第395話 令和2年6月4日(木)「面談」藤原みどり

「今日はわざわざおでいただき、ありがとうございます」


 きっちりと女性向けスーツを着込んだ中年女性に向かって私は頭を下げる。

 窓を全開にしていても教室は蒸し暑く、私の額には玉のような汗が浮かんでいた。

 私の横に立つジャージ姿の君塚先生は普段と変わらぬ無表情で自分の名前を名乗って一礼した。


「娘がいつもお世話になっています」と相対する生徒の母親も頭を下げるが、どこか貫禄を感じさせ若輩である私は居心地が悪かった。


「お掛けになってください」


 感染症対策に十分な距離を取って並べた机に着席してもらう。

 女性は君塚先生の前に座り、私の前にはその娘である日々木さんが柔らかな表情を浮かべたまま席に着いた。


 きっかけは先週の登校日に君塚先生が日々木さんの髪を問題視したことだった。

 彼女の髪は非常に目立つ赤毛で、長く緩やかにウェーブしている。

 それは日本人っぽくない彫りの深い小顔によく似合っている。

 彼女は小学校時代からこの辺りでは有名な存在で、その髪が地毛であることは教師陣には知られていた。

 校長先生の方針もあり、証明書を出してもらうことでこれまでは問題にしてこなかった。

 それに対し転任してきたばかりの君塚先生が声を上げた形だ。


 当初は電話で保護者に確認して手を打つ予定だったのに、日々木さんの親御さんが直接会って話したいと主張した。

 そう言われては断ることもできず、こうして面談の場を設けた。

 応接室や会議室でないのは狭い密閉空間を避ける配慮からだ。

 日々木さんの父親はPTA活動をされているし、昨年夏のファッションショーの見学の時も協力してくださった。

 とても温厚で、私にも丁寧に応対してくださった。

 しかし、今日お見えになったのは母親の方で、こちらは一筋縄ではいかないやり手の印象を受けた。


 初担任となる私をベテランの君塚先生がサポートするべきなのに現状では逆になっている。

 本来であれば学年主任や生徒指導の先生も面談に加わって君塚先生の暴走を止めて欲しいのに、教師の数が多いと保護者にプレッシャーを与えてしまうという理由で断られてしまった。

 こんな場に1秒も居たくないと心の底から思いながら、私も椅子に座り額の汗を拭った。


「日々木さんの髪については証明書が提出されていることもあり学校として問題とすることはありません」


 私の言葉に日々木さんの母親はわずかに頷いただけだった。

 これで終わりで良いじゃないという私の魂の叫びは誰にも届かない。


「黒く染めろなどとバカなことを言われなくてホッとしました」と日々木さんの母親は君塚先生をジッと見つめて微笑んだ。


「彼女の髪は中学生に相応しいと思えません」


 君塚先生は話の流れをぶった切って自分の意見を述べる。

 私は自分のこめかみがヒクヒクと引きつるのを感じた。


「あら、相応しいかどうかなんてどなたが判断するのでしょう」と言った目の前の女性は君塚先生から私へと視線を移した。


「すでに学校として問題ないと判断しています」と私は君塚先生の方をうかがいながら話す。


「他の先生方との意見の調整は終えています。君塚先生も了解してください」


 これまで何度も君塚先生に伝えた言葉をもう一度繰り返した。

 彼女は私に厳しい眼差しを向けたが口は閉じたままだった。

 ベテラン教師の無言の圧はキリキリと私の胃を締め上げる。

 それでも保護者と生徒の前でヘタレなところを見せる訳にはいかなかった。


 君塚先生が視線を逸らし、ホッとした瞬間、「ところで、時代遅れの威圧的な授業が行われていると娘から聞きました」と日々木さんの母親から爆弾が投下された。

 わたしはギョッとして目を見張る。

 君塚先生は対面の女性を睨みつけた。


「生徒のために行っていることです」


 一拍置いて答えた君塚先生の声は思いのほか落ち着いていた。

 だが、女性は「生徒のため……、本当にそうでしょうか?」と畳みかける。


「昨年夏に行われた全県模試の結果です。広岡先生に教わっていたこの学校の2年生の英語の偏差値と、君塚先生が前任の中学校で教えていた学年の英語の偏差値では明らかに差があります」


 そう言って彼女はプリントを差し出す。

 そこにはどこから入手したのか事細かな試験のデータがコピーされていて、彼女の言葉が事実だと一目で分かるようになっていた。

 偏差値のところに赤字の丸がつき、そこから線を引っ張って「広岡先生」「君塚先生」と手書きでメモしてある。

 その字は私が知っているものだった。


 君塚先生はそれをチラッと見ただけで、「学力はテストの点だけで測れるのもではありません」と冷静に告げる。

 それに対し、「厳しい指導のすべてを否定はしませんが、時代に合った教え方というものがあるはずです。威圧的なやり方では勉強嫌いの子を生み出すだけではないのですか?」と日々木さんの母親が問い掛けた。


「時代に合うという意味で言えば、現在家庭での教育力が弱体化しており、常識すら身につけていない中学生も少なくありません。子は親を見て育ちます。教師に敬意を払えない保護者の存在が学校教育を疲弊させています」


 君塚先生の反撃に日々木さんの母親は不快に顔をしかめた。

 それまで穏やかに見守っていた日々木さんも眉間に皺を寄せる。


「規律や規範意識があってこその学力です。今回の休校期間中にも生活リズムを乱す生徒が大勢いました。親子揃ってたるんでいるのです」


「さすがにそれは言い過ぎじゃ」と私が口を挟むと、「若い教師も同じですよ」と君塚先生はこちらを向いた。


「ICT教育だの何だの持てはやされていますが、生徒の言いなりになってそれで教師と言えますか」


 私はオンラインホームルームなどの開催のために生徒である日野さんの力を借りている。

 君塚先生は薄々それに気づいているようだ。


 私が絶句して教室に沈黙が訪れる。

 なま暖かい風が吹き、ただひとり君塚先生だけが悠然としている。


「……わたしは、君塚先生の英語の授業が好きじゃありません。苦痛です」


 これまで発言しなかった日々木さんがか細い声でそう言った。

 君塚先生は気にも留めないような態度で「だから、何ですか?」と問う。


 日々木さんは顔を上げ、君塚先生を見つめる。

 そして、スッキリした表情で「わたしは負けません」と微笑んでみせた。


 いつも日野さんに守られているだけというイメージの少女がいまはどこか大きく見えた。

 日野さんのように大人びた感じではない。

 和やかな顔つきなのに、簡単には折れそうにない意志の強さを私は感じた。


 君塚先生はそれに答えず視線を逸らした。

 私はそれを逃さず、「髪のことは問題にしませんから」と改めて述べて面談を切り上げる。

 この1時間にも満たない面談で確実に私の寿命は縮んだ。

 ここに日野さんがいたら……。

 考えたくもない。

 私ってもしかして教師に向いてないの?

 そんなことを思ってしまうほど私は疲れ切っていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


藤原みどり・・・3年1組担任。国語教師。4年目にして初の担任となった。学生気分が抜けていないという評もあるが、最近は周囲の見る目が違ってきて得意になっていた。


君塚紅葉・・・3年1組副担任。英語教師。校内では常にジャージ姿で、転任してきたばかりなのに他のクラスの生徒からも覚えられている。


日々木陽稲・・・3年1組。容姿ばかり注目されがちだが成績は優秀。多くの教師から真面目で良い子と認識されている。


日々木実花子・・・陽稲の母。今日は仕事が休みなので学校に乗り込んできた。


日野可恋・・・3年1組。今回は資料提供のみ。

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