第515話 令和2年10月2日(金)「はじめに言葉ありき」山瀬美衣

「今日は結構暑いからドリンクの確認お願い!」


「うん」


 そうわたしは答えると、みっちゃんの指示通りに部員たちのドリンクボトルを並べていく。

 みっちゃんは「タオル、タオル……」と呟きながら自分の仕事をこなす。

 今日は良い天気でグラウンドには燦々と陽差しが降り注いでいる。


 汗だくになって準備を整えた頃に休憩になった1年生部員がこちらにやって来た。

 ボトルが空の子には水道水を汲んでくるか聞いて回る。

 何人かに頼まれてわたしは給水所までボトルを持って行く。


 少し離れた場所ではAチームの練習が行われていた。

 こちらと違って少数精鋭だ。

 そちらのサポートをしているさのっちがテキパキ動いている姿がここから見えた。

 わたしははーっと溜息を吐いた。


「どうしたの?」とわたしの背後から声を掛けてきたのはさつきちゃんだ。


 手に自分のボトルを持っていた。

 それを見て「わたしが」と手を伸ばしたが、「平気だよ。自分でやるから」と彼女は微笑んで自分で水を入れ始めた。


「今日は暑いからね」と彼女はわたしの手元にあるボトルを見て言った。


 ひとつひとつはそれほどでなくても、数が増えればかなりの重さになる。

 行きは良くても帰りは大変だ。

 さつきちゃんはわたしを気遣ってくれたのだろう。


「あ、ありがとう……」


「感謝するほどのことやないよ。本当は自分でやることやと思うし」


 そう言ったさつきちゃんはボトルに水を入れるのを手伝ってくれた。

 要領が良い子ならもっと素早くできるのだろうが、わたしは何かと失敗が多い。

 それが分かっているから慎重に、ミスしないようにとなってしまう。

 だから家族からはグズ呼ばわりされるし、学校でも周りからそんな風に見られてしまう。


「マネージャー、大変だよね。あたしも立候補しようかなって迷ったんだけど、務まるか不安で……」


「えっ? さつきちゃんなら全然できると思う。わたしなんかよりもっとずっと……」


 わたしは思わずそう口に出した。

 彼女はみんなの人気者で、それでいて誰に対してもこうして優しく接してくれる。

 きっとマネージャーの鏡のような存在になっただろう。


「ここだけの話やけど、あかんねん、目立ってなんぼ精神が抜けてないねん」


 彼女はヒソヒソと秘密を打ち明けてくれた。

 関西出身の彼女は少し方言混じりの話し方をする。

 同じように関西弁を話す副部長の島田先輩とはまるで漫才のような会話をすることもあった。


「でも、わたしなんか……」


 さつきちゃんが距離を縮めてくれたから、ついわたしも思いを口に出した。

 過去にそれで再三失敗しているというのに。


「ほかの子は自分で判断してドンドンとマネージャーの仕事をこなすのに、わたしは指示されないと何もできなくて……」


 みっちゃんもさのっちも本当によく動く。

 それに比べてわたしは何もできない。


 うーんと考え込んださつきちゃんを見て、わたしはまた失敗したと思った。

 こんなわたしにも親しく話し掛けてくれる子はいた。

 だが、親しくされるとわたしはすぐに愚痴を零してしまう。

 そうすると人は離れていく。

 当たり前だよね。

 だって、楽しくないもの。

 それに気づいたというのに、いまもわたしは失敗を繰り返す。


 水を入れ終えたわたしはドリンクボトルを抱えて運ぶ。

 さつきちゃんがいくつか持ってくれたので随分楽だ。

 それでも落とさないように慎重にゆっくりと持って行った。


「遅いよ! 喉からから」とわたしの手から自分のボトルを取っていく子がいた。


 わたしはほかのボトルを落とさないように気をつけながら「ごめん」と謝る。

 1年生部員の数は多い。

 休憩中の部員たちの間を縫ってわたしはボトルを手渡していった。


「あいつら、マネージャーをママか何かと勘違いしてるんじゃね?」


 マネージャーが更衣室を使うのはいちばん最後だ。

 その際に反省会をしようとみっちゃんが言い出して、定例となっている。

 しかし、最近みっちゃんがまくし立てるのはほかの1年生部員の態度に対する不平不満となっている。


「Aチームは気を使ってくれるよ。先輩たちは優しいし、それを見ているからか1年生もそんな態度は取らないし」


 Aチーム担当のさのっちはそう言ったあとで、「でも、精神的にメチャクチャ疲れる」と本音を漏らした。

 みっちゃんは真顔に戻って「ローテーションにした方が良い?」と尋ねる。

 それに対してさのっちは首を捻りながら「そうだねえ……もう少ししっかり一連の作業をマスターしたいかな。人数が少ないから負担はそう多くないし」と口にした。

 ふたりともしっかりしているなあとわたしは感心するばかりだ。


「美衣も辛いことがあったらちゃんと言いなさいよ」


 みっちゃんに言われてわたしは「うん」と頷いた。

 家にいることと比べたらここでの出来事なんて辛いことに入らない。

 さすがにそれは言えなくて、わたしは曖昧な顔で誤魔化すだけだ。


 わたしたちが更衣室を出ると、そこにはさつきちゃんが待っていた。

 彼女ひとりではなく、劉さんや奏颯そよぎちゃん、若葉ちゃん、コンちゃんも一緒だ。

 1年生部員の中では先輩たちと話す機会が多く、特別だと見られている面々だった。


「どうしたの?」と不審げにみっちゃんが問い掛けた。


「話があるの」とみっちゃんはどこか怒ったような顔つきで答えた。


「あのね、マネージャーの待遇を改善するべきやと思うの!」


 いつもニコニコしている彼女とは思えない険しい表情だった。

 声にも思いが籠もっていて、わたしの胸に突き刺さる。


「でも、いまの仕事はマニュアルとして教えてもらったもので……」とみっちゃんが応じる。


「それってまだダンス部が少人数だった頃のものでしょ? マネージャーが上級生だったから、いまの2年生の先輩たちは自分でできることは自分でやっていたって聞いたよ」とさつきちゃんは畳み掛けた。


