第528話 令和2年10月15日(木)「見よ、これが天才だ」澤田愛梨

 避けられている。

 そんな訳はないと思うものの、その疑念が拭い払えない。


 試験の答案が返ってきた週の初めは有頂天になっていたのに、日が経つにつれてボクの表情は曇っていった。

 日々木さんと話す機会がないのだ。

 文化祭の準備が始まった。

 ボクはクラスの企画とファッションショーの両方に関わっている。

 どちらもその中核にいるのが日々木さんだから、当然一緒に過ごす時間が増えると予想していた。

 それが、だ。

 今週になってからまだほとんど彼女と会話をしていない。


 日々木さんがボクを避けるはずがない。

 理由がない。

 もしあるとすれば日野がそうさせているに違いない。


 クラスの企画は教職員の写真展示だ。

 撮影役の日々木さんをサポートする役はローテーション制となっている。

 ボクは設置の担当になってしまい、そこに参加できなかった。

 なんとか加わりたいと思い、ボクにできることはないかと尋ねてみた。

 すると、彼女はファッションショーの方で力を貸して欲しいと言ったのだ。


 力強く胸を叩いて請け負ったものの、与えられた仕事は生徒会役員を一人前のモデルにするよう指導することだった。

 日々木さんが関わる”チーム日々木”とは練習する時間も場所も異なり、放課後は顔を合わせない状況が続いた。


 日々木さんは休み時間も忙しそうだ。

 それを横目で見ながら、ボクは歯ぎしりをする。

 思い描いていた、ふたりで楽しく文化祭の準備をする光景はどこへ行ってしまったのかと。


「アレかな。日々木さんが気になって、頼まれたことがちゃんとできなくて、見損なったわって言われるパターン?」


「ボクを誰だと思っているんだ。やるべきことはやるさ」


 からかってくる高月に憤然として反論する。

 ボクの力を持ってすれば、後輩の指導くらいは朝飯前だ。

 まだまだ余力があるからこそ彼女を手伝おうとしているのに、それを理解してもらえないのが残念だ。


 頬に手を当てて考えるポーズを取っていた高月は、「だったら……」と口を開く。

 その目は何か企んでいるようにも見えるが、この状況を変えるためならボクは何だってするつもりだ。


「日々木さん、困っているらしいのよ」


 ボクは無言で高月を見つめる。

 教室の喧噪の中で、彼女の言葉に耳をそばだてた。


「撮影の時、君塚先生にちゃんとした服を着てもらえるか不安なんだって」


 君塚先生は1組の副担任で、いついかなる時もジャージ姿を貫き通す風変わりな教師だ。

 英語の授業以外で話した記憶はほとんどない。

 高月や宇野は厳しい教師だと話していたが、天才のボクには関係がないことだ。


「貴女が交渉して撮影の時に正装してもらえれば、日々木さん、喜ぶんじゃない?」


「そんなことで?」と聞き返すと、「彼女、ファッションのことになると人が変わるみたいね。それに、日野さんができないことをやってみせたら、貴女の評価はグングン上がるよ」と高月はボクを唆した。


 ボクは腕組みをして考える。

 ボクにできないことはないと言いたいところだが、天才だから自分の弱点だってしっかり把握している。

 勉強でも運動でも芸術でもボクに不可能はなく、簡単にやってのけるだろう。

 今回の中間テストでもそれを証明してみせた。

 だが、天才は孤立する。

 なぜなら凡人は天才の考えが分からないからだ。

 天才を持ってしても犬や猫と話せるようにならないように、凡才に天才の思考を理解させることはできないのだ。


「道理の分からない人間に道理を説いても無駄じゃないか」


 高月はボクがこの話に飛びつくと思っていたのだろう。

 意外そうな顔でボクを見た。


「天才にしては白旗を上げるのが早いのね」と揶揄するが、「天才だから事の成否がすぐに分かる。無駄な努力を避けるのも天才ゆえだ」とボクは胸を張った。


 あの日々木さんがお願いをしても協力しようとしない天の邪鬼を相手にしたって時間の無駄だろう。

 凡人は論理ではなく感情で動く。

 ボクの言う通りにすれば上手くいくのに、嫉妬の感情から反発して失敗する有象無象をこれまでたくさん見てきた。

 そういう奴らはどれだけ言葉を並べたところで聞く耳を持っていない。


 高月は苛立たしげにボクを睨んでいたが、急に笑顔になった。

 ボクの手を引くと、「ちょっと来て」とボクを日々木さんのところへ連れて行く。


「お願いがあるの」といきなり高月は日々木さんに声を掛けた。


 日々木さんはその完成された顔の造形をボクたちに向けた。

 神が作った最高傑作。

 この世にこれ以上整った顔立ちは存在しないだろう。


「明日の写真撮影は私たちが当番だけど、そこに澤田さんも参加させたいの。あと、日野さんを呼んで欲しいのよ」


 日々木さんは眉根を寄せて高月の希望を認めるかどうか考えている。

 ボクは高月の思惑が分からず、ただ彼女の隣りに突っ立っていた。


「何か君塚先生への対策があるの?」と日々木さんが問い掛け、話の流れから明日が君塚先生の撮影だとうかがえた。


 高月は腰をかがめ、座っている日々木さんに顔を近づけると耳元で何かを囁き始めた。

 それは思いのほか長く続き、ボクは手持ち無沙汰になった。

 聞き耳を立ててみても全然聞き取ることができない。

 密談の間、何度か日々木さんがボクを見上げた。


 ようやく話し終えた高月がニヤニヤ笑いを顔に浮かべながら身体を起こす。

 一方の日々木さんは眉尻を下げている。


「可恋に頼んではみるけど、期待はしないでね」


「お・ね・が・い」と高月は媚びるように微笑んだ。


「何を言ったの?」とボクは小声で高月に訊く。


 彼女はこちらを振り向くと、その笑顔のまま「明日のお楽しみ」とボクに告げた。




††††† 登場人物紹介 †††††


澤田愛梨・・・3年1組。陸上部。自称天才だが、そう名乗るだけの才能はある。今回の中間テストでは可恋、小鳩に匹敵する結果を残した。周囲の嫉妬が嫌で小学生時代より自分の才能を隠すようになったが、陽稲と出会って彼女に認められたいと隠すのをやめた。


日々木陽稲・・・3年1組。ロシア系の血を引く日本人離れした美少女。妖精や天使と称されるほど肌の白さと顔の造形は際立っている。


高月怜南・・・3年1組。他人が負の感情を撒き散らす姿を見るのが大好きで、そのためなら努力を惜しまない。現在は主に愛梨をからかって楽しんでいる。


日野可恋・・・3年1組。周囲からは天才だと目されている。


君塚紅葉・・・3年1組副担任。英語教師。アラフォーのベテランで、いつもジャージ姿。威圧的かつ杓子定規。

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