第525話 令和2年10月12日(月)「巡り合わせ」日々木陽稲
「陽稲ちゃん、いいことでもあったのか?」
態度に出さないように努めていたのに都古ちゃんにバレてしまった。
台風が去り、陽が差して暖かな1日の始まり。
わたしの気持ちを表すかのような秋晴れだ。
「今日からいよいよ文化祭の準備が始まるしね」とわたしは誤魔化す。
しかし、「これは可恋関連だな」と都古ちゃんはズバリと見抜いた。
山本さんも「間違いないね」とすかさず同意した。
感情を隠すことが苦手だとはいえ、こうもあっさりと気づかれるとは。
わたしは自分の頬の緩みを手で押さえた。
「デート? デートか?」と都古ちゃんが食いついてくる。
「台風が来たからどこにも行けなかったのよ」とわたしが言うと、彼女は「チューでもしたのか?」と畳み掛けてきた。
「してないわよ!」とわたしは声を荒らげた。
一瞬で顔に血が上り、おそらく白い肌が真っ赤になっていることだろう。
わたしは両手で顔を覆い、「中学生なんだし、ほっぺならともかくまだ早いんじゃないかな……」と小声で呟いた。
わたしだって聖人君子ではないのでそういった知識は人並みにあると思っている。
だが、知識があることと自分がすることの間には果てしなく遠い距離がある。
そんなわたしを置いてけぼりにして、都古ちゃんと山本さんは女同士ならノーカンかどうかというお喋りに夢中になっていた。
どうやらわたしの呟きは聞かれずに済んだようだ。
顔から手を離すとこちらを見ている恵藤さんと目が合った。
彼女も顔を赤らめていた。
口には出さないがその目は何があったのか興味津々といった感じだ。
あらぬ噂を立てないためにもキチンと説明しておいた方が良いだろう。
「あのね、文化祭の準備の予行演習に、可恋をモデルにして写真を撮ったのよ。ウィッグをつけたら凄い美少女になったんだよ!」
恵藤さんだけに言ったつもりだったが、わたしの弾んだ声は都古ちゃんたちの耳にも届いたようだ。
ふたりは「見たい」「見たい」とわたしに迫ってくる。
わたしは上機嫌で「放課後にね」と約束する。
もちろん、「可恋には絶対に秘密だよ」とつけ加えることも忘れなかった。
中間テストの答案の返却が次々とあって、気がつけばあっという間に放課後だ。
ファッションショーの準備も大事だが、今日からはクラスの展示の準備もしなければならない。
わたしたち3年1組の展示内容は「恩師の肖像」だ。
3年生の授業を受け持つ教師、保険医、校長先生、教頭先生といった関係者の写真パネルを展示することにした。
事前の交渉はすべて済ませた。
写真撮影のスケジュールは当然として、各先生には正装してもらう合意も取り付けたのだ。
今日から毎日3人程度の撮影を行い、来週末の文化祭までにパネルを準備する計画となっている。
初日なので担任の藤原先生を始めとする女性教師3人に会議室まで来ていただいた。
「よろしくお願いします」と声を掛けて入室する。
すでに藤原先生、学年主任の桑名先生、家庭科の橋本先生が着替えを済ませて待っていた。
服装は週末にSNSを通じて打ち合わせしている。
とはいえ着こなしに対しては不満がある。
教師は入学式や卒業式等の場でピシッとスーツを着るのでそこまで不似合いな感じはしないが、いかにも学校の先生という雰囲気ではつまらない。
そうした場で見た先生たちの服装はだいたい覚えているので、この3人にはわたしがリクエストしたものを着て来てもらった。
それに合わせる小物類はこちらで用意した。
撮影の手伝いは持ち回りで、今日は都古ちゃん、山本さん、恵藤さんというわたしのグループのメンバーが担当だ。
あと、なぜかクラスが違うのに純ちゃんがついて来ている。
彼女と同じクラスの阪本さんによると、純ちゃんのクラスでの役割は文化祭前日の飾り付けだからそれまでは特にすることがないそうだ。
好きに使っていいよと言われ、わたしのサポート役に収まった。
わたしはまずメイクから取りかかる。
若い藤原先生は問題ないが、30代の橋本先生や40代の桑名先生は失礼ながらどうしてもおばさんっぽさが強く出ていた。
……女性の教師って美容にあまり関心がない人が多いから仕方ないよね。
以前もの凄くオシャレな先生がいたが、残念なことに懲戒免職になってしまった。
ああいった例があると、教師のオシャレはほどほどにという意見が出て来るかもしれない。
しかし、オシャレという自己表現を理解できずに生徒の気持ちを理解できるのか。
今回の撮影で少しでもオシャレに関心を持ってもらいたいという野望をわたしは秘かに抱いていた。
「最近の化粧品は短時間でナチュラルメイクが完成するんですよ!」
わたしはデパートの販売員のようにアピールする。
多忙だとこうした知識のアップデートを行わず、自分が覚えた頃のやり方のままという人が多い。
新商品はどんどん売り出されるが、化粧品は合う合わないがあるのできっかけがないとなかなか手を出さないそうだ。
