第516話 令和2年10月3日(土)「勉強合宿」川端さくら
トロフィーや賞状が所狭しと並ぶ棚を見て思わず「おおっ」と声を上げてしまう。
写真もたくさん飾られていて、そこには幼いながらもいまと同じドヤ顔が映っていた。
わたしが「凄いね」と口にすると、澤田さんの目尻が思い切り下がる。
彼女が優秀だとは聞いていたが、ここに飾られているものを見る限り様々な習い事で結果を残していることが分かる。
怜南から、周りの嫉妬が嫌で実力を隠すようになったと聞いていた。
話半分くらいに思っていたが、その考えは訂正した方がよさそうだ。
それに、この澤田さんの自宅を見る限りわたしの家より2ランクは上といった印象だ。
臨玲に行くには経済的に厳しいと聞いていたが、ソファが置いてある応接室があってもそう言われるのかと驚いてしまう。
「昔の臨玲だと、県外から来た生徒は鎌倉の別荘から通っていたって言うしね」とその辺りの事情を怜南が教えてくれる。
来週の木曜金曜にある中間テストに備えて、わたしたちは勉強合宿なるものをすることになった。
提案した怜南は自分の家でやることを拒み、心花も自宅以外の誰かの家でやりたいと希望した。
わたしは怜南を家に呼びたくなかったので必死に抵抗した。
怜南が日野さんのマンションでやりたいと言い出して、わたしが交渉することになった。
電話でその提案を日野さんにしてみたところ、瞬時に拒絶された。
当然だろう。
それでもわたしは食い下がった。
怜南のことだから日野さんとの交渉が不調に終わればその代償としてわたしの家でやると言い出しかねない。
小学校の低学年の頃は仲が良かったので、うちの母親は彼女のことを覚えている可能性が高い。
当時はできた子どもという感じで大人受けが良かったからだ。
いまも外面が良いので、なんだかんだと取り入りそうだ。
うちの母親が上機嫌で「どうぞどうぞ」と怜南と心花を家に入れる姿まで想像できた。
そうなると怜南はふたりいるわたしの妹たちにいろいろなことを吹き込みそうだ。
オンラインホームルームの時に日々木さんから良くしてもらって、妹たちは「わたしの友だち」に警戒心を抱かないだろう。
怜南は他人が困る姿を見ることに無上の喜びを感じる変人だ。
こんなおいしい機会を逃す人物ではない。
日野さんとの交渉を隣りで見ていた怜南は、意外にも約束を守ってくれた。
あたしの必死さが伝わったからだそうだが、感謝しなさいという顔で言われても腑に落ちない。
日野さんが応じてくれなければ自分が場所を見つけると宣言したのだから、恩を着せるようなことではないはずだ。
とにかく、怜南が澤田さんと取り引きをして彼女の家で勉強合宿が行えることとなった。
遊んでばかりではなくキチンと勉強できるかどうかという不安はあるが、こうして合宿はスタートしたのだ。
「ボクがあまりにも簡単に弾けるようになっちゃったから先生が驚いてさ」
「あたしもピアノのコンクールでは万雷の拍手を受けたことがあるのよ」
澤田さんは心花相手に自慢話を繰り広げている。
学校では無口なイメージが強かったが、実際はかなりお喋りみたいだ。
一方の心花も対抗するように自分の話をしている。
どうやらお互いに相手の話はろくに聞いていないようだった。
それでも何となく会話は成り立っている。
案外相性の良い組み合わせなのかもしれない。
澤田さんは周囲の嫉妬が嫌だと言うが、これだけ自慢が続けば周りはウンザリして相手にしなくなるだろう。
心花は基本的に他人には関心がないので、澤田さんの自慢話も適当に聞き流して自分の話をするだけだ。
どちらかが相手の話を強引に遮ったりしなければ調子良く自分の話ができるのでふたりとも楽しそうだ。
「これだけの経済力があれば臨玲でも底辺じゃないわね」と怜南は顔をしかめてわたしに囁いた。
彼女がこの部屋の調度品をひとつひとつ丁寧に見ていたのはどうやらこの家の経済力を調べていたようだ。
わたしが「日野さんは厳しいようなことを言っていたけど、間違いだったってこと?」と尋ねると彼女は首を横に振った。
