第488話 令和2年9月5日(土)「突発的な嵐」日野可恋
「大変!」
長閑な週末の午後、リビングにただならぬ絶叫が響き渡った。
声の主はそんな大声に似つかわしくない天使のような美少女だ。
彼女はこれから世界が滅ぶという神託を受けたのではないかと思うくらい悲愴な表情で私を見た。
「どうしたの、ひぃな」
1年以上のつき合いで彼女のことは理解しているつもりだ。
だから、私の口調がもの凄く面倒くさそうになったのは仕方がないことだった。
ひぃなはそんな私の態度を気にすることなく訴えかけてきた。
「可恋、大変なの! この夏、わたし、浴衣を着ていないの!」
彼女は毎年夏休みにお祖父様の暮らす北関東に行き、そこの夏祭りで浴衣を着る。
その恒例行事が今年は新型コロナウイルスの影響でできなかった。
今年の夏休みは極端に短く、慌ただしく過ぎてしまった。
「あー、そうね。でも、浴衣っぽい服は着てたじゃない」
「浴衣と浴衣っぽい服は別物じゃない!」
そんなことも分からないのかという顔で言われても困る。
ファッションに命を懸けているひぃなは滔々と浴衣の素晴らしさを語り始めた。
彼女の思い入れの強さは伝わってくるが、ひぃなだって浴衣のことを忘れていたんでしょというツッコミは控えた。
もっとヒートアップしそうだったから。
この部屋の中で浴衣を着るだけで満足するのならつき合えば済むことだ。
だが、いまのひぃなの熱の入った顔を見ていると、それだけでは納得しそうにない。
かといって、もう9月だし季節外れの浴衣イベントなんて……。
「とりあえず何がしたいか整理しよう」
私はそう提案したあと「お茶を淹れてくる」とキッチンに向かう。
少し落ち着く時間を与えるためだ。
私もほかの案件を棚上げにしてこの重大事に向き合うことにする。
「みんなで浴衣を着て夏祭りに行きたい」とひぃなは熱い紅茶をひとくち飲んだあとに希望した。
「もう夏祭りはやっていないよね」と私が肩をすくめると、「言ってみただけ」と彼女は唇を尖らせた。
次に挙げたのは浴衣ファッションショーで、そのあとも浴衣を着てみんなが集まるようなイベントが彼女の口から出て来た。
その口振りはできたらいいな程度で、半ば諦めている様子が見られた。
私は「自分の浴衣をみんなに見てもらいたいのか、みんなで浴衣を着て集まりたいのか、どっち?」と確認する。
ひぃなの浴衣姿をみんなに見てもらうだけならなんとかなるだろう。
だが、後者なら……。
私の懸念をよそに彼女は腕を組んで考え込んだ。
「やっぱり、みんなの浴衣姿が見てみたいな……」
ひぃなが出した結論は後者だった。
やはりと思うものの実現は容易ではない。
「ひぃなが浴衣姿を見たがっているから浴衣を着て集まれって強制しようか?」
私はもっとも手っ取り早いアイディアを出す。
私が”お願い”すれば協力してくれる人は少なくないだろう。
しかし、「そんなことしたら迷惑なんじゃ……」と彼女は眉をひそめた。
確かに迷惑は掛かる。
とはいえ誰にも迷惑を掛けずにひぃなの望みを叶えるというのは難易度が高すぎて、私が大変なんだけど。
いまの時期、中学も高校も学校行事があって手を借りにくい。
高校の文化祭が終わるのを待ってゆえさんたちに協力を仰ぐことも考えたが、すでに時季外れなのにさらに時間が掛かってしまう。
できることなら短期間で終わらせてしまいたい。
となると……。
私はスマホを手に取り、何人かに電話を掛けた。
「海外の学校にはドレスアップデイといってテーマに沿った服装で登校する日があるんだよ」
「インターナショナルスクールにもあるよね」
私の言葉にピンときたようにひぃなが答えた。
私は頷いて説明を続ける。
「キャシーの通うインターナショナルスクールで浴衣を使ったドレスアップデイができないか相談してみた。浴衣は桜庭さんに頼んで安くレンタルしてもらうことで、学校全体は無理としても希望者だけでも参加してもらえないかって」
ひぃなが目を輝かせている。
彼女のこのキラキラした瞳を見ることができただけで、私としては満足だ。
「まだ正式に決まった訳じゃないけど、運動会の振替休日になる14日に行うってことで話を進めていくね」
「可恋、凄い! 大好き!」
ひぃなは興奮が抑え切れないといった感じで私に抱きついてきた。
向き合って座っていたのに、間にあるティーセットを倒さないようにちゃんと回り込んで来たので実際は割と冷静そうだけど。
「着付けを手伝ってくれる人が欲しいね」と私が言うと、ひぃなは少し考えて「原田さんたちはどうかな」と口にした。
3年生は受験生だし頼みにくい。
2年生の彼女たちなら最適だろう。
そちらの連絡はひぃなに任せ、私は一応キャシーにも連絡を入れておいた。
彼女の保護者はインターナショナルスクールに多額の寄付をしているので顔が利き、私はそれを利用したからだ。
『ワタシも一度キモノを着てみたかったのよ!』
『着物と浴衣は別物だから。それに残念ながらキャシーに合うサイズがあるかどうか……』
観光客向けのレンタル浴衣がこの夏はまったく利用されなかった。
特に外国人観光客向けは。
衣類は倉庫に放り込んでおけば大丈夫というものではないので、手入れが必要となる。
それをこのイベントと連動させられれば互いにメリットが生じるだろう。
私はその手の業者とパイプのある桜庭さんに頼んでみた。
急な話にもかかわらずすぐに業者を紹介してくれる彼女の優秀さには驚かされる。
ただキャシーは180 cmを越える長身なので彼女用の浴衣が用意できなくても無理は言えない。
『何てこと! カレンのを貸してよ!』
『丈が合わないよ……。でも、ほかになかったら仕方ないか。どうせ私は着ないし』と英語で話していたのに、その瞬間にひぃなから「ダメだよ! 可恋」とダメ出しが入った。
彼女は原田さんと電話をしている最中だったのによく耳を澄ませていたものだ。
私の浴衣も丈が少し短いのよと言い訳したら、ひぃなは「みんなで明日買いに行こう」とニッコリ微笑んだ。
「明日は1日雨みたいだよ」
「だから?」
取り付く島もない。
私が「もう浴衣なんて売ってないんじゃない?」と言っても、「あるところにはあるはずよ」とまったく譲ろうとしない。
私はお店選びをひぃなに任せた。
こうなるともう彼女を止める術はない。
私ができたのはひぃなの買い物にキャシーをつき合わせることくらいだった。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・中学3年生。中学生ながらNPO法人代表を務めるなど大人顔負けの能力を持つ。
日々木陽稲・・・中学3年生。将来の夢はファッションデザイナーという美少女。良い子だがファッションのことになると暴走する。
キャシー・フランクリン・・・15歳。G8に留年した問題児。家族はインテリのアッパークラスなのだが……。
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