第424話 令和2年7月3日(金)「手芸部の未来」矢口まつり
「第37,925回手芸部戦略会議を行います」
いつものように部長の朱雀ちゃんが声を張り上げた。
広い家庭科室にはわずか3人の部員がいるだけ。
密とはほど遠い環境の中、離れて座っているので朱雀ちゃんの声が聞き取りづらい。
午後から雨が降り出して、窓を閉めていても若干うるさいせいでもあった。
一昨日から部活動が再開され、ようやく放課後の家庭科室に足を踏み入れることができた。
わたしはお昼休みは教室で過ごすことが多かったのでここに来るのは授業か部活でだったけど、それでも校内で特別な場所のように感じるようになった。
毎日のように昼休みにここに避難していたという朱雀ちゃんたちにとってはもっと特別な思いがあるだろう。
「まつりちゃん、ちゃんと聞いてね!」
わたしがボーッと感慨に耽っていたことに気づいた朱雀ちゃんが眉を寄せた。
常に前だけを見ている彼女は相変わらず精力的だ。
「ご、ごめんなさい」と謝ると、朱雀ちゃんは満足げに頷いた。
「手芸部最大の危機です。魔王の陰謀に違いありません!」と朱雀ちゃんが力説すると、「魔王様は7月から登校予定だったのに感染者数が増加しているため見直すことになったと女神様が嘆いていらっしゃった。手芸部に手を出す余裕なんてないんじゃない?」と千種ちゃんが冷静に指摘した。
毎日報道される新型コロナウイルスの感染者数の発表はついつい気になってしまう。
その数字の意味なんてわたしには分からない。
ただ不安に駆られ、心に重くのしかかるようだった。
給食が再開して6時間授業になり、部活動もこうして行えるようになった。
一方で、ここ数日欠席する生徒の数が増えた印象だ。
教室内で表立ってコロナの話をすることはないけど、みんな心の片隅に不安を抱え込んでいるんじゃないかと感じている。
「まつりちゃん、聞いているの? 手芸部最大の危機なのよ!」と再び朱雀ちゃんから注意されてしまった。
「ご、ごめんなさい」と再度謝ると、「いい? 手芸部の危機ということはあなた自身の危機でもあるのよ」と朱雀ちゃんが熱く語る。
「でも、部員数4人で同好会の資格を満たすと今年度は例外的に正式な部扱いしてもらえるって言っていましたよね?」とわたしが確認すると、朱雀ちゃんはチッチッチッと舌を鳴らしながら指を振った。
「いいこと? マスク配布で手芸部の名は永遠に校史に刻まれたわ。その手芸部を継承させていくことこそが次の偉大な使命なのよ!」
7月1日の活動再開日に3年生の先輩部員ふたりが顔を出し、今後は受験に専念すると語った。
勉強の遅れを取り戻すために授業が詰め込みで行われるし、それを補うために塾に通う時間も増えるそうで、受験を控えた3年生は大変だ。
籍は当分そのままなので、手芸部が即解散という事態に追い込まれる訳ではないが、朱雀ちゃんはかなり強い危機感を抱いたのだろう。
昨日から口を開くたびに新入部員獲得が話題に上がった。
「ガチャ――召喚の儀式を行えないことが手芸部にとって不利」と千種ちゃんがゲームに喩えて話すように、今年度は部活動をアピールする場が設けられなかった。
そこでいろいろと手芸部を売り込む予定だったのにすべての計画が灰燼に帰した。
ファッションショーだの人形劇だの準備していたものがご破算になって朱雀ちゃんと千種ちゃんはすっかりしょげていた。
それでもふたりはめげることなく、こうして次の作戦を練っている。
その姿勢こそわたしがここに居たいと思わせるものだった。
「2、3年生にはマスク配布で名前が売れたけど、一方で大変そうってイメージもついちゃったみたいだしね……」とは部長の弁だ。
「橋本先生のスピーチが不評というのも……」
