第517話 令和2年10月4日(日)「交渉」日野可恋

「ハロウィーンパーティーはいつがいいかな?」


 日曜日の昼下がり。

 私はスマホに目を通し、ひぃなは勉強に勤しんでいた。

 その手を止めて、ふと顔を上げた彼女がそう口にした。

 どこにも出掛ける予定はないのにいつものように着飾った彼女の周りだけが日常と切り離された別空間のようにも感じる。


「ハロウィーンパーティーって何のこと? 初耳なんだけど」


 ひぃなは私の質問に「そうだっけ?」ととぼけた顔で答える。

 そんな些細な表情の変化ですら魅惑的なのだから困ったものだと私は口角を上げる。


「知っているとは思うけど、私たちは受験生だからね」


「可恋が受験勉強をしているなんて初耳なんだけど」


 ひぃなは私の言い方をそっくり真似して返して来た。

 してやったりと彼女の顔に書いてある。

 私はひとつ息を吐いてから「日頃の勉強すべてが受験に繋がっているの」と思ってもいないことをさも当然といった顔で口にした。


「可恋はいつも勉強しているものね。だったら休むことも大切だよね」


 どう言っても彼女の心の中ではすでにパーティーを行うことは決まっているのだろう。

 実際のところ私もひぃなも高校受験に関しては余裕がある。

 おそらく答案に名前を書き忘れない限り合格は堅い。


 私は観念して「何をするつもりなの?」と問う。

 彼女が何かをする以上、私がまったく関与しないということはあり得ないからだ。


「ファッションショーを頑張ってくれている後輩たちを労おうと思って」


「気持ちは分かるけど、先輩が言えば後輩は断れないのだから気をつけないと」


 ハロウィーンパーティーなんて誰もが喜ぶとは限らない。

 しかし、ひぃなが口に出してしまえば開催は決定事項になってしまう。

 そんな後輩を思いやる私の発言にひぃなは「可恋がそれを言うの?」と切り返してきた。


「確かに私は当人の意思に沿わないことをやらせることはあるけど、それは自分の趣味のためじゃないよ。天地神明に誓ってね」


 私が大げさに胸に手を当ててそう言うと、ひぃなは頬を膨らませ「わたしだって自分自身のためじゃないわ。みんなを喜ばせたいだけよ」と言い訳した。

 その言葉の真偽はともかく、やる気だけは伝わってきた。

 どう説得したところでこうなった彼女は止められない。

 私は肩をすくめて計画の具体的な内容を聞いてみた。


「それで、どんなパーティーをするの?」


「みんなで仮装して集まるの」


「それだけ?」


「あとは……そうね、お喋りしたり、お菓子とか食べたり……」


 ひぃななら仮装して集まるだけでテンションが上がるだろうが、女の子だからといってそれだけで満足する人は多くないだろう。

 そうすると「パーティー」らしい行為が必要となるが……。


「仮装するとマスクはしづらいよね。飲食を伴うならなおさら」


 私の指摘にひぃなは腕を組んで考え込んだ。

 さすがに彼女もお喋りや飲み食いの禁止は言い出せないようだ。


「だったら……屋外でパレードをするのはどうかな? 屋外なら感染リスクは低いよね!」


 名案を思いついたという晴れがましい顔でそう叫ぶ。

 私からすれば余りにも突拍子がない提案で「本気で言っているの?」と呆れ顔になってしまう。


 いくらハロウィーンという風習が日本にも定着したといっても渋谷などの若者の街でならいざしらず、郊外の街中でパレードとは正気の沙汰とは思えない。

 それを告げると東京や横浜に行くと言い出しかねないので却下するにも気を使う。

 繁華街だと騒ぎが起きかねないし、ひぃなひとりなら守れてもほかの子までは手が回らない。


「ほかの人の目に触れない場所ならいいけど、少しでも騒ぎになるところは避けて欲しい」


 むーっとひぃなが呻く。

 やおら立ち上がり、私の周りをグルグルと歩き出した。


「人のいない山奥でやるというのは?」


「移動はどうするつもり? それに10月の末だとかなり冷えてくるよ」


「……やっぱり学校でするしかないのかな?」


「学校が許可してくれたらいいね」と私は他人事のように言葉を返す。


 前の校長先生なら許可してくれたかもしれない。

 だが、いまの校長先生が許可してくれるかは疑問だ。


 私のそんな思いをよそに「許可してくれたら問題ないのね」とひぃなは立ち止まって私を見つめた。

 その自信ありげな顔を見て私は不安を覚える。

 彼女の情熱は計り知れず、その熱意は私の常識を軽々と飛び越える。

 これまでに何度不本意な衣装を着せられたことか。


「そうね……。勉強をしっかり行っているいる証として、次の中間テストでクラス2番以内を取ること。学校の許可とその条件をクリアしたら全面的に協力するわ」


「それって可恋の1位は確定しているのだから、実質的にクラストップを取れってことでしょ? ちょっと厳しすぎない?」


 ひぃなの抗議に「前回はできたじゃない。自信がないの?」と煽ってみせた。

 これで「それくらいできるわよ」と言ってくれたらこちらの思うつぼだ。

 ひぃなは眉間に皺を寄せ、じっくり言葉を選んでいる。

 そして、「可恋はいつも言っているよね。勉強や試験は本来他人と競うものではないって」と反論した。

 私は「モチベーションを高めるために他人と競うことは否定しないよ」と指を立てて答える。


「可恋は1番を取りたいと思って勉強していないよね。自分がやらないことを言っても説得力がないよ」


 ひぃなに正論を言われ、「他人と競うことに意味がないことは認めるよ。だから、5教科合計480点を超えたらってことにしよう」と私は譲歩した。

 彼女は「475点。平均95点を取れば十分でしょ?」と即座に追撃する。


「分かった。それでいこう」と私は手を打った。


 以前ひぃなはテストを苦手にしていた。

 中学受験に失敗したことがトラウマになっていたし、コミュニケーションで解決できないことは慎重になる傾向が強かった。

 そのため本番で結果を残せず、ミスも多かった。

 それがいまでは高得点が取れて当たり前なんだというほどの自信を身につけている。


 そしてこの強気の交渉も彼女の成長の証だろう。

 95点はかなり厳しめのラインだが、それだけにこれをクリアすれば私も無碍にはできない。

 もっと甘いラインを交渉で引き出せたとしても、その後の私の態度に違いが出ると知っているのだろう。

 交渉自体が目的ではなく、ハロウィーンパーティーを開催するという目標から逆算しての交渉なのだから彼女はほぼ満点の成果を成し遂げたと言っていい。

 もちろんテストの結果も出さなくてはいけないが、いまの彼女ならなんなくクリアしそうだった。


 人は自分が好きなことに対してなら真摯に向き合い頑張ることができる。

 それこそが才能というものの本質だろう。


「お面とかどうかなあ……」と呟きながらひぃなはパーティーの構想を練っている。


 その幸せそうな顔を見ながら私はふたりの関係に変化が訪れつつあることに気づいた。

 それは私の望みでもある。

 でも、それがこの平穏な日々にピリオドを打つのなら……。




††††† 登場人物紹介 †††††


日野可恋・・・中学3年生。相手の弱みをつかんで思い通りに操ることは得意だがその限界も知っているつもり。


日々木陽稲・・・中学3年生。将来の夢はファッションデザイナー。すぐ隣りに目標のために頑張る人がいるのでそれを参考にしているだけだよ。

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