第468話 令和2年8月16日(日)「オリジナリティが無いのに評価されて嬉しいの?」高木すみれ

 夏休みに入って、あたしは美術科高校進学のための予備校に週1で通い始めた。

 今日がその2回目の授業だった。


 学科でも実技でも志望校はほぼ確実に合格できると思っていた。

 あたしを指導してくれている美術部の顧問も太鼓判を押してくれた。

 だから、危機感が乏しかった。

 休校期間中にソシャゲにハマり、勉強も絵を描くことも疎かになった。

 自分でもこれではダメだと思いつつ、ずるずると続けてしまった。

 あれだけ時間があったのだ。

 少し前までなら一日中絵を描きまくっていたことだろう。


 学科も先の模試で順位が下がり、若干焦りを感じ始めていた。

 そのタイミングで顧問からこの予備校を薦められた。

 おそらく受験モードに切り替えられないあたしに刺激を与えるためだ。


 美術部は希望者にはあたしのようにしっかり指導してくれるが、現実はオタクの巣窟になっていて誰も絵を描こうとしない。

 文化祭で作品を1点発表すればあとは何をしていても自由という環境だ。

 一部にマンガやイラストを描いている子がいるが、表立ってそれを言うのは憚られる空気がある。

 部長としてそれを変えたいという思いもあったが、あたしでは力不足だった。

 同世代で積極的に美術に取り組んでいる人を見るのはほぼ初めての経験だったので、前回の授業ではその熱量に圧倒された。


 緩んだ雰囲気はまったくない。

 みんな真剣な目で絵に取り組んでいる。

 デッサン力などの技術面は、あたしはこのクラスの中でも上位の方だった。

 しかし、最近のあたしに欠けていた絵にかける情熱がビシバシと伝わってきた。


 そして、それ以上にショックを受けたのは独創性だった。

 彼ら彼女らは休み時間にも自分のスケッチブックを取り出して絵を描いている。

 決められた課題を描く反動からか、そちらは自由奔放なものが多い。

 チラッと見ただけだが、その独創性、オリジナリティに衝撃を受けた。


 影響を受けたプロの作品などがあるのかもしれないが、どれもが個性的だった。

 技量が足りなくても魅力的だった。


 あたしは描くことが好きで好きで好きで小さい頃からのめり込んでいった。

 褒められたら嬉しいという気持ちも確かにあったが、それよりも思いのままに描くという行為自体が特別なものだった。

 一方で、描きたいものや伝えたい思いなんてものは全然なかった。

 唯一そういう気持ちを抱いたのは日々木さんと日野さんだったが、強い衝動があったのはその一度きりだけだ。


 叔母の黎さんに頼まれて同人誌でマンガの作画も担当しているが、見栄え良く描くことにしか興味が湧かない。

 オリジナルを描こうとしたこともあるが、陳腐な内容しか思いつかなかった。


「上手いね」


 今日はあたしもスケブを開いて休み時間に絵を描いていたらそう声を掛けられた。

 顔を上げると、ボリュームのある髪に度の強い眼鏡を掛けた女の子があたしの手元を見ていた。

 黎さんがよくネタにする”一昔前の女オタク”という言葉がピッタリ来るような外見の人だ。


「ありがとう」と言葉を返すと、彼女は「見せてもらっていい?」と聞いてきた。


 あたしは緊張した面持ちでスケブを手渡す。

 上手いという評価はありがたいが、あたしはそれ以外の褒め言葉を言われることが滅多にない。

 いつからか技術はあるがそれだけという自己評価になった。

 正直、オリジナリティに乏しいあたしの作品が評価されても素直に喜べない。

 美術科高校への進学はそういう自分を変えたいという思いからでもあった。


 一枚一枚丁寧に見ていた彼女が「マンガ描いているの?」と尋ねた。

 あたしは眉をひそめて「分かります?」と訊く。

 彼女はスケブを見つめたまま「何となく」と答えた。


 マンガのクセが出てしまうのもあたしの欠点だ。

 具体的にどこにどうというのが分からないので直しようがない。

 黎さんの手伝いは美術科高校進学の金銭的支援の見返りなので辞める訳にもいかない。


 手持ち無沙汰になったあたしは「あなたのも見せてくれますか?」と頼んだ。

 この子がどんな絵を描くのか興味があった。

 彼女は無言で頷き自分のスケブを持って来てくれた。


 それを受け取り、開くと、一瞬で目を奪われた。

 その書き込みの圧倒的な量に。

 余白はまったくなく、紙の全面が鉛筆で黒く塗られていた。

 その濃淡だけでモチーフが浮かび上がってくる。

 スケブをめくると、次の絵も次の絵も同じような絵が続いた。


「凄いですね」と絞り出すように感想を述べる。


 ほかの言葉が浮かばなかった。

 ……こういう子がライバルなんだ。

 それは受験でというよりも、今後歩んでいく美術の世界においてである。

 そして、あたしが通用するのかという現実を突きつけてくるほどの衝撃でもあった。


「1枚描き上げるのにどれくらい掛かりますか?」


「数日から数週間」


 彼女はあたしの絵から視線を逸らさずに答えてくれた。

 1枚の絵にそれだけの時間を掛けられることも凄い。

 普通は飽きてきて別の絵を描きたくなるものだ。

 思い入れのある1枚ならともかく、こうして何枚もそれができるのは才能だろう。


 あたしは甘く見ていたのかもしれない。

 美術科高校には彼女のような才能の持ち主がゴロゴロいるに違いない。

 そういう人たちと競い合いながら美大やプロの世界で認められなければならない。

 あたしにそれができるのか?


 心が折れそうになったタイミングで彼女が「羨ましい」と呟いた。

 もの思いに沈んでいたあたしは意味が分からず彼女の顔をまじまじと見た。

 彼女は相変わらずあたしのスケブを注視していた。

 いつものあたしならいまの発言の意図を問い質すなんて真似はしなかっただろう。

 だが、いまはどうしても知りたかった。


「羨ましい……ですか?」


「これだけのデッサン力があれば何だって描けそう」


 確かに彼女の絵はデッサンの面では粗さがあった。

 構図などほかにも欠点を挙げ出すといろいろと出て来るだろう。

 そういうものを吹き飛ばすほどのインパクトはあったが、それだけではダメだと彼女が思っているように感じられた。


「上手いだけ」と言い掛けて口を閉ざす。


 謙遜は嫌味に聞こえるかもしれない。

 絵に真っ正面から向き合っている相手に不誠実な対応は失礼だ。


「デッサンには自信があるけど、あなたのような絵は描けないと思う。あたしはもっと独創性が欲しい」


 あたしがそう言うと彼女は「誰にでも足りないものはあるのね」と安心するように微笑んだ。

 あたしは「そうだね」と頷く。

 足りないことを知るから人は努力するのだろう。

 井の中の蛙になっていたあたしに大海の存在を知らせるために顧問は予備校を薦めてくれたのだと思う。


 よし、ソシャゲは封印しよう。


 ……ログインボーナスもらうだけならいいかな。


 ……もったいないからデイリーミッションだけクリアするってことで。


 ……とりあえずいま開催中のイベントが終わってから考えよう。




††††† 登場人物紹介 †††††


高木すみれ・・・中学3年生。美術部部長。叔母の黎(ペンネーム)は大手同人サークルを主催している。母も元同人作家で、そのふたりの影響を受けて小さい頃から絵を描いていた。

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