第491話 令和2年9月8日(火)「カウントダウン」須賀彩花

 今日の練習が無事に終わり、わたしは部室で日誌を書いている。

 このダンス部の活動日誌を書くのも今週限りだ。

 誰が書いてもよかったのに、副部長のわたしが何となく担当になってしまった。

 面倒に感じることも多く、一行だけで終えてしまったこともある。

 それでも1年間書き続けているうちに愛着が湧いた。

 嬉しいことも辛いこともあった。

 拙い文章ながらそんな思いを込めて綴ったものがここに詰まっている。

 書かれたものだけはない。

 突然の休校で活動を停止していた間の空白もまたダンス部の歴史の一部だ。

 そして、わたしのダンス部の活動は間もなく終わろうとしていた。


 ふと顔を上げるとこちらを見つめる綾乃と目が合った。

 綺麗とは言い難い部室の中で、制服姿の彼女の清々しさは際立っていた。

 ただ椅子に座っているだけなのに、わたしとは全然違う。

 内面の成長については少し自信を抱いたものの外見はそう変わるものではない。


 気がつくと綾乃がわたしに熱い眼差しを送っていることはよくあることだ。

 だから、笑顔で「綾乃、どうしたの? わたしの顔に何かついてる?」

と声を掛けた。

 しかし、いつもと同じく彼女は拗ねたように横を向いてしまう。


 綾乃はわたしが書き終えるのを待っていてくれる。

 わたしは綾乃に心から感謝している。

 マネージャーの仕事は大変だ。

 これまで綾乃がひとりでこなして来た。

 彼女の引退に伴い1年生の部員3人がその仕事を引き継ぐことになった。

 だが、3人掛かりでも手が足りないことが判明した。

 綾乃は部長の優奈の無茶振りに即座に対処していた。

 それだけでなく各部員の体調やスケジュールの管理、備品や音楽、練習場の確保など多岐にわたって部の活動をサポートしていた。

 肉体労働には不向きなので力仕事は周りに頼んでいたが、彼女の指揮の下でダンス部は円滑に動いていたのだと思い知らされた。

 まさに縁の下の力持ちだ。


「こうして部室で一緒にいることももうなくなるんだね」とわたしはしみじみと呟く。


 綾乃はこちらに向き直り、「大丈夫。ダンス部を引退しても私は彩花といつも一緒だよ」と励ましてくれる。

 わたしはニッコリと微笑み、「そうだね。ありがとう」と応えた。


 あとは帰宅するだけだが、名残惜しい気持ちに捕らわれていた。

 こうして部室にいられるのもあと数日だけ。

 もうすぐここはわたしたちの居場所ではなくなってしまう。


「この前ね、日野さんに電話したの」


 聞き上手の綾乃にわたしはポツリポツリと話し始めた。

 考えがまとまってから話そうと思っていたが、気が変わった。

 目の前の少女に聞いてもらった方が考えがまとまるかもしれない。


 先週、早也佳がケガをした。

 運動会に間に合うかどうか分からない大ケガだった。

 わたしはその日のうちに日野さんに相談した。


『ケガのことは岡部先生に任せよう』


 日野さんの口から出たのはそんな言葉だった。

 彼女なら奇跡を起こしてくれるんじゃないかという願望がわたしの心のどこかにあったのかもしれない。

 納得できなかったわたしはなおも食い下がって治療中の過ごし方について尋ねてみた。


『うーん、ダンスの動画を見るのはいいと思うけど、それよりもダンスをする意味を考えてみたらどうかな?』


『ダンスをする意味?』とわたしは問い返す。


 それはケガをした早也佳に向けられたアドバイスであるはずなのに、むしろわたし自身への問い掛けのように感じた。

 考えてみれば、わたしがダンスをする理由なんてパッとは思い浮かばない。

 確かにダンスは好きだ。

 でも、ダンス部に入ったのは成り行きに近い。


 昨年の運動会でわたしは頑張って主力メンバーに入り、全力を出し尽くした。

 そこでダンスの楽しさを知ったのは事実だ。

 しかし、優奈がダンス部を作ると言わなければそれ以上続けようとは思わなかっただろう。

 ダンス部に入部してわたしは成長した。

 そう言い切れるほどの実感がある。

 ただそれをもたらしたダンス部での活動とダンスのパフォーマンスとは必ずしもイコールではない。

 実際、わたしは下級生への対応に追われて自分の練習が疎かになってしまったことがある。

 わたしも綾乃のようにマネージャーとして関わっても良かったはずだ。

