第433話 令和2年7月12日(日)「活力の源」日々木華菜
「いらっしゃい」
可恋ちゃんのマンションに行くと、ヒナが満面の笑みで出迎えてくれた。
今日はここにヒナがお気に入りにしているファッションブランドの担当者が来て買い付けが行われる。
わたしは保護者代わりとして参加する。
お母さんは仕事だ。
女性服を購入する席なので、お父さんはわたしに任せると言った。
このことをゆえたちに話すと、とても興味があるようだった。
そこで、可恋ちゃんの許可を得た上でゆえとハツミが一緒に来たのだ。
ヒナはうきうきした気分を顔だけでなく服装でも表している。
デザイナーの式部さんが作ってくれたというセパレートの着物風ドレスを身に纏う。
うぐいす色を基調とした爽やかな色合いが可憐なヒナによく似合っていた。
お昼を過ぎたばかりのこの時間、気温はぐんぐん上がり30℃を越えている。
わたしはTシャツにしようかと思ったけど、ゆえやハツミが気合いを入れていることを知っていたので、レースのついた白のブラウスを選択した。
わたしはそれにスカートを合わせて上品な感じでまとめた。
ゆえは白のシャツに黒のパンツとシンプルな出で立ちなのにセンスの良さが引き立っていた。
一方、ハツミは白のブラウスの上から刺繍がいっぱい入った黒系のボディスを着て、ゆったりしたロングスカートをはいている。
わたしの付け焼き刃の上品さとは天と地ほど違う本物の気品の高さを彼女は示していた。
ちょっと暑そうだが彼女は涼しい顔をしている。
オシャレのためなら平気なのだろう。
ヒナもそうだが安楽に流れないところは流石だと思う。
真似はできないけど。
そんなわたしたちと比べて可恋ちゃんだけが通常運転だ。
七分袖のゆったりとしたシャツにスウェットのパンツという部屋着だが、生活臭を感じないせいか十分オシャレに見えてしまう。
わたしたちが挨拶をしているとすぐに大量の荷物を抱えた人たちがやって来た。
若い女性ふたりと少し年配の女性がひとり。
全員スーツをビシッと着こなしているが、真っ先に挨拶をしたのはもっとも童顔の女の人だった。
可恋ちゃんが名刺交換をしたあとリビングのソファに案内した。
可恋ちゃんはその3人と彼女たちに向き合って座るヒナにお茶を出し、わたしたちにはダイニングのテーブルに着くよう指示した。
そして、用意してあったアイスティーとケーキをサーブしてくれた。
「最近のお気に入りなんです」と言って出されたケーキは通販で最近よく買っているものだそうだ。
可恋ちゃんは自分の分だけ熱い紅茶を注いで、わたしたちと同じテーブルに着席した。
買い物はヒナにすべて任せるつもりのようだ。
非常事態宣言が解除され、ヒナはショッピングへ行きたいという欲求が高まっている。
とはいえ、繁華街は感染のリスクが高い。
そこで可恋ちゃんがデパートに勤めているわたしたちのお母さんと相談して訪問販売をしてもらうことになったのだ。
店まで行くとヒナの長い買い物にずっとつき合う必要がある。
家まで来てもらえばリスクが減り、可恋ちゃんの負担は軽減できる。
わたしたちを呼んだのもヒナの相手を任せようという狙いだろう。
「なんだか上流階級って感じだよね」とゆえが感心した。
豪華な部屋、素敵なスイーツ、そこで行われる商談なんて、確かにそんなイメージを彷彿とさせる。
しかし、可恋ちゃんは「友だちに本物のアッパークラスがいますが、私でも住む世界が違うと感じますよ」と指摘した。
例として挙げたのは、家の中に使用人がいるかどうかだった。
「女主人の仕事は家の奥――表が仕事場でそれ以外の場所――にいる人たちに采配を振るうことですからね」
「なるほど、それで奥様か」と可恋ちゃんの言葉にゆえが納得の声を上げる。
ケーキは予想以上に絶品で、見た目は普通なのに舌触りなどの食感が普通ではなかった。
失礼ながらお値段を聞いてみたところ、高校生のお小遣いでは容易に手が出ない金額だった。
本人はアッパークラスではないと言うが、わたしたちとは別次元にいるのは間違いない。
ケーキを堪能したあと、高校生3人はリビングに行って商談を見学する。
わたしたちのためにソファが用意されていて、ゆえを真ん中に並んで腰掛けた。
ヒナは楽しげだが、真剣な顔で次々と質問を投げかけている。
小さな頃からヒナの買い物につき合っているのでわたしには見慣れた光景だが、ゆえやハツミは驚いていた。
最近ヒナは北関東に住む祖父にビデオ通話で頻繁に連絡しているそうだ。
春休みに行けなかったし夏休みも行けるかどうか分からないので、ご機嫌伺いをするのは大事なことだろう。
なにせ多額の衣装代を出してもらっているのだから。
普通のサラリーマン家庭だったら収入の全額がヒナの服に消えてしまいそうだ。
ヒナが服装について重視しているのはデザインや色合い、質感といった見た目だ。
わたしだと着心地をいちばんに考えるし、手持ちの服との組み合わせであったり、洗濯のしやすさなんかも注目したりする。
服は維持管理だって大変だ。
ヒナは体型があまり変わっていない――身長も含めて――ので、物持ちがいい。
それもあってとんでもない量の洋服が彼女のクローゼットに眠っている。
温度や湿度が管理できるクローゼットではあるが、家に戻ってきた時はしっかり中を確認しているようだ。
所持している服は全て頭に入っているのだから、ヒナのファッションにかける情熱は本物だ。
しかも、いつどこに着て行ったかもほとんど覚えているそうだ。
呆れた気持ちでいたら、「お姉ちゃんは作った料理のことを覚えているじゃない」と言われた。
わたしも細かな日付までは覚えていないが、この時期にこんな料理を作ったという記憶はある。
特にどういう組み合わせで出したかはよく覚えている。
それをゆえに話すと「似たもの姉妹」と言われて嬉しかった。
ヒナは見学のわたしたちが退屈しないように、時折こちらに質問を振ってくれる。
会話に参加する糸口ができて、ゆえやハツミは喜んでいる。
わたしは専門的な知識がないので、微笑むだけで口は挟まない。
ダイニングに目をやると、可恋ちゃんがブルーライトカットの眼鏡をつけてスマホを熱心に見ていた。
販売の担当者は交替しながらヒナの相手を務めているが、1時間半が経過してもヒナの勢いに陰りはない。
たぶん夕方までこの調子だろう。
ゆえとハツミは口数が少なくなり、ひと息つきたいという表情だった。
わたしは立ち上がり、可恋ちゃんに一声かけてからキッチンに入る。
勝手知ったるキッチンで、わたしは持参したフルーツの盛り合わせをみんなに振る舞うことにした。
素材が良いので手の込んだことはしない。
切って盛り付け、チョコレートのソースを添える程度で十分だろう。
ただ全員に出すとそれなりの量にはなる。
料理を仕事にしようと思うようになって実感したのが体力や筋力の問題だった。
家庭では女性の仕事とされる調理だが、シェフなど職業料理人は男性が圧倒的に多い。
その理由は体力や筋力にあった。
大人数の調理を行おうとすれば食材も膨大な量になる。
それを扱うのは力仕事だ。
鍋などの調理器具も大きくなると筋力がないと苦労する。
調理師は立ち仕事だし、体力がものをいう世界だ。
幸いなことにトレーニングの話をすると嬉々とした顔で相談に乗ってくれる人がいるので、彼女のお蔭で最近はそういう面での強化も実感できるようになった。
「お疲れ様です」と言って販売員さんたちにも休憩を取ってもらう。
ヒナひとりがツヤツヤな顔で元気そうだ。
好きなことに夢中になれる点は彼女の長所だがつき合う周りは大変だ。
ゆえとハツミは販売員さんたちと雑談をすると言うので、わたしとヒナは可恋ちゃんのところへ行って一休みすることにした。
「今度は可恋やゆえさんたちの買い物もしたいね」とニコニコしているヒナに、「私たちが束になってもひぃなほど買わないから」と可恋ちゃんが苦笑する。
今日は夏物だけでなく秋冬物も購入するそうだ。
ヒナは買い物には行けなかったがインターネットで相当量の服を買っている。
それを念頭に「これで当分買わなくても良さそう?」とヒナに聞くと、彼女は目を丸くして「そんなことないよ!」と声を上げた。
来週は試験明け恒例の買い物に行くと話し、再来週も連休だからとショッピングの予定を立てている。
可恋ちゃんは苦笑を浮かべたまま、「あくまで予定だからね」とヒナの発言を聞き流した。
ヒナの情熱とそれをサラリと躱そうとする可恋ちゃんの攻防にわたしは思わず頬が緩んだ。
このふたりは特別だ。
ふたりとも内からエネルギーが湧き上がり溢れんばかりだ。
そのふたりとこうして間近で接していると、わたしまで活力が満たされていく。
眩しすぎる太陽のような存在だから避けようとする人もいるだろう。
近づき過ぎると灼け落ちてしまうかもしれない。
だけど、このふたりを見ているとワクワクする。
それがわたしのパワーになる。
きっと、これからも。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木華菜・・・高校2年生。料理が趣味で、それが高じて将来は調理師か栄養士を目指している。
日々木陽稲・・・中学3年生。華菜の妹。華菜と異なり日本人離れした外見を持つ。将来の夢はファッションデザイナー。
日野可恋・・・中学3年生。大人びた少女。頭脳も風貌も大人顔負け。
野上
久保初美・・・高校2年生。帰国子女の美人。ファッションには人一倍興味がある。
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