第493話 令和2年9月10日(木)「負けず嫌い」日々木陽稲
可恋が学校にやって来た。
体操服姿で颯爽と。
放課後のグラウンドで運動会のリレー練習をするためだけにわざわざ来たのだ。
「……負けず嫌いにもほどがあるでしょ」
わざわざと言っても可恋が暮らすマンションは中学校と目と鼻の距離だ。
だが、可恋は基本的に出不精で、用事がなければ居心地の良い自宅から出ようとしない。
わたしが散歩に誘った程度では首を縦に振ってくれないのだ。
その可恋がいまわたしの目の前でほかのリレーメンバーと汗を流している。
行っているのはバトンパスで、念入りに練習を繰り返していた。
「純ちゃんは今年も1走なんだよね?」と隣りにいる純ちゃんに尋ねると、本当は秘密だろうにコクリと頷いた。
純ちゃんは競泳の選手だが運動能力が高く足も速い。
ただバトンパスなどは苦手なようでたいてい1走で起用される。
ひとり日傘をさして立っているわたしを挟んで、純ちゃんと反対側に立つのは澤田さんだ。
運動会の実行委員ということでつき合ってくれている。
練習の様子よりもわたしの方ばかり見ているけどね。
「澤田さんも走れたら良かったのにね」
「大活躍を見せられなくて残念だよ」と彼女は悔しそうだ。
クラス対抗リレーでは陸上部の参加は男女各1名に制限されている。
1組には陸上部のエース都古ちゃんがいるので澤田さんは出られなかった。
都古ちゃんに代わって欲しいとお願いしたが、「リレーメンバーになりたければ、この都古を倒してみろ」と言われたそうだ。
都古ちゃんもこういうお祭りごとが大好きだからね。
可恋はクラス替えの時から運動会のクラス対抗リレーで勝つと意気込んでいた。
昨年可恋に勝った都古ちゃんがいたし、ほかにも有力なランナーがいたからだ。
だが、その中のひとりだった山本さんが先週ひどい捻挫を負った。
当然リレーには出られない。
そこで白羽の矢が立ったのは同じダンス部の恵藤さんだった。
都古ちゃんは「たとえ陽稲ちゃんがリレーメンバーでも優勝してみせるぞ!」と豪語していたが、可恋は慎重の上にも慎重を期すタイプである。
運動会で披露するダンスの練習に忙しい恵藤さんを呼び出してまでこうして練習に参加させた。
山本さんは整骨院に行くと言って帰ってしまったので、恵藤さんは心細い顔つきでバトンパスの練習をしている。
それにしてもだ。
たかが運動会のリレーにここまで必死になるなんて。
わたしには理解できなかった。
可恋は負けず嫌いだと自分で言っている。
ただこれまではそんなに負けず嫌いだと感じることは多くなかった。
例えば、空手。
わたしにとってのファッションのように、可恋にとって何よりも大切なものだ。
しかし、大会に出ようとはしないし、そんなに勝ち負けを気にしているように見えなかった。
ほかにもテストの時だってそうだ。
ほとんどテスト勉強をしなくても学年トップクラスの成績を残している。
もっとしっかりテスト勉強をすれば、学年1位の座は確実だと思うのにそこまで必死にはならない。
そんな疑問を可恋にぶつけてみた。
すると、彼女はこう答えた。
「空手は自分との戦いだね。組み手だと相手に勝つことがすべてだけど、形は違う。大会だと勝ち負けにこだわってしまう。私が目指す演武ができなくなるのが嫌なの」
勉強に対しても「自分のために行うものであって本来は他人と競うものじゃないよね。受験が必要なのは分かるけど、私は受験のための勉強をしたくないから」とサラリと言ってのけた。
彼女は飛び級で大学に入ってもおかしくない学力の持ち主だ。
一般人とは見える景色が違うのだろう。
そんな可恋がリレーに対しては「他人と競うための競技でしょ」と何を考える必要があるのかといった顔で答えた。
確かにそうだ。
悠然と「全力で勝つだけよ」なんて話す可恋は格好いい。
だけど、ずっと休んでいる彼女がリレーのためだけに運動会に来るのはどうなの?
いや、全力疾走する可恋は凄く素敵だけどね!
見てみたいけどね!