「アタシは知らないけど、若葉やコンちゃんは見たり聞いたりした?」と次期部長候補と噂される奏颯ちゃんが隣りにいる女の子たちに尋ねた。


 このふたりは時々Aチームの練習に参加する1.5軍のような立ち位置にいる。

 Aチームに完全に加わっている奏颯ちゃんよりも1年生部員の様子をよく知っているだろう。


「何人かマネージャーを下に見ている子はいるね」とコンちゃんが説明した。


「誰モ注意ヲシナイノカ?」と劉さんが口を挟む。


 みんなが顔を見合わせ、気まずい雰囲気が漂った。

 それを打ち破るように、「あまりにも酷ければみんな声を上げると思う。いまはまだそこまでは行ってない。あたしとしてはその前に手を打ちたいねん」とさつきちゃんが説明した。


「マネージャートハ何ダ?」と劉さんが根源的な問いを発した。


 そこからかと思うが、「USデハ、野球ノ監督ノヨウニ、チームヲ統括スル人間ノ事ヲ呼ブノダ」と言われてハッとする。

 芸能界では付き人のような意味合いで使われたりもするが、一般の会社ならマネージャーという肩書きがつくと結構デキる人というイメージがある。

 学校の部活動におけるマネージャーと英語が意味するマネージャーでは相当な開きがあるに違いない。


「そういうところからちゃんと話してみた方が良いかもな」


 奏颯ちゃんの言葉にこの場にいた全員が納得するように頷いた。

 ……自主的にこんな話し合いをするなんて凄いな。

 わたしはみんなのことをただただ仰ぎ見ることしかできなかった。


 テスト前なのでしばらく部活動は休みだ。

 前回のテストは悲惨な結果だったので今回も気が重い。

 ダンス部だけがわたしの居場所のように感じているので、それがない1週間は辛いものになる。

 みんなはこの1週間マネージャーをどう見直すのか考えることで意見が一致していた。


「みっちゃん、さのっち。マネージャーとしての美衣ちゃんってどんな感じ?」


 話が終わって帰りかけたところで突然さつきちゃんがふたりに尋ねた。

 わたしは驚いて身を固くする。


「そうね……言ったことをもの凄く真剣に丁寧にやってくれるからメッチャ頼りになる感じかな」


 みっちゃんの言葉を受けて、さのっちも「ホントに真面目だよね。手を抜かないところは学ばないとって思うもの」と言った。

 さつきちゃんは「……なんだって」とわたしに微笑みかける。


「美衣に何か言った奴がいるの? 見つけたらタダじゃおかないわよ」とみっちゃんが息巻き、「マネージャーを敵に回したらどうなるか思い知らせよう」とさのっちも気炎を上げた。


 わたしは慌てて「大丈夫だから」と止める。

 でも、ふたりの言葉がとても嬉しかった。

 心の底からダンス部に入ってよかったと思った。

 この気持ちをどう伝えていいか分からない。

 言葉の代わりに零れた涙でわたしの顔はくしゃくしゃになった。


「ありがとうでいいのよ」とさつきちゃんが優しく教えてくれる。


「ありがとう」


 その自分の声を聞いた時、心がふわっと軽くなったように感じた。

 そう、わたしはこの言葉を言いたかったのだ。

 これまでわたしに手を差し伸べてくれたすべての人に。

 いままでは言えなくてごめんなさい。

 これからは……。




††††† 登場人物紹介 †††††


山瀬美衣・・・中学1年生。喧嘩ばかりしている両親、私立中学に通う姉と暮らしている。ダンス部マネージャー。体力は人並みだがリズム感が絶望的でマネージャーに転じた。


沖本さつき・・・中学1年生。4年前に関西から引っ越してきた。本人は意識していないが言葉に関西弁が混じっている。


みっちゃん・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。リーダーシップはあるものの、体力不足から選手として続けることを諦めた。


さのっち・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。ダンスの能力は平均といったところだったが先輩たちに近づきたくてマネージャーを希望した。


可馨クゥシン・・・中学1年生。アメリカ育ちの中国人。ダンス部Aチームに所属している。その技術は2年生のトップふたりに匹敵すると見られている。


恵藤奏颯そよぎ・・・中学1年生。ダンス部Aチームに所属。1年生の中では可馨に次ぐナンバーツー。姉は先日ダンス部を引退した恵藤和奏わかな


晴海若葉・・・中学1年生。ダンス部。所属はBチームながら時々Aチームの練習に参加させてもらっている。


紺野若葉・・・中学1年生。ダンス部。所属はBチームながら時々Aチームの練習に参加させてもらっている。晴海若葉がいるせいで「コンちゃん」と呼ばれるようになった。本人は不満だが諦めている。


【作者註】

令和2年5月24日(日)「ただの買い物」、令和2年7月8日(水)「ただの全校集会」の視点を無名としていましたが山瀬美衣に修正します。

これからもよろしくお願いします。

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