第530話 令和2年10月17日(土)「冷たい雨の中を歩いていく」晴海若葉

 今日は土曜日だがダンス部の練習は休みだった。

 文化祭が1週間後なので、2年生がファッションショーの練習に専念するからだ。


 文化祭では、1年生はクラスごとに合唱を行うことになっている。

 大声を出す合唱なんて大丈夫なのかと不安の声も上がっていた。

 フェイスシールドを着用することになっているが、こんなの効果ないんだってとヒソヒソ話す子もいる。

 とはいえ先生がやると決めたら逆らえる生徒はいない。

 定期テストが終わってからホームルームの時間などを利用して練習するようになった。

 ただ先生も休む時間が必要ということで、土日には練習の予定は入っていなかった。


可馨クゥシンの家に行くから若葉も来ない?」


 午後、雨の中を奏颯そよぎが家まで誘いに来てくれた。

 あたしはスマホを持っていないので、わざわざ来てくれたのだ。

 今日は朝から雨が降り続き、気温がまったく上がらずに真冬が来たのかと思うほど寒い。

 家から一歩も出ずゴロゴロして過ごそうと心に決めていたが、奏颯の誘いを断るなんてできない。

 あたしは急いで着替えると、雨の中を奏颯と歩いた。


 奏颯は頼り甲斐がある。

 いまから次期部長は間違いなしと言われるほどだ。

 ダンスも上手いし、明るく楽しく格好いい。

 だから、あたしは彼女の前で不安な気持ちを口にした。


「心配だよね?」


 ここ数日、ダンス部ノ先輩たちの雰囲気が変だ。

 あまりそういうことに気づかないあたしでさえ気づくのだ。

 ほとんどすべての1年生部員はそれに気にしない振りをしながら、重苦しい空気の中で練習をしていた。


 奏颯はしばらくうーんと唸ったあとで、「絶対に誰にも言っちゃダメだよ」と口を開いた。

 あたしは神妙な顔で頷く。


「部長とほのか先輩が仲良いのは知ってるよね? そこに、沙羅先輩が割って入ったそうなんだ」


「えっ!」


 あたしが驚くのを見て、奏颯は楽しそうに笑った。

 でも、誰だって驚くよね?


「ほのか先輩も沙羅先輩も美人なのに、部長を取り合うって謎だよな」


「えっ、そっちなんだ。あたしはてっきり……」


 失礼ながら辻部長は見た目はごく普通だ。

 3年生の先輩たちから高い評価を受け、2年生部員から満場一致で部長に選ばれたと聞いたが、どういうところが評価されたのかは1年生からは分かりにくい。

 だから、ダンスの実力やルックスの良さからほのか先輩と沙羅先輩が後輩からの人気が高かった。


「だよなー」と奏颯が笑顔で頷く。


 あたしからすればこの出来事もいまの部内の空気も大変なことなのに、奏颯には余裕が感じられた。

 こういうところもさすがだと思ってしまう。


「それで、どうなっちゃうの?」


「今週ほのか先輩はファッションショーの手伝いって言って部の練習に参加してなかったけど、いつまでもそういう訳にはいかないだろうし……。いつまでも隠しておけないよね」


 そう言って奏颯は首を捻る。

 結局それ以上の会話を続ける前に待ち合わせ場所にたどり着いた。

 すでにほかのメンバーは揃っていて、すぐに可馨の家に向かって歩き始めた。

 道案内をするのは同じ小学校で、これまで何度も彼女の家に行ったことのあるさつきだ。

 ほかに、コンちゃんとマネージャーの美衣が来ていた。


 待ち合わせ場所から可馨の家まではすぐだった。

 神奈川県は全国的に名が知られた市が多数あるが、この辺りは無名と言っていい。

 だが、交通の便が良いせいか、高級住宅って感じの建物が結構ある。

 そして、あたしたちがたどり着いた可馨の家はまさにそんな感じの住宅だった。


「見るからにお金持ちって感じだね」とあたしが感想を漏らすと、奏颯も「ヤベーな」と若干気後れしている。


 さつきは慣れた感じでインターホンを押すが、ほかの4人は少し離れて立っていた。

 マジ入っていいの? と思っちゃうよ。

 自動で門が開き、「さあ、行くよ」と言うさつきのあとを恐る恐るついて行った。


「ヨク来タネ」と可馨が玄関の外まで出迎えてくれた。


 上下黒のピッタリとしたダンスウェアを着ていて、スリムな身体のラインがよく見えた。

 あたしが「寒くないの?」と聞くと、「寒イヨ! ダカラ、早ク入ッテ!」と小刻みに身体を動かしながら答えた。

 家の中に入るととても暖かい。

 うちなんてまだ暖房を入れさせてもらえないのに。

 案内された部屋は広々としていて高級感がたっぷりだ。

 触って壊してしまったら絶対弁償できないよねというものがいっぱいあって、あたしはビクビクしながら席に着いた。


「マズハ温ッテ」と彼女が言うと、奥から若くて綺麗な女の人がトレイを押して出て来た。


「ママ、ヨ」と紹介されてあたしたちは驚いた。


 姉妹と言っても通用しそうだ。

 可馨もまだ幼い感じがするが、その母親にはとても見えない。


「ヨロシク。楽シンデネ」とその女性は可馨とよく似たイントネーションの日本語であたしたちに挨拶した。


 温かい烏龍茶と洋菓子を振る舞ってもらった。

 それだけで来た甲斐があったというほど美味しかった。


 可馨の母親が席を外すと、奏颯が「みんなには内緒だよ」と声を潜める。

 あたしにはフライングで教えたけど、彼女は今日この噂話をみんなに言うつもりだったようだ。

 意外にも驚いた顔をしたのは美衣ひとりで、ほかの3人は三者三様の反応を見せた。


 コンちゃんは予想通りという顔で頷いている。

 可馨はそれがどうしたといった反応だ。

 そして、さつきは……。


「そういうことって言いふらしたらあかんと思うねん」


 正面切ってそう言われた奏颯はムッとした表情になった。

 あたしはハラハラしてしまう。

 ふたりがケンカになったらどうしよう、と。


「ドウシテ? 禁止サレテイナイノニ、何ガイケナイノカ?」と可馨が自分の親友に異を唱えた。


「私はさつきに賛成。プライベートな問題を陰でコソコソ話すのはどうかと思う」とコンちゃんが自分の意見をはっきり述べた。


「でも、部に悪影響があるんだから、プライベートだなんて言ってられないじゃん」と奏颯が反論する。


「自分が言われる立場やったらどうなん?」とさつきは一歩も引かない。


 4人の口論はしばらく続き、どんどんヒートアップしていくように見えた。

 やがて言い尽くしたのか、彼女たちはダンスを終えたあとのようにゼーゼーと肩で息をしている。

 あたしと美衣はひと言も発せずにただオロオロ見ていた。


「ソロソロ始メルカ?」


 真っ先に呼吸を整えた可馨が提案する。

 殴り合いでもする気なのかとあたしはわずかに身構えた。


「そうだな」と軽い感じで答えた奏颯が立ち上がった。


 それにつられるようにあたし以外の全員が席を立つ。

 あたしは何が何だか分からず、「ケ、ケンカはダメだよ」と泣きそうな声を出した。


 プッと吹き出したのは奏颯で、「悪い。若葉には何をするか言ってなかったな」と謝ってくれた。

 キョトンとして見上げるあたしに、「文化祭ニダンス部ガ展示スル動画ノ編集ヲスルンダ」と可馨が教えてくれた。

