第492話 令和2年9月9日(水)「仲間の印」野上月
「ねぇねぇ、連休遊びに行こーよ」
無邪気そうにひとりの女子がわたしに声を掛ける。
文化祭が間近に迫り、教室内には浮ついた空気が漂っている。
来年になればわたしたちは受験生になる。
そうするとこんな風に気軽に遊びには行けないだろう。
「久保さんも誘ってよ」
別のひとりが笑顔でそう言った。
わたしの友人である久保初美は隣りのクラスだがその美しさで名が知れ渡っている。
友だちになりたいと言う女子も多い。
だが、ハツミはそんな子らを相手にしない。
「聞いてはみるけど、あまり期待はしないでね」
聞かなくてもハツミの答えは分かっている。
わたしはこの場の空気を壊さないようにそう答えたに過ぎない。
そして、もうひとりの女子が言葉を発する。
「カナなんかとは一緒にいるのにね」
3人は女子高生特有の無邪気さを装いながらケラケラと笑う。
カナがわたしやハツミと仲が良いのが気に食わないのだ。
しかも、自分たちを差し置いてカナと仲良くしているわたしに向けても発せられた言葉だった。
そんな彼女たちの意図を理解していてもわたしは事を荒立てずに笑顔で受け流す。
「そんなことより……」と彼女たちが好む話題へと誘導し、「それ可愛いね」なんて媚びるように彼女たちを持ち上げた。
……文化祭までの辛抱。
そう思いながら。
文化祭でわたしたちのクラスは英語劇を行う。
彼女たちはそのメインを務める。
ハツミが同じクラスなら彼女が主役に適任だったが、このクラスではヒロインを任せられるのが彼女たちしかいなかったのだ。
わたしはいくつかの理由から今回の文化祭を成功させたいと願っていた。
昨年はクラスメイトの手際の悪さに呆れ果てて途中から口を出してしまった。
ならば最初から自分でやった方が精神的にマシだと考えた。
もうひとつ大きな理由がアケミにこの文化祭を見せたいという思いだった。
今回の文化祭は新型コロナウイルスの影響で保護者や一般の人たちの入場が禁じられた。
その代わりにインターネットで文化祭の様子を見られるようにするようだ。
アケミが学校に来てくれたら嬉しいが、それが叶わなくてもせめてわたしたちの劇を見て欲しいと願っていた。
そんな訳で、わたしはクラスの文化祭の責任者役を買って出た。
屋台や喫茶店など飲食系の出し物であればカナをメインに据えれば済んだが、今年はそれも認められなかった。
そこで捻り出したのが英語劇だった。
アケミとの繋がりを英語という部分に込めた。
彼女と仲良くなったのは昨年の夏休みに英語の宿題を一緒にやり始めてからだ。
また、英語に力を入れているこの高校で英語劇をすれば学校側にも注目してもらえる。
その思惑が当たり、かなりしっかりと配信してもらえそうだった。
「成功したらお嬢様気分を味わわせてあげるから」
準備は万端に整い、役者がとちらなければ舞台は成功するだろう。
いまのわたしの仕事は彼女たちのやる気を少しでも高めることだ。
そのためにイケメン揃いのコンパというニンジンを目の前にぶら下げている。
劇はアレンジしているとはいえシンデレラがモチーフなのでセリフが多い役は女子が多い。
英語が下手でも可愛ければ許されるという計算もあった。
「しっかりセリフ覚えてね」と言い残してわたしはその場を離れた。
廊下も普段とは違った雰囲気だ。
今年は昨年よりも真剣に取り組んでいる生徒が多い。
2年生になったからというだけではなく、溜まっている鬱憤のようなものをここにぶつけようとしているのだろう。
受験のある3年生でさえも今年は力を入れている生徒が多いと聞いている。
「どうしたの、ゆえ」
廊下の方が暑かったが、わたしは窓から身を乗り出して頭を冷やしていた。
そこをハツミに声を掛けられた。
窓から吹き込んだ風が彼女の長い髪を舞い上がらせる。
長身でモデルのような美女。
この1年で目鼻立ちがよりクッキリとして幼さは影を潜めた。
「うーん、ちょっと気分転換」
わたしはハツミに向き直り、大きく伸びをした。
愛想笑いをすることには慣れているつもりだが、それでも心が削られてしまう気がする。