「彼女が臨玲の中でどう過ごしたいかによるわ。上位グループに関わらず普通に学校生活を送るだけなら十分かもしれない。様々な習い事の経験もああいうところでは必須でしょうし。でも……」と怜南は澤田さんを見ながら説明した。
澤田さんはつい最近まで中学の中で実力を出さずに過ごしてきた。
人との関わりもほとんどなく、孤高を保っていた。
それを続けるのなら臨玲でも問題ないだろう。
だが、彼女は日々木さんに自分の力を見せて認めてもらおうとしている。
そのためにわざわざ同じ高校に進もうと考えている。
日野さんや日々木さんは臨玲でも上位のグループに属することになると思う。
そこに加わっていくには、臨玲の超が付くようなお嬢様学校の特殊性が彼女の前に壁となって立ちはだかる。
怜南ではないが、その時に彼女がどう立ち向かうのかわたしも見てみたいと思った。
それにしても習い事が必須と言われるとなるほどと思う。
わたしとは住む世界が違う。
心花は習い事を一通りやって来たと聞いたが、怜南は自分のことをあまり話さないので詳しくは知らなかった。
「心花の家もかなり裕福みたいだけど、怜南の家はどうなの?」
心花の家は裕福だが勉強勉強とうるさくはないらしい。
性格はともかく学力はそこそこあるので私立中学に進学していてもおかしくなかった。
同じことは怜南についても言えるだろう。
うちはそこまで裕福ではないし、何より下にふたりいるので私立は厳しいという認識だ。
「この家ほどじゃないわね。さくらと同じくらいかしら」
「私立は受験しなかったの?」
「いくつか理由があるんだけど、学費は大学のために取っておきたいという気持ちが強かったわね」
「小学生の頃からそんなこと考えていたの?」と驚くと「当たり前よ」と怜南は平然と答えた。
臨玲に限らず彼女は高校の情報を事細かに調べ上げていた。
性格は悪いが、計算高さや用意周到なところはわたしでは真似ができないし凄いと認めざるをえない。
「そろそろ勉強を始めないとね」と怜南が雑談を打ち切った。
確かに時間は貴重だ。
目の前のテストまで1週間を切った。
高校受験まで半年もない。
「そうだね。今日は勉強を教えてもらえるって期待して来たのだし」とわたしが言うと、怜南はわたしを見て「さっちゃんの担当は心花よ」とさも当然といった顔で告げた。
「聞いてないよ!」と抗議する。
怜南も澤田さんもわたしより成績が上だから期待していたのだ。
心花とわたしだとわたしが教える一辺倒になってしまう。
心花は成績は悪くないが、人に教えることがまったくできないからだ。
「私が出した条件が、次の中間テストで日野さんに勝たせてあげるってことなのよ」
「そんなことできるの?」とまたも驚きの声を上げてしまう。
「本人が言う通り彼女の地頭の良さは相当のものだからね。これまで試験では手を抜いてきたからコツみたいなものが分かっていないみたいなの。そこさえ押さえておけば満点に近い点数を取れるんじゃないかな」
怜南はサラッと言ってのけるがとんでもない話だ。
しかし、そんなことをしたら……。
「ライバルを育てることになっちゃわない?」
「彼女は臨玲一本に絞っているから全然問題ないわ。それより貴女に教える方が私の不利益になるでしょう?」
言われてみれば確かにそうだ。
わたしの考えが甘かった。
こいつはこういう奴だ。
彼女は「わたしたちは彼女の部屋でやるわね」と手を振って出て行く。
取り残されたわたしは心花のやる気を引き出すところから始めなければならなかった。
††††† 登場人物紹介 †††††
川端さくら・・・3年1組。中学生になってから休日に外で集まることはあっても友だちの家に行くことはなくなったなあと思う。
高月怜南・・・3年1組。愛梨が自分は天才で周りが凡才に見えるように、怜南も周りが子どもっぽく見えてしまうことが多い。
津野
澤田愛梨・・・3年1組。自称天才だが、その言葉に恥じないだけの能力の持ち主。
日野可恋・・・3年1組。さくらのお願いに対して取り付く島もなかった。彼女に対して正面からお願いをして望みを叶えようというのは無謀な試みだった。
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