第466話 令和2年8月14日(金)「身を守る」日々木陽稲

「キャシーが『首を洗って待ってろ』だって。意訳だけど」


 リビングで可恋がスマホから視線を上げてわたしに言った。

 わたしも勉強の手を止めて顔を上げる。

 そろそろお昼だし、勉強はここまでにしようと会話に参加する。


「わたしにも来ていたよ。KAMEHAMEHAだか何だかがもうすぐ撃てるようになるから、可恋なんて怖くないって」


 わたしは何のことか分からなかったので聞いてみると、「昔のマンガの技だと思うよ」と可恋は教えてくれた。

 キャシーの可恋に勝つという発言は耳にたこができるくらい聞いた。

 今回もその類いだろうと思っていると、可恋は「それは無理にしても、そろそろ勝ってもらわないとね」と口にした。


 可恋は170 cmと日本人女性にしては大柄だ。

 だが、キャシーはそれよりも頭ひとつ分くらい大きく、身体能力が人間離れした黒人少女である。

 体型だけ見ればキャシーが勝って当たり前なのだけど、これまでは経験の差が大きかった。

 可恋は幼少期から空手を学んでいる。

 キャシーは1年前に来日してから空手を始めた。

 むしろ1年で追いついたことの方が凄いと褒めるべきかもしれない。


「悔しくないの?」と負けず嫌いの可恋に尋ねる。


「組み手の選手じゃない私よりいつまでも弱かったら、私の教え方に問題があるみたいじゃない」と可恋は渋面を作った。


「だけど、キャシーが可恋より強くなったら、いろいろ手に負えなくなるんじゃない?」


 わたしは首輪が外れた大型犬を思い浮かべながら言った。

 キャシーは小学生男子のように考えなしで思いついたままに行動する。

 コロナ禍で東京が自粛ムードに覆われていた時も空手の道場巡りをしていた。

 そんな彼女を檻に入れるみたいに可恋は神奈川の地元の道場にホームステイさせたのだ。


「組み手の試合では勝てなくても、倒す方法はあるから」


 可恋は事もなげに言った。

 体格差があるからルールのない戦いの方が可恋は不利だと思うのだけどそれは素人考えなのだろうか。

 深く聞くと怖い答えが返ってきそうなので、わたしは格闘技繋がりで話題を変えた。


「そういえばダンス部の1年生の劉さんはアメリカにいた時に中国拳法をやっていたんだって」


 劉さんはアメリカ育ちの中国人だ。

 日本語も堪能だが、いちばんしっくり来るのは英語だそうだ。

 そこで、英語での話し相手としてわたしが呼ばれ、少しお喋りをした。


「強いの? って聞いたら否定していたけど、毎朝近くの公園に集まって健康のためにしていたって」


 わたしはそう話しながら、彼女がやっていた動きを再現する。

 手を伸ばした状態でゆっくり身体を回転させるような動きだったかな。

 どれほど真似できたかは分からないが、それだけで可恋は「太極拳だろうね」と推測した。


「身体のコントロール能力が高いって聞いていたけど、それで身につけたんでしょうね。一度見てみたいな」


 わたしが散歩に誘っても暑さを理由に朝稽古と買い物以外可恋は家から出ようとしない。

 それなのに興味があることに対してはフットワークが軽いのが可恋だ。

 わたしは「見学に行くならわたしも連れて行ってね」とお願いしておく。

 可恋は笑いながら頷いてくれた。


「わたしも、その……たいなんとか拳を覚えたら強くなるかな?」


 劉さんがした動きはとてもゆっくりだった。

 あれなら、わたしにもできるかもしれない。

 いつも可恋に守られてばかりだし、少しは強くなりたいものだ。


「健康のためにはいいんじゃない」と可恋は答えた。


 強くなると言ってくれなくて、わたしは頬を膨らませる。

 一方、可恋は目を細めながら自分の顎に手を当てた。

 わたしが「どうかした?」と目で尋ねると、可恋は「これからのことをね」と呟いた。


 わたしのことで真剣に思い悩むとしたら高校のことだろう。

 わたしが「臨玲?」とその名を挙げると、可恋は無言で肯定した。

 来春ふたりが入学予定のお嬢様学校のことを可恋はもの凄く警戒している。


「味方を増やす手段が乏しいからね」


 そう切り出した可恋は説明を続けた。

 教職員については理事長の片腕である北条さんが入れ換えることを示唆していた。

 しかし、現実は数名の入れ換えにとどまるだろう。

 明確に前学園長派の人は排除できても、新しく来た教職員が我が物顔で振る舞えば元からいた人たちは反理事長派に回る可能性が高い。

 誰が敵で誰が味方かを見分けられるのは、わたしたちが入学してからになると可恋は予想していた。


「生徒についても1年生は入学してみないと分からないし、上級生は敵だと考えた方が良いし」


 わたしが「そうなの?」と驚くと、「寄付金が多いだとか、親が有名だとか、そういう生徒を前学園長が優遇していたの。やりたい放題みたいな感じだったそうよ。そんな人たちにわたしたちは立ち向かうことになるのだから」と可恋は淡々と言葉を続けた。

 わたしはおまけみたいなものだが、可恋は理事長直々に学校見学に招待された。

 争いを傍観することは許されず、先頭に立って戦うことを求められている。


「臨玲に進学する以上、危険を一掃して安全を確保する必要がある。数々の特権を認めてもらうのだからそれ相応の働きはするつもりだけど……」


 言うまでもなく、可恋の弱点がわたしだ。

 わたしのために臨玲に来てくれるのに、彼女が活動するための足かせになってしまっている。


「そんな顔をしないで。いざとなればキャシーをボディガードに雇うといった手もあるから」


 可恋はわたしの頬に手を伸ばし、慰めるように言った。

 ただそうするとキャシーは……。


「1年留年するのも2年留年するのも似たようなものよ」


 ……いやいやいや。

 それはあまりにも可哀想じゃ。


「キャシーは手加減ができないから、理事長にいろいろともみ消してもらうことになりそうね」


 ……いやいやいや。

 それはあまりにも問題がありすぎなんじゃ。


「まあ、どうにかするからひぃなは心配しないで」


 いや、シャレにならないほど心配なんですけど!


 頬に当たる手のひらの温もりにわたしは何も言えなかった。

 きっと可恋なら何とかしてくれるはずだ。

 一部に多大な迷惑が掛かるかもしれないが、その時はわたしも可恋と一緒に謝ろう。

 謝って許してもらえるレベルで済めばいいなと願うしかないのだけど。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。毎朝ジョギングをしているのに運動能力がほとんど伸びない。身長は絶対秘密。小学生並みだが、いつかは……。


日野可恋・・・中学3年生。敵地にふたりで飛び込むのだから用心しすぎということはないと考えている。目的のためには手段を選ばないタイプ。


キャシー・フランクリン・・・G8。15歳。1年前に来日した黒人少女。身体能力は抜群だが勉強はやる気がなくインターナショナルスクールを留年することに。


可馨クゥシン・・・中学1年生。ダンス部。


 * * *


臨玲について改めて整理しておくね。


この学校は明治時代に創立した女子高で、宗教色がほとんどない珍しい学校だったの。

関東では非常に有名で、ある年代以上の人には特別な思いを持って見ていたりするわ。


しかし、時代の変化に対応できなかった。

いまだに高等部だけしかないなんて時代遅れよね。

ただ最近は私立の中高一貫校が高校の募集を行わないケースが出て来たため、それなりの人気はキープできている感じ。

ゆえさんによると、中高一貫の女子校と比べてクセのある生徒が多いんだって。


人気が凋落した原因のひとつが理事長と学園長の対立ね。

前理事長の急逝があり、いまの理事長が就任したものの、その能力を見限った学園長が学校を牛耳り、理事長を追い落とそうとしたの。

ほぼ成功しかけていたんだけど、窮鼠猫を噛むって感じで逆襲に成功し、学園長を失脚させた。

その立て直し1年目が今年度なんだけど、準備の時間がなく、コロナ禍もあってほとんど何も手がついていない状態のよう。

そこで準備を整え、来年度に新生を図ろうと試みているところ。


私たちは理事長につくか、反理事長派につくか、傍観するかの三択があったの。

詳しいことは話せないけど、反理事長派の一部に問題行動をしている人がいて、校内の安全を確保するためにはその排除は避けられそうにないのよ。

どうせ敵は倒さなきゃいけないんだから、理事長について特権を手に入れるのが手っ取り早いかなって。

必要とあらば、そのあと理事長も追い落として学校を乗っ取っちゃえばいい訳だしね。


陽稲「可恋、暴走しすぎだよ!」

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