そんなことを思い出しているうちにバトンパスの練習が終わった。
リレーメンバーの都古ちゃんと麓さんがわたしたちのところに戻って来た。
可恋はまだコース上にいて、恵藤さんに走り方についてあれこれ指摘している。
最初は口で説明していただけだったが、次第に手取り足取りという感じでふたりが密着し始めた。
体操着姿の少女ふたりが後ろから抱き合っているように見えなくもない。
可恋が男子だったら即通報レベルだ。
「いまから教えて急に速く走れるものなの?」
運動会は明後日だ。
付け焼き刃なんじゃないかというわたしの疑問を都古ちゃんが否定した。
「わかちゃんならギュンギュンギュンって感じで走ったらパーッと行けるんじゃないかな」
わかちゃんというのは恵藤さんのことだ。
そこは分かるがあとが分からない。
「腕をこうグイッグイッて振ればさビューって進むんだよ」
「宇野の説明じゃ分からないよ」と澤田さんが冷静にツッコんだ。
澤田さんは「正しいフォームを身につけると最初はタイムが伸びるよ」と説明してくれた。
わたしは「だったら陸上部の人が教えてあげれば」と正論を言ったつもりだったが、都古ちゃんじゃ無理なのはわたしでも分かった。
そこで「澤田さんなら上手く教えられるんじゃない?」と上目遣いに言ってみたが、彼女は「なんでボクが」とわたしの意図を察してくれなかった。
澤田さんは試験の成績は悪くない。
しかし、気遣いや配慮が苦手のようだ。
ハッキリ言葉にすればわたしの胸の内を理解してくれるだろうが、さすがに言うことはできない。
「わたしもあんな風に教えて欲しいな。可恋とは毎朝一緒にジョギングするのに教えてもらったことがないのよ」
筋トレをする時はフォームをチェックしてもらうが、それでもあんなに接近することはまずない。
いまも可恋は恵藤さんの腰に手を当てて動きを確認していた。
「教えてもらえば、わたしも速く走れるんだよね?」と陸上部のふたりにわたしは視線を向けた。
ところが、ふたりはサッと目を逸らした。
えー、どういうことよ!
わたしは憤慨してふたりを睨む。
「何を怒っているの?」とようやく可恋が戻って来た。
わたしがことのあらましを説明すると、「ひぃなはフォーム自体は悪くないよ。飲み込みも早いしね」と可恋が褒めてくれる。
じゃあなんで速く走れないのよ! と無言で問い詰めると、「筋力が足りないからね。食生活を改善し筋トレを行っても体質的になかなか身につかないから」と言われてしまった。
体質の問題と言われればそれ以上は何も言えない。
でも、納得し切れない思いもあった。
やっぱりわたしも可恋に……。
「日野は日々木に甘いよな」
麓さんが薄笑いを浮かべている。
可恋は澄ました顔で「そう?」と言ったが、次の瞬間「恵藤さん、腕の振りが小さくなってる! もっと意識して!」と大声を出した。
恵藤さんはわたしたちの目の前でダッシュを繰り返している。
ダンス部の部員なので体力はあるようだが、それでも息が上がり気味だ。
可恋の「もっと集中して!」という言葉を聞きながら大量の汗を流している。
「あれが陽稲ちゃんの望み?」と都古ちゃんに言われ、わたしはブルブルと首を振った。
わたしが間違っていた。
トレーニングの時は人格が変わる可恋に本気で指導されたら死んでしまう。
「ダンスと同じよ! 指先まで意識して!」と鋭い声を発する可恋を見上げながら、これからもわたしには甘々でいてねと願うばかりだった。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・3年1組。学級委員。いまだに小学生に間違われるほど小柄で線も細い。それでも以前よりはマシになった。
日野可恋・・・3年1組。空手家。トレーニングは量より質を重視する理論派。だが、必要とあらば限界まで追い込む。
宇野都古・・・3年1組。陸上部エース。走ることが大好きな天然少女。1年の時は陽稲、小鳩、純と同じクラスで仲が良かった。
安藤純・・・3年2組。競泳選手。寡黙でひたすら練習に打ち込むタイプ。可恋からはもっと練習の意図を理解するように言われている。
澤田愛梨・・・3年1組。陸上部。自称天才で、実際に運動も軽々とこなす。自分の才能に頼るタイプで都古には勝てない。
恵藤
麓たか良・・・3年1組。女子ボクサー。不良。道場での可恋の様子は陽稲よりもよく知っている。「日野と比べたら鬼の方が可愛いだろ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます