第461話 令和2年8月9日(日)「見えていたもの」川端さくら

 遊びに行くと言うとお母さんからいろいろ言われるかなと心配したが思い過ごしだったようだ。

 受験生にとっては勝負の夏休みなんて感じで、おおっぴらに遊びに行くとは言いづらかった。

 それでも言わない訳にはいかない。

 意を決して告げると、お母さんは「楽しんでおいで」とお小遣いまでくれた。


 たぶん、最近わたしが元気がなかったことを気にかけていたのだろう。

 家族の前ではなるべくそれを出さないように気をつけていたが、お母さんの顔を見るとやっぱり気づいていたようだ。


 いつもの夏休みの倍以上もあった休校期間。

 いま思うと、先行きも見えず、外出もろくにできず、心安まる日常とはほど遠いものだった。

 休校が明け、短い1学期はいままでとは異なる学校生活だったし、負担も大きかった。

 特にクラス替えの影響はいまだに尾を引いている。


 友だちと遊びに行くことがそんなもやもやを吹き飛ばすことになるのか、それとも更にもやもやすることになるのか、わたしには分からなかった。

 行きたくないという気持ちもかなりある。

 でも、行かないと不安が心をかき乱しそうで、行けないと言い出すことができずに今日を迎えた。


 雲があって少しは日差しを遮ってくれているのに朝からうだるように暑い。

 集合場所の駅前には、ほかにも遊びに行く様子の中高生がグループを作っている。

 だが、注目度はおそらくわたしたちがいちばん高い。


 白いシャツにデニムのオーバーオールという日々木さんは大きな麦わら帽子やマスクで顔が隠れていても目立つし、ピンクのパーカーにキュロット、その下にレギンスと山歩きファッションで身を固めた怜南も存在感が抜群だ。