わたしの言葉に朱雀ちゃんが頭を抱え込んだ。
部活紹介の校内放送が行われたが、その宣伝は顧問の先生に託された。
朱雀ちゃんは「部長にやらせてよ!」と抗議していたが、そんな彼女の悲痛な思いは杞憂に終わらなかった。
「あれを聞いて入りたいと思う人がいたら、逆立ちして富士山に登ってみせるよ」
「邪教の勧誘でもあれよりマシだと思う」
朱雀ちゃんと千種ちゃんからは惨憺たる言われようだが、さもありなんと思ってしまうほどだったのだ。
堅物の橋本先生は部活動の理念を滔々と述べ、婦女子の嗜みとしての家庭科学習の補助として手芸部の有効性を説いた。
たいそうご立派な、遊び心に欠けた部という印象を与えてしまった。
現実とは真逆と言ってもいいだろう。
「ダンス部の2年生が1年生の教室に行って宣伝したせいで同様の行為は禁止って通達が出ているし、どんな部なのか知ってもらう方法がないのよね」
ダンス部などの人気の部活は新入生の見学者が多数訪れているらしい。
光月ちゃんによると、美術部も例年並みの新入部員が確保できそうなのだとか。
知名度が低く、活動内容は敬遠されやすく、顧問によるアピールも失敗した手芸部が危機だという部長の言葉は決して否定できない。
「時間は掛かるけど、文化祭でファッションショーをやって盛り上げてアピールするというのは?」
文化祭でファッションショーを行うというのは手芸部の既定路線だ。
もうそこで1年生にアピールするしか残された手はないのではないか。
「文化祭が無事に行えるかどうか分からないし、準備の人手が足りないんだよね」
わたしの質問に朱雀ちゃんが真面目な顔で答えた。
文化祭が行われるとしても、それぞれ自分の所属する部活があるので手伝いを頼むのも気が引ける。
クラスの出し物もあるし、部活をやっていない生徒は学校行事に積極的でないイメージがある。
「神々の力を頼るのは?」とわたしが口にすると、朱雀ちゃんはしばらく唸ったあと、「まだ早いよね」と千種ちゃんの顔を見た。
「己の手で道を切り拓こうとしない者に神々は祝福を授けない」
まるで巫女のように、千種ちゃんがお告げを下した。
部活が再開されて3日で音を上げるのは早過ぎるということだろう。
確かに他人任せにするのは朱雀ちゃんらしくない。
「やっぱりアレしかないか……」と朱雀ちゃんが呟く。
嫌な予感がして、「アレって?」とわたしは聞いてしまう。
聞かなきゃいいのにね。
でも、聞かなかったら聞かなかったで実行直前に知らされて顔面蒼白になっちゃう訳だけど。
「校内放送ジャックをしよう! それしかない!」
「え、え、えー! 無理無理無理! 廃部になっちゃいますよー」
わたしが止めるのも聞かず、朱雀ちゃんはやる気に満ちた表情になっている。
止めて欲しいと千種ちゃんに視線を送っても、彼女も顎に手を当てて考え込んでいた。
無茶で無謀で絶対不可能ですって……。
そんなわたしの叫びは誰の耳にも届かないようだった。
††††† 登場人物紹介 †††††
矢口まつり・・・2年2組。手芸部。朱雀に部員確保のため強引に入部させられた。手芸の腕はふたりに比べるとかなり劣るが、心地よい居場所としての手芸部に馴染んでいる。
原田朱雀・・・2年2組。手芸部部長。1年前に千種と手芸部を創部した。協力してくれた陽稲を女神と崇め奉る。
鳥居千種・・・2年2組。手芸部副部長。異世界転生系ラノベを好み、自身も朱雀を主人公としたマンガのストーリーを担当している。
橋本風花・・・手芸部顧問。家庭科担当の教諭。独創性を重視する陽稲とは意見が噛み合わない。
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