売り場は違うがこういった情報はお母さんからよく聞いていた。
橋本先生はこのノリにつき合ってくれなかったが、桑名先生は「すぐに就職できそうだな」と笑ってくれた。
若作りしすぎじゃないかという意見は「絶対に似合いますから」と言って押し切りメイクを終えた。
「今日は天気が良いので中庭で撮影しましょう!」
橋本先生は可恋のようにほかの生徒に見られたくないと抵抗したが、藤原先生と桑名先生がすんなり応じてたので最後は渋々ながら承諾してくれた。
校内にはまだ文化祭の雰囲気は感じられない。
来週になれば祭りの前の慌ただしさが顔を覗かせることだろう。
「校長先生!」
中庭にはひとり静かに花壇を眺める校長先生の姿があった。
いついかなる時もピシッとスーツを身にまとっている女性だ。
颯爽と、と言うにはかなりおばさん体型だが、それでも仕事ができる女性特有のオーラをかもし出している。
校長先生はわたしの呼び掛けにこちらを向き、わたしの背後にいる先生方に目礼した。
そして、「写真撮影ですか?」とわたしに声を掛けた。
「はい。もしお時間がおありでしたら、一緒にいかがですか?」
校長先生にもこの企画への参加を承諾してもらっている。
しかし、かなり多忙らしい。
今週後半にスケジュールを押さえたものの、急に予定が入る可能性も示唆された。
可恋によると、行動力の塊のような人だそうだ。
賞賛に値すると言いつつ、それは古いタイプの考え方じゃないかと可恋は指摘した。
軽いフットワークで直接出向くといったパフォーマンスは分かりやすいので評価に繋がる。
結果よりも努力を見せることが重視されやすいのが日本社会の特徴だとも可恋は話していた。
それはともかく、いま撮影できるのならやっておきたかった。
見た限りわたしが手直ししなくてもそのまま撮影できそうだ。
小物類は藤原先生に用意していたものを流用すればいい。
藤原先生の撮影はまた今度でも平気だよね?
校長先生は「そうですね」と微笑んだ。
あまり生徒の前ではそうした柔らかい表情を見せることがなかったのでまさに絶好の機会だ。
急に予定が空いて久しぶりにゆっくりできたと校長先生はリラックスしている。
急いで準備を調える。
さあ撮影というところで、ジャージ姿の君塚先生が駆け足でやって来るのが見えた。
その姿に校長先生の表情が引き締まる。
「先方から連絡が来ました。いまからなら会ってくださるそうです」
「分かりました。すぐに向かいます。ごめんなさいね、日々木さん」
わたしにそう告げると校長先生は振り向くことなく足早に去って行く。
君塚先生はわたしを一瞥したあと校長先生のあとを追って行った。
「残念ね。ゆっくり話す機会だと思ったのに」と桑名先生が嘆息していた。
先生方もこの新任の校長先生と触れ合う機会はそう多くないらしい。
折角の好天なのに空気が微妙になってしまった。
わたしがどうしようか頭を悩ませていると、都古ちゃんが口を開いた。
「君塚先生はやっぱりジャージ姿で撮影するのか?」
「まさか。ジャージ以外の服も持っていますよね?」とわたしが大げさに質問すると笑い声が上がり場が和んだ。
持っていても着てくれるかは話が別だ。
恩師に感謝の意を伝えたいという建前で進めてきた企画だが、ジャージでいいと頑なに言われた場合の理論武装が必要になるかもしれない。
大丈夫だよね、最近は可恋にだって言い勝つことがあるんだから。
わたしは頭を振って不安を払うと、笑顔を作って写真撮影に気持ちを切り替えた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・3年1組。学級委員。志望校は合格圏内であるため率先して文化祭の準備に当たっている。
日野可恋・・・3年1組。生まれながらに免疫系の障害を持ち、現在は登校を見合わせている。それでいて学年トップクラスの成績を誇る。
宇野都古・・・3年1組。陸上部のエース。週末に行われる大会へのエントリーが決まっているが、「いまはリラックスすることが大事」とのこと。
山本早也佳・・・3年1組。元ダンス部。陽稲のグループの一員。
恵藤
安藤純・・・3年2組。陽稲の幼なじみ。競泳界の期待のホープ。現在は高校進学問題で宙ぶらりんのような状況になっている。勉強するより陽稲の護衛役の方がいいとついて来ている。
藤原みどり・・・3年1組担任。20代の国語教師。お見合い写真にしましょうと言われてもの凄く気合を入れて来た。
桑名加代子・・・3年生の学年主任。40代のベテラン。
橋本風花・・・家庭科担当。手芸部顧問でもある。
望月寿子・・・今年度この中学に着任した校長。休校や新しいスタイルへの対応に追われて独自のカラーを出せずにいる。
君塚紅葉・・・3年1組副担任。望月校長と同じ中学から今年度転任してきた英語教師。校長の右腕とも腰巾着とも言われている。校内ではいつもジャージ姿で過ごす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます