第469話 令和2年8月17日(月)「前途多難」原田朱雀

 目の前には日々木先輩の天使のような笑顔があり、わたしの心を癒やしてくれている。

 だが、頭の中は「どうしてこうなった!」という思いでいっぱいだった。


 手芸部の部室である家庭科室には8人の生徒が席に着いていた。

 黒板のある側に手芸部部長であるわたしと、副部長のちーちゃん。

 左手の廊下側にダンス部からあかりちゃんとほのかちゃん。

 わたしの対面に日々木先輩……まではいい。


 その横には護衛としてついて来たと話す麓先輩。

 この学校一の不良と呼ばれ、彼女の前ではどんな不良も道を空けるそうだ。

 そんなヤバい人にどう応対していいのか分からず、2年生の顔には緊張が浮かんでいる。


 それだけではない。

 右手の窓側には生徒会代表として久藤さんと小西さんが来ていた。

 彼女たちふたりとわたしとちーちゃんは昨年度1年3組で同じクラスだった。

 久藤さんはそこで女王のように君臨し周囲を支配した。

 多数派のグループで、自分たちだけ好き勝手に振る舞える状況を作り出した。

 さらに1年最強と言われた小西さんが隣りで彼女を支えていた。

 わたし自身は嫌味を言われる程度だったが、教室内は息が詰まるような雰囲気だった。

 それが嫌で、わたしは手芸部を作り昼休みや放課後は逃げるようにこの家庭科室に駆け込んでいた。

 その元凶のふたりがいま隣りにいる。

 久藤さんが生徒会入りしたという噂は耳にしたが、まさかこういう形で対面するとは思ってもみなかった。


「えー、では、第1回のファッションショー開催準備会議を始めます」


 複雑な感情をなるべく顔に出さないように気をつけながら、わたしは開会を宣言する。

 10月下旬に行われる予定の文化祭でファッションショーを計画している。

 当初は手芸部が主催する腹づもりだったが、新入部員獲得に失敗してしまった。

 事実上3人しかいない部員数ではとても手が回らないと多方面に協力を要請することになった。


「クラスをまとめることはできるの? それが無理なら砂上の楼閣よ」


 真っ先にそう言及したのは久藤さんだ。

 その表情からはこの計画にあまり乗り気でないことがうかがえる。


「2学期が始まったらすぐに話し合いをします」とわたしが答えると、日々木先輩が笑顔のまま「事前に過半数の賛成を取り付けておいて、話し合いの時点で決まっているくらいじゃないと厳しいよ?」と指摘した。


 手芸部の人数不足を補うために考え出したのがクラスの出し物にすることだった。

 この案を打診すると、日野先輩から生徒会やダンス部と正式に共同企画とするようにと指示が来て、この会議の招集が一方的に決められた。

 クラスを巻き込む以上それなりの形にしなければならないが、クラスと手芸部だけでは無理なのだそうだ。


 短縮された夏休みは明日で終わり、明後日は2学期の始業式だ。

 文化祭までまだ2ヶ月と少しある。

 わたしは夏休み明けにクラスで話し合いを重ねて合意を得たら、ダンス部や生徒会に協力を得ようと考えていた。

 しかし、それでは遅いと日野先輩から注意を受け、日々木先輩も同意見のようだ。


「昨年はわたしと松田さんのコレクションがあったから衣装集めがスムーズにできたけど、今年はそこが大変そうなのよね」


 日々木先輩は自分の衣装を喜んで貸すと言ってくれたが、残念なことに妖精のような彼女の服を着ることができる生徒は多くない。

 サイズ的な問題があるからだ。

 小柄なちーちゃんならいけるかなと思うが、平均的な体型の持ち主にとっては小さすぎるだろう。

 日野先輩の分も貸してもらえるそうだが、こちらは大きめなのでいちばん欲しいサイズが足りていない。


「まずはモデルを決め、それから衣装を集めるという流れになりますよね?」とわたしが確認すると、「そうだね。ただ場合によっては衣装に合わせてモデルの数を絞った方がいいかもしれないね」と日々木先輩は答えた。


 モデルはダンス部の2年生に担当してもらうことになっている。

 だが、日々木先輩はそこにも注文をつけた。


「クラスの出し物でもあるのだから、モデルの希望者がいればクラスからも出してあげようよ。あと、これはわたしの希望だけど、生徒会メンバーにもモデルをやって欲しいな」


 久藤さんが眉をひそめて「全員ですか?」と尋ねる。

 日々木先輩は「小鳩ちゃんに参加して欲しいのだけど、全員参加という建前でないと出てくれないでしょ?」と久藤さんの顔を見た。

 小鳩ちゃんというのは生徒会長のことだ。

 日々木先輩は鼻歌交じりで「小鳩ちゃんを着飾らせるのがいちばんの楽しみなの」と語っている。

 久藤さんは「善処します」と答えた。

 さすがに先輩相手に楯突くことはできないようだ。


 クラスの希望者や生徒会メンバーのウォーキングの練習についてはダンス部に丸投げすることになった。

 手芸部では手が足りないし、ダンス部の3年生には昨年のファッションショーの経験者がいるので手伝ってもらうよう日々木先輩からも声を掛けてくれるそうだ。


「とにかく、工程表を作って進捗状況の確認は複数人数で行うようにって可恋が言っていたから」


 日々木先輩の言葉にわたしは真剣な顔で頷く。

 昨年のファッションショーのノウハウが詳細にレポートとして残っているのでまだ楽だが、それでも今年の状況に合わせて落とし込むのは簡単ではない。

 2学期は運動会や中間テストが文化祭の前に予定されている。

 2年のキャンプは中止になったが、3年生は修学旅行がある。

 ダンス部は運動会まではかなり忙しいようなので、本格的に協力を仰ぐのはそれ以降だ。

 さらに校内で感染者が出たり、クラスターが発生したりしたら……。

 そんなリスクも頭の片隅に入れておかなければならない。


「ところで、ファッションショーのコンセプトはどうするの?」


 段取りの打ち合わせが一段落したあとで日々木先輩がわたしを見て言った。

 そこは当然考えてある。


「withコロナ。コロナとの共生をイメージしたファッションを考えています。具体的にはモデル全員にマスクを着用してもらいます」


 マスクは手芸部を象徴するアイテムだ。

 全校生徒に手作り布マスクを配布したし、この半年は嫌になるほどマスクを作った。


「手芸部らしくていいね」と日々木先輩も褒めてくれる。


 わたしは誇らしげに胸を張った。

 成功までの道のりはまだまだ遠いが、女神様の慈愛に満ちた眼差しが注がれる限りわたしは頑張ることができる。


 こうして最初の顔合わせを兼ねた協議が終わった。

 3年生のふたりが先に部屋を出て行く。

 小西さんがホッとする顔を見せ、彼女ですら麓先輩を恐れているのかとわたしは思った。


 次いで、無言で生徒会のふたりが家庭科室を出ようとした。

 その背中にわたしは「久藤さん」と呼び掛ける。

 彼女は足を止めてゆっくりと振り向いた。


 昨年の文化祭で1年3組はお化け屋敷をする予定だった。

 だが、久藤さんたちクラスの中心にいる男女は楽な役割を独占し、面倒な作業はほかの子たちに押しつけた。

 準備はまったく捗らずお化け屋敷は無理だとなって合唱に切り替えた。

 やる気のないクラスメイトが多く、結果は散々なものに終わった。

 その時のことがわたしの頭を過ぎる。


 だから、いまここで久藤さんに何か言わなければならない。

 このまま帰してしまってはいけない。

 上級生の名前を出して無理やり協力を要請する?

 それとも下手に出て、頭を下げてお願いする?

 わたしはどちらも違うと思った。


「久藤さんに協力して欲しい」とわたしは背筋を伸ばしてただ希望のみを伝えた。


 彼女は無表情のままわたしを見つめた。

 少し間を置いてから「考えておくわ」と言って出て行った。

 姿が見えなくなってから、ほのかちゃんが「何よ、あの態度」と憤慨した。

 一方、ちーちゃんは「一歩前進じゃないかな」と評価した。


「拒否でも無視でもなかったから、いまはこれでいいよ」とわたしもちーちゃんに同意する。


 前途多難ではある。

 それでも前に踏み出すことができた。


「ダンス部との連携はまつりちゃん、クラスの掌握はちーちゃんに任せるね。わたしは生徒会を攻略する!」


 おそらく成功の鍵は生徒会の協力をどこまで得られるかだろう。

 久藤さんは大の苦手だが、彼女の力を借りなければこのミッションは成し遂げられない。

 ならば、やるしかないのだ。




††††† 登場人物紹介 †††††


原田朱雀・・・2年2組。手芸部部長。昨年の文化祭でのファッションショーを見て、今年の文化祭で手芸部主導によるショーを熱望した。


鳥居千種・・・2年2組。手芸部副部長。朱雀の幼なじみで親友。


日々木陽稲・・・3年1組。昨年のファッションショーで衣装のコーディネートを担当した。手芸部の創部に協力。


麓たか良・・・3年1組。不良。可恋に負けて以来彼女に従っている。今日は忙しい可恋に代わって陽稲の護衛を命じられた。


久藤亜砂美・・・2年1組。生徒会役員。最近生徒会入りし、会長からこの件を任された。


小西遥・・・2年4組。正式には生徒会入りしていないが親友の亜砂美の手伝いという位置づけ。


辻あかり・・・2年5組。ダンス部。次期部長候補。バレンタインデー後の生徒会への直訴の件以来、朱雀とはよく会話する間柄。


秋田ほのか・・・2年1組。ダンス部。あかりの親友でダンス部のエース。


山田小鳩・・・3年3組。生徒会長。陽稲とは1年の時のクラスメイトで仲が良い。


日野可恋・・・3年1組。昨年のファッションショーでプロデューサー役を務めた。

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