 しかし、このふたり以上に長身でスタイルが良い日野さんと澤田さんが周りの目を引いていた。

 ともに長袖シャツにジーンズというシンプルな出で立ちなのに着こなしが上手いのかモデルのように格好良かった。

 日野さんのサングラス姿があまりにもアレで、みんな遠巻きに見つめている感じではあったけど。

 わたしもみんなと一緒でなかったら近づく勇気がなかっただろう。


 そんな集団の中にあってわたしはいかにも普通という恰好で気後れした。

 宇野さんがTシャツにジャージのズボンというラフな服装で堂々としていたのが救いだ。

 そして、集合時間ギリギリになってやっと現れたのが心花みはなだった。

 オフショルダーで膝上丈の爽やかな青のワンピースは似合っていたが、どう考えてもこれからハイキングへ向かうようには見えない。

 ひとり場違いな衣装に身を包み、ニコニコしている心花に誰も何も言えなかった。


 この7人で電車に乗り込む。

 莉子はハイキングと聞くと即座にパスと返事を寄越し、結衣も急に用事を思い出したと連絡してきた。

 結衣が行かなければ当然有加も行かない。

 渡部さんに至っては返事もなかった。

 日々木さんのグループではダンス部のふたりが予定があると言って不参加。

 グループ外の岡山さんにも一応声を掛けたが、受験生の自覚が足りないんじゃないのという非難めいた言葉が返ってきた。

 麓さんには怖くて声を掛けていない。


 車内では昨日臨玲高校を見学に行ったという日野さんと日々木さんに怜南がいろいろと質問をしていた。

 わたしは参加者の様子を少し離れたところから観察する。

 グループの調整役みたいなことをやってきたからだろうか、女子の人間関係はよく気がつく方だと思う。

 この7人で頂点に立つのは明らかに日野さんだ。

 その日野さんに積極的に話し掛けているのが怜南と日々木さん。

 怜南の気を引こうとしているのが心花で、日々木さんに目を向けているのが陸上部のふたりだった。


「日野さんって凄いよね。あれなの? 勉強しなくても余裕でできちゃうタイプ?」


 怜南はひたすら日野さんを持ち上げている。

 臨玲に行くのはもったいないと話し、期末テストの成績を絶讃し、天才という言葉を使って賞賛している。


「高月さんだって成績良いじゃない」


「私は塾に行って必死に勉強してこれだもの」


「それができるのは凄いことだよ。やろうと思ってもなかなかできることじゃない」


 日野さんはおだてられても照れることなく受け流し、逆に相手を褒めて主導権を奪い返した。

 自分のやり方は特殊だから参考にならないので高月さんの勉強法をみんなに教えてあげるといいねなんてサラリと言って、怜南の思惑に乗ろうとしない。


「今日くらいは勉強の話は止めようぜ」という宇野さんの助け船が出るまで、怜南は日野さんからの質問に答えることしかできなかった。


 ハイキングと言っても街中の緑道を散歩するだけだ。

 この付近で定番である高尾山という案も出たが、お手軽な方が支持された。

 目的の駅に到着すると、交替でトイレタイムになった。

 怜南と心花が行ったタイミングで日野さんがわたしに声を掛けてきた。


「元気ないね。大丈夫?」


 なんて言葉を返すか迷った。

 特に不調ということはない。

 ただ元気だとニッコリ返事をする気力はなかった。


「……平気」とわたしは彼女の顔を見ずに答える。


「津野さんって……」


 心花の名前が出てわたしは顔を上げた。

 サングラスとマスクで日野さんの表情は分からない。


「自分と同等か上と意識した人しか目に入らないタイプだよね」


「ああ、そういうところはあるかも」


 心花は自分の興味があることしか見ない性格だ。

 これまでグループ外の女子に関心を抱くことはほとんどなく、過激な発言をしてもいじめのようなことはなかった。


「だから、いまの彼女は川端さんのことを見えていないのかもしれないね」


 日野さんの口調は軽かったが、わたしの心に重くのしかかる発言だった。

 わたしは俯き、右手を自分の胸に当てる。


「川端さんが高月さんより劣っているとは思わないけど、自信喪失中のあなたに話し掛けたいと思うかな」


 それだけ言って日野さんは離れて行く。

 わたしは何も言い返せなかった。

 間もなく怜南と心花が楽しそうにお喋りしながら戻って来た。


 駅を出発してものの5分も経たないうちに心花が足が痛いと言い出した。

 ほかのメンバーが全員スニーカーなのに対して、彼女ひとりがサンダルだった。


「歩きやすい服装でって念は押したんだけどね」と怜南が弁解するが、一度や二度言っても心花は聞きはしない。


 ワンピースに呆気に取られて足下まで確認しなかったわたしのミスでもある。

 気づいていれば靴だけでも替えるように言って出発を遅らせていただろう。


「ほら、荷物持つから」とわたしは心花を宥めすかす。


 仕方がないので近くにあった公園で休憩することにした。

 わたしと心花がベンチに腰を下ろすと、「走ろう!」と叫んだ宇野さんが公園の中を駆け巡り始めた。

 同じ陸上部の澤田さんですらそれを呆れた顔で見ている。


 怜南は相変わらず日野さんに熱心に話し掛けている。

 その隙を突いて澤田さんが日々木さんに声を掛けようとしているが、日野さんは常に日々木さんと澤田さんの間に立ち容易に近づけさせない。


 心花の足の痛みが和らいだところで再出発だ。

 わたしは心花に一緒に帰る? と提案したが彼女は首を横に振った。

 どこまで歩けるかは分からないがこうなったら好きにさせるしかない。

 街中なので最悪の場合はタクシーで駅まで連れ帰ることも頭に入れておこうとわたしは思った。


 地元より心持ち緑が多い程度で、暑さもたいして変わらない。

 緑道は狭く3人で並ぶと交通の邪魔という感じだった。

 いちばん前を宇野さんが歩き、そのうしろに怜南と澤田さん、次が日野さんと日々木さんで、最後尾をわたしと心花が歩いた。

 心花の荷物は日野さんが持ってくれている。


 怜南と澤田さんは何度も後ろを振り向いて話し掛けようとするので歩くペースはかなり遅い。

 宇野さんは苛立っていたが、わたしとしては心花の足が心配だったのでありがたかった。

 心花も歩くことに慣れてきたのか少しずつ口数が増えてきた。

 特別なことを話す訳ではない。

 ただ、2ヶ月ほど前の普通に接していた頃に戻ったような気がした。


 ……わたしが気にしすぎていたのかもしれない。


 心花が怜南にばかり話し掛け、怜南に心花を取られたような気がしてわたしからは話し掛けようとしていなかった。

 しかし、考えてみれば心花は他人に気を使うような子ではない。

 単に怜南との会話が楽しいから怜南に話し掛けているだけだろう。

 元々教室でわたしと心花がべったりと話すことはまれだった。

 わたしはグループのナンバーツーではなく、裏方として調整していただけだ。

 じっくり話すのは自宅でLINEや電話を使ってだった。


「これ、可愛いでしょ。怜南に教えてもらったのよ」なんて自慢する心花は、わたしと怜南の関係になんて興味がない。


 修学旅行の班割りだって先に怜南から提案されたからそれに乗っかっただけだろう。

 心花のことはわたしがいちばん知っているはずなのに、ちゃんと見ていなかった。


 日野さんに軽くあしらわれる怜南の姿からも、わたしが彼女を恐れすぎていたのかもしれないと気づかされた。

 怜南の幻影に怯え、心花のことで疑心暗鬼になり、自分で自分の首を絞めていた。

 ここ2ヶ月近くそんな状態が続いていたが、ようやく吹っ切れそうだ。


「心花、涼しそうだけど、日焼け大丈夫?」とようやく気が回ったわたしは、キョトンとする心花に「いまからでも日焼け止め塗ろう!」と慌てて声を掛け、ポーチから日焼け止めのクリームを取り出した。




††††† 登場人物紹介 †††††


川端さくら・・・3年1組。3年間心花と同じクラスで彼女のグループに属している。特別な友だちという位置づけだったが、小学生の頃からの知り合いである怜南にその座を奪われた。


津野心花みはな・・・3年1組。自分がクラスのトップにいることが当然と思っている性格の持ち主。かなりの天然だが学校の成績は良い。


高月怜南・・・3年1組。今回のハイキングを企画した。さくらを追い詰めたり、愛梨をけしかけたりして楽しんでいる。


日野可恋・・・3年1組。1学期は一度も授業に出なかった。免疫系に障害を持つがスポーツは万能(泳ぐこと以外)。


日々木陽稲・・・3年1組。ロシア系の血を引く日本人離れした美少女。肌が弱く紫外線は大敵。可恋と同じ高校へ進学予定。


澤田愛梨・・・3年1組。陸上部。他人と関わろうとしないタイプと見られていたが最近は怜南や陽稲との接触が増えた。


宇野都古・・・3年1組。元気が売りの陸上部のエース。陽稲と仲が良い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る