第467話 令和2年8月15日(土)「中3の夏」須賀彩花
画面の中で『あっちぃなぁ』と優奈が顔を歪ませる。
それでも可愛く見えるのだから美人は得だ。
もう夜が更けたというのに、気温は30℃近くある。
お風呂から上がり自分の部屋に戻って急いで冷房をつけたけど、冷えるまで時間がかかりそうだった。
『それで、大事な話って?』とぶっきらぼうに言ったのは早也佳だ。
普段はもっと愛想が良いのだが、いまは眠そうにしている。
まだ深夜という時間帯ではないので、これまでならいちばん元気にお喋りしたりLINEしたりする時間帯だ。
だが、わたしと同じように朝から勉強勉強だったのだろう。
受験生のわたしは夏期講習、塾の課題に学校の課題と毎日勉強に追いまくられている。
夏休みが例年の半分以下なので、油断するとあっという間に2学期だ。
『あー、引退することにした』
唐突に優奈が発言し、わたしは『えっ!』と驚きの声を上げた。
すかさず綾乃が『いつ?』と尋ね、『あー、運動会終わったらね』という優奈の言葉を聞いてわたしは胸をなで下ろす。
『そこまでセットで言ってくれないと心臓に悪いよ』とわたしが言うと、優奈は『
『ほかの3年に強制するようなことじゃないけど、影響があるかもしれないし3人には先に伝えておこうと思ってね』
優奈の言葉にわたしは頷く。
ダンス部は創部1年経っていないできたての部だ。
それだけに部長の優奈の行動はほかの部員に影響を与えやすい。
3年の引退時期についてもどうするか定まっていなかった。
優奈はずっと文化祭までやりたいと言っていたし。
『良いタイミングだと思うよ。たぶんわたしも運動会までだと思うし……』
『そうだよな。どっかでパッとやって、やり切った感が欲しいよな』
わたしに続いて早也佳が発言した。
わたしが『綾乃は?』と聞くと、『引き継ぎができたら』と彼女は答えた。
いまダンス部にマネージャーは綾乃ひとりしかいない。
1年が大量入部したためひとりでもキツいのに、引き継ぎなしに引退したら後輩たちも困るだろう。
『辻さんたちは1年の中から数人をマネージャーになるよう説得するみたいだから、引き継ぎまでのスケジュールをしっかり立てないとね』
わたしはそう話しながら、自分の副部長の仕事についても具体的にどう引き継ぐのか考えた。
これまでは漠然としていた引退のイメージがこうして具体的な計画を立てると一気に現実味を帯びてくる。
運動会まで1ヶ月ほどしかない。
慌ただしく日々が過ぎていくだろうという予感が寂しさを伴って頭を
『なんか、もう終わり? って感じだよなあ』としんみりと呟く早也佳に、『創部した時は中学生活がまだ半分あるって思ってたけど、休校やら受験やらで時間的には短くなったしなあ……』と優奈も同意する。
『ま、アタシはやりたいことができたから、そこまで不満じゃないけどな』
優奈はそう言って笑った。
その顔からは未練は感じられなかった。
『やりたいことって?』と綾乃が聞く。
優奈は聞いて欲しそうな顔をしていた。
そして、綾乃はそういうのを読み取るのがうまい。
『部員全員がひとつのことに一丸となって頑張ること』と優奈は照れながら答える。
それがソフトテニス部ではできなくて、ダンス部を作った原動力だったのだろう。
意外と体育会系的な優奈らしい回答だった。
『じゃあ、運動会に向けてもう一度頑張らないとな』と気合を入れる早也佳の顔から眠気は消えていた。
『そうだね。後輩たちに先輩の勇姿を見せつけないとね』とわたしも笑顔で言った。
2学期開始早々に校内で小規模のダンス発表会を行うが、メインは運動会になる。
街中等でのイベントは難しいだけに、そこで全力を出し切って引退を迎えたい。
心地いい沈黙が流れ、話し合いは終わりかなと思ったところで綾乃が口を開いた。
彼女が率先して話題を出すのは珍しい。
『ひかりのことはどうするの?』
その言葉に優奈が頭を抱え込む。
日野さんと優奈がひかりに高校に行かずにダンスの道を進むよう言ったため、ひかりはすっかりその気になった。
彼女の保護者は事件のこともあってその考えに賛成はしていないが明確な反対もしていないという状況だそうだ。
学校も本人の意志を尊重するという立場を取っている。
ただ、日野さんは海外で実績を積ませるような構想を抱いていたが現在の状況では難しいだろう。
優奈は『日野とはちょくちょく相談してる。ダンスの勉強をしながらユーチューバー目指すとか、芸能事務所入るとか、方向性はいろいろあるんだよ』と説明した。
『ただなあ、ひかりひとりでは無理という点は日野とアタシとで一致してるんだ』
『……だろうね』とわたしは頷く。
ひかりは歌やダンスに抜群の才能を持っている。
練習熱心で向上心もあるが、好きなこと以外はまったくやろうとしないタイプだ。
しかも、周囲の人間の影響を非常に受けやすい性格をしている。
谷先生に言われるままに売春までしてしまったのだから、影響の受けやすさは相当のものだ。
彼女が高校に進学した場合、偏差値の低い高校になるし、そこで周囲の影響を受けるとダンスを続けることは難しいと日野さんや優奈は判断した。
見た目は可愛いので悪い男に引っ掛かったら目も当てられない結果になることはわたしでも想像できる。
『中学にいる間は自主練してもらって、卒業したらしばらくはアタシが面倒を見ることになるだろうな』
『最近は三島さんといつも一緒だけど大丈夫なの?』
わたしの懸念に『アイツもひかりのことを思って行動してるし、卒業後もアイツと協力しながらやらないといけないだろうからいまは任すよ』と優奈は答えた。
優奈は一度身内認定した相手には甘くなるし、積極的に手を貸そうとする。
優奈にとってひかりは友だちだし、ダンスの才能に惚れ込んでいるところもあるのでここまでするのだろうが、友だちの領分を越えているようにも見える。
『ひかりの扱いはあかりたちとも相談してどうするか決めるよ』と優奈は結論づけた。
ひかりが卒業まで部に残って後輩のダンスの指導を続けるのか、部から離れて個人練習を続けるのかは今後ダンス部を導く後輩たちの意見を聞く必要がある。
それが妥当だろうとほかの3人は納得した。
ビデオチャットを終えたわたしはベッドに寝転がった。
ふーっと長い息を吐く。
両腕を上に伸ばし、天井を見つめる。
2年生の時、ひかりはわたしたちのグループに途中から加わった。
彼女のことを友だちかと聞かれたら、友だちだと迷わず答えられる。
だけど、優奈のようにひかりのために行動できるかと問われたら、無理だと答えてしまうだろう。
相手が優奈や美咲、綾乃なら別だ。
わたしはできる限りのことをしたいと思うし、そのために必死で行動するだろう。
いまのわたしなら少しくらいなら役に立てると思う。
ひかり相手にそうしようと思わないわたしは冷たいのだろうか。
スマホが振動した。
見ると綾乃からメッセージが届いていた。
『彩花は悪くないよ』
相変わらずわたしのことをよく見ている綾乃にわたしは『ありがとう』と返信した。
††††† 登場人物紹介 †††††
須賀彩花・・・3年3組。ダンス部副部長。ダンスの技量はともかく、彩花がいないとダンス部が回らないと思われるほど優奈からの信頼は厚い。
笠井優奈・・・3年4組。ダンス部部長。見た目は今風のギャルだが、中身はかなり熱い性格の持ち主。
田辺綾乃・・・3年3組。ダンス部マネージャー。マイペースで寡黙な性質だが聞き上手として知られる。
山本早也佳・・・3年1組。ダンス部。優奈の以前からの友人でムードメーカー。役職はないが副部長格として扱われることが多い。
渡瀬ひかり・・・3年4組。ダンス部。アイドル並の容姿で校内屈指の歌唱力とダンスの腕を誇る。1年前に盗撮騒ぎを起こし、それ以降優奈が面倒を見ている。
三島泊里・・・3年4組。ダンス部。1年の時にクラスで孤立していたひかりを合唱部に引き込んだ。事件後ひかりと離れている時期もあったが、ダンス部に加入して再びひかりと共に行動するようになった。
日野可恋・・・3年1組。ダンス部創部に協力した。ひかりの件にも協力はするが一線は引いている模様。
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