 そのためにパソコンのある可馨の部屋に向かうんだそうだ。

 そういえば1年生で動画を作るって話をしていたっけ。

 自分には関係ないと思ってすっかり忘れていたよ。


「編集作業が終わったらマネージャーの問題を話し合うから若葉もしっかり考えておくように」と奏颯があたしの頭をポンポンと叩く。


 あたしはその手を払いのけて立ち上がると、「……頑張る」と思いを言葉にする。

 みんな凄くて置いて行かれそうだ。

 あたしじゃついて行けないかもしれないけど、ここで諦めてしまったらずっとこのままのような気がした。

 奏颯があたしの背中を押す。

 コンちゃんが「ほら」とあたしの手を引く。

 あたしはこのきらびやかな部屋で一歩を踏み出した。




††††† 登場人物紹介 †††††


晴海若葉・・・中学1年生。ダンス部。3年生で前副部長の彩花の勧めでダンスを始めた。


恵藤奏颯そよぎ・・・中学1年生。ダンス部。姉は3年生でダンス部の部員だった和奏わかな。その親友の早也佳に憧れて入部した。


可馨クゥシン・・・中学1年生。ダンス部。アメリカ育ちの中国人。小学生の時はインターナショナルスクールに通っていた。さつきに誘われてダンス部に入部。


沖本さつき・・・中学1年生。ダンス部。4年前に関西から引っ越してきた。親友の可馨と同じ部活をやりたくてダンス部を選んだ。


紺野若葉・・・中学1年生。ダンス部。若葉と同名なのでコンちゃんと呼ばれている。全校集会でのイベントでダンス部に興味を持った。


山瀬美衣・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。さつきに呼ばれて今日の集まりに参加したが、自分なんかがいていいのかとずっと思っていた。ダンス部に入部するきっかけは全校集会でのイベント。


辻あかり・・・中学2年生。ダンス部部長。憧れの先輩だった優奈がダンス部を作ったのでソフトテニス部から転部した。


秋田ほのか・・・中学2年生。ダンス部副部長。昔からソロでダンスをしていた。ダンス部ができたから入ってみたという感じ。


島田琥珀・・・中学2年生。ダンス部副部長。昨年の運動会で創作ダンスのレベルの高さに興味を持ち、友だちに誘われたこともあって入部。誘った友だちは入部しなかった。


藤谷沙羅・・・中学2年生。ダンス部。「入部の動機? 自分がヒロインになれると思ったから!」


 * * *


「あかり、モテモテやね」


 からかうように言った琥珀の目は死んでいる。

 こんな時でも笑えない冗談を言おうとするのは関西人の血だからだろうか。

 琥珀は関東生まれらしいけど。


「羨ましいなら代わってよ」とあたしが言うと、「死んでも嫌や」と本音が漏れた。


「あかり、さむーい!」とこのところあたしの頭を悩ませている張本人が近づいてきた。


 そのままの勢いで抱きつこうとするから、あたしは両手を伸ばしてそれを防ぐ。

 こんな攻防が毎日続いているので気も抜けない。

 周りの目は冷たいし、ほのかは機嫌が悪いし、部内の雰囲気も悪化の一途だ。

 琥珀に協力を求めたものの、彼女を持ってしても解決の糸口を見出せないでいた。


「あかり、可愛い? 可愛い?」と藤谷さんは彼女のトレードマークの黄色いヘアピンをあたしに指差して見せる。


 確かに可愛いがどう反応していいか困ってしまう。

 あたしがおざなりに「可愛い、可愛い」と答えると、彼女はフフンと上機嫌になった。

 このつかみどころのなさが対処を難しくしている。

 彼女は気分次第で態度や行動が大きく変わり予測ができない。

 そもそもこんな態度を取るようになったのも突然のことなのだ。


 ほのかも苛立ちを募らせている。

 いまはあたしの言葉に従ってファッションショーの手伝いを優先してくれているが、これをいつまでも続ける訳にはいかない。

 楽しそうな藤谷さんの横で、あたしと琥珀は顔を見合わせることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る