気の置けない相手との会話はそんな感情を癒やしてくれるが、学校だとままならないこともある。
「ゆえは気を使いすぎだよ」
愛想笑いなんてするものかといった顔つきのハツミは悠然としたものだ。
わたしは「これがわたしのやり方だからね」と苦笑するほかない。
「ハツミみたいにクラスメイトを顎でこき使うことに慣れていないのよ」
「人聞きが悪いわね。別にこき使ってなんてないわよ」と彼女は反論するが、命じなくてもクラスメイトたちは女王様の意に沿って行動しているのでこき使っているのとなんら変わらない。
「クラスメイトには感謝してるのよ。だから、絶対にアケミを文化祭に連れて来るって決めているの」
わたしはアケミが来ることはないだろうと考えて英語劇という選択をした。
一方、ハツミはいまもアケミが文化祭に来ると信じている。
彼女のクラスの出し物はコスプレ休憩所で、アケミも参加させようという腹づもりのようだった。
「来るといいね」とわたしが呟くと、「なんとしてでも連れて来る」とハツミは決然と宣言した。
美人が颯爽と胸を張ると迫力がある。
彼女ならできるんじゃないかと思わせるほどの。
わたしは「行くの?」と確認した。
当日、アケミの家まで迎えに行くつもりなのだろう。
ハツミは躊躇いなく頷いた。
その眼には得か損かといった感情はまったくない。
高校生になってもその純粋さを持っていることが羨ましくさえあった。
アケミは経済的な問題で大学進学が難しくなった。
これまで誰よりも努力してきただけに心が折れてしまったようだった。
彼女だって高校を卒業した方が良いとは分かっているはずだ。
それでも学校に来ることができていない。
そんなアケミを動かすことができるのはハツミの純粋さのようなものなのかもしれない。
「任せる。わたしにできることがあれば何でもするから言って」
わたしは自然と笑みが浮かんだ。
アケミのことで自分の力不足を感じていた。
いくら顔が広くても、自分自身に力がなければどうしようもないと悟った。
わたしの力が及ばない時に立ち上がってくれる友がいることが心強かった。
「任された」とハツミは右手を出す。
その握りこぶしにわたしも握りこぶしを作って軽くぶつける。
そこに「あ、ゆえ。そこにいたんだ」と声が掛かる。
顔を見なくてもその声はカナだと分かった。
ゆっくり振り向くと、「呼ばれているよ」とカナは肩をすくめながら近づいてくる。
「青春ドラマのクラスマックスみたいだったのに、余韻もなしか」とわたしは苦笑いを浮かべる。
「何、それ」とキョトンとするカナに、「文化祭当日ハツミが迎えに行くって言うから想いを託していたの」とわたしは説明した。
言葉にしてしまうとなんだか気恥ずかしい。
わたしはそれを振り払うように教室に戻ろうとした。
「今回ダメだったら次頑張ればいいじゃない。まだラストチャンスって訳じゃないんだし」
カナはさも当然という顔でそう口にした。
わたしもハツミも言葉に詰まる。
気負いすぎていたかもしれない。
結果を急ぐことはアケミにとっても良くないだろう。
「そうだね」とハツミが頷いた。
「全力は尽くすけど無理強いはしない。そこは守るよ」と彼女は自分に言い聞かすようにわたしたちに告げる。
わたしはカナに「右手出して」と言った。
彼女は意味が分からないという顔をしながらもわたしの言った通りにしてくれた。
わたしは彼女の右手に自分の右手をコツンと当てる。
ありがとうの想いを込めて。
††††† 登場人物紹介 †††††
野上
久保初美・・・高校2年生。帰国子女。高校入学以降誰ともつるもうとしなかったが、昨年の夏休みからはこの4人で一緒に過ごすことが増えた。
矢野朱美・・・高校2年生。貧しいながらも懸命に努力して大学進学を目指していた。コロナ禍の影響により進学を諦めざるをえなくなった。
日々木華菜・・・高校2年生。料理が趣味。妹と違って地味。友だちはそれなりに多いが、似たようなタイプが多い。
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