 実力は辛うじて主力のAチームに入れるという程度だったのだから。


 Aチームの中心を担っていた早也佳とわたしでは「ダンスをする意味」は違うだろう。

 もちろん、エースのひかりや部長の優奈とも。

 わたしは引退前に重い課題を日野さんから負わされたような気になった。


『日野さんはそういうことをいつも考えているの?』と尋ねてみた。


『そうだね。私にとっては空手がそれに当たるけど、好きとか趣味とかじゃなくて生きていくための武器だったから』


『武器?』


『空手をやってなければ身体が弱いままだったかもしれない。身体が弱ければ自信を持てなかったかもしれない。自信がなければ自分の足で立とうとしなかったかもしれない』


 日野さんは淡々と話す。

 重く苦しい過去であっても力に変えられると信じているかのように。


『力って大切なのよ。本気を出せばぶっ飛ばせると思えば相手を許すこともできるようになったし』


 彼女はどこまで本気か分からない口調で語った。

 さらに『暴力だけでなく相手を社会的に抹殺するノウハウをたくさん身につけたお蔭で生きやすくなったわ』なんて付け加えるので、わたしは乾いた笑いしか出て来ない。


『私の例は参考にならないでしょう。でも、誰にだって自分なりの理由があるんじゃないかな』


 それが自分に向き合うということなのだろう。

 わたしは早也佳に伝えると同時に自分でも考えてみると答えた。

 日野さんは最後に『田辺さんによろしく』と言って電話を切った。


「『ダンスをする意味』がまだわたしのなかでハッキリしないから、綾乃に言いそびれちゃった」とわたしは言い訳した。


「私は彩花のダンス、好きだよ」と綾乃が言ってくれる。


 わたしのダンスが見てくれた人に何かを与えているのだとしたら。

 下手でも精一杯頑張ってきたわたしのダンスが。

 もしそんな確信が持てたとしたらまたひとつわたしは成長できるかもしれない。

 そして、こうしていつも側で寄り添ってくれる綾乃のお蔭でわたしは前に進んでいけるのだ。


「高校に入ったら、ダンスを続けるかどうかは分からないけど、何か打ち込めるものを見つけたいね……綾乃と」


 わたしたちは同じ高校を志望している。

 そこでまたふたり手を取り合って歩いて行きたい。


「うん」と綾乃は力強く頷いた。


 その目は潤んでいる。

 わたしは綾乃の存在が愛おしかった。


「一緒の高校に合格したら……」


 わたしは一語一語に決意を込める。

 綾乃は期待するような表情を浮かべた。

 それに応えようとわたしは胸を張って言葉を続ける。


「必ず綾乃に相応しい彼氏を見つけてあげるからね!」


 ガタンと大きな音を立てて椅子がひっくり返る。

 うずくまった綾乃に何が起きたのかとわたしは心配して駆け寄った。

 綾乃は大丈夫と力なく囁いた。


 夜になってダンス部3年のグループLINEでこの出来事を伝えたら全員からわたしが悪いと糾弾されてしまった。

 訳が分からない。

 いちばんおとなしい和奏わかなにさえ『ひどすぎます!』と言われる始末だ。

 それでいて理由を教えてくれないんだから、みんなの方がひどいよね?




††††† 登場人物紹介 †††††


須賀彩花・・・3年3組。ダンス部副部長。おとなしい普通の少女だったが昨年夏頃から急激に成長し、いまやダンス部に不可欠な存在と言われるまでになった。ただし、異常に鈍感という評もある。


田辺綾乃・・・3年3組。ダンス部マネージャー。実はこの学年でもっとも男子に告白された少女。自分から前に出るタイプではなく、聞き上手で誰に対しても分け隔てしない。この学年には高嶺の花タイプが多く、おしとやかな彼女は人気が高かった。ただ昨年夏以降は男子からの告白をすべて断っている。


山本早也佳・・・3年1組。ダンス部。先週木曜日の練習中に捻挫した。現在はまだ無理をせずに安静な状態を保っている。


笠井優奈・・・3年4組。ダンス部部長。彩花の鈍感さに頭を抱えているが、かといってどこまで綾乃に手を貸すかも思案している。引退まで関係が壊れないことを優先している節もある。


日野可恋・・・3年1組。インターネットを使うようになってから著名な大学教授である母親への誹謗中傷を目撃し憤慨していた。絶対に叩き潰す奴らのリストもある模様。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る