟もうとした矢先に、綾乃が「彩花」と顔を上げた。

 綾乃は目を閉じ、口づけを待つ姿勢を取った。

 いかに鈍感な彩花といえど、綾乃の意図は理解したようだ。

 固まったまま微動だにしない。

 アタシと美咲は顔を見合わせた。

 止めるべきか、背中を押すべきか、それが問題だ。




††††† 登場人物紹介 †††††


笠井優奈・・・3年4組。元ダンス部部長。ファッションショーでは司会進行を務め、終盤はカオスに導いた。


須賀彩花・・・3年3組。元ダンス部副部長。ファッションショーでは綾乃のエスコート役としてタキシードに身を包んだ。


田辺綾乃・・・3年3組。元ダンス部マネージャー。ファッションショーでは”チーム日々木”としてモデル役を担う。ウェディングドレスを着てランウェイを歩いた。


松田美咲・・・3年3組。文化祭ではクラスの展示に力を注ぐ一方、可恋の求めに応じていくつか衣装を貸し出した。


渡瀬ひかり・・・3年4組。元ダンス部。ファッションショーの終盤に登場し、瞬く間に会場をダンスショーに一変させた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る