第534話 令和2年10月21日(水)「島田琥珀の憂鬱」島田琥珀
文化祭に向けて活気に満ちた教室内を見てわたしはそっと溜息を漏らした。
うちのクラスは最近映画が公開された人気マンガのコスプレを行うことになった。
男子が特に乗り気で、誰のコスプレをするか取り合ったり、コスプレだけでは飽き足らず寸劇みたいなことをしたいと言い出したりと毎日が大騒ぎだ。
女子が引くぐらいの盛り上がりになっている。
やる気がなくて尻を叩かなあかんのと、暴れ出さんよう手綱を取り続けるのとどっちが楽やったかなあ……。
そんなもの思いにふける間もなく、「島田さん、ちょっといい?」とわたしは現実に引き戻された。
声の主に視線を送る。
少しオドオドした目をわたしに向けているのは文化祭実行委員の内水さんだ。
指示したことはちゃんとやろうとしてくれるものの、自分からテキパキと動くタイプではない。
「どうしたん?」となるべく優しい感じでわたしは尋ねる。
「男子が……」と彼女は男子の集団に目をやってから、「こんな風なセットが欲しいって」とプリントの裏に描かれた図をわたしに見せた。
文化祭は明後日だ。
とても間に合いそうにない。
そのくらい彼女にも分かるだろう。
いちいちわたしにお伺いを立てなくても、自分で断ればいいのに。
そう思うのは彼女に期待しすぎなのか。
今週に入ってからわたしはクラスの文化祭の準備に掛かりきりになっている。
塾や習い事は休めないので、ダンス部の練習を休むことにした。
あちらはあちらで藤谷さんというわたしの手には負えない問題があるので頭が痛いところだ。
クラスにもこういう仕事を任せられる人材はいるが、みんなとても忙しい。
ほのかはファッションショーの準備でクラスにはノータッチだし、七海ちゃんと久藤さんは生徒会がある。
七海ちゃんによると生徒会は死ぬほど多忙だそうで、久藤さんがいてくれて助かったと話していた。
久藤さんは生徒会の仕事とファッションショーの準備を掛け持ちで行っている。
内水さんは彼女のグループのメンバーなので久藤さんに手伝わせるつもりで指名したのに、むしろわたしが指名した責任を押しつけられてしまった。
彼女なりに精一杯やってくれているので指名したことは間違いではないと思っている。
それに、ほかに代わりは見当たらない。
なんにせよ自分の負担が増えるばかりで、学級委員になったことを後悔する日々だ。
わたしはズカズカと男子のところへ向かう。
最初は「欲しいなら自分で作れ」と言おうと思ったが、男子はバカだ。
本当にやりかねない。
その結果、学校に泊まり込もうとしたり、開演直前に最後まで作らせろと喚いたりする未来が想像できた。
「そんなことより、練習しなくてええん? 当日に恥をかいたって知らへんよ!」
ファッションショーでただ歩くだけでも練習しているというのに、彼らにぶっつけ本番で寸劇などできるとは思えない。
恥をかくのは舞台に上がる人間なので、わたしは当日無関係を決め込むつもりだが……。
「へーきへーき」と軽い言葉が返ってくる。
「そんなことよりさ」と更なるアイディアを語り始める男子に「もう時間ないんやから、もっとほかにやることあるやろ」とわたしは突き放した。
男子の文化祭実行委員に「通しの練習をさせといて」と頼み、内水さんのところへ戻る。
彼女はホッとした表情でわたしを見ていた。
ほのかのように「もう少ししっかりして」と言えたらどんなに楽だろう。
わたしはその言葉を飲み込むと、「あと2日や。頑張ろな」と声を掛けた。
しばらく作業に没頭していると、教室の外から「琥珀」と呼ぶ声があった。
見ると、扉の隙間からあかりが顔を出している。
わたしは教室の中をぐるりと見回してから、席を立って廊下に出た。
「時間があるなら、ショーのダンスの確認をしようと思って」とあかりが話す。
ファッションショーでは自分が舞台に立つというのにその練習は疎かになっている。
全体で踊るダンスはうしろの方でこっそりという手が使えるが、ランウェイだと3人組でちょっとしたポーズを取る動きをミスすると目立つだろう。
ももちのチームでは休み時間を利用して一緒に練習をしていた。
しかし、あかりとはお互いに忙しくてこれまで時間が取れずにいた。
「ありがとな」と言ってわたしたちは廊下で動きの確認をする。
制服のままなので激しい動きはできないが、ゆっくりとカウントを取ってあかりにそれを見てもらった。
わたしの「どう?」という質問に「うーん、もうちょっとなあ……」という要領を得ない答えが返ってきた。
ほのかが言葉はキツいが的確な評価を下せるのに対して、あかりはこういうところが頼りない。
「ダンスの指導をほのかひとりに頼ったらあかんやろ。部長なんやからしっかりしてや」といつもよりわたしの言葉もキツくなった。
それには理由があった。
ほのかの名前を出しただけであかりがデレッとしたように、ファッションショーであかりがほのかのエスコートをすることが決まってからふたりが浮かれているからだ。
ほのかなんて、月曜日まではずっと眉間に皺を寄せていたのに昨日からは笑みを抑え切れないという顔になっている。
ツンデレというものを目の前で見た、そんな印象だった。
「ごめん、ごめん」とあかりはヘラヘラと謝る。
その態度にカチンと来て、わたしは毒を吐きかけたがすぐに思いとどまった。
……あかりに当たったってしゃーないやん。
「もう本番は明後日やで。頭ん中がお花畑になってる時やないで」
わたしなりにまろやかに表現したつもりだが、「琥珀は厳しいな」とあかりは苦笑いを浮かべた。
そして、「あたしは先輩たちのようにはできないから、みんなに支えてもらえるように頑張るよ」と頭をかいた。
その姿を見て突然わたしの心の中に羨ましさがこみ上げてくる。
ダンス部に入部して1年、わたしはあかりやほのかを間近で見てきた。
ふたりが信頼関係を築き、手を取り合って成長していく様子をずっと見ていた。
わたしにはそんな互いに励まし合うような存在はいない。
友だちは多いが広く浅くつき合ってきた。
失敗やったんかなあ……。
友だちの多さが自慢だった。
それが間違いだなんて夢にも思っていなかった。
だが、中学生になり、親友という特別な相手がいる子を見ると気持ちが揺らぐようになった。
わたしは塾や習い事があってそちらにも友だちがたくさんいる。
一方で、塾や習い事に時間を取られて、ひとりひとりと深くつき合う時間はなかった。
もちろん、これからそういう存在を作ればいい話だ。
そう頭では分かっていても、わたしにできるのだろうかという疑念が消せなかった。
わたしは先生から学級委員に指名されるほど優秀で、人望もあると自負している。
友だちから相談をされることも少なくない。
しかし、わたしから悩みを打ち明けることはできないでいた。
学校でいちばん親しいあかりやほのかにもプライドが邪魔をして言えないだろう。
同学年で優秀な子はライバルに思えてしまうし、そうでない子とは対等の関係が築けない。
そんなわたしが……。
わたしは昔ほかの習い事と並行してピアノを習っていた。
下手ではあった。
なにせ時間がなくて家ではほとんど練習していなかったのだから。
でも、習い事の中でいちばん好きなのがピアノだった。
ある時ピアノの先生に言われた。
これからもピアノを続けるのならほかの習い事は辞めなさいと。
かなり厳しい指導をする先生だった。
いまから思えば、中途半端に続けるより選択を突きつけた方がわたしのためになると思ったのだろう。
当時はそんなことは分からず、とてもショックを受けたことを覚えている。
親に相談した。
うちの親、特に母親は転んでもただでは起きないようなバイタリティの持ち主で、得することに敏感だ。
塾や習い事も将来の得になるからと言って通わされた。
しかし、その時は「自分のしたいようにしぃや」と言われた。
小学生のわたしにとって初めて大事なことを自分ひとりで決めることになった。
おそらく人生でもっとも悩んだ時間だっただろう。
結局わたしは友だちと別れることが嫌で習い事を続け、ピアノを諦めた。
これまでそのことを後悔したことはない。
ただ、いまのわたしは突出したものを持っていない。
なんでも卒なくこなせるが、それだけだ。
友だちのことも、誰とでも仲良くなる代わりに本当の親友はできないんじゃないかと思ってしまう。
「疲れてるんじゃない?」とあかりに気遣われ、ハッとして顔を上げる。
「そうかもしれへんね」とわたしは素直に頷いた。
「帰る? 送っていこうか?」と言うあかりに、「ほのかに恨まれるわ」とその申し出を断った。
肉体的な疲れではなく、精神的にいろいろ溜まっているようだ。
無性にピアノが弾きたくなった。
何かに没頭して嫌なことを忘れていられる時間。
いや、自分が主役だと酔えるような時間と言った方がいいかもしれない。
わたしにとってピアノはそんな存在だった。
……そんな感じの人って、どこかにいるのかな?
††††† 登場人物紹介 †††††
島田琥珀・・・2年1組。ダンス部副部長。学級委員も務め、塾や習い事にも通っている。関東生まれだが両親が関西出身で関西弁を使う。
内水
久藤亜砂美・・・2年1組。生徒会役員。次期生徒会長を視野に入れて行動している。
田中七海・・・2年1組。生徒会役員。次期生徒会長と目されていたが亜砂美にその座を譲った。クラスでは琥珀のグループに所属。
辻あかり・・・2年5組。ダンス部部長。
秋田ほのか・・・2年1組。ダンス部副部長。クラスでは琥珀のグループに所属。
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