第434話 令和2年7月13日(月)「梅雨寒」川端さくら

「いい加減にしてよ!」と結衣が荒々しく席を立った。


 その怒気の強さに心花みはなは呆気に取られていた。

 去って行く結衣を有加が「ごめんって」とヘラヘラした顔つきで追っていった。

 空気を読めずしつこい性格の有加は仲が良い結衣に対して遠慮がない。

 これまでも何度か結衣がイラつくことはあったが、今日はとうとうキレてしまった。

 まだこの心花グループができてひと月も経っていない。

 誰も有加を諫めようとしなかったし、このままふたりが抜けてしまっても驚きはしない。


 心花グループはこのクラスの女子の約半数が所属している。

 わたしが積極的に声を掛けて集めた結果だが、実際は寄り合い所帯といった感じだ。

 莉子や渡部さんは自分の都合の良い時しか寄って来ない。


 こんな風にグループ内でトラブルが起きた時は心花がわたしに頼り、わたしはそれに応えてきた。

 そうすることでわたしは心花の信頼を勝ち得たと思っていた。

 ところが、最近心花は怜南ばかり見ている。

 いまも怜南が心花の耳元で何か囁き、心花は安心した表情を見せた。


 今日は肌寒い。

 梅雨寒と言うのだろうか、気温が全然上がらない。

 心花の周りには怜南とわたしだけとなり余計に薄ら寒い。

 心花と怜南は上に一枚着込んでいるのに、わたしはブラウスだけだ。

 うっかりしていた。

 妹たちには暖かくして行けと言ったのに、自分のことまで気が回らなかった。


 心花のことは鬱陶しく思うこともあるが、いまはもやもやした気持ちが強い。

 認めたくはないが、話す機会が減って寂しく感じているのかもしれない。。

 振り回されることも含め彼女といると楽しかった。

 こうもあっさりと怜南に奪われてしまうとは、とやり切れなさが募る。

 いっそ、これまでの2年間の友情は何だったのかと心花に問い詰めたい気分だった。


 怜南ばかりに顔を向けている心花と違い、怜南はちらちらとこちらに視線を送ってくる。

 わたしは怜南が苦手だ。

 なんでも見通しているような悪戯っぽい瞳が。

 相手を見下すような不敵な笑みが。

 そして、他人を思うがままに動かすような喋り方が。


 わたしはいたたまれなくなって日々木さんのグループを見た。

 その中心にいる日々木さんはいつも柔らかな笑顔を浮かべている。

 誰にでも優しく接してくれるし、幼い外見ながら包容力のようなものを感じる。

 自分のことしか興味がない心花とは大違いだ。

 わたしに一歩踏み出す勇気があれば……と思わずにいられない。


「……がグループ入りを断られたんだって」


 いつの間にかわたしの側にいた怜南がこちらに話し掛けていた。

 ハッとして彼女を見ると、「何よ、ボーッとして」とわたしをからかうように笑った。

 その彼女の顔つきがとても嫌だった。

 可愛い顔なのにどこか冷酷さが秘められているようにわたしには見える。

 わたしはすぐに顔を背けた。

 だが、彼女の言葉に再び顔を向けざるをえなかった。


「澤田さんが日々木さんからグループ入りを断られたんだって」


 怜南の瞳に映るわたしの顔は青ざめていたかもしれない。

 彼女はそれ以上何も口にはしない。

 しかし、その顔は「あなたが日々木さんのグループに入れるなんて思わないことね」と語っているようだった。


 授業が始まっても怜南の言葉が頭の中で何度も繰り返された。

 それほどにショックを受けていた。

 日々木さんなら無条件でグループ入りを認めてくれると信じていたから……。


 怜南の話がでたらめという可能性はある。

 問い質してみたところで、誰から聞いたか教えてくれるとは思えない。

 彼女のことだからうまく言い逃れるに違いない。

 澤田さんに直接聞くのは難しい。

 何度か心花のグループに誘ったが取り付く島もなかった。

 彼女は同じ陸上部の宇野さんとよく話している。

 というか、教室で宇野さん以外と話しているのを見た記憶がない。

 その宇野さんは日々木さんと仲が良いので、わたしよりよっぽどグループ入りしやすそうなのに……。


 悶々とした思いで授業時間を過ごした。

 心花との仲がおかしくなってから勉強にも手がついていない。

 これまで心花より良い成績を取ることが目標だった。

 頭の悪そうな言動なのになぜかテストの成績はそこそこ良い心花に負けられない気持ちが勉強への原動力になっていたのだ。

 それなのに、いまはそういう気持ちが湧いてこない。

 受験生なのだからそれじゃいけないと頭では分かっている。

 それでもどうしようもなかった。


 休み時間になると結衣は飛び出すように教室を出て行った。

 そのあとを有加が追い掛けていく。

 止めた方が良いと分かっていても身体が動かない。

 怜南は気にする素振りを見せない。

 このままふたりがどうなってもいいのだろうか。


「大丈夫? 顔色悪いわよ」


 わたしの顔色を悪くした張本人がさも心配するような顔で話し掛けて来た。

 ネズミをいたぶるネコのような目をしていて、心配も何もあったものじゃない。


「保健室に行って来たら?」と珍しく心花も声を掛けてきた。


 そこで保健室まで付き添ってくれると言ってくれれば見直すのに、もちろんそんなことを言う心花ではない。

 怜南は心花にチラッと目をやったあと、気遣うように「誰か呼ぼうか?」とわたしに耳打ちした。

 心花をひとり残して行くことができないというアピールだろうが、それがとてもウザかった。


 わたしは「いい」と言ってふたりの申し出を断り、自分の机に突っ伏した。

 何をするのもダルく、面倒に感じた。

 わたしでは怜南に勝てない。

 小学生時代に植えつけられたその思いがわたしを支配する。


「無理しない方が良いよ」


 近くに人の気配がして少しだけ顔を上げると、視線を合わせるためにしゃがみ込んだ日々木さんがいた。

 わたしは跳ね起きる。

 日々木さんはニッコリ微笑み、「驚かせてごめんね」と謝った。

 わたしはブルンブルンと首を横に振る。


「やっぱり体調が悪そうだね。保健室に行こう」


 日々木さんは優しい口調だが、キッパリと言い切った。

 有無を言わせない勢いに押されわたしは頷いてしまう。

 すると、「立てるか?」と日々木さんの横にいた宇野さんが手を貸そうとした。

 わたしは「平気」と言って自力で立ち上がる。

 少し熱っぽく、身体が重い。

 ただの風邪だと思うが、移してはいけないという気持ちが突如湧き上がった。

 わたしは付き添いを断ろうとしたが、ふたりはついて行くと言い張った。

 押し問答をする時間も気力もなく、わたしはふたりの間に挟まれて歩き出す。

 教室を出る時、怜南や心花がこちらを見ていたかどうか気にする余裕はなかった。




††††† 登場人物紹介 †††††


川端さくら・・・3年1組。グループリーダーである心花とは中1の時から同じクラスで、彼女を支えてきた。


津野心花みはな・・・3年1組。周囲のことに気を配れない性質だが物怖じしないという長所もある。


高山怜南・・・3年1組。さくらとは同じ小学校の出身で低学年からの知り合い。小学生の頃は目立つ生徒だった。


中崎結衣・・・3年1組。美術部。マンガ好きだがオタクではなく一般人。


大橋有加・・・3年1組。中学2年生から結衣の友人。本人は面倒を見てあげている気持ちで接している。


日々木陽稲・・・3年1組。学級委員。


澤田愛梨・・・3年1組。陸上部。休み時間に教室にいることが